表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
121/147

7 奪取

「あれは……」


 街中。逃げ惑う人々を器用に避けつつ神行法で走っていた火眼は、前方の様子に思わず炎の目を細めた。

 もうもうと舞う土ぼこりの中。何か巨大な影が蠢き、時折紅いものがちらちら見え隠れしている。

 火眼、跳躍をひとつ派手にして。西の城壁に近いところへ着地すれば、ようやく状況が明瞭となる。

 目前に見えるは、巨眼巨躯、身丈が城壁ほどもある牛形の獣。そして。

 

「こんの……街の方に行くんじゃねえってんだデカブツっ……!」


 その巨獣の鼻先に取り付いて風火輪(ふうかりん)をふかし、街へ入れまいと必死で押し返しているのは神将・那吒(なた)。身にまとう紅い絹布が、荒れ狂う風の中、悶えるようにはためいている。

 美童の神将はいま、三面六臂(さんめんろっぴ)の異形と化している。三つの顔に、六本の腕。

 那吒は左右三対の両腕で饕餮(とうてつ)を必死に抑え込んでいたが、火眼の到来にふと気づいた様子。三つある顔のうち一つが、真剣な面持ちでこちらを振り向いた。

 

「火眼! なんだ加勢しようってのか!? おあいにくだが、ここはお前の出る幕じゃねえ!」


 那吒、火眼が何も言わぬうちから協力を突っぱねて。

 

「こいつはオレがここで何とかする! それよか黄雲たちに何かあったみたいだ、お前はそっちに向かえ!」


 早口にまくし立て、那吒は先へ行くよう促した。

 応じて火眼はこくりと頷くと。

 

「わかった」


 あっさり。

 炎の少年は饕餮の足をすり抜けて、さっさと行ってしまう。一切後ろ髪引かれることもなく。

 

「い、いや……いやちょっとお前さー! 少しくらい手伝うそぶりくらい見せろってんだ! んの薄情者ーっ!」


 哀れ神将、一対一のまま膠着状態は続く。

 

 

 

 さて、西の城壁を抜けて。

 雨中の林道。天から降り注ぐ雨粒を鬱陶しく思いながら、火眼はよくよく知った氣を目指して駆けていた。黄雲、清流、それから巽の氣。その中でただ一人、黄雲だけがこちらへ向かってきているようだ。大気を伝わってくる少年の氣は、やたらと弱々しい。

 しかしその黄雲の氣が突然ふっと掻き消えたので、火眼は思わず足を止めてしまった。

 

黄雲(あいつ)……」


 何があったのか。今までこちら目指して移動していた黄雲の氣は、確かにかなり衰弱した状態ではあった。かといって瀕死というほど弱っているわけでもない。それが突然消えた。

 死んだ、とするならば、氣の消え方があまりにも唐突だ。全身を一瞬にして灰燼にでもされない限りは、こうもきれいさっぱり消えやしない。

 火眼の足が消失地点へ向かいかけた、その時。

 前方より伝わる、清流道人の気配にも異変が生じる。

 

「これは……!」


------------------------------------------


「ごふっ……!」


 赤いものが溢れた。

 心臓から漏れた血が、気道を逆流して咽喉(のど)に達し、酒仙の整った唇からこぼれ落ちる。

 同時に、四方を囲むように噴き上がっていた水の壁も、間欠泉が勢いを失するようにして鎮まった。

 しかし水壁の術が解けてもなお、天からは水滴が霈然(はいぜん)と降り続け、一同をしとどに濡らしている。雨はいつのまにか、本降りになっていたようだ。

 

「ふむ」


 細やかな金の髪に雨が滴っても、美貌の天仙に頓着はない。

 鴻鈞道人(こうきんどうじん)は龍吟の柄を白い指でそっと支えながら、清流の背中ごしに、宝剣の刀身が血と雨に濡れているのを柔らかい微笑みで眺めている。そのまなざしは、雪中にほころぶ茶梅(さざんか)を愛でるよう。雨に濡れて、天仙の佇まいはいっそう優美だ。

 しかし。

 

「さすがに贋作。心臓をひと突きにされても息があるか。まあ死んでもらっては、私も困るわけですが」


 紡ぐ言葉は剣呑である。言いつつ、鴻鈞は清流の手の甲へ、そっと指を這わせた。

 酒仙の手に握られているのは、瓢箪。氣を遮断され、すでに酒水の剣は消えている。それを易々と奪い取ると、優男はほんのり笑った。

 

「これはこれは……良い容器(いれもの)をお持ちだ」

容器(いれもの)……?」


 息も絶え絶えに問い返す清流へ、鴻鈞道人の返答は涼やかに。

 

贋作(あなた)を容れるためのものですよ」


 彼が言い終わるや否や、串刺しにされた清流の心臓が、ずくりと不快な動悸を脈打った。

 

「なっ……!」


 そして、身体を、細胞を。己を成すものが溶けていく感覚。

 

(氣が、(ほど)けて……!)

 

 清流の見つめる先。彼女の指先からまず、肌の色が消えた。爪の先からじわじわと拡がる無色透明の侵食。肉体が液体と化していく。

 瞬く間に酒仙は人としての輪郭を失い、ただの水の塊と化し。

 

「しばしの別れだ、清流道人。瓢箪(ひさご)の中で、どうぞごゆるりと」


 そう柔らかに声を掛けて、鴻鈞道人が龍吟へいっそうの氣を込めれば。

 

「…………!」

 

 渦を巻くようにして、清流道人を形作っていた流体が瓢箪へ吸い込まれていった。飛沫(しぶき)をあげて、しかし一滴余さず。

 清流の(すべ)てを収めたところで、鴻鈞道人は何食わぬ顔のまま瓢箪に栓をした。瓢箪の表面に、黒々と封印の紋が浮かび上がる。

 一瞬の出来事。しかし場にいる者たちに動揺はない。


「鴻鈞道人」


 天仙の背後。樹上に避難していた巽が地上に降り立った。黒装束はずぶ濡れ、切っ先の欠けた八洲刀(やしまとう)の刀身に塗られた毒は、雨ですっかり流れてしまっただろう。しかし三白眼は依然、爛々と殺気を滾らせている。


「俺は黄雲(あいつ)を追う。霊薬(エリキサ)の娘と、しのぶを頼む」


 言いつつ、鴻鈞道人の横を突っ切ろうとした巽だが。


「追わずともよい。放っておけ」


 天仙ののんきな制止に、忍びは思わず胡乱(うろん)げな目を向けた。鴻鈞は相も変わらず柔和な笑みを浮かべながら、気だるげな仕草で手の中の瓢箪をもてあそんでいる。

 彼の言葉は、巽にとっては解しかねるものだった。「放っておけ」とは、聞き捨てならない物言いである。


「……どういうことだ。かの御方の仰せでは、亡き者にせよと……」

「そうだな。そういう約定だ」


 忍びからの疑念の眼差しを、涼やかな挙措でさらりと受け止めつつ、天仙。


「だが、始末は今すぐでなくともよい。あの少年とは、近いうちに垙京(こうけい)でまみえるだろう」

「しかし……」

「案ずるな。あの方には私から申し伝えておく」


 そして青い瞳の視線は、黄雲が走り去った先を見遣る。まるで、彼の行く末を見透かしているかのように。


「……実に面白い。面白い天数(さだめ)だ。運命的で、悲劇的だ」


 ぱしゃり。独り()ちる鴻鈞道人の背後へ樹上から、水しぶきを上げてしのぶが着地した。肩にはなおも、気絶したままの雪蓮が担がれたまま。

 天仙は振り返ると、囚われの少女へ目線を落として言葉を紡ぐ。


「雪蓮殿。恋とは儚いものですよ。いずれ知ることになるでしょう」


 少女から(いら)えはない。雪蓮の意識はまだ、闇に沈んだまま。

 さて、と鴻鈞道人は眼前に龍吟を掲げた。銀の刀身は雨を浴び、寒々と輝いている。血の跡は雨水に流され、もはや微塵もない。


「龍吟。氣の高密度集積体である贋作(がんさく)の肉を、こうも簡単にほどいて液化してしまえるとは。本来ならば清流道人の意志や術に阻まれて、これほど容易にはいかぬ」


 刀身に映る天仙の碧眼は、わずかに恍惚の色を帯びる。


「……本来の持ち主ならば、いかばかりの力を発揮できようか。なんとも、目覚めが楽しみなことだ」


 つぶやきながら、鴻鈞道人は宝剣を鞘に納めた。雨は降り止まず、暗雲は空に立ち込めたまま。一帯は雨にけぶっている。

 行こうぜ、と巽が一同を促したときだった。


「──みつけたっ」


 紅い、一陣の風のように。

 降りしきる雨の中を突っ切って、鴻鈞道人めがけて到来する影が一人分。


「火眼金睛!」


 白髪紅衣、真っ赤に燃える瞳。亮州城の方面より走り来たるは、まさしく火眼金睛。

 その姿をいち早く捉えた巽が迎撃に走りだす。しかし、神行法を使い人の及ばぬ速度で走る火眼には、一歩間に合わず。


「おや……」


 火眼の真正面。鴻鈞道人は避けもせず、ただ和やかに笑いかけるのみ。


「!」


 火眼は朱塗りの棍を前方に突き出して、鴻鈞の持つ瓢箪を狙った。こつんと弾かれてあっけなく、天仙の手から瓢箪が離れる。

 ころりと地面に転がったそれを間断なく拾い上げると、火眼は棍を構えつつ敵意の目で、一同を見渡した。


「……どういうことだ」


 炎の瞳は黒装束を凝視している。覆面、三白眼。普段はおちゃらけてばかりの異国のニンジャは、真剣神妙の面持ちでどうやら敵方に(くみ)しているらしい。

 そして火眼がいま手に持っている瓢箪は、清流道人が普段から愛用しているもので。瓢箪の中に清流の氣が詰められていることが、手のひら越しに伝わってくる。

 そして目前。巽の背後の少女の肩に、雪蓮の姿。

 普段はあまり表情を動かさない火眼だが、いまこの時ばかりは眉間に怪訝の色がわだかまっている。


「これは、どういうことなんだ。清流道人はこの中で、黄雲の氣はきえた。覆面くろずくめ、おまえは……」


 訥々(とつとつ)と、ほんのわずか戸惑い気味に発せられる言葉。

 しかし、答えが返ってくることはない。目前の巽は刀を構え、雪蓮を抱えた少女も、じり、と後じさり。

 ふと火眼は気付いた。先ほどまで目の前にいたはずの、金髪碧眼の男の姿がない。


「ぐっ!」


 火眼、背後の空気と雨粒の揺らぎを機敏に察して、とっさに身をひねった。そして瓢箪を持った方の腕をかすめていく痛み。横目に一瞬見えた、銀の刀身。


「おっと惜しい」


 龍吟を閃かせつつ、鴻鈞道人は余裕の表情だ。いつのまに気配も無く、背後に潜んでいたのか。

 火眼が察知できない種類の氣。すなわち。


(金行の氣……!)


 大方、鴻鈞道人は総身から発する氣を金行に塗り替えたのだろう。火眼は金の氣を感知できない術をかけられている。天仙はその間隙を突いたのだ。

 憶測はおそらく正しい。しかし、それが分かったところで状況は好転しない。崖を背に、火眼は斬られた腕をかばいつつ、自身の満腔から氣が凄まじい勢いで抜けていくのを感じていた。


「これは……!」


 瞬く間に全身を苛む疲労感。先程まで充溢していたはずの氣力は一気に衰耗し、もはや立っているのがやっとの状態だ。

 炎の瞳が写す視界は、くらくらと眩暈の様相。揺らぐ視界の中、鴻鈞道人が持つ宝剣がいやに輝いて見える。


「龍吟か……!」


 それはかつて、己を斬った剣。過日、崔雪蓮が地中から呼び出した銀の宝剣だ。それをどうして、鴻鈞道人が持っているのか。

 以前、雪蓮と対峙した折には、直接斬られはしなかった。剣風に身を裂かれたのみ。しかし先刻肌へ直に負った一閃は、刻々と火眼に消耗をもたらしている。

 膝をつきそうになり、棍で身体を支えたとき。彼の弱体化を見計らったか、巽は刀を構え、しのぶは懐へ手を差し入れ。

 鴻鈞道人は相も変わらず花を眺めるような風雅な佇まいのまま、剣を掲げる。


「やれやれ、飛んで火にいるなんとやらか。手間が省けることだ」


 天仙はつぶやきつつ、何の感慨もなく剣を振り下ろした。

 おそらくは袈裟懸けに切り裂こうとしたのだろう。


「ちっ!」


 火眼、咄嗟に背後へ跳び退(すさ)る。後方は崖、下方には此度の戦いで増水した川。

 空振りの龍吟。そして、背水。

 炎の少年はそのまま、背中から崖下へ落ちる道を選んだ。消耗した状態で、龍吟を手にした天仙とやり合うなど土台無理。火眼は瓢箪をしっかりと握りしめたまま、亮州城方面へ向かう流れの中に墜落していった。

 少年、炎の氣の塊であるからして、水の氣にはとんと弱い。

 それでも、あの場にいるよりずっと良い。水量の増した川の中で、火眼は懐へ大事に瓢箪を押し込めて、意識を手放した。


 さて、崖上の三人。火眼を逃がしたにも関わらず、鴻鈞道人はやはり涼しい顔だ。


「さて、と。戻ろうか二人とも」

「戻ろうか、じゃねえだろ。結局黄雲は殺せずじまい、贋作二人も逃がしちまったじゃねえか」


 巽は咎めつつ、三白眼でじとりと天仙を睨みつける。しのぶは生気の無い瞳のまま、ぼんやり雪蓮を抱えて無言の棒立ちだ。

 忍びの苦言に、鴻鈞道人はくつくつと笑い声を漏らした。さも可笑しいとでも言いたげに、天仙。


「まったく。人間は短命ゆえ、せっかちで仕方がない。案ずるな。先刻話した通り、黄雲少年は必ず垙京に現れる。贋作達も、彼やそこの雪蓮(かのじょ)を追って都へ来るだろう。我々は待ち構えるだけでいい。あの方の本懐は、垙京にて遂げられる」


 それに、と鴻鈞道人は宝剣を鞘に納めつつ続ける。


「いまここで知己を手にかけられなかったこと……実のところ、お前は安堵しているのではないか? 四郎(しろう)よ」

「……ふん」


 天仙の呼びかけへ不機嫌に鼻を鳴らして、巽は八洲刀を茂みの中へ放り投げた。

 切っ先の欠けたなまくらに未練はない。新たな刀は、また調達すればよい。


「私情は捨てるさ。あんたが約束を守ってくれるならな」


 そう鋭い言葉と眼差しを天仙に送り、巽はしのぶの方を見た。雨に濡れながら、まだ幼い少女はずっと雪蓮を抱えたまま。しかし疲労の色はなく、それどころか表情には一切の情動が無い。覆面で顔の下半分が隠れているとはいえ、瞳にはやはり生気がなく、なんの感情も宿ってなさそうである。

 まるで人形のような佇まい。そんな彼女へ、巽は「息災か」と簡潔に言葉を投げかける。


「ええ。鴻鈞さまのおかげで、体調は良好です」

「そうか……」


 この顛末の中でたった一つ、安らげることだったのか。覆面の中にやっと、疲れの色が浮かんだ。


「さあ、そろそろ城壁の饕餮(とうてつ)も引き上げさせよう。戦果は崔雪蓮の身柄で十分。余計な人目に付く前に、我々も退散せねばなるまい」


 鴻鈞道人の言葉に応じて。巽としのぶは目配せを交わし、そして。

 瞬息の間に、天仙ひとりと忍びふたり、そして雪蓮の姿はふっと掻き消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ