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5 文箱

 暗く長い通路を三人は行く。

 その後も続く数々の仕掛けを難なく切り抜け。

 昨日はあんなに長く長く感じた道のりを、黄雲があっけなく、短く思っていると。

 

「これは……」


 一同が行き着いたのは、螺旋階段の間。

 神将の第三眼からの光が、下から上へ螺旋の構造をなぞる。光に追い立てられるように、階段の落とす影がぬるりと壁を這った。

 

「二重螺旋……」


 円筒の空間の中。左右から壁沿いをうねる二つの螺旋の重なりを見上げながら、二郎真君は神妙な面持ちだ。

 改めて見れば、奇妙な意匠だ。螺旋状の階段、それも左右から二つ。それぞれの間には、石材で造られたと思しき、無数の細い棒が渡されている。

 

「珍しい形の階段だな」


 思わず清流がこぼすように言った。黄雲もぼんやり見上げつつ、心の内で師匠に同意する。

 

「行こう」


 真君は多くを語らず、階段へ歩みを進める。

 師弟も顔を見合わせて、その後に続いた。

 螺旋階段を上りつつ。

 少し視線を横へやれば、昨日と同じく壁には、記号のような文字のような、意図意味ともに不明の紋様が描きつけられている。

 黄雲も清流も、わけも分からぬ顔で見るだけだが。二郎真君だけは、真剣な目でその羅列を追っていた。

 まるで、その意味を読み取っているかのように。

 

「分かるんです、二郎殿?」


 訝しく思った黄雲がそう問えば。

 

「いいや、さっぱりだ」


 神将はいつものクソ真面目な口調でそう答えるのみ。しかしその眼差しは、なおも紋様をなぞっていて。

 

「…………?」


 黄雲は少しだけ振り返って、背後の清流に困ったような顔を向けた。彼女も軽く肩を竦めて見せる。

 

(また何か隠してますね)

(だな)


 気心知れた師弟は、視線と仕草のやり取りだけで意志を交わす。二郎真君は壁の紋様から、おそらく何らかの意味を見出しているのだろう。しかし、己が職務に頑ななこの神将のこと、それを教える気はさらさら無いらしい。

 やがて、三人は最上部へとたどり着いた。

 昨日雪蓮が開いた大扉は、そのままになっている。

 二郎神は扉に軽く触れ、「やはり」と一言漏らした。

 

「この扉も同様だ。表の石扉、先ほどの傀儡兵と同じく、霊薬(エリキサ)のみを通過させる仕組みになっている」


 何重にも防護の術や壁を張り巡らし。意味深な意匠に彩られた、この空間。

 全ては、この先にあるものと霊薬(エリキサ)とを邂逅せしめるために造られたのだろうか。

 いささかの緊張感の中、一同は最後の部屋へ足を踏み入れるが。

 

「…………無い」


 祭壇の上にも、部屋の床にも。

 件の宝剣は、どこにも無かった。

 

--------------------------------------


「おお、なんか重いぜこれ!」

「わあ、何が入っているのかしら!」


 一方こちらは、黄雲の部屋直下、地下室の盗人二人組。

 隠されていた文箱(ふばこ)を手に取り、巽は三白眼をニヤニヤさせて誇らしげだ。雪蓮も雪蓮で、後ろめたさを感じつつも興味津々。

 見えやすいように灯りの近くへ移動して、二人はさっそく箱を開いた。

 まず目についたものは。

 

「銀だ!」


 この太華では比較的貴重な貨幣である、銀錠(ぎんじょう)だ。馬蹄のような形に鋳造された銀の塊が、箱の中にゴロゴロしている。

 高価な貴金属の登場に、巽すかさず。

 

「ほれ見ろせっちゃん、黄雲の下着ーっ」

「きゃああああっ!」


 懐から黄雲の下帯を取り出して見せつけてクソニンジャ、雪蓮が思わず顔を覆った隙に銀錠をさっさと回収、懐へ。

 

「もう、巽さんってばー!」

「あっはっは、悪い悪い! それよか見てみろよせっちゃん! これ!」


 彼女が減った銀錠に気付く前に。巽は雪蓮の目前へ、箱から取り出したそれを掲げてさくっと注意を逸らす。

 それは一冊の本。

 

「こ、これは……!」

「題名はかすれて読めなくなってるけどさ……もしかしてこれが……!」


 巽の示した本は、確かに古びていて表紙の文字が読めなくなっている。しかし、二人の脳裏に浮かぶは目的の書物。

 

「ぼーちゅーじゅつ!」


 二人分の浮わっついた声が、地下室へ響いた。

 房中術。二人が求めるその魅惑の書に、きっと相違あるまい。

 とにもかくにも。

 

「……読もう」

「そうね」


 ニンジャ、速やかに書を紐解く。雪蓮も横からすかさず覗き込んだ。

 いま、明かされる神秘の道術。男女の和合を、不老長生の神髄を、宇宙の真理を。

 

「……ん? なんだこりゃ?」


 ところが。

 ペラペラと書をめくっていた巽は、読み進めるごとに怪訝な顔。雪蓮はほへーっと呑気に文章を目で追っている。

 はらはらと、静寂に紙のめくれる音。二人は簡単に書物の一部始終へ目を通す。

 果たして、その内容とは。

 

「へぇ、道士の方ってこんな風にして呼吸しているのね……!」

「なーにが呼吸法だ! クッソつまんねえ!」


 健全も健全。クソニンジャが期待しているような内容など微塵もなく。

 呼吸を整え身体を養う。一人で出来る健康法、および日々のお役立ち道術の数々。

 文中に曰く、養生(ようじょう)の術。

 

「へぇ、養生の術……!」

「けっ!」


 興味深く書を見つめる雪蓮、対照的に巽はあてが外れて心底ガッカリだ。

 好奇心の萎えたクソニンジャ、ぽいっと書を投げ出し。それを「まだ私読んでるのにっ!」と雪蓮がはっしと掴んだ。

 読み始める少女を背景に、巽は興味を失いかけるものの。

 

「ん? でも待てよ?」


 しかし、巽は何か引っかかる。こんな健全な健康指南本、上の部屋に置いていても何の問題も無さそうなのに。

 

「なんでこんなしょーもないものを、あいつは後生大事に地下室に……それも、こんな奥まった場所に隠してたんだ?」


 ただの健全な書物を、こんな手の込んだ場所へ隠す意味が分からない。もしかするとよく読み込んでいない部分に、巽の望むようなスケベな何かがあるのだろうか。

 

「なんだ……? 俺のまだ知らないようなスケベで卑猥で猥褻な何かがあるってのか……!?」

「ねえ、見て巽さん!」

「よしきた淫猥なやつだな!」

「?」


 大して巽の独り言が耳に入っていなかった雪蓮、首を傾げつつも書物のとある箇所を開いたまま、ニンジャへ示してみせる。

 

「ねえねえこれ! 大事な時に緊張して、震えたり赤面したりしなくなる術ですって! 巽さんの教えてくれた九字みたい!」

「へぇ……」


 雪蓮の指し示す項目は、図解付きで丁寧な解説が記述されている。呼気をうまく操り、体内の氣を御すことで血圧、心拍を制御し、赤面症やあがり症に効果のある術らしい。

 スケベでも卑猥でも猥褻でもない内容に、クソニンジャは「つまんねぇ」といささか落胆した様子。

 そんな彼に構わず、雪蓮。

 

「うーん……でもこれ、氣をどうのって書いてあるし、私には無理そう……」


 書に並ぶ文面は、経絡がどうとか任脈(にんみゃく)がどうとか氣がどうとか、やたらと小難しい内容だ。図解で示してあるとはいえ、それは道士以外の者は到底理解も実践もできないような代物で。

 巽は「ふーん」と、すっかり興味を失っている。スケベニンジャには用のない本だ。しかしそんな巽はともかくとして。


「…………」


 なおも書物に目線を落としていた雪蓮の顔色が、徐々に変わっていく。好奇心に満ちたわくわくの様相から、それは段々と戸惑いの色へ。

 

(この術って……)

 

 道術で体内の氣をどうのこうのして、血圧心拍を制御して。赤面や緊張を抑える術。

 読めば読むほど。考えれば考えるほど。雪蓮の心中にはある疑念が湧いた。

 

(もしかして……黄雲くん……?)


 それは昨日、あの遺跡の中でふと考えたこと。

 彼女を背に負ったり、窮地を救い救われ、果てには接吻まで交わして。その連続をともに経てきた彼の、普段からの素っ気ない態度。

 昨日ふと思ったのは、彼女の九字のように、彼も顔色を変えずに本心を隠し通す術を使っているのではないか、ということだ。

 そんな憶測を思い返し、少女の胸中はいっそうもやもやする。

 実は、この術で覆い隠されていたのではないか。黄雲の本心は。

 だとしたら、彼の本心は──。

 

「どうしたせっちゃん? なんかめっちゃ真剣じゃん」


 空の文箱をじっと見ていた巽が、雪蓮の様子に目を留める。

 紙面に目を落としつつも心ここにあらずだった夢見がち少女、突然の呼びかけに「ひゃっ!」と思わず書物を取り落としてしまった。

 

「あ、あ、あのっ!」

「あーあ、なに落としてんのさ。まったく……」


 巽は落ちた書物を拾い上げた。世にも珍しいクソニンジャの善行。それはともかくとして、巽。

 

「んあ?」


 なにかに気が付いた。手に持った書物の、わずかな違和感。とある箇所を境に、製本がずれている気がする。

 忍びの眼はこの些末(さまつ)を見逃さなかった。これは、気に入った部分を繰り返し読んだ時につくような書物の癖で。

 ぺらりとその部分を開いてみれば、先ほどの赤面封じの術の記事。

 

「なんだあいつ……この項目を繰り返し読んでやがるな」

「そっ、それは本当巽さんっ!?」

「うわ、めっちゃ食いついた!」


 洞察力に富んだニンジャの一言は、図らずも雪蓮の憶測を補強してしまったようで。

 

「なに? せっちゃんさ、この赤面封じがいたく気になってるってか?」


 こくこくこく!

 箱入り娘、激しく頷く。

 

「そう! 巽さんの教えてくれた九字みたいだなって!」

「それさっきも言ってたな」


 突然鼻息の荒くなった令嬢に、巽は「ふむ」と書物へ視線を落とす。

 血圧心拍を操作して云々。確かに、以前彼女へ教えた九字のような効能だ。

 

「ん? 待てよ……」


 雪蓮に続いて、巽の中の疑問も符合し始める。

 地下深くに隠されていた、あまりにも健全すぎる書籍。書中に記された赤面封じの術。その部分を何度も読んだような跡。

 これはつまり。

 

「なーるほど! そういうことかあのクソガキャ!」


 すべて合点がいった。

 つまりはあのクソ生意気守銭奴も、ただの思春期の青少年だったということ。

 雪蓮と日々手に手を取り合って危難から逃れたり、負ぶったりなんだりかんだり。巽ならば失血死確実の普段のふれあいの中で、かの銭ゲバもなんだかんだ、雪蓮のことを意識していたのだろう。

 そういえば思い返してみれば、普段から年頃の娘とあれだけ一緒にいて、顔色を一切変えずあの冷血漢ぶり。おかしいとは思っていた。術で本心を隠匿していたのだとしたら納得だ。

 そんな本心を押し隠すため。おそらく黄雲はこの養生の術を必死の思いで習得し、さらに術を用いていることがバレないよう、地下深くにこの道術書を封印したのだ。

 謎は一本の線でつなぎ合わされる。

 巽の目前で、雪蓮は九字も結ばずに頬を紅潮させていて、おそらく同じ憶測を頭に思い描いていることは確実だ。

 巽、少女の心中を察して一言。


「良かったなせっちゃん。両想いじゃねえのこれ?」

「もうっ! 巽さんってば!」

「あっはっは!」


 初心(うぶ)な反応に、巽はつい黄雲をぶち殺したくなるが。

 まだ手元に開いていた書面には、ぶち殺すよりも面白そうなことが書いてある。

 

「なあなあ見ろよせっちゃん。これ、この術を破る方法だってさ」

「えっ!?」


 少女、またしても食いつく。

 巽が指で示した箇所。確かに彼の言う通り、この術が解除される身体のツボなるものが、項目の最後に記されていた。

 

『なお、膻中(だんちゅう)を他者に刺激された場合術は解けるので注意されたし。氣に通じた者でなくとも術は容易に破ることができる』


 そんな記述が、図解とともに分かりやすく載せられている。膻中とは、鳩尾(みおぞち)にあるツボのようだ。

 

「つまりここを押されたら、あいつのすまし面も形無しってこった。もし術を使ってるってんならな」

「なるほど……」

「そうだ! いいこと考えた!」


 唐突にクソニンジャの脳裏へ、名案が閃いた。

 

「なんかさ! 房中術の本も見つからねえしさ! こうなったらあいつに直接聞こうぜ!」


 巽の提案に、雪蓮は「ぼーちゅーじゅつ?」と問い返す。

 クソニンジャは三白眼を爛々と輝かせ、続けた。

 

「そうそう! 俺はさ、別にこんな健康的な本を探してたわけじゃねえんだよ! 房中術の本が読みてえのよ!」

「でも、ぼーちゅーじゅつも健康にいいって巽さん……」

「うん、別の意味で健康ってーか! いや、それは置いといて」


 巽の執念は房中術を求めてやまないわけで。そして雪蓮は黄雲に対して、彼が養生の術を使用していた疑惑を抱いている。

 二人の欲望や疑念を解決する方策。それは。

 

「ま、隠してるもんの在処(ありか)を真正面から尋ねたところで、教えてくれるわけがねえ。だから意表をつこう」

「意表?」

「まず、せっちゃんがあいつに房中術の話題を持ち掛けるんだ。俺が隙をついて奴の膻中にビシッと棒手裏剣をキメてやる。術が解けて奴が動転したならこっちのものだ! あいつの顔が赤くなりゃ、晴れてせっちゃんは両想い! んで動転してる時は、秘密や隠し事をぽろっと漏らしやすくなっちまうからな。俺も房中術の在処を吐かせやすくなって得ってわけだ!」


 いけるぜこの作戦! と巽はぐぐっと拳を握りしめた。

 養生の術を解くことで。雪蓮は黄雲の本心を確かめることができる。巽は機に乗じて房中術の神秘に触れることができる。もはやクソニンジャ、青少年の部屋に房中術の書物があることを信じて疑わない。たぶんある。ぜったいある。

 

「いいかせっちゃん。思い出せ、今朝俺が言ったことを。黄雲の野郎にこう言うんだ。『私、房中術(これ)やってみたい!』ってさ。さすればかの守銭奴も!」

「守銭奴も!?」

「イチコロ!」

「イチコロ!!」


 巽の作戦に、雪蓮、鼻息荒く乗り気である。

 夢見がち乙女は九字も忘れて顔を紅潮させて、白昼夢の世界へ「ほう……」と旅立つ。

 イチコロにされた黄雲はどうなってしまうのだろう。真っ赤になって照れつつも、素直に手を取って愛を告げてくれたりするのだろうか。妄想の中の黄雲(身の丈六尺)は、実物よりも整った顔立ちで雪蓮の両手を握りしめている。

 

『いままで隠していて申し訳ありません。術をかけていないと、あなたの顔をまともに見られなくて……』

(ハオ)! 很好(ヘンハオ)! 非常好(フェイチャンハオ)!)


 歯の浮くような台詞回しを思い浮かべ、雪蓮は(ハオ)の活用形が止まらない。

 術が無ければ顔をまともに見られない。実はそれが本当に実態に即しているだなんて、まだ彼女は知る由もなかった。

 

「よっし、房中術はそうしてあいつから直接場所を吐き出させよう。こんだけこの部屋を探して無いってことは、いっとう厳重に隠してやがるってことだからな!」


 雪蓮は聞いちゃいないが、巽は一人うんうん頷きつつそう方針を決める。地下室はあらかた探し尽くした感があるが、先ほどの文箱以外に新たな発見は無さそうだ。

 

「それにしても、隠してあったのは銀錠と思春期の塊か……」


 物足りなさそうに、三白眼は空になった文箱を眺める。しかし、中身の確認も済んだことだ。銀錠は頂いて書物のみを戻し、元通りの場所へ仕舞わねばならない。何事もなかったかのように。

 

「んあ?」


 片付けようと、巽が文箱を手に取った時だった。

 何も入っていないはずの文箱から、カラリと音が鳴る。

 

「どうしたの? 巽さん」


 白昼夢から覚めた雪蓮が問う。


「……まだ何か、入ってやがる」


 巽は文箱を振りながら、まだ音を確かめていた。雪蓮にも、カラカラと硬いものが転がる音が聞こえてくる。

 巽と雪蓮は顔を見合わせた。

 ニンジャは文箱を上に掲げ、下から底の部分を見てみる。

 箱の底板、右上に。小さく、穴が開いているのが分かる。

 

「こいつは……」


 巽が懐から棒手裏剣を取り出し、下からその穴を突けば。箱の中の底板がカタリと持ち上がる。

 二重底だ。

 

「巽さん、これって……!」

「二重底ってやつだ。厚みはそんなにねえし、もう一冊本が入っているわけじゃなさそうだが……」


 潰える房中術の可能性。

 しかし、こんなに厳重な隠し事。暴かないわけにはいかなくて。

 

「さっそく開けてみようぜ、せっちゃん!」

「え、ええ……!」


 巽も雪蓮も、期待に満ちた面持ちで。さらなる秘密を暴きたてるのであった。

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