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1 通月湖

 一陣の秋風が湖面を渡る。

 水鏡に映る秋の色が、さっとさざ波にかき消された。通月湖の周囲を彩る銀杏の木立は黄金色。遠い山並みには緑と赤が入り乱れ、湖畔の秋を鮮やかに彩っていた。

 通月湖を囲うように造られた、石造りの堤防。

 黄雲と雪蓮はその(つつみ)の上を歩いている。黄雲を先頭に前後に列を組み、ひたすら東へ。

 

「よっと」

 

 手持無沙汰を持て余した黄雲が、堤防の脇に生えていた草むらから一枚葉をちぎり、唇に当てる。

 そしてぷうぷう吹き鳴らされる草笛の音。その調べは、この亮州近辺では非常になじみ深い古謡、『明月(めいげつ)』。

 草笛の調べを聴きながら、後ろの雪蓮、自信満々にすぅっと息を吸った。

 古式ゆかしい曲調を、少女は元気に歌い上げる。

 

亮水滔々(りょうすいとうとう)湖水漫々(こすいまんまん)

 通月の水に 明月落ちて

 晩風蕭々(ばんぷうしょうしょう) 月色煌々(げっしょくこうこう)

 嫦娥(じょうが)(こく)して 月輪(まろ)

 

 歌い終え、雪蓮は得意満面だ。じっと目の前の黄雲を見つめる眼差しは百点満点の賞賛を期待しているが。

 

「……へたくそ」


 こちらをちらりと振り返ったのは、意地悪な視線と一言だった。


「へっ、へたくそっ!?」

「なんです、いまので褒めちぎってほしかったんです? いや無理でしょ、まるでヒキガエルの夜鳴きみたいな……」

「もーっ! 黄雲くんのバカーっ!」


 雰囲気ぶち壊しである。


「もう一回! もう一回歌わせて! 今度はうまく歌うから!」

「いやですー! 二度も聴いたら鼓膜が破れるっつーの!」

「りょーすいとーとー!」

「ハイいま耳塞ぎました聴こえませーん!」

「バカー! バカバカバカー!」


 犬も食わない口げんか。そんなものに興じつつ、黄雲と雪蓮の足取りは追いかけっこに様変わり。しかし辿る進路は、湖の東へまっすぐと。

 亮州城外、東側。彼らが湖畔沿いを往く目的はただ一つ。

 清流道人に、おつかいを命じられたからであった。

 

 

 

「つ、着きましたよお嬢さん……」

「はぁ、疲れた……」


 無駄に体力を浪費しながら、二人は目的地へとたどり着いた。

 通月湖のほとりの漁村。土壁の家々がそこかしこに立ち並び、よく日焼けした村人があちこちを行き交っている。

 村の西には、月神を祀る廟所。

 少し視線を水辺へ走らせれば、桟橋の周囲には小舟の群れ、その辺に放置された漁網と、漁村らしいものが目に入った。

 さて、清流道人のおつかいとは。

 

「えーと、この村の奥の方にお住まいだそうですよ。阮太公(げんたいこう)


 道人の古くからの知人・阮太公を訪問すること。いや正確には、阮太公の所有している古書を、借り受けてくることである。

 師匠からの覚書を片手にちらちら村の様子を伺う黄雲の傍らで、雪蓮は「はぁ」とため息を吐いた。改めてこの師弟には苦労をかけているなと、少しばかり自責の念がわき起こる。

 清流道人はかねてより、雪蓮の身魂に取り憑いた霊薬(エリキサ)を祓うため、方々から様々な書物を取り寄せていた。

 今回この村に弟子を遣わしたのは、知人の阮太公が古書の蒐集家で、以前文のやり取りでそれを自慢していたことを思い出したからである。そんなわけで清流は駄賃をエサに、弟子へおつかいを任せたのだ。

 この話に、物見遊山好きの雪蓮が食いつかないはずはなく。少女はあーだこーだと駄々をこね、なけなしの小遣いを献上することを条件に同行を許可されたのだった。


「さ、行きますよ。この通りをまっすぐだそうです」


 その辺にいた村人を捕まえて道を尋ねていた黄雲が、通りの先を指で示す。おそらく最奥に見えるひときわ大きな建物が、その阮太公の屋敷なのだろう。

 

「わぁ、大きなお屋敷にお住まいなのね!」

「あなたのご自宅に比べたらこじんまりしたものでしょうよ。んじゃ、さっさと用事を済ませて帰りましょう」

「……もうっ」


 嫌味のようなものをぽそりとつぶやいて、黄雲はさっさと歩を進める。雪蓮からの恨みがましい視線は、見ないふりだ。

 そんなこんなでちぐはぐな二人。(つつが)なく目的地へ到着するのであった。

 

 さて、阮太公のお屋敷。

 師匠から預かった手紙を見せてしまえば、もう役目は果たしたようなものだった。阮太公は御年七十の村の顔役で、漁村の住人らしく豪放磊落な人物であった。

 家人から手紙を受け取り、玄関へ顔を出した阮太公。老年ながらも筋骨たくましい体つき。よく日焼けしたしわだらけの顔が、にかっと輝くように笑う。

 

「おうおう、清流さんのお弟子さんに……えーと、誰だの、そっちのお嬢ちゃんは?」

「ああ、こちらは……」

「崔雪蓮と言います! 崔伯世の娘です!」

「なんとっ! 崔亮州(崔知府と同義)の娘御じゃと!?」


 そんなわけで阮太公、二人を下にも置かぬ歓待ぶり。すぐさま家人に茶菓子を用意させ、若造と小娘を客間の上座に据え。

 

「あの清流さんのお弟子とあらばおぬし、きっとこっちの方も強かろうな!」

 

 ガハハハハハ!

 などと、とっときの濁酒(どぶろく)を振舞おうとする太公を「元服前ですから」とやんわり制し、黄雲は本題を告げる。

 

「師の手紙にもあった通り、僕らは太公殿の古書を一部借り受けるために参りました。さっそく書庫を拝見したいのですが」

「むぅ……ちょいと性急だの、おぬし……茶菓子も食わんうちから」


 剽軽(ひょうきん)な受け答えをしつつ、阮太公は「よっこいしょ」と腰を上げ、二人を連れて屋敷の中を案内し始めた。

 

「ほぅれ、こっちだよ。わしの自慢の書庫」

「ほぉ……!」

「わあ……!」


 太公が自信満々に示した先の部屋。覗き込んだ黄雲と雪蓮が、揃って感嘆の声を上げる。

 漁村の長に似合わぬ、整然とした書物の並び。この太公、よく言えば豪快、悪く言えば大雑把そうな人物だが、蔵書は豊富、管理もしっかりと行き届いていた。確かに自慢したくなるのも納得、そんな書庫である。

 

「清流さんがどんな書物を欲しているのかは分からんが、まあ旧知の(よしみ)だ。好きなものを持っていきなさい。いつ返してくれても構わんよ」

「ご好意痛み入ります、阮太公」

「慇懃な小僧だの」


 さて、太公の許可を得たところで。

 さっそく黄雲は書物の物色を始めた。書棚の前に屈みこみ、じっくりと書籍を吟味する。

 そんな少年の背を見つめつつ、雪蓮は「長くなりそうだわ」と手持無沙汰の予感を抱いていた。

 ぼけっと突っ立っている少女に、察しの良い阮太公は横合いから一冊、本を差し出した。

 

「ほれ、退屈かねお嬢さん。娘さんならこういうの好みじゃろ。読みながら待っていなさい」

「まあ。ありがとうございます、阮太公」


 差し出された本を受け取ってみると。表紙には『通月(つうげつ)嫦娥(じょうが)伝説(でんせつ)』と題名が記されている。

 

「嫦娥……」

「そうそう。知っての通りの、月の女神だよ」


 月の女神・嫦娥(じょうが)。太華では有名な神格だ。月の宮殿・広寒宮(こうかんきゅう)に住む美しい女神と言われている。

 この亮州近辺では特に、嫦娥はなじみ深い神だ。というのも。

 

「この通月湖は、嫦娥の生まれ故郷と言われておってな」


 老人が自慢げに語る通り、この通月湖、嫦娥の生誕地と言われている。村の西には嫦娥廟が設けられ、中秋節には毎年大きな祭りを催している。ほど離れた亮州城でも嫦娥は古くから親しまれており、勾欄(こうらん)(劇場)では人気の演目としてよく演じられていた。

 先刻の『明月』という古謡も、この嫦娥伝説をもとにしたものだ。

 

「村の桟橋に出てみれば分かるが、この湖の中心には島がひとつあってな。地元の者は月亮島と呼んでおるのだが……嫦娥はそこで生まれたそうだ」

「へぇ……」


 雪蓮、亮州通月湖が嫦娥の生まれ故郷という話はよくよく知っていたが、具体的にどこで生まれたかなんていうのは初耳だ。思わず感嘆の声が漏れる。

 とはいえ話は神代の頃のこと。この地が嫦娥の出生地であるという証拠は一切残っておらず、伝説は非常に眉唾物である。

 

「その本は、この村に残る嫦娥の伝説を書き残したものじゃよ。ま、暇つぶしに読んでみなされ」


 そう言い残し、老人はまたくしゃりと笑って書庫を後にした。何かあれば家人に言付けてくれ、と一言残して。

 廊下から「濁酒(どぶろく)濁酒(どぶろく)~」と歌うような独り言が聴こえてくる。さすが清流道人の知己である。

 さて、雪蓮はさっそく手の中の書をひもといた。

 黄雲は書物漁りに夢中で、こちらをちらりとも見ようとしない。

 少女は手近にあった椅子に腰かけると、静かな書庫の中で嫦娥の足跡を追いはじめる。

 

--------------------------


 嫦娥は非常に美しい娘。湖心の島に育った彼女は、闇夜を照らす満月のような美貌の持ち主で。

 長じて娘は嫁いでいった。遠い山に住む、弓術名人の青年・羿(げい)のもとへと。

 二人は仲睦まじく暮らしていたが、あるときいきなりさあ大変。

 空には突如として十個の太陽。気まぐれを起こした太陽の神たちが、戯れに十柱同時に現れたのだ。

 めらめら輝く太陽たちは、土を焦がし草を焼き水を干上がらせ青銅の農具を鋳つぶして、太華に大旱魃をもたらした。

 さあ大変と天上の神仙たち、嫦娥の夫である羿へ、太陽退治を願い出る。

 彼は古今無双の弓の名手。

 羿は自慢の弓矢を次々放ち、十ある太陽のうち九つを見事撃ち落とす。天には見事ひとつの太陽だけ。こうして地上は元通り。

 手柄を立てた青年に、神仙は褒美をとらせた。不老不死の霊薬を。

 しかし羿が大事にしまっていた霊薬を、嫦娥は(ぬす)んで飲んでしまう。不死の身体を得た嫦娥だが、夫や神仙たちに罪を咎められるのを恐れ、月へ(はし)った。

 以降嫦娥は広寒宮に暮らし、月の女神となるのであった。

 地上に残された羿は彼女を偲び、月の夜には供え物を捧げ。

 また月に行った彼女も、夫を恋しく思いながら、寂しく過ごしているのだという。

 

-------------------------------------


「うぅ……可哀そうね嫦娥さま……愛する人と離れ離れなんてっ……!」

「自業自得じゃないですか」


 少し涙腺を湿らせながら書を閉じれば、今までだんまりだった黄雲から、あんまりな感想が飛んでくる。

 

「だって夫の大事なものを盗んで勝手に月へ逃げ込んだんでしょう? 自業自得以外のなにものでもありません」

「た、確かにそうだけどっ!」


 また口げんかの気配だ。しかし言い返そうにも「自業自得」の四字は、この説話の嫦娥に対する非常に正しい評価で。

 擁護の言葉が思い浮かばず、雪蓮は話題を変える。

 

「そういえば、ちょっと気になるんだけど……」

「なんです?」

「あのね、このお話にも『不老不死の霊薬』が出てくるでしょう?」


 書物を抱えながら言う雪蓮に、黄雲の目元が少々険しい色を帯びる。彼女の言わんとしていることは、つまり。

 

「私の中の『霊薬(エリキサ)』と、もしかして関係があったりなんて……」

「さあて……」


 少女の言葉に、黄雲は腕組みして考え事の仕草だ。

 

「ま、嫦娥伝説なんて、大半がただのおとぎ話でしょうけど」

「おとぎ話……」

「とにかく今は、一つでも多く情報がほしい。とっととあなたの身中から、霊薬(エリキサ)に出て行ってもらわにゃなりませんからね。この本も借りて帰りましょう」


 そう言って、黄雲は雪蓮の手から書物を受け取った。受け取ったはいいが、内心この本にあまり期待はしていない。嫦娥の言い伝えなんて黄雲はもちろん知っているし、清流道人はなおさら詳しいだろう。おとぎ話以上の何かを得られるなんて、到底思えなかった。

 さて、時刻は昼前。黄雲は書庫の中からそれっぽい書物を粗方探し出し、既に荷造りを終えている。

 阮家の家人に声を掛け用が済んだことを伝え、ついでに太公の好意で昼食を馳走になり。

 湖畔の村での用件は、これにて完了と相成った。

 

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 書物を選別したところ、結構な量になってしまった。「こりゃ帰るの一苦労だな」と黄雲がげんなりしていたところ、これまた阮太公が気を利かせて。

 

「なぁに、今度城内へ魚を卸に行くとき、ついでに届けてやるわい。その代わりうまい酒を頼むぞ!」


 磊落に笑って荷運びまで引き受けてくれた。つくづく人の良い酒飲みである。

 しかしあまりにもこの太公に頼り切ってしまう形だ。さすがの黄雲も「そこまでは……」と固辞しようとしたのだが。「老いぼれの親切は黙って受け取らんか若輩者!」と、脳天に拳骨を一発食らわされる黄雲であった。

 そんなわけで太公へ丁重に礼を述べ、屋敷を辞し。村内を歩く二人、ほとんど手ぶらに近い状態だ。

 おつかいと言いつつも、ほとんど阮太公に世話してもらったようなもの。有難い反面、拍子抜けする心地である。

 ともかく役目は無事に終えたわけだ。少々緩んだ気分で、二人は村を散策していた。

 

「黄雲くん、あっちに焼き魚のお店が!」

「さっき食べたばかりでしょう?」

 

 さて、二人がそんな風に村を歩いていると。

 

「おや、あんた達、いつぞやの……」


 背後から声を掛ける者が一人。二人が振り返ってみれば。

 

「あ! この間のおじいさん!」

「やあお嬢ちゃん、久方ぶりじゃな!」


 白い道服、白い蓬髪。左の顎に傷のある、眼病患いの老人だ。以前亮州の市場で、雪蓮に占いの特別割引を持ち掛けた占術師である。

 酒屋の店先からひょっこり顔を出したこの老人。以前と同様に片足を引きずりながら近寄ってくると、酒臭い息を吐きながら言葉を続ける。

 

「いんやー、こんな辺鄙な場所でまた会うとはのう! また占ってやろうか?」

「間に合ってます」


 黄雲、すげなく占いを断る。「つれないガキじゃなー」と老人。

 それにしても、意外なところで微妙な知り合いと再会したものである。

 

「じいさん、こんなとこで何やってんだ?」

「どうもこうも、占いが儲からんでな。いっそここで漁師に転職しようかと」

「相変わらずいい加減なジジイ……」


 何もかもが適当なジジイ。黄雲の呆れの視線などものともせず、ジジイはかんらかんらと笑いながら続けた。

 

「そんなことよりだ! お前さん達、この通月湖の中心にある、月亮島は知っておるか!?」

「はい! 知ってます! 嫦娥さまの生まれた島です!」

「そうそう、お嬢ちゃんは物知りじゃのう!」

「えへへ!」


 褒められて喜ぶ雪蓮だが、月亮島云々は今日教えてもらったばかりである。ともかく話は月亮島。

 

「で、その島がなんなんだじいさん?」

「ふっふっふ、聞いて驚け! なんと嫦娥の隠し財宝が眠っておるそうだ!」

「隠し財宝?」


 また突拍子もない話だ。白髪の老人は、子どものように純粋な表情で胸を張っている。

 

「かの島は満月のように丸い形の島でな、その中心にそびえる岩山に、どうやら隠された遺跡への入り口があるとかなんとか……地下には金銀財宝がざっくざくだとかなんとか……!」

「ほう」


 黄雲、食いついている。

 仕方がない、財宝が絡んでいる。守銭奴の血がわっしょいわっしょい騒いでいるのが、傍らにいる雪蓮にはよくよく分かった。

 いやいや、しかし。財宝を求める拝金主義の狩人の本能とは別に、一抹の理性が黄雲の心中に湧き上がる。

 本当にそんな遺跡に財宝、あるのかと。

 

「ははは、まあその話もまた眉唾物。どうせその遺跡なんてのも嘘っぱちで……」

「それがな、あるんじゃよこれが!」


 ジジイ、白濁した瞳を爛々と輝かせる。

 

「実はな! わし昨日月亮島へ行ってきたばかりでな! 噂の岩山へ行ってみると、それらしき遺跡の石扉が山肌にあってな……!」

「い、行ったのかよじいさん! あったのかよ遺跡!」

「それでそれで!?」


 話を急かす若者二人に、ジジイ、しばし「ふふん」と得意げな笑みを浮かべた後。

 

「それがな、遺跡の扉はぴったり締まっておって、老いさらばえたわしの腕力ではとてもじゃないが、開けられんかったわけだ……」

「なんだ、それで今も素寒貧(すかんぴん)なわけだ」


 結局財宝までたどり着けなかったジジイ。年長者に失礼な言を投げつけつつ、心のどこかでほっとする黄雲である。

 湖心の島。隠された遺跡。財宝。

 黄雲、基本的にはコツコツ稼ぐのが好きな(たち)だ。しかしながら、失われし太古の財宝なんて夢のある響き、探求心をくすぐられるというもの。いかにクソみたいな銭ゲバとはいえ、一応十代の少年なのだ。

 

「どうだ小僧。興味湧いてきたか?」

「正直」

「もう……」


 守銭奴、よだれが垂れそうな有り様である。隣の雪蓮はいつものことに呆れている。

 

「ま、この話をおぬしらにしたのは他でもない。わしが遺跡の扉を開けられんで、悔しかっただけのことよ」

「じいさん……」

「わしの無念を晴らしてくれるか、小僧」

「じいさん!」

「その代わり財宝山分けじゃぞ! 九対一でわしの取り分が九な!」

「クソジジイ!」


 ジジイの思惑は以上の通りであるらしい。自分では遺跡を探検できないので、若人を代わりに差し向けるという魂胆のようだ。

 クソジジイの取り分の多さは後で交渉するとして、問題は。

 

「しかし困ったな。財宝発掘という新しい使命が生まれたのはいいけども……」


 黄雲、すでに冒険する気満々。

 しかし、黄雲は傍らの雪蓮へじとりと不満げな視線を向けた。


「さすがにお嬢さんを連れては行けません」

「え、なんで!?」

「なんでもどうもこうも!」

 

 雪蓮は知府令嬢という高貴な身の上。それだけではなく、現在霊薬(エリキサ)を身中に宿し、物の怪が寄ってきやすい体質となっている。

 幸い今のところ、常に携帯している白虎鏡のお陰で物の怪は近付いてこないが。

 

「あまり長いこと清流堂(うち)から離れるのは、感心しません。もし何か起きたとき、僕だけじゃ手に負えないかもしれない」

「えーっ……?」


 彼女にとって最も安全なのは、清流堂の敷地内。最近崔家の邸宅も修繕を完了したばかりだが、やはり道廟にかくまうのが安全と二郎真君が見立てたため、彼女はまだ清流堂に居候の身だ。

 古くから土地神が祀られ、土地自体に霊力が宿っている清流堂。さすがに鴻鈞道人(こうきんどうじん)のような大物の侵入は防ぎ切れないが、小物妖魔くらいなら阻めるというもの。

 しかし今現在ふたりがいるのは、郊外の漁村。当然清流堂のように、土地神が直々におわすわけでも、土地自体が神聖なわけでもない。こういう場所に長時間いるのは、得策ではないのだ。ましてや遺跡探索なんて時間のかかること、どだい無理。

 

「ともかく、いったん亮州城へ戻りましょう。財宝へは後日僕だけで挑みます」

「そっか……」


 黄雲はそう方針を決め、雪蓮は大冒険中止のお知らせにしょぼんと(こうべ)を垂れる。

 

「じゃあじいさん、僕らはいったん亮州へ帰るから。また後日取り分について話し合おうじゃないか」


 黄雲は占いジジイにそう言い残し、とっととその場を去ろうとする。その後に残念そうな面持ちで着いて行こうとする雪蓮を。

 

「ちょっと、ちょいとお嬢ちゃん」

「なにかしら、おじいさん?」


 老人は小声で呼び止めた。そしてそっと耳打ちして言うに。

 

「実はな、月亮島には面白い言い伝えがあってな」

「言い伝え?」

「意中の相手と一緒に訪れると、想いが成就するとかいう」

「!!」


 それを聞くや否や。

 雪蓮はすさまじい勢いで黄雲の前方に回り込み。

 

「黄雲くん!」

「うわっ、急になんですかお嬢さん!」

「やっぱり行こう! いまから行こう月亮島!」

「だ、だからあなたの身を慮って、後日僕だけで行こうと……」

「お金! 出すから!」


 必死の説得。

 さらには『金』という殺し文句まで引き合いに出す本気っぷり。

 なけなしの小遣いがさらに減ること請け合いだが、乙女、それどころじゃねえ。

 さて金をちらつかされた守銭奴は。

 

「…………」


 どうも心の天秤が揺れている様子。

 大事な大事な知府令嬢。彼女の身の安全を優先し、後日単身で財宝探索へ向かうか。

 世間知らずの金づる娘。財宝に加えて彼女からの金。当然こちらの方が利益は多少大きい。しかし万が一があったなら。

 

「…………うーむ」

「黄雲くん! 今なら割り増しだよ!」

「行きましょう!」


 割り増し。その言葉が乗っかった天秤は、安全をぶん投げて全力で利益を取るのであった。

 黄雲の心変わりを見届けて。白い道服の老人は、念を押すように彼らへ確かめる。

 

「うむ、それじゃあ今から行くんじゃの、おぬしら」

「もちろん! なんかよく分からないけれど、銭をくれるらしいので!」

「行ってきます!」

「おうおう、気を付けて。わしの取り分じゃが、おぬしらが帰ってきてからの相談で良いぞ。怪我のないようにの」


 そう言って老人は手を振った。

 見送られ、手を振り返し。黄雲と雪蓮は進路を村の出口ではなく、桟橋の方面へ向ける。船を借りて月亮島へ向かうのだ。

 

「お宝お宝! ま、あんまり遅くならないうちに見つけて帰りましょう!」

「そうね! 目指せ、月亮島!」


 お気楽に財宝とご利益を期待する二人だが。

 彼らはまだ知らない。数刻後、お宝探しなんかやめて大人しく帰れば良かったと、後悔するだなんて。

 

「ほんと、無事に帰って来れればよいがな……」


 見送る白髪の老人は、濁った瞳でじっと彼らの後ろ姿を見つめているのだった。

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