【10】北越地方のとある場所について
「あー、もうめちゃくちゃだよ」
鮮やかなピンク色の肌と、生気や自我を感じない白眼、そして獣のような唸り声を上げて襲い掛かる徳間真らしき人物を、桜井梨沙が教科書に載せたいほど基本に忠実な大内刈で地面に押し倒した。そして流れるような動きで、引き手に素早く腕ひしぎ十字固めを決める。
「あー、最近は打撃系ばっかりだったから、久々の柔道たのしー」
その桜井の歓喜の声を聞いて、小高は恐怖する。
「何言ってんだ、あいつ」
すると、茅野循が叫ぶ。
「梨沙さん! しばらく、そいつの相手を頼むわ。術を終わらせてくる」
「お構いなくー」
桜井の呑気な返事を背中で聞きながら、茅野循は再び自らがやって来た方向へ走り去って行く。
小高はその背中と、徳間真に腕ひしぎを掛ける桜井を交互に見てから、茅野の後を追う事にした。小高は立ち上がる。
「ちょっと、待ってくれ! いったい何なんだよ! 君たちは!」
茅野はその言葉に答えず森の中を進む。
そして、小高が彼女のヘッドバンドライトの明かりを追ってしばらく進むと、斜面を横切る五メートルほどの上り坂があった。そこを上り切り、森を抜けると再びあの岸壁の洞窟の前に辿り着く。
茅野はその洞窟の中に駆け込んだ。
「ちょっと、ちょっと待ってくれよ」
小高が洞窟の中に入ると、茅野は古井戸の前でしゃがみ込み、リュックを開けていた。彼女の傍らまで辿り着くと、小高は乱れた呼吸を整えるために深呼吸をした。
そこで茅野がようやく小高の存在に気がついて顔を上げた。
「あら。梨沙さんと一緒にいた方が安全なのに、付いてきたのね……」
そう言って彼女は、スーパーのビニール袋をリュックサックから取り出した。小高はそんな彼女に質問する。
「君は……君はいったい何をしようとしているんだ?」
「何って、だから、術を終わらせるのよ」
「術って、招魂の術の事か? あの『殯山縁起』に描かれていた……」
「それを知っているなら、話は早いわね」
と言って、茅野はビニール袋から桃の缶詰、水煮の筍パック、安っぽいヘアクリップを取り出して井戸の縁に置いた。
そして、小高に向かって一気に言葉を吐き出す。
「……あの黒いベンチコートの男は、たぶんもう生きてはいない。恐らく死因は、肌が鮮やかなピンク色である事から、一酸化炭素中毒である可能性が高い……十月頃にこの山の西側であった自殺と関係があるのかしら? まあ彼の素性はどうでもいいわ。兎も角、死んだ彼……仮にX氏としましょう。X氏から採取した髪の毛を、何者かがこの井戸に投入した。結果、招魂の術が効果を発揮して、X氏は死して生き長らえる存在と化した。たぶん、現状はこれで間違いないと思うわ。だから、私はこれから、その術を終わらせる」
「いや、だから、どうやって……?」
小高は訝しげに眉をひそめた。
確か明光寺の住職の話では、その招魂の術で呼び出した魂を黄泉に再び返す送魂の術は、三つの何かを順番に井戸に投げ込まねばならなかったはずだ。その三つについては、巻物の状態が悪く判別ができなかったはずだ。
小高は井戸の縁に並べられた三つのものへと視線を移して、もう一度、茅野の顔を見た。
「もしかして、これが、その招魂の術を終わらせる三つのもの?」
「そうよ」
と、茅野が確信を持った様子で頷くが小高には信じられなかった。
「いや……待って、それがこの三つ? 本当に?」
「こういった事態を想定して、来るときにスーパーで買ってきたの」
「え、何で? 根拠は?」
「貴方は、ジェームズ・フレイザーを知っているかしら?」
「あー、確かイギリスの文化人類学者だ」
「そう。彼の著書である『金枝篇』よると、すべての呪術は“感染呪術”と“類感呪術”に分けられるとされている。このうちの“類感呪術”は、類似したもの同士はお互いに影響しあうという発想に則った呪術の事ね」
「ああ。聞いた事はある」
例えば雨乞いの儀式などで火を焚くのは、立ち上る黒煙を雨雲に、そして、太鼓などの楽器を鳴らすのは雷に見立てているのだという。
藁人形に釘を刺す行為もそうだ。類似したものに危害を加える事により、見立てた元の人物を呪う。
「……それがいったいどうしたんだ?」
「この送魂の術もいわゆる“呪的逃走譚”を真似た類感呪術であるといえるわ」
「呪的逃走譚……イザナミとイザナギか」
呪的逃走譚とは主人公が持っていたアイテムを投げて、追跡者から逃れるといった形式の物語および神話の事である。
日本における呪的逃走譚の代表といえば、民話の『三枚のおふだ』や日本神話のイザナギとイザナミのエピソードだろう。
イザナギは、死んだ妻を連れ戻すために黄泉の国へと向かったが、けっきょく一人逃げ出す事になり、恐ろしいヨモツシコメに追い掛けられる。
「ヨモツシコメは死の国からの追っ手。つまり、あの復活したX氏だと見立てる事ができるわ」
茅野の言葉に、小高は視線を斜め上にして記憶を探る。
「……イザナギがヨモツシコメから……つまり死の国からやって来た追っ手から逃れるために使った三つのアイテムは、葡萄の蔓の髪飾りと、櫛と、桃……」
小高の言葉に茅野は頷く。 小高は首を傾げて問う。
「えっ。え? 桃缶と髪飾はわかるけど、筍は? 櫛じゃないの?」
「櫛は、ヨモツシコメに投げつけたあと、筍になったわ」
「えっ。え? でも筍の水煮って、桃も缶詰だし、そんないい加減な感じで良いの?」
不安げな小高に茅野はぴしゃりと言い放つ。
「類感呪術よ」
「そんな……強引な……」
「私の経験から言わせてもらうと、これでもいけるはず。例えば、古今東西のスパイスやハーブに、ことごとく魔除けの効果があるのは、香りが強いから。逆にいえば、その類似性があればだいたいいける。呪術って案外そんなものよ」
「そんなものって……そんな気軽に……何を……何を言っているんだ、君は……」
「それに、腕のいい霊能者を知っているから効果がなかったら、その霊能者に丸投げするから大丈夫よ」
「れ、霊能者!? 丸投げ!? やっぱり、めちゃくちゃだ……」
驚く小高をよそに、茅野がヘアクリップ、水煮筍、桃缶を井戸に投入した。しかし……。
特に何も変わった事は起こらない。
茅野は井戸を覗き込んでから、小高に向かって言う。
「それじゃあ、効果があったかどうか、戻ってみましょう」
「あ、はい」
小高は茅野と共に、洞窟を後にすると桜井の元へと戻った。
「ふう。生きてる人間には試せない技をたくさん練習できたよ」
と、桜井は満足げな顔で額の汗を右手の甲でぬぐった。
その彼女の足元には、動かなくなった徳間真らしき者の成れの果てがあった。
彼は洞窟に向かう前とは違い、真っ黒になって半ば白骨化した木乃伊のように萎れてしまっていた。
「……たぶん、今までは招魂の術によって、死んだ直後の状態を保っていたけれど、術が解けた事により死体現象が一気に進んだのね」
茅野はそう言って、桜井の方へ向かう。二人はハイタッチを交わしあった。
「お疲れ様。梨沙さん」
「循こそお疲れ。やっぱり循の言った通り、あのスーパーで買ったやつでいけたみたいだね」
「ええ」
などと、談笑する二人を眺めながら、小高はこれまでの自分の想像力がいかにちっぽけであったかを知るのだった。
このあと、茅野は九尾に連絡を取り“茂刈山で何者かが死者を復活させる儀式を行ったらしい”と事の次第を説明した。
そして、小高が取材で得たすべての映像やインタビュー音源は、後日“カナリア”の篠原に押収される事となった。




