【06】冷血ならば
野田真帆絵がシエルの事を知ったのは、人づてだった。
高校三年の頃に塁市内のファミリーレストランで、友人の天原加代と受験勉強をしていた。その彼女がとつぜん「頼み事がある」と話を持ち掛けてきた。
天原はいかにも優等生的な外見で、服装も大人しかった。アニメや漫画が好きで、女の子らしく占いやオカルトにも興味があるようだった。
真帆絵の方は長い黒髪の姫カットが特徴的で、私服はクールなロック系と外見は正反対の印象だった。しかし、スピリチュアルなものが好きで、様々な占いにも詳しく、よく天原に自分の事を占って欲しいとせがまれていた。
ともあれ、真帆絵は、このときもまたいつものように「恋愛運を占ってほしい」と頼まれるものだと思っていた。気軽な調子で「何?」と言葉を返す。すると、天原が話し始めた。
「……実はさ、あるオフ会に参加する予定なんだけど、真帆絵ちゃんも一緒に来ない? 受験勉強の息抜きに」
「オフ会?」
真帆絵は問題集から視線を上げて天原を見据えた。すると彼女は恥ずかしそうに笑う。
「……私、そういうの初めてで、ちょっと一人じゃ、その、怖いっていうか……恥ずかしいっていうか。だから真帆絵ちゃんもうどうかなって」
「何系のオフ会?」
その真帆絵の質問に、天原はおずおずと答えを返す。
「ブログのオフ会なんだけど。そのブログ主と、他の閲覧者とで、県北の千洗ダムっていうところでバーベキューをするんだけど……私が車出すから行かない?」
「千洗ダム……」
聞いた事のない地名であったが、県北という事ならばそこまで遠出ではない。
「別に良いんだけど、何のブログ? まさか、怪しいセミナーとかそういう?」
天原は顔を赤らめて、ぶんぶんと首を横に振る。
「違う、違う。そういうのじゃないから。兎に角、あとでURLを送るからブログを見て。返事はそれからで良いから」
「はあ……」
と、真帆絵は生返事をした。
真帆絵は家に帰ると、自室のパソコンでくだんのブログを開いてみた。
それが『シエルの癌殲滅戦記』であった。
どうやら、このブログ主であるシエルは脳腫瘍を患っているらしく、最近まで入院していたらしい。記事の投稿自体も久々のようだった。その最新の記事のタイトルは『私は元気です』となっていた。
内容は、入院したのは風邪で少し体調を崩していただけである事と、延期していたオフ会を開催する旨が記されていた。そして、どうやら、この投稿は“シエルの親友”なる人物が代理で行ったものらしい。
その記事に貼られた画像は、ベッドから突き出した右手のピースサインに寄り添うように、恐らくベッド脇にいると思われる“シエルの親友”のピースサインが掲げられていた。
脳腫瘍といえば、真帆絵が思い出すのは祖父の事であった。
彼女が小学生のときに脳腫瘍で倒れた祖父は、病院から戻ってきたときには、まるで別人のように痩せ細り、話し掛けてもほとんど反応を示さなくなっていた。真帆絵は大好きだった祖父のあまりにも変わり果てた姿に大きなショックを受ける事となった。
更に祖父が療養を続ける自宅の和室に漂う臭いも、彼女にとっては忌避感の対象だった。古い食べ物のような湿った暗い臭い。それは、まさに死の臭いだった。
倒れる前は大好きだったのに、祖父の事が嫌で仕方がなくなった。
そして、そんな風にしか考えられない自分は冷血な人間なのだと、自己嫌悪を密かに募らせた。そのときの罪悪感は未だに消えていない。
断ろう。
オフ会に出られるぐらいなのだから、あのときの祖父のように死に掛けという事はないだろうが、もしシエルという人物に対面して失礼な態度を取ってしまってはいけない。それは天原にも迷惑が掛かる。
そう思っていたのたが、ブログに目を通すうちにシエルが、とても魅力に溢れる人物であるという事が解った。
兎に角、彼女は前向きだった。それでいて自分を蝕む病魔から目を背けている訳ではなかった。読んでるうちに引き込まれて、自然に応援したくなった。
偶然にも同じ県の出身というところに親近感を覚えた。どうやら、オフ会を開催する千洗ダムからさほど離れていない義与市在住らしい。
その義与市も真帆絵には馴染みのある地名だった。彼女と天原が進路の候補としていた義与国際大学のある土地である。何やら運命的なものを感じてしまった。
更にときおり記事で話題にあげられる“シエルの親友”とのエピソードや、コメント欄での閲覧者と彼女のやり取りも微笑ましいもので、あっという間にすべての記事を読み終えてしまった。
そうして、真帆絵は悩んだ末にオフ会に行く事にした。
それが、真夏の暑さが遠退き始めた二〇一二年の九月の終わり頃の事だった。
遠く透き通った青空から降り注ぐ緩やかな日差しの下、シエルのオフ会は始まった。天原の車で現地に向かう途中、予め示し合わせていたらしい、何人かの参加者と乗り合わせる。全員が良い人ばかりで、真帆絵の胸のうちにあったわずかな緊張や不安はすぐに消し飛んだ。
その参加者たちが天原について「ネットと違っておとなしい」などと言っており、それが妙にツボに入って爆笑してしまった。それに対して天原は恥ずかしそうに笑っていた。
そんな風に和やかなムードで現地へと向かう。
蛇行した坂道の先のトンネルを潜り抜け、奇妙なオブジェが置かれたロータリーから左へ。すると芝生の広場が見えてくる。
休日だけあって、何組かの家族連れやバイカーの姿があった。その中に何台かの焚き火台を囲んでバーベキューをしている集団があった。
どうやら、彼らがオフ会のメンバーらしい。顔見知りらしく、同乗していた参加者たちは、その集団に近づいていって、にこやかに挨拶を交わし合う。その中でも、真帆絵の目を引いたのは、お洒落なアウトドアウェアに身を包んだ長い黒髪の女性だった。歳上で、二十代半ば程度に思えた。どこかの俳優やアイドルなどと言っても信じてしまいそうなその女性こそが、シエルなのだという。
紹介を受けたとき、真帆絵は我が目を疑った。
彼女はあまりにも病人のイメージからかけ離れており、生気に満ちているように見えた。彼女が癌患者などと言われても、誰もにわかには信じられないに違いない。
戸惑う内にバーベキューの準備が終わり、オフ会が始まった。参加者は三十名近くにも上った。しかし、今回は“シエルの親友”は急な仕事で来れなかったのだという。
そこは参加者全員が残念がっていたが、会は大きく盛り上がった。
シエルは良く笑い、良く食べた。常に話題の中心におり、その場にいた全員が彼女を慕っているのが良く解った。
真帆絵もどんどん彼女に惹かれていった。
この日以来、真帆絵は勉強の合間に、シエルや彼女のブログの閲覧者とSNSなどで交流を持つようになった。
大学に受かって義与に行けば、また彼女と同じ空間で過ごせる。その思いは受験の大きなモチベーションとなってくれた。
そうする内に、自分が祖父に抱いていた感情を、SNSのDMにてシエルに吐露した。
あの病気だった祖父に対する嫌悪感を抱えたまま彼女と仲良くするのは、フェアではないと感じたからだ。
真帆絵の告白に対して、シエルの返事は……。
『それはあなたが優しいから』
祖父の事が大好きだったから。そして、病気の辛さを我が事のように感じてしまうから。
だから、そういう思いを抱いてしまうのだと……。
この言葉で真帆絵は救われたような気分になった。




