【05】復活の“あいつら”
二〇二〇年十二月六日。
シンプルで機能的な調度類が並ぶリビングのソファーで、篠原結羽はゆったりとしたひとときを過ごしていた。
身にまとうのはジェニファーパメラの部屋着で、右手にあるのは芳ばしい香が立ち上るアラビアのマグカップだった。
この日も書類仕事はあるにはあったが、分量はそれほどではなく余裕がある。何の問題もない。しかし、篠原には一つだけ懸念する事があった。
それは、そろそろ藤女子のテスト期間が終わる。
“あいつら”が目覚める……。
気になった篠原は、何となく探りを入れるために、茅野へとメッセージを入れた。
『テストはどうだったのかしら?』
すると、五分ほどで次のような返事がきた。
『まあまあね。テストは終わったけれど、今度は受験勉強よ』
そして、また桜井梨沙と、どこかのカフェで撮影したと思われる自撮り写真が添付されていた。
「受験勉強ぉ?」
流石に怪しい。
即座にその添付されていた画像のExif情報を確認するが日付や撮影時刻におかしなところはない。
「まさか、改竄した……?」
疑惑の眼差しで写真を凝視する。
そして、数分後だった。
篠原は思わず噴き出す。
「そんな馬鹿な事が……」
例えこの画像のExif情報が改竄されたものだとしても、そもそもこういう画像を事前に準備しておかなければならない。いつ篠原から連絡があるかもわからないのに。
「流石にそこまでしないでしょ……」
念のため茅野循のSNSを確認する。彼女たちの監視を任務とする篠原は、とうぜん茅野のアカウントはすべて把握していた。
すると、本垢で二時間ほど前に『今日も朝からカフェで友だちと受験勉強』という一文と共に、テーブルの上に広げられたノートと参考書の写真がアップされていた。
タイムラインを遡ってみると、ここ最近の投稿内容はずっと学校や受験の事ばかりで、少し怖くなるぐらいまともな高校生だった。
「やっぱり、あいつら、真面目に勉強しているようね」
篠原はそう独り言ちると、わずかに残る不安を胸の内に押し込めた。
「これで、良し」
茅野はスマホの画面を見ながら言った。
「どったの?」
桜井が銀のミラジーノのハンドルを握りながら訊く。すると、助手席の茅野は悪魔のように微笑んだ。
「最近は毎日ずっとSNSに、普通の女子高生みたいに勉強をしている振りをした投稿を続けているわ。篠原さんが見ているかもしれないから」
「うーん……」
と、桜井は苦笑して言葉を続けた。
「循って、凝り性だよね」
「人を騙すときは全力を出さないと。それが、騙される人への礼節よ」
「そういうものなんだ」
と、桜井は納得した様子で声をあげた。この日の彼女はベースボールキャップに、デザートグレーのパーカー、黒いキュロットとレギンスにスニーカーという格好である。
一方の茅野はミリタリーコートにグレーのタートルネックセーターをインナーに着込んでいる。ボトムはモノトーンチェックのロングスカートをまとい、黒い厚底ブーツを履いていた。
どう見ても、普通の女子高生である。
この日、桜井と茅野は、SNSでコンタクトを取った事件の関係者二名から情報収集を試みようとしていた。まずは一人目の野田啓二と会うために、県南の塁市を目指していた。彼は事件の第一発見者の一人であった。
どうやら啓二は未だに事件の真相を探ろうとしているようで、雑誌やテレビ、YouTuberなどの取材も積極的に受けているらしい。
茅野は得意の口車と嘘八百で、彼への面会を取り付けた。
「……もう一人の第一発見者が野田啓二さんの妹となる野田真帆絵さんで、彼女は事件からおよそ四ヶ月後の五月八日に事件現場に忍び込んで首を吊って自殺をしている」
因みに、現場となった丹沢空の家は、現在では取り壊されてしまったようだ。
「何で、その真帆絵さんは自殺しちゃったんだろうね」
桜井の質問に茅野は静かに頷くと語り始めた。
「……彼女はシエルの熱心な信者だったそうよ。一応は、遺書はなかったから動機は解っていないけれど、後追い自殺ではないかと言われているわ」
「臭うね」
「ええ」
と、茅野は頷き、ドリンクホルダーのたっぷりと甘くした珈琲を手に取った。それを口に含んでから、言葉を発する。
「とりあえず、野田さんとの待ち合わせ場所に到着するまで時間があるし、丹沢空の事件から概要を振り返ってみましょう」
「らじゃー」
「事件の発覚は二〇一六年一月十九日の午前十一時頃っていうのは前に言ったと思うけれど」
「うん」
「発見者は、例の首吊り自殺をした野田真帆絵さんと、その兄の啓二さんだったらしいわ。理由は解らないけれど野田兄妹は、実は一週間後に被害者宅を訪問する予定だった。しかし、真帆絵さんの元に、被害者から十八日の二十時四十分頃に『明日の午前に会いたい』と連絡が来た」
「予定が合わなくなったって事?」
桜井の言葉に茅野は首を横に振った。
「……その辺りの事情は良く解ってないわ。それで、野田兄妹は彼女の住居に向かった」
「そういえば、丹沢さんの家族は?」
「彼女は天涯孤独だったそうよ。もともとが母子家庭で、母親も肝臓癌で病死しているみたい。その他の親族ともまったく付き合いがなかったとか」
「ふうん」
と、桜井は相づちを打つと、数十メートル先の交差点の信号が赤に変わったのを見て、ゆっくりと減速し始めた。
その間にも茅野の話は続く。
「それで野田兄妹は丹沢宅に侵入し、被害者の遺体を発見した。そのとき被害者宅の門から玄関までの間には、前日の雪が残っており、発見者のもの以外の二種類の足跡があった」
「二種類?」
「ええ」と、頷くと茅野は話を続ける。
「因みに、彼女の家の前の道には消雪パイプがあり、この二種の足跡は門と玄関の間にしか残されていなかった」
「ふむ」と桜井は、きりっ、とした顔つきで相づちを打ち、前方を見据えたまま茅野の話に耳を傾ける。
「足跡A、Bとしましょうか。Aの方は玄関へ向かう足跡のみ。これは被害者の家の玄関にあった長靴のものだと、のちの警察の調べで判明している」
「足跡Bは?」
「Bの方は、被害者宅にあった、どの靴にも該当していない」
「お、という事は犯人の?」
「そうね。丹沢宅の敷地内には発見者、警察の捜査官を除いた足跡は、この二つしかなかった。そして、前日の降雪は、だいたい二十時ぐらいには降り止んでいて、被害者の死亡推定時刻は十九時から二十一時の間とされているわ。それから、Bの足跡に踏み潰されているAの足跡が一つだけあった。この事から、BはAより後についたと思われる」
「つまり?」
と、桜井は眉間にしわを寄せる。すると信号が青に変わったので、ゆっくりと車を発進させた。
茅野が話をまとめる。
「被害者の丹沢空は、雪が降っていた二十時より前に家を出た。そして、入れ違いに犯人が丹沢家に侵入。このときの足跡は降雪によって消えた。そして雪が止んだ二十時以降に丹沢空が帰宅。そこで犯人と鉢合わせとなり殺された。犯人は浴室で丹沢の首を切断し、彼女の家を後にした」
「なるほど。つまり足跡Aは家に帰ってきた被害者のもので、足跡Bは犯人が現場から立ち去るときのものだったと」
桜井の言葉に「その通りよ、梨沙さん」と茅野は言って、更に補足を加える。
「以上を踏まえると、死亡推定時刻は二十時から二十一時の間という事になるわね。そして、犯人が降雪のあった間に丹沢宅に侵入したのだとしたら、それは二十時以前にアリバイのない者という事になるわ」
「ふうん」と、桜井がいかにも話を聞いていなさそうな顔つきで返事をしたが、茅野は何時も通り話を続ける。
「因みに警察の調べでは、玄関から見て三和土の右側にあった靴箱の縁に、微量な血痕があった。このときの傷は残された遺体からは発見されていない。つまり頭部に負ったのね」
「犯人は玄関で被害者を襲ったって事か……」
と、桜井は口出したところで思い出す。
「そう言えば、真帆絵さんだっけ? その人のところに被害者からメールがあったのって十八日の二十時四十分頃だったよね?」
茅野はゆっくり頷き言葉を続けた。
「何とも言えないけど、犯人が彼女の携帯から送ったものかもしれないわね。だったとしても、理由が解らないけれど」
そうこうするうちに、前方の道路標識に塁市の文字が現れた。
「あと、犯人は被害者の家に先に侵入したっていう話だけど、どうやって? 循みたいに鍵開けスキル?」
「そこも謎なポイントね。野田兄妹が現場に着いたときには玄関の鍵が開いていたっていうから、どこかで合鍵を手に入れたのか、あるいは……」
と、そこで茅野が思案顔を浮かべて考え込んでしまった。
桜井は邪魔をしないように、運転に集中する事にした。




