【10】後日譚
連休明けの二〇二〇年一月十四日であった。
昼休み、部室棟二階のオカルト研究会部室にて。
所定の席に着き、弁当を食べ終わると各々時間を過ごす二人。
桜井はやる気のない猫のように、だらりと上半身をテーブルに投げ出し、茅野はたっぷり甘くした珈琲を片手にタブレットで何やら熱心に調べ物をしていた。
そして、気だるい時間は刻々と過ぎ去り……。
「梨沙さん」
「なあに……?」
おもむろに名前を呼ばれて身を起こす桜井。そのとき、背伸びと共に涙混じりの欠伸をかます。
その様子を見てくすりと微笑み、茅野は話を切り出した。
「あの霧先橋なんだけど」
「ああ。何か解ったの?」
「あの屋敷で私たちを出迎えた女の人がいたじゃない?」
「あの左前の人ね」
「そう。あの女が大座敷の襖を開けた時に、こう言ったのを覚えているかしら?」
「何?」
「三朗様。お客様をお連れしました……って」
茅野の言葉に、視線を斜め上にあげて記憶を辿る桜井。
「ああ、うん。言ってたね」
「それで、長野市の北に“北信五岳”に数えられる飯綱山という山があるのだけれど」
「ほくしんごがく……? 魔王軍四天王みたいな感じのやつ?」
「そうね。因みに他の四つは、妙高山、斑尾山、黒姫山 、戸隠山よ」
「ふうん」
桜井が気のない返事をして、再び話を元に戻した。
「……で、その飯綱山がどうかしたの?」
「でね。その飯綱山には昔から“飯綱権現”という名前の大天狗が棲んでいると言い伝えられているの」
「いずなごんげん……何か強そうだね」
「ええ。強いわよ。天狗や狐を使役する術を授けてくれる軍神として、一部の武将や忍者に信仰されていたほどよ」
「忍者に信頼されているなら、相当だよ」
「逆に貴女のその忍者への信頼はなんなのよ」
茅野は苦笑する。そして、少し温度の冷めてきた珈琲を啜ってから話を再開する。
「……で、その飯綱権現の別名を“飯綱三郎”と言うらしいわ」
「飯綱……三郎……じゃあ、あの変なお面を被った人は……」
大きく目を見開いた桜井の言葉に頷く茅野。
「あの仮面の人物が本物の飯綱権現かどうかは解らないけれど……」
そこで桜井が両手で頭を抱えて天井を見あげて叫ぶ。
「ああー!! 何か雰囲気に飲まれて帰ってきちゃったけど、そんな事なら、お手合わせを頼むんだったよ……」
「本物なら、あの飯綱権現ですもの。いくら梨沙さんでも勝てないと思うわ」
「勝てるか、勝てないかじゃないよ……こういうのは……」
と、しょんぼりと肩を落とす桜井であった。
「まあ、また気が向いたら、試合りにいけばいいか……」
そこで、茅野は珈琲に口をつけながら、あの仮面の人物の言葉を思い起こす。
『……やはり、横着せずにあの入り口は塞いでおくべきか』
茅野には、もう二度とあの場所へ行けるような気がしなかった。
「そういえばさあ……」
気を取り直した様子の桜井が、何かを思い出した様子で声をあげた。
「あの赤い車のおじさん」
豊治の事である。
「ああ……あのリーフの」
茅野も思い出したようである。
「あの車の助手席に乗っていた女の人、明らかに生きてる人じゃなかったよね」
「ええ。たぶん、そうでしょうね」
茅野は遠い目をしながら、桜井の言葉に応じる。
「案外、本当に死体を埋めにきていたのかもしれないわね」
時は少し遡る――。
二〇二〇年一月十二日の未明。
豊治英一は、二人の少女と霧先橋で別れた後、更に山奥へ分け入り、未舗装の細い山道を進んでいた。
「死者の世界……? 馬鹿馬鹿しい」
豊治は、あの黒髪の少女の話を思い出して鼻を鳴らす。
やはり到底、信じられなかった。
人を殺した者にとって、もっとも信じたくないのは、死後の世界の存在である。
罪を犯してまで排除した者が、死してなおも存在し続ける……それは殺人者にとって悪夢以外の何ものでもない恐怖だ。
だが、それを抜きに考えても、やはり荒唐無稽であると言わざるを得ない。
確かに豊治も、あの霧の中の世界でおかしな体験をした。
しかし、カーナビとカーステレオの故障は偶然だ。
そして、あの石段の上にあった屋敷の庭……満開の桜と色づいた楓が同時に存在する光景。
あれも、桜と楓に似ているだけで別な植物なのかもしれない。
あの少女だって、真夜中にあんな辺鄙な場所にいたぐらいなのだから、ちょっと頭のおかしい子らだったのだ。
だから、きっと黒髪の少女の言っていた事は何かの妄想だ。
気分が落ち着いてきた豊治は、あの霧の中で体験した出来事のすべてを、そんな風に解釈しようとした。
やがて赤いリーフは山道の突き当たりに辿り着く。
杉の樹に囲まれた奥に長い楕円形の空き地だった。
時刻は三時二分。
豊治は車を停める。セブンスターをくわえ、火を灯した。
ゆったりと一服し、ドリンクホルダーに差したままだったペットボトルを手に取り、中の水を一口飲んだ。
死体を埋める作業に取りかかる為に、車を降りてトランクを開ける。すると……。
「は……?」
彼は唖然とする。なぜなら水野舞香の死体が忽然と消え失せていたからだ。
スマホのライトで中を照らす。
トランクの底には、生乾きになった血痕が、確かにこびりついていた。
不意に視線を感じ、辺りを見渡す。
すると、いつの間にか自分が深い霧の中にいる事に気がつく。
「何だよ……何なんだよ! またか!?」
そこで豊治は思い出す。
さっき、車の中で飲んだペットボトルの水。
あれは煙草で噎せ返った時に、すべて飲み干したはずだ。空の容器も捨てたはずだ。どうして、あれがまだあるのだ……。
そして、彼の脳裏に、あの黒髪の少女の話していた言葉が甦る。
『黄泉戸喫というのは、あの世の穢れた物を口にする事よ。そうすると、二度と現世へは戻れなくなるの』
「よもつ……へぐい……」
豊治は何となく理解した。
ホテルを出たときからずっと側にいたあの女に一服盛られたのだと……。
「ああ……畜生……畜生……」
車のエンジンが勝手にかかり、カーステレオから再びあの歌が流れ始める。
豊治は、あのとき……水野が殺される直前、なぜ彼女があんな風にはしゃいでいたのかを理解した。
きっと、五十年代のジャズやオールディズで、自分も知っている曲だったから嬉しかったのだ。共通の話題ができた事を喜んでいたのだ。
もしかすると、ずいぶん前から何かの機会があったら話題にしようと、あの曲の事をずっと心に留めていたのかもしれない。
「ああ……畜生……」
豊治は絶望的な思いで天を仰いだ。
濃い霧が漂い、煌々と輝いていたはずの満月はもう見えない。
「畜生……」
そんな彼の耳元で、水野が鼻を鳴らして微笑む。
そして、甘い、甘い、猫撫で声で囁いた。
「私を月まで連れて行って」
(了)
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