16「二人の少女」
翌朝。
目を覚ました俺は、食堂でエレミーと共に朝食を取った。今日は不思議な夢を見ていない。おかげで頭は重たくなかったが、先日から続く疑念は未だに解消できていなかった。
俺は本当にヴィネ一族の悪魔なのか。
エレミーとは何者なのか。
疑念はどんどん膨らんでいる。しかし、その疑念自体も正しいという確証がなかった。所詮は夢で見た記憶だ。違和感なんて漠然としたもので、献身的な従者を過剰に疑っていいものなのか、判断が難しい。
「お口に合いませんでしたか~?」
ふと、対面に座るエレミーが俺に訊いた。
「あまり食事が進んでいないようでしたので」
「……いや、ちょっと考え事をしていただけだ」
「のんびりしたい気持ちは分かりますが、早く食べないと遅刻しちゃいますよ~」
エレミーの忠告に従い、俺は黙々とスープを喉に流し込んだ。
もし、エレミーが俺に害をなす存在ならば……この朝食には毒が含まれていてもおかしくない。しかし今のところそんな様子は全くなかった。ますますエレミーの正体が分からない。
「さあ、ケイル様! 本日も悪魔学校に向かいましょ~!」
「……ああ」
エレミーと共に、屋敷を出て学校に向かう。
幸い、俺の記憶は時間と共に復活しているようだった。なら、このまま時間が過ぎるのを待つだけで、俺の疑念は解消されるだろう。
エレミーが言うには、ライガット=バアルを倒すことで俺の記憶は元に戻るらしい。
数日前の俺なら「絶対に無理だ!」と言っていた筈だが、序列五位と四位を立て続けに倒したことで、俺の中にも小さな自信が芽生えつつあった。時間が過ぎるのを待つか、それともライガットに挑むか。今のところ、俺にできることはこの二つである。
「……ん?」
赤黒い空を仰ぎ見ながら歩いていると、ふと俺は周囲が騒がしいことに気づいた。
「昨日といい、今日といい……何かあったのか?」
「さぁ? よく分かりませんが、衛兵さんたちは今日も忙しそうですね~」
鎧を纏った悪魔の衛兵たちが忙しなく動いている。
耳を澄ませば、彼らの話し声が聞こえた。
「くそ、たった二人の少女にここまで苦戦するとは……!」
「あの二人、どう考えても普通じゃないぞ! 吸血鬼の方はかなり高度な『血舞踏』が使えるし、獣人の方も『完全獣化』を使いこなしてやがる!」
「大体、あいつらが引き渡しを要求している男って誰だよ!」
「名前を叫んでいたな。確か、ケイル=クレイ――」
「――おっと」
唐突にエレミーが俺の耳を塞ぐ。
おかげで衛兵たちの話し声が聞こえなくなった。
「エレミー?」
「お耳に虫がついていましたので、払いのけておきましたよ~」
「そうか。……ところで今、俺の名前が聞こえたような」
「家名が違いますから別人ですよ~」
エレミーがニコニコと笑いながら言う。
何か誤魔化されているような気分になったが、俺はそのまま悪魔学校へ向かった。
「おや? あの方は……」
校門に近づいたところで、エレミーが不思議そうな声を零す。
見れば、門の傍に一人の少女が佇んでいた。紫色の長髪は波のようにうねっており、肌は雪のように白くて透き通るようだ。しかし前髪が長いせいで目元が殆ど隠れており、猫背であることも相まってどこか怪しい雰囲気を醸し出している。風に揺れた前髪の間から、宝石のように美しい真紅の瞳が見えた。目鼻立ちは整っている。
妙に目立つその少女を一瞥して、俺とエレミーは校門を抜けようとした。
直後、少女が俺を見る。
「あ、貴方が……ケイル=ヴィネ?」
まさか話しかけられるとは思わなかった俺は、反応に遅れてしまった。
「そうだが……」
「わ、私……リリ=シトリー」
リリ=シトリー。
その名に聞き覚えのあった俺は、瞬時に意識を切り替えた。
「――序列三位か」
「ひっ!?」
つい先日、序列四位のアルケル=ザガンに襲われた俺にとって、自分より上の序列を持つ悪魔は警戒の対象である。
しかし、いつでも戦えるように体勢を整えると、少女は怯えた様子を見せた。
「こ、怖い……そんなに睨まないで……」
「あ……悪い」
「べ、別に、今ここで何かをするわけじゃないから……し、信じて……? ふへ、へへへ……」
害意がないことを示すために笑みを浮かべているのだろう。しかしそれは酷く怪しげなものだった。
見るからに引っ込み思案な少女だ。その様子を見て、俺はすぐに警戒を解く。
「じゃあ、何の用なんだ?」
「そ、その……まずは、お願いしたくて」
お願い? と首を傾げる俺に、リリは告げた。
「え、えっと……できれば、私に挑戦しないで欲しいの。実は私、あんまり戦いが好きじゃなくて……序列三位にいるのも、家の命令に仕方なく従っているだけで……だ、だから、できることなら、貴方とは戦いたくないなぁ……なんて? ふ、ふへへ……」
自虐気味にリリは笑った。
挑戦というのは勿論、序列戦のことだろう。俺だって、できれば平穏な日々を謳歌したいところだが……昨晩、エレミーに言われたことを思い出す。ライガット=バアルを倒すことで、俺の記憶が本当に戻るのであれば、残念ながら序列戦から手を引くことはできない。
「悪いが、そういうわけにはいかない」
「そ、そう……それは、残念ね。ほ、本当に残念……うぅ」
リリはとても残念そうに俯いた。そこまで残念そうにされると罪悪感を覚えるが、そんな俺の目の前で、リリは手に持っている鞄から一枚の封筒を取り出した。
「じゃ、じゃあ、これを……」
そう言ってリリは、俺に封筒を手渡す。
「これは?」
「序列戦の、申込書よ。わ、私の方で、用意しておいたの……ふへへ」
リリは小さな声で言った。
「嫌だけど……本当に嫌だけど……そこに書いてある条件を、貴方が飲んでくれるなら……わ、私は、貴方の挑戦を、受けるわ」




