15「悪魔の眷属」
食堂を離れたエレミーは、一人で屋敷の外に出た。
ヴィネ一族の屋敷には小さな庭園がある。但し、今はその手入れが殆どされておらず、あちこちに雑草が生えていた。ケイルかエレミーか、どちらかが庭園の手入れをしなくては荒れる一方だが、悪魔学校に通ったばかりの二人にそんな余裕はない。
「ま~た、貴方ですか」
庭園の方へ向かうと、黒髪の男がいた。
ベリアル一族の次男だ。
「あの人間はいねぇのか」
「ケイル様はただ今、食事中ですので」
エレミーは、傍にある屋敷の窓を一瞥して言った。
ケイルが覗き見している様子はない。
「それで、何の用ですか~? さっきから屋敷の近くで、ず~っとこちらの様子を窺っていましたよね?」
エレミーは分かりやすく愛想笑いを浮かべて訊いた。
しかし、男は警戒心を解くことなく、エレミーを睨みながら口を開く。
「てめぇ……あの人間を、眷属したのか」
エレミーは沈黙した。
しかしその沈黙は、紛れもなく肯定だった。男は顔を顰める。
「代償は、記憶だな?」
男が告げると、エレミーは薄らと口角を吊り上げた。
人間が悪魔の眷属になる方法。それは、何らかの財産を捧げることである。眷属となる人間は、自分が「手放したくない」と思うものを、主とする悪魔に捧げなくてはならない。
ケイル=クレイニアは、己の記憶を財産としてエレミーに捧げた。その結果、ケイルはエレミーの眷属として、悪魔の力を手に入れたのだ。
「どうやって、あいつを眷属にした。あいつが自分から記憶を捧げるとは思えねぇ」
「そうですね~。だから、お願いしたんですよ~」
「お願い……?」
「ケイル様の傍にいた、吸血鬼と獣人を人質に取って、『二人を返して欲しければ記憶を捧げてください』って、頭を下げてみたんです」
「……そりゃ脅迫だろ」
男が眉間に皺を寄せる。
「いや~、しかし想定外でしたね~。まさかケイル様の正体を、私以外の悪魔が知っているとは……」
「伊達に放蕩息子と呼ばれてねぇからな。……暇潰しがてら、とある国に傭兵として雇われていた時、何度か遭遇したことがあるんだ」
観念した様子で溜息を吐くエレミーに対し、男も複雑な表情で答えた。
学校で会った時の様子から察するに、恐らくこの男は一度、ケイルと戦闘になり……そして敗北したのだろう。
「学校では、あの人間がヴィネ一族の跡取りとして扱われているみてぇだが、実際は違う。あいつはただの人間で……そして、その人間がヴィネ一族の力を使っている時点で、てめぇの正体も丸分かりだ」
そう言って男は、眦鋭くエレミーを睨んだ。
「エレミー……いや、エレミニアード=ヴィネ。てめぇが、本当のヴィネ一族だろ。……髪を切って、角まで染めて、随分と必死に正体を隠しているみたいだがな」
ヴィネ一族の角は青色だ。
エレミーは自らの角を、黒く染めることで正体を隠していた。
「ヴィネ一族は一年前に全員夜逃げした筈だ。逃亡者のリストの中には、てめぇの名前も含まれていたぜ? だが……まさか身分を偽って、魔界に帰ってきていたとはな」
「……幸い私は、一族の中でも顔が知られていない方でしたからね。おかげ様で、誰にもバレていませんよ」
「だろうな。俺も、あの人間がいなけりゃてめぇの正体に気づかなかった」
そこまで言って、男はエレミーに訝しむ視線を注いだ。
「……夜逃げは、事実なのか?」
男は続けて言う。
「俺はあんまり魔界にいねぇからよ、詳しくはねぇんだが……ヴィネ一族の夜逃げについては不可解な点が多いって聞いているぜ? 確かにヴィネ一族は、ここ数年、落ちぶれていたが……夜逃げするほどではなかったと噂だ」
「……よくもまあ、本人を前にして、落ちぶれていたなんて言えますね」
「事実だろうが」
貴族の次男とは思えない、横柄な態度だった。しかしそれは、男が家柄に頼ることを止めて手に入れた自由の証でもある。そう考えると、男の立ち居振る舞いはどこか痛快で、羨ましいとすら思えた。
「そんなヴィネ一族の娘が、あの化物を使って……何を企んでいやがる?」
その問いに、エレミーは笑みを消した。
慎重になるべき瞬間だ。言葉を選び、答える。
「私の目的は、親天派の狙いを阻止すること。ただ、それだけですよ~」
「はぁ? 夜逃げした一族が、まだ魔界の勢力争いを気にしてんのかよ」
「『レメゲトン』の効果は世界中に届くんですよ~? 魔界を離れても意味はありません。落ちぶれたとは言え、反天派の一族として、親天派にはきちんと釘を刺しておくべきでしょう。だから私は、わざわざ魔界に戻ってきたんですよ~」
ベリアル一族はヴィネ一族と同じく、反天派に属している。
当然、目の前にいる男も貴族である以上、『レメゲトン』の存在と、それを取り巻く悪魔たちの派閥について知っていた。
「じゃあ、なんであいつを準眷属にした? 正眷属にして反天派に取り込んだ方が、都合がいいだろ。……実際、準眷属にしたせいで、あいつは少しずつ記憶を取り戻しているんじゃねぇか?」
「まあ、それはその通りなんですが~……」
エレミーは僅かに暗い表情を浮かべる。
「貴方も反天派の一族出身なら、分かるでしょう? ……こんなの、本意じゃないんですよ」
小さな声で、エレミーは告げた。
「誰かの記憶を奪って、意のままに操るなんて……今の私、『レメゲトン』を使っているようなものじゃないですか。こんな方法、本心から望んでいるわけではありません」
「……なら、今すぐにでもあの人間を解放してやればどうだ?」
「目的を果たすまでは、解放するわけにはいきませんよ。ですが、まあ……可能な限り、早く終わらせたいとは思っていますよ~」
溜息交じりにエレミーは言う。
「……まあいい。わざわざ俺がこんなボロ屋敷を訪れたのは、別にそういうことが言いたいからじゃねぇ」
男は後頭部を軽く掻きながら言った。
「てめぇ――あの人間の力を、知ってるんだな?」
「勿論です。だから眷属にしたんですよ。……偶々、獣人領の近くを通ったら、ケイル様が獣人の王とガチンコで戦っている場面に出くわしまして。……いや~、あれは本当に、心臓が飛び出るような光景でしたね~」
「獣人領……? ちょっと待て。あいつ、吸血鬼領だけじゃなくて獣人領でも何かしたのか」
「ありゃ? 貴方、そっちは知らなかったんですね~。まあ私も、吸血鬼領の方は、ケイル様に捧げられた記憶を読み取って初めて知ったことなんですけど」
どうやらお互い、ケイルについて知っている事実が違ったようだ。
しかしどちらも似たようなものだと瞬時に察する。
「……獣人王って、王の中でもかなり強ぇ方だろ。そいつと張り合うって、あいつ……正真正銘の化物だな。……自分が生きていることが不思議に思えてきたぜ」
男は視線を下げてブツブツと呟いた後、再びエレミーを見た。
「ま、そんだけ分かっているなら問題ねぇと思うが……あの人間の扱いには注意しろよ? べらべらと話し込んじまったが、言いたかったのはそれだけだ」
「おやおや~? 放蕩息子とは思えない、慎重なご意見ですね~?」
「茶化すな。……下手すると、冗談抜きで魔界がぶっ壊れるぞ」
男は踵を返す。
去って行くその背中を見て、エレミーは小さく呟いた。
「……肝に銘じておきますよ」




