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46「種族の垣根を越えた化物」


 異形の化物と化した先代王は、吠えながら迫った。

 床を砕き、破片を飛び散らせながら近づいてくる。その圧倒的な力は、破壊できないものなどないと思うほどだ。獣人王が言ったように、その気になればいつでもこの遺跡から抜け出すことができたのだろう。


「――『獣神憑依』」


 心臓が強く脈打つ。

 全身に灰色の刺青が刻まれ、巨獣の力が人体に憑依したことを実感した。


『オォアアア■■■■ァア■■アアァアアアアァ■■――ッ!!』


 爆発的に向上した身体能力を駆使して、先代王の突進を避ける。

 刹那、空間に亀裂が走ってもおかしくないほどの衝撃が部屋に響いた。壁には大きな穴が空き、地響きは地平線の彼方まで続いて木々が薙ぎ倒される。


 それだけ強大な突進をしたにも拘らず、こちらに振り返った先代王は無傷だった。

 突進を避けるために跳び上がった俺は天井に両足をつけ、滑るように壁面を下りて地面に着地する。


「……本当に、強いな」


 今まで――と言っても一度だけだが。

 吸血鬼領で、今と同じように王の力を引き出した時は、底知れぬ万能感があった。


 だが、今回は違う。

 目の前にいる敵が脅威であるという認識が消えない。

 獣人王が説明した通り、やはりこの化物は生物としての枠組みを超えている。今まで出会ったどの敵と比べても、一線を画した恐ろしさを宿していた。


「だが――」


 吸血鬼の時と同じ。

 頭の中に、もう一人の俺がいる。


 それは獣人王となった未来の俺だった。狼の耳に、狼の尻尾。獰猛な双眸に、鋭利な爪と牙。生粋の獣人と言っても過言ではない姿だ。加えて『獣神憑依』の影響によるものか、肌に刺青とも亀裂とも言えない線が走っている。


『アア■■■ァア■■アアァァアァ■■――ッ!!』


「ぐ――っ!?」


 先代王が吠えるだけで、空気の塊が放たれた。

 両手を交差して踏ん張る。だが次の瞬間、凝固した爪に覆われた化物の拳が、頭上から迫った。


 間一髪で避ける。今の拳が直撃していれば確実に死んでいた。

 思わず冷や汗を垂らす。すると、頭の中にいる俺が馬鹿にするような笑みを浮かべた。


 未来の俺が言う。――(お前)の力は、まだそんなものではない。


「……その腕、いいな」


 先代王の腕を見て、俺は呟いた。

 神族の薬によって先代王は種族特性を強化されている。その効果なのだろう、先代王の爪は無造作に伸びており、更にそれが拳の周りに巻き付き、凝固し、まるで篭手のように変質していた。


 望んでそのような変化をしたのかは分からない。

 だが、その力は――使える(・・・)


「ふ……っ!!」


 右腕の爪を伸ばし、それを握り潰すかのように拳を固めた。

 頑強な掌が鋭利な爪を押し潰す。激痛が走ったが、同時に自然治癒が始まり、爪は歪な形に修復された。そのまま拳を固めていると、やがて爪は俺の拳を覆い、まるで刃を重ねたような篭手が完成する。


「――こんな感じか?」


 バキバキと音を立て、篭手は拳だけでなく肘辺りまで俺の腕を覆った。

 高速で先代王の頭上まで疾駆する。スピードを、そのまま拳に乗せて――放った。


『ガァア■■ァア■■■■アァァアァ■■――ッ!!』


 先代王が繰り出した突進の威力。それを拳に凝縮して突き出す。

 盛大に床が砕け、衝撃の余波で壁も散った。

 悲鳴を上げる先代王へ、すぐにまた肉薄する。


「――そいつも、もらうぞッ!!」


 先代王の尾は恐ろしく禍々しい形状をしていた。あれは『獣神憑依』の力を集束したものだと本能で察する。


 ビキビキと音を立てて、俺の尾に灰色の刺青が集束した。

 何かの千切れる音がして、その度に苦痛が生じる。だが確実に、本来以上の力を引き出していると確信する。


「潰れろ――ッッ!!」


 倒れる先代王の頭蓋に、尻尾を叩き付ける。

 地面が割れ、先代王の顔を覆っていた牙の仮面が砕かれた。仮面の奥から、薄昏い眼窩が現れる。


『ア■■■■ァア■■アアアアァ■■――ッ!!』


 先代王が激しく吠える。

 瞬間、その禍々しい尾が横薙ぎに放たれた。


 先代王は攻撃の全てが一撃必殺だ。掠ることも許されない。

 跳躍して避けた俺は、次の瞬間、先代王の姿が消えていることに気がつく。


 ゾワリ、と全身の毛が逆立った。

 本能が鳴らす警鐘に従い、背後に振り返る。

 そこには仮面を半分ほど砕かれた先代王が、しっかりと四本の足で地面を踏み締めていた。


 ――速い。


 あの巨体で、俺の最高速度に匹敵できるのか。

 先代王が左腕を力強く振るう。すると、その腕に纏わり付いていた爪の欠片が無数の刃と化して襲い掛かった。


「ちっ!?」


 空中にいる間は回避ができない。尻尾を盾代わりにして刃を凌ぐが、何本か身体に突き刺さった。


 着地すると同時に、脇腹と太腿に突き刺さった刃を引き抜く。止めどなく血が流れ出したが、筋肉に力を入れて強引に圧迫止血した。


 そして、改めて眼前にいる先代王へ接近しようと考えると――。


「は?」


 目の前から、先代王の姿が消えていた。

 即座に過ちを悟る。頭上から、強烈なプレッシャーがのし掛かっていた。


「ぐ、あ……ッ!?」


 いつの間にか俺の頭上に跳んでいた先代王は、その巨体を重力に乗せて落としてきた。

 大きく飛び退くことで圧死は避けたが、肩の骨が砕かれる。左腕はもう使えそうにない。


 ――おかしい。


 獣人と化した今の俺は、気配に敏感である筈だ。

 だが先程から先代王の気配が読み取れない。無論、目に見えないわけではないが、高速戦闘では相手の居場所を感じ取る(・・・・)ことが重要である。目で見て動くようでは間に合わない。


「……成る程」


 先代王の姿を見て、気配を感じ取れない原因を理解する。


「やたら臭いと思っていたが……その唾液が原因か」


 ポタリ、ポタリと先代王の口腔から垂れ落ちる唾液。その異臭は俺の嗅覚を潰していた。


 獣人は鋭敏な五感で気配を読み取る。そこには当然、嗅覚も含まれている。

 どれだけ王の力を引き出しても経験だけは足りない。俺はもっと嗅覚を阻害されていることに違和感を覚えるべきだった。


 だが――。


「――舐めるな」


 力強く地面を踏み締める。

 バキリと周囲に地割れが走った。


「お前が姿を隠すなら……俺は、お前が認識できない速度で走り続ける」


 全神経を両足に集中。圧倒的な速度を、繊細な力加減で制御下に置いてみせる。


 地面を強く蹴った直後、視界が一変した。

 速度が増すごとに、視界から入る情報が増える。驚異的な動体視力が、驚異的な速度に対応している証拠だった。


 だが、大量の情報を処理し続ければ、いずれ脳は破裂する。

 だから――不要な情報は切り捨てねばならない。


 まず、色が消えた。

 世界が白黒に染まる。先代王を認識できるなら、それで問題ない。


 次に、背景が消えた。

 夜空に光る星や、遠くに見える倒れた木々。戦闘に関係ない背景の情報を切り捨てる。


 この眼球が見据えるのは先代王のみ。

 他は何も要らない。余計なものは切り捨てていい。


 全ては、先代王(あいつ)を殺すためだけに――。

 あの化物を滅ぼすためだけに、獣人王の力を集中させる。


「ああぁあああぁあああぁあああぁぁぁああぁぁあああ――――ッッ!!!」


『オォ■ォ■■ォォ■■ァ■■■アアァア■■■ァアア■アア■――ッ!!』


 風よりも速く、光さえ追いつかない速度で。

 先代王の巨体を殴り、蹴り、叩き、引き裂き、潰す。


 左手にも爪の篭手を装備し、ひたすら攻撃を連打した。先代王の巨体は宙に浮いたまま、何度も何度も衝撃を受け続ける。


 異変を感じたのはその時だった。

 先代王が連打から抜け出し、いつの間にか俺の横合いまで移動していた。

 幸いすぐに気づいたため、こちらも一瞬で背後に回って蹴りを放つ。


 ――先代王が速くなっている?


 蹴りを受けて吹き飛んだ先代王を、俺は警戒した。

 数秒後、すぐに異変の原因に気づく。


 先代王の全身にこびりついていた爪や牙が、ぱらぱらと音を立ててこぼれ落ちていた。攻撃を受ければ受けるほど、先代王が身に付けている重たい鎧は剥がれ落ち、身軽になっているようだ。


「まだ、本気じゃなかったということか……」


 思わず不敵な笑みを浮かべる。


 ――上等だ。


 その程度じゃ追いつけないことを、思い知らせてやる。


「もっと、疾く――」


 深く呼気を吐いた俺は、両腕を地面につけた。

 脳裏を過ぎったのは四足歩行の獣。脚力だけではない、腕力も速度を引き出すために利用する。


 数秒ほど駆けるだけで、獣人の身体はこの体勢に適応し始めた。拳の先から、地面を掻くための爪が伸びる。一瞬で先代王の懐まで肉薄した俺は、尻尾でその巨躯をかち上げた。


「――疾く」


 そこで思考は途絶えた。

 あるのは瞳が捉えた映像と、先代王を殴った際の衝撃のみ。0.1秒の瞬きをする暇すらない。反射で――本能で、戦い続ける。


 ――勝てる。


 やはり、獣人王が言っていた通りかもしれない。

 俺の【素質系・王】は、王としての力を世界に保証されている。なら、便宜上の王である獣人王よりも、俺の方が強いのではないか? というのが獣人王の疑問だ。


 多分それは正しい。

 だから俺は、あの獣人王が手出しできなかった先代王を相手に、ここまで戦うことができている。


 最後の最後まで油断しない。

 悲鳴を上げる先代王の顔面に、トドメの一撃を入れようとした直後――――。



「――ぁ?」



 バキリ、と音を立てて。

 俺の腕に、亀裂が走った。



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