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44「決意」


「決行は三時間後とする」


 獣人王が俺たちに言う。


「本来ならもう少し間を置きたいところだが……先程の戦いで、起こしてしまったようだからな」


 その言葉に、俺は『獣神憑依』を使っている時に聞いた、あの歪な叫び声を思い出した。


「あの声は……先代王か」


 獣人王が首を縦に振る。

 あの声と同時に、遺跡の奥から恐ろしい威圧感が放たれていた。吸血鬼の王弟ギルフォードよりも……目の前にいる獣人王よりも、強い威圧感だった。獣人王が「薬を使わねば勝てない」と言うのも理解できる。


「ケイル=クレイニア。お前を巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。だがこれだけは……こればかりは王として譲れないのだ。どうか分かってくれ。獣人たちの明日を守るには、お前が王として君臨するしかない」


 そう言って、獣人王は部屋の扉を開けた。


「決行まで私は休ませてもらう。薬を使えば傷は治るが、体力までは回復しないからな」


 獣人王が何処かへ向かう。

 だがその背中を、一人の少女が呼び止めた。


「……お爺ちゃん」


 アイナが、か細い声で告げる。


「私、やっぱり……」


「アイナ。聞き分けろ」


 獣人王は冷たい眼差しをアイナに送り、その場を立ち去った。

 アイナは唇を噛み、俯いている。

 部屋に静寂が訪れた。


「ケイル君……このまま、本当に獣人の王様になっちゃうの?」


 沈黙が滞る中、クレナが恐る恐る訊く。


「……そんなわけがない」


 髪を掻き毟りながら、俺は続ける。


「でも……それ以外に、獣人たちが助かる道がないなら……」


 このまま何もしなければ、先代王が暴走して獣人領を滅ぼすだけだ。獣人領どころか、俺たちが過ごす王国にも被害が生じるかもしれない。


 獣人王は生贄を捧げることで問題を先送りにしていた。だがそれもいずれ限界がくる。それに話を聞いてしまった以上、これからは生贄も出したくない。


 ――どうすればいい?


 本当に獣人王を犠牲にしなくては解決しないのか。

 それ以外に先代王を倒す方法はないのか。


 たとえば、他の亜人の王たちに手伝ってもらうのはどうだ?

 いや、そんなことをすれば亜人たちのパワーバランスが崩壊する。いくら悪政を敷く王とはいえ、他種族の王に自分たちの王を殺されるわけにはいかないだろう。


 なら特定の種族ではなく、複数の種族に協力してもらうか?

 多くの借りを作ることにはなるが、それなら上下関係は有耶無耶になるからパワーバランスも完全には崩壊しない。だが――どのみち獣人たちはもう、王という存在を信じられなくなるだろう。


 ――方法は、ある。


 複雑なことではない。

 シンプルに全てを解決する方法が、ひとつだけある。

 だが、それをやるには、あまりにも――。


「……アイナは、何処かに行ったのか?」


 ふと顔を上げると、そこにアイナはいなかった。


「深刻な顔をして、何処かに行っちゃった。呼び止めたんだけど、一人にして欲しいって……」


「……そうか」


 クレナに説明されて、俺はゆっくりと立ち上がった。


「ちょっと、アイナに聞きたいことがあるから探してくる」


「あ、じゃあ私も手伝うよ。手分けした方が早いと思うし」


 そう言ってクレナは、俺と共に部屋を出る。


「ケイル君。無茶だけは、しないでね」


「……ああ」


 俺の様子を見て何かを察したのか、クレナは真剣な顔で告げた。

 クレナと手分けしてアイナを探す。先代王が封印されているという奥の方に行かなければ問題ないだろう。入り組んだ廊下をひたすら歩き続けた。


 暫く歩き続けていると、誰かの話し声が聞こえた。

 無意識に足音を潜め、声のする部屋に近づく。

 この声は……アイナと、獣人王だ。


「お爺ちゃん……死んじゃ、いや……!」


 その部屋の中で、アイナは涙を流していた。

 学園では表情を殆ど変えない彼女が、悲しみを堪えきれずに震えている。


「アイナ、何度も言った筈だ。もうこれしか方法はない」


「でも、それでも私は……」


「諦めなさい。お前も、この日のために努力してきたのだろう」


 諭すように言う獣人王に、アイナは何も返せずに黙ってしまった。


 ――嫌なものを見てしまった。


 ああ、本当に……これは見るべきではなかった。

 おかげでまた、決意が固くなる。


 今、二人の間に割って入るような真似はしたくない。踵を返した俺は、そのまま遺跡の外まで出て、真っ暗な夜空を仰ぎ見た。

 そのまま、小一時間が過ぎた頃。


「ケイル」


 背後からアイナに声を掛けられる。


「準備はできたかしら?」


「……準備なんて、殆どないだろ」


「それもそうね」


 アイナは儚い笑みを浮かべた。


「アイナは、大丈夫なのか?」


「私? ……ああ、さっき見ていたのは、貴方だったのね」


「気づいていたのか」


「獣人は気配に敏感なのよ」


 そう言ってアイナは、虎の丸い耳をピクピクと動かした。


「ごめんなさい。変なものを見せてしまったわね」


「……別に、変じゃないだろ」


 嫌なことがあって悲しむのは当たり前だ。

 俺は、アイナの顔を真っ直ぐ見る。


「アイナにとって、獣人王はどういう存在なんだ?」


 アイナはゆっくりと目を閉じ、まるで過去を懐かしむような様子で答えた。


「育ての親よ」


 アイナは語る。


「捨てられた赤子だった私を、あの人は周りの反対を押し切って拾ってくれたわ。王としての業務に追われる中で、あの人は私に精一杯の愛情を注いでくれた。……おかげで私は、何不自由なく生きることができた」


 アイナは語り続ける。


「物心がつく頃には、私も何か恩返しがしたいと思っていた。だから、頑張って身体を鍛えて王の護衛になったのよ。でも……ある日、王がこの遺跡に向かっているのを見て、気になった私は後を追うことにして……」


「……知ってしまったのか」


 王が、獣人たちの目を避けてしていることを。

 民たちが「悪政」と叫んでいるそれを。


「それ以降、私は王にとって唯一無二の協力者になったわ。リディアは、私が王に苦しめられて館から脱走したと考えているけれど……真実を言うと、私は爪牙の会に潜り込んだのよ。来たるべき日に備えるために。……貴方を見つけるために」


 アイナもまた、今まで多くの獣人を騙してきた。

 自分のためではなく、獣人領の未来を憂うからでもなく。

 きっと、全ては――自分を育ててくれた王のために。


「今までそれを、ずっと黙っていたのか」


「ええ」


「……平気だったのか」


「まさか」


 自嘲するように、アイナは笑った。


「王のことを馬鹿にされる度に、何度も手を出しそうになったわ。でも……私は幼い頃からずっと、王に教わってきたから」


 落ち着いた声音でアイナは言う。


「膨れ上がった欲は、己の身を滅ぼす。獣人は決して、己の欲に振り回されてはならない。……お爺ちゃん(・・・・・)が、何度も口にしていた言葉よ」


 王を他人と扱うことが限界になったのか、アイナは再び「お爺ちゃん」という呼び名を口にした。


「いいのか? このまま、獣人王を死なせて……」


「……酷なことを訊くのね」


 呟くようにアイナは言う。


「いいとは言えないわ。本当はお爺ちゃんを死なせたくないし……貴方を巻き込んだことにも抵抗がある。でも私は、覚悟を決める時間だけは沢山あったから。今更、我儘を言うことなんてできる筈もない。……さっきもそれで、お爺ちゃんに怒られたわ」


 視線を下げて、アイナは続ける。


「爪牙の会に潜り込んだのも、学園に通ったのも、貴方の傍にいたのも、全部この日のためよ。この期に及んで、私だけが立ち止まることは許されないわ」


 そこまで言って、アイナは微笑を浮かべた。


「おかしな話ね」


「え?」


「私は、貴方を道連れにしようとしているのに、どうして貴方が私を気遣っているのかしら」


「それは……」


 考えてみればその通りだ。

 大変なのは俺の方である。このままでは獣人王という地位を押しつけられて、俺は今までの日常に戻れなくなってしまう。


 それでも俺が、アイナを放っておけないのは――。


「……俺よりも、アイナの方が悲しそうだからだろ」


「……そう」


 一瞬だけ、アイナは泣きそうな顔をした。


「貴方が悪い人ならよかったわ。それなら遠慮なく利用できたのに。……貴方って本当に、底抜けに優しい人なのね」


 そう言ってアイナは、顔をこちらに近づけてきた。


「ねえ、ケイル。私、貴方が王になった暁には、どんなことでもするわ。私は、私の全てを貴方に捧げる。貴方の欲しいものは、なんだって用意してみせる」


「……変なことを頼むかもしれないぞ」


「平気よ。私、貴方のこと嫌いじゃないから」


 アイナは微笑みながら、続けて言う。


「だから、もうこれ以上、その優しさを私に向けないで。これ以上、優しくされると、ありもしない希望を見てしまうわ」


 堪えてきた弱音が、遂にアイナの唇からこぼれ落ちる。

 もう希望なんて一切ないのだと、諦念に満ちたアイナの心情が吐露された。


 ――まるで、昔の俺だ。


 以前の俺は、無能力ゆえに落ちこぼれと罵られていた。

 生き方を選択できず、凄惨な現実を受け入れるしかなかった。

 あの頃の俺も、今のアイナと同じように、希望なんて全く存在しないと思っていた。未来は常に真っ黒に染まっていた。


 もし俺が獣人王になったら、アイナはこの先も自分を殺して俺のために尽くし続けるだろう。アイナの過去は後悔で染まり、アイナの未来は罪悪感で染まる。今までもこれからも、アイナには自由がない。


 だから、誰かが手を差し伸べなければならない。

 俺にとってのクレナのように、誰かがアイナをこの地獄から救わなくちゃいけない。


 そして、それができるのは、きっと――――。


「……あれば、どうする」


「え?」


「その希望があれば、どうする」


 目を丸くするアイナに、俺は訊いた。


「あの王を死なせずに、全てを解決する方法があれば……アイナはどうする?」


 暫しの間、硬直していたアイナは、やがてクスリと笑う。


「夢みたいなことを言うのね」


 無垢な子供を見守るような瞳で、アイナは言った。


「もし、貴方がそんな希望を持っているとしたら……私は絶対に、こう言うわ」


 アイナは俺の顔を見据えて、告げた。


「助けてちょうだい」


 その一言が、俺の心に確たる決意を宿した。


「分かった」


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