37「対峙」
クレナと分かれた後、俺とアイナは館の上層に向かった。
「騒ぎを聞いて、移動している可能性はあるけれど……恐らく王は最上階にいる」
階段を駆け上がりながら、アイナが言う。
兵士たちは二階にも三階にもいたが、囲まれなければ負けることはない。アイナが腕を『部分獣化』させて数人の兵士をなぎ倒し、討ち漏らした兵士を俺は素早く仕留める。
「思ったより、弱いな」
「王の権力を笠に着ている連中だから。きっと鍛錬もサボっている」
その説明に納得する。
獣人たちは素の身体能力が高い。しかし俺も、アイナの眷属になってから随分と日数が経過しており、獣人の肉体に慣れていた。同程度の身体能力があれば、難なく対処できる。
見れば、廊下の奥で複数の兵士たちが、棒立ちになってこちらを見ていた。
その表情には諦念の色が濃く浮かんでいる。足が竦んで動けないようだ。
「そもそも、戦意がないのか……」
「忠誠を誓える王ではないわ」
当代の獣人王は評判が悪い。
王の部下である兵士たちなら甘い蜜が吸えるのかと思っていたが、そうでもないようだ。本当の意味で王に忠誠を誓う兵士は、もう殆どいないのかもしれない。
「いたぞッ!!」
「止まれ、賊め!!」
四方から兵士たちが駆けつけてくる。
長い槍が一斉に向けられ、じりじりと距離を詰められた。
「戦意がないとはいえ、囲まれると面倒ね」
戦闘を覚悟したアイナは短く呼気を吐き、構える。
しかし、俺は兵士たちの瞳の奥にある感情を見抜いて、ある可能性に賭けた。
――これなら。
いけるかもしれない。
ただでさえ戦意は低く、鍛錬も大して積んでいない。
そんな兵士たちが相手なら、わざわざ戦う必要もない。
「ケイル……?」
構えることなく無防備に前へ出た俺に、アイナが小さく疑問を発する。
警戒心と恐怖を綯い交ぜにする兵士たちに、俺ははっきりと告げた。
「――『そこを退け』」
獣人の肉体に宿る"格"。
それを、相手に叩き付けるようなイメージと共に、命令する。
「あ……っ」
「う、ぁぁ……」
効果は覿面だった。
俺たちを囲んでいた兵士たちは、途端に顔を青白く染めて、恐怖に震え出す。
以前、吸血鬼領でヴァリエンス家の護衛たちに襲われた時と同じだ。
基本的に亜人は"格"の高い者には逆らえない。これは、その性質を利用した威圧だ。
「アイナ、行こう」
「……ええ」
驚いた様子のアイナと共に、兵士たちの包囲網を抜けて先へ進む。
兵士たちに戦意は欠片も残っていなかった。彼らは視線すら動かさずに、ただ黙って俺たちを見届ける。
「凄いわね、貴方の力」
「元はアイナの力だけどな」
そう答えると、アイナは僅かに目を丸めた。
「そういう風に、驕らないところが本当に凄いと思うわ。特に私たち獣人は、自分の力に酔い痴れやすいから」
「……獣人は、欲が強いんだったな」
ミレイヤから聞いた話を思い出す。
「貴方も気をつけて」
アイナが言う。
「三番目の獣化は、少しでも気を抜けば本能に飲み込まれてしまう」
「……分かった」
三番目の獣化。それが何を指しているのかは、すぐに分かった。
角翼の会に攫われた際、俺がオッドを倒す時に使用した技だ。……アイナはあの技を、俺が使えると知っていたのか。
廊下を抜けて、階段を見つける。
真っ直ぐ階段の方へ走り出した、次の瞬間。
頭上から大きな影が落ち――巨大な熊の手が迫った。
影に気づいた俺とアイナが、間一髪で攻撃を避ける。飛び散る床の破片が頬を掠めた。
「アイナ!」
「……平気。珍しく、訓練された兵士みたいね」
少し離れたところでは、アイナが既に臨戦態勢を整えていた。
その視線の先に、二人の兵士がいる。
「これより先は、玉座の間」
「賊の侵入を、許すわけにはいかない」
二人の兵士の肉体がみるみる膨れ上がる。
俺たちの目の前に、巨大な鳥と、巨大な熊が現れた。
「『完全獣化』……」
誰もが使えるわけではない『完全獣化』を、遂に使う敵が現れた。
恐らく王の側近だろう。これまでの雑兵とは比べ物にならない重圧を感じる。
「ケイル、先に行って」
二人の兵士を睨みながら、アイナは言う。
「王に太刀打ちできるのは、貴方しかいない」
「……分かった」
アイナの言う通り、獣人王と正面から戦えるのは【素質系・王】の能力を持つ俺だけだ。
ここはアイナを信じて先へ進ませてもらう。
『逃がさんぞ――ッ!!』
巨大な鳥が羽ばたき、一気に距離を詰めてくる。
しかしその巨体を、虎の腕が受け止めた。
『私を無視できると思った?』
『アイナ……!』
アイナもまた、『完全獣化』を使って二人の兵士と対峙する。
その隙に俺は階段を上り、突き当たりにある巨大な扉を勢い良く開いた。
「来たか」
短く、重く、獣人の王は呟いた。
部屋の照明はついていない。しかし左右の大きな窓から月明かりが射し込んでいるため、視界は良好だった。足元には精緻な模様が刻まれた赤絨毯が敷かれており、部屋の奥には豪奢な玉座が鎮座している。
相対する一人の男は、王に相応しい貫禄を滲ませていた。
窓の外から聞こえる騒ぎが遠くなる。たった一人とはいえ、賊にここまでの侵入を許したにも拘わらず、王はまるで平時であるかのように動じていなかった。
「さて――ここまで来た以上、私も迎え撃たねばならないな」
ぶわり、と。全身から汗が噴き出た。
静かな威圧。先程、俺が兵士たちを怯ませた時と同じように、獣人王は俺に"格"をぶつけてきた。
挑発しているのか。それとも無意識のうちに溢れ出しているのか。
いずれにせよ――俺はそれに、応えるつもりはない。
「……その必要はない」
僅かに目を丸くする王に、俺は言った。
「獣人王。俺はお前と、話をしにきた」




