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31「獣神憑依」


『その、力は……!?』


 豹に化けたオッドが、こちらを見て驚愕した。

 俺自身、何が起きているのか分からない。『完全獣化』の更に先にある力を引き出した結果、俺の肉体は歪なものへと変化していた。


 獣の腕と獣の足。獣の瞳に獣の牙。

 人の姿をしていた時とは比べものにならないほどの力が湧いてくる。


 しかし、『部分獣化』や『完全獣化』と違って、形は人のままだった。

 だからだろうか――途轍もなく動きやすい。

 今の俺は、人のまま獣になれる。


『グォォオオォオォォォオオォオォォォ――ッッ!!』


 オッドが焦燥に駆られた様子で、巨大な腕を振り下ろした。

 俺はそれを、片手で受け止めた。


『なッ!?』


 目の前には巨大な化物がいる。

 けれどその化物の存在感は、今の俺にとって大したものではない。


 今のオッドは図体がでかいだけだ。獣化の力を十全に発揮しているとは言い難い。

 獣化の力を、人という器に凝縮した今の俺には、適わない。


「ぐ、ぎ、ィ……ッ!!」


 溢れ出る衝動を、歯軋りしながら必死に抑える。

 荒れ狂う闘争本能に意識を持って行かれそうになった。


「ガァ――ッ!!」


 のし掛かるオッドの腕を弾く。

 オッドの巨躯が軽く浮いた。


 先日、この目で見た光景が脳裏を過ぎる。

 獣人王がアイナの『完全獣化』を無力化した時……その姿は僅かに変容していた。


 これが、その力なのだろう。

 拳を強く握り締めると大気が震える。

 巨大な豹の胴体へ、正拳を突き出した。


『――ッ』


 耳を劈く爆音が響いた。

 オッドは悲鳴を上げる間もなく勢い良く場外まで吹き飛び、背中から壁に打ち付けられる。


 角翼の会の拠点である地下空間が、激しく揺れた。

 辺りの壁面からパラパラと石片が剥がれ落ち、あちこちから悲鳴が聞こえる。

 大きな鳴動が落ち着いた頃、オッドは『完全獣化』を解いて人の姿に戻った。


 こちらも獣化を解いて、人の姿に戻る。

 小さく呼気を発する俺を見て、オッドは声を絞り出した。


「『獣神憑依(じゅうしんひょうい)』…………伊達に、王の卵ではないということか」


 そう呟いて、オッドは気を失った。

 衝撃的な光景を目の当たりにして、誰もが口を噤む中、ミレイヤは静かに微笑む。


「勝者、ケイル」


 どこか楽しそうなミレイヤの声が、辺りに響いた。




 ◆




「王の卵!」


 三人衆との戦いが終わった後。

 夕食のため食堂を訪れた俺に、複数の獣人が近づいてきた。


「あ、あの、握手してください!」


「わ、私も!!」


 若い男女の獣人が、それぞれ頭を下げてくる。

 俺は差し伸ばされた手を無言で握り返した。


 二人は心底嬉しそうな顔で「ありがとうございます!」と礼を述べ、いそいそと食堂を去った。

 思わず溜息が出る。戦いが終わってから、こうしたやり取りがずっと続いていた。


「……これが狙いか」


 向かいに座るミレイヤへ、俺は冷たい眼差しを送った。


「演出よ、演出。他所の領地から凄腕の獣人を連れてきたという設定でも十分通用したけれど……それよりも、悪い評判ばかりが聞こえてくる中、実力で全てを覆してみせたという展開の方が大衆の心を掴みやすいでしょ?」


 要するに、ミレイヤが流した悪い噂は、最終的に俺を持ち上げるためのものだった。

 俺が王になった際の求心力を少しでも高めるため、ミレイヤは敢えて俺の悪評を吹聴していたらしい。


 俺が角翼の会の最高戦力である三人衆に勝利すると同時に、ミレイヤはこれまでの悪評が全て嘘であると伝えた。すると客席にいた獣人たちは、掌を返したように俺のことを賞賛し始めた。


 元々、獣人は「強さ」を尊重する気質だ。

 唯一の懸念だった俺の悪評が覆された今、彼らは曇りなき眼で俺のことを認めてくれている。


「悪い噂がなくなったのは助かるが……素直に喜べないな」


「貴方、見た目はちょっとなよなよしているけれど芯は強そうだから……外堀から埋めさせてもらうわ」


 悪戯っぽくミレイヤは笑みを浮かべる。

 俺の考えは依然として変わらない。革命への協力は断るし、獣人たちの新たな王になるつもりもなかった。


 しかし、この空気はあまり好ましくない。

 周囲から注がれる好意的な視線に、居たたまれない気持ちとなる。


 彼らは俺が次代の王になることを期待しているのだ。無垢な子供たちから尊敬の眼差しを注がれると、かえって苦しい気分になる。残念ながら俺がその期待に応えることはない。これならいっそ、悪評が広まっていたままの方が良かったかもしれない。


「……俺はいつまでここにいればいいんだ」


「できれば、ずっといてくれた方が嬉しいのだけれど」


「断る」


 ミレイヤのやり口も理解した。

 オッドが言っていた通り、彼女は他者を動かすことに長けている。周囲の獣人たちをさり気なく誘導し、雰囲気や空気といった武器を用いてこちらの行動を封じる心算だろう。


 このまま何もしなければミレイヤの術中に嵌まってしまう。

 部屋に戻った俺は作戦を考えた。


「……夜這いされないうちに、移動した方がいいかもしれないな」


 三人衆に勝利したことで、ミレイヤの夜這いに頭を悩ませることはなくなった。

 どう動くべきか。考えようとした時、ふと思考が現実に引き戻される。


 ――今更だが、大変なことになってしまったなぁ。


 部屋の中で一人、頭を抱えて蹲った。

 数ヶ月前まではただの高校生だったのに、今では夜這いに悩む王の卵だ。


 学園の友人を思い出す。ライオスにこの現状を伝えたら羨ましさのあまり「死ね!」とはっきり告げられるだろう。エディからは「贅沢な悩みだね」と冷笑されそうだ。


 俺にとって日常とは、あまり良いものではない。

 学園では落ちこぼれと罵られ、家では妹に養われる罪悪感に苛まれていた。


 能力に目覚めて、漸くそんな日々から脱却できると思ったが――道はまだ長いらしい。

 溜息を零し、落ち込む。


「……ん?」


 部屋のダクトから妙な物音が聞こえたような気がした。

 息を潜めてダクトを注視すると、奥から細い指が出てきて蓋を開ける。


「やっと、見つけた……」


 その先から現れたのは、見知った虎の獣人だった。


「……アイナ」



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