28「エミィ」
一試合目が終了したことで、俺とグラセルは闘技場の外に出た。
闘技場の中央は、グラセルの一撃によって大きく地割れが起きていた。傍で待機していた獣人たちが、急いで修復に取りかかる。
「どう、グラセル? 私の目は確かでしょう?」
「……ええ。正直、驚きました。まさかこうも簡単に負けてしまうとは」
グラセルは沈んだ声音で答えた。
落ち込むグラセルから離れ、ミレイヤは俺の方へ歩み寄ってくる。
「流石、王の卵ね。私が見込んだだけあるわ」
「……お前に見込まれたせいで、俺は散々迷惑を被っているんだが」
得意気に言うミレイヤに、俺の心労は一層増したような気がした。
なんにせよ勝つことができて良かった。あと二回勝てば夜這いを避けられる。
「しかし……闘技場が娯楽と言うのも、あながち間違いじゃないみたいだな」
安堵しながら辺りを見回すと、観客の獣人たちは各々楽しそうに言葉を交わしていた。
試合前まではどの獣人も俺を敵視していたが、今は尊敬の眼差しを注いでくる者もいる。よく見れば賭けを行っている者もいた。二戦目は、俺に賭けてくれる獣人が増えるかもしれない。
戦う前まではギスギスとした雰囲気だったが、散々こちらを挑発してきたグラセルに勝つことができたからか、気分はすっかり落ち着いていた。我ながら現金なものである。
「次の相手はエミィね」
ミレイヤが呟く。
エミィと呼ばれた鳥の獣人は、ちらりとこちらを一瞥してすぐに視線を逸らした。
「その……お手柔らかに」
多少の落ち着きを取り戻した俺は、恐る恐るエミィに声をかけた。
しかし彼女は、ゴミを見るような目で俺を睨み、
「気安く話しかけないでください、変態」
「変態!?」
唐突な罵倒に、俺は驚愕した。
「しらばっくれても無駄です。私は、貴方がミレイヤさんにした悪行の数々を知っているんです! く、首輪をつけて外を散歩させたり、足の指を丁寧に舐めさせたり……ひ、卑猥です! 貴方なんて最低です! この変態王!」
「変態、王……ッ!?」
エミィの口から放たれる罵詈雑言に、思わず立ちくらみがした。
変態王……そんな王にだけはなりたくない。
俺はエミィから目を逸らし、元凶のもとへ近づいた。
「ミレイヤ!」
「なぁに?」
きょとんと首を傾げるミレイヤ。
その仕草にますます腹が立った。
「お前のせいであのエミィって子、とんでもない勘違いをしてるんだが」
「あら、王になってくれるなら、その程度いくらでもしてあげるわよ?」
「そういう問題じゃない!」
して欲しいとも思っていない。
「というか……そんな変態を王にして大丈夫なのか、獣人は」
周りにいる獣人にとって、俺は次代の王候補だ。
彼らは次代の王が変態でいいのだろうか。いや、いい筈がない。ミレイヤもどうして、このような根も葉もない噂を吹聴したのか……。
「いいのよ。獣人なんて皆、強ければ他はどうでもいいって考えの持ち主なんだから」
それは確かに、そうかもしれない。
事実、グラセルを倒してから、観客の何割かは俺のことを認め始めている気がする。
「……オッドはまだ来てないのね」
客席の辺りを見て、ミレイヤが呟いた。
「そのオッドという獣人が、三人衆の最後の一人か」
「ええ。三人衆の中でも、オッドが一番強いんだけれど……」
そこまで言ってから、ミレイヤはくすりと悪戯っぽく笑う。
「言っておくけれど、エミィもそれなりに強いわよ。先のことばかり考えていたら足元をすくわれるから、注意しなさい?」
楽しそうに忠告するミレイヤ。
そんな彼女の態度に、俺は疑問を抱いた。
「お前は俺に、勝って欲しいのか負けて欲しいのか、どっちなんだ?」
「最初に言った通りよ。私は貴方のかっこいいところを見たいだけ」
適当に誤魔化されているような気もする。訊くだけ無駄というやつだ。
溜息を零し、俺は整備が終了したらしい闘技場へ入った。
青髪と白い翼が目立つ少女、エミィと対峙する。
華奢で小柄な少女だ。歳は多分、俺より下だろう。だが油断はしない。俺の妹、ミュアもエミィと同じくらいの背丈だが、彼女は凄腕の剣士だ。見た目で強さを判断するのは危険である。
集中力を高めていると、エミィが唐突に靴を脱ぎだした。
そのまま靴下も脱いで生足を露出させる。……細くて色白だ。触れると壊れてしまいそうな儚さすら感じる。
「――始めッ!!」
ミレイヤが試合開始の合図を出す。
直後、エミィが翼を大きく広げ、高く跳躍した。
上空へ跳んだエミィは、そのまま地面に下りることなく宙を滑る。
「飛んで、いるのか……」
軽やかに飛翔するエミィに、焦燥を抱く。
エミィが空中にいる間、俺は何もできない。
軽やかに宙で身を翻したエミィは、真っ直ぐ俺を睨んだ。
エミィの両足が変化する。細くて色白だったその足は、瞬く間に鋭利な鉤爪を持つ鳥の足へと変化した。――『部分獣化』だ。このために靴を脱いだのか。
「行きますッ!!」
エミィが勢い良く降下してくる。
速い――獣人の強化された動体視力でも捉えきれない。
「ぐ――っ!?」
回避は不可能と悟り、防御の姿勢を取ると、交差した両腕に鋭い痛みが走った。
鉤爪の切れ味も抜群らしい。すぐに振り返って攻撃しようとするが、エミィは既に空中へ上っていた。
空を飛ぶエミィと無言で睨み合う。
空を飛ぶという能力は確かに脅威だが、活路はある。
この闘技場での戦いは、武器の持ち込みが禁止されている。俺たちは共に、攻撃の際は相手に直接触れなければならない。
なら――近づいてきたところを、カウンターで仕留める。
グラセルの時と同じだ。
一瞬の隙を突いて倒せばいい。
「甘いッ!」
再び下りてきたエミィは、身構える俺を見て咄嗟に翼を広げた。
重ねられた二枚の翼が頭上から迫る。巨大な質量を持ったその一撃を、俺は慌てて横に転がることで回避した。
――駄目だ、受け流せない。
間近に迫られて気づいた。
体重を乗せられた翼による一撃は威力が高い上に、点ではなく面による攻撃だ。本人の機動力も相まって、回避するのも一苦労である。とても受け流せそうにない。
「浅はかですね。その程度の考え、私が見抜いていないとでも思いましたか?」
「……くそっ」
恐らくエミィは、今までもこの作戦で戦ってきたのだろう。
だからこそカウンターの対策は完璧だ。
舌打ちして、再びエミィの攻撃を待ち構えると――ふと、気づく。
「その……あまり真上に、行かないでくれ」
「貴方の言うことを聞く義理はありません。……真上からの攻撃が苦手ですか? なら次もそうしてあげましょう」
「いや、そうじゃなくて……」
挑発するような笑みを浮かべて真上に陣取るエミィ。
俺はそんな彼女に、視線を逸らしながら言った。
「スカートの中が、見える」
「なっ!?」
エミィは顔を真っ赤にして、慌ててスカートを押さえた。
「や、やはり、変態王……!」
「好きで見ているわけじゃない!」
教えてやったんだから紳士だろ。
「ス、スパッツはいてるから平気です! この変態!」
エミィが怒鳴る。
――さっきから、言わせておけば。
随分と言いたい放題だ。
徐々に腹が立ってくる
しかし冷静にならなくてはならない。なにせ状況は圧倒的に不利だ。
なんとか打開しなくては――。
「……ちょっとルールを確認したいんだが」
エミィから視線を外し、ミレイヤに言う。
「フィールドにあるものは、自由に使ってもいいのか?」
「それは、構わないけれど……フィールドにあるものって、何もないわよ?」
ミレイヤが不思議そうに言う。
俺は『部分獣化』で腕を獣のものへと変え――思いっきり地面を殴った。
轟音と共に床の破片が飛び散る。
降り注ぐ破片をひとつ掴み、エミィに狙いを定めた。
「ちょ――」
「――落ちろ」
顔を引き攣らせるエミィへ、勢い良く破片を投擲する。
破片はエミィの翼へ命中した。すぐに俺は二発目、三発目を投擲する。
「か……っ!?」
二発目の破片は反対側の翼に傷をつけ、三発目の破片はエミィの鳩尾を抉った。
小さな悲鳴を漏らしてエミィが落下する。
「降参しろ。その翼では、もう飛べない」
破片が命中した際、抜け落ちた白い羽がゆっくりと落ちてくる。
落下の衝撃も強かった筈だ。これ以上、戦うことはできないだろう。
しかしエミィは呻きながらも立ち上がろうとした。
「……まだ、負けていません」
敵意を込めた瞳で、エミィは俺を睨みながら言った。
「まだ私は、戦えます――ッ!!」
震える身体でエミィは叫ぶ。
だがこれ以上の戦闘は明らかに不可能だ。
気を失うまで戦うつもりか……それはもう単なる試合では済まない。
「――見苦しいぞ、エミィ!!」
その時、どこからか怒号が放たれた。
気迫が込められたその声を聞いてエミィは肩を跳ね上げる。
声がした方を見ると、そこには一人の男がいた。
――強い。
一目見れば分かる。その金髪の男は他の獣人とは"格"が違った。
耳と尾から察するに、恐らく豹の獣人だ。体格はグラセルほど筋骨隆々としているわけではないが、しなやかで無駄のない肉付きとなっている。
「遅いわよ、オッド」
ミレイヤが言うと、豹の獣人は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。部下の訓練に付き合っておりました」
謝罪したその獣人――オッドは、改めてエミィを見た。
「エミィ、下がれ。お前の負けだ」
「………………はぃ」
エミィは泣き出しそうな顔で頷き、闘技場を出る。
三人衆の最後の一人。オッドは眦鋭く俺を睨んでいた。
この世界スパッツあるのか……。




