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26「潰えた伝統」


 目が覚めると、全裸の女性が添い寝していた。


「おはよう。よく眠れたかしら?」


「う、おあっ!?」


 鼻先からかけられたその声に、俺は慌てて飛び退く。

 混乱は一瞬で収束し、すぐに状況を理解した。


 昨日、俺はこのミレイヤという兎の獣人に拉致され、最後は睡眠薬によって強制的に眠らされたのだ。


 確かここは……角翼の会。

 革命軍であることに変わりはないが、リディアさんが率いる爪牙の会とは異なる未来を見据えている組織だ。


「……取り敢えず、服を着てくれ」


「私、寝る時はいつも裸なのよ」


 だから何だよ。


「いいから着てくれ!」


 目を逸らして叫ぶと、ミレイヤはクスリと笑みを零して着替えを始めた。


「はい、着替えたわよ」


 ミレイヤの言葉を信じ、恐る恐る目を開くと、確かにちゃんと服を着ていた。

 昨晩と同じ露出度の高い服装かと思ったが、今回は多少マシになっている。


「昨晩の姿の方がお好みだったかしら?」


 いたずらっぽく笑みを浮かべるミレイヤに、俺は舌打ちした。

 こちらが苛立ちを露わにしたにも拘らず、ミレイヤは俺の背中に体重を乗せてくる。


「ふふ、我慢は身体に毒よぉ? 特に獣人の身体なら、尚更ね」


「……お前は目の毒だ」


「あら、うまいこと言うわね」


 そう言ってミレイヤは身体を離し、部屋のドアを開いた。


「まずは朝食にしましょう」




 ◆




 廊下を進み、食堂に辿り着くと、数人の獣人がミレイヤの存在に気づいて腰を折った。 


「お嬢! おはようございます!」


「おはようございます!」


「ええ、おはよう」


 畏まった挨拶をする獣人たちに、ミレイヤは優しく返事をする。


「……慕われているんだな」


「王の卵である貴方にはどんぐりの背比べかもしれないけれど、これでも私、"格"が高い方なのよ?」


 中央のテーブル席に腰を下ろす。

 対面に座ったミレイヤは、カウンターの向こうにいる料理人に軽く手を振った。暫く待っていると、食事が運ばれる。


 爪牙の会で出された料理と殆ど同じものだ。組織に違いはあれど、同じ場所に住んでいる以上、入手できる食材や調味料が似通っているのだろう。


「どう? お口に合えばいいのだけれど」


「……食事は、美味い」


 薄切りの肉を咀嚼して言うと、ミレイヤは「良かった」と微笑んだ。

 少なくとも料理人の腕に罪はない。


 食事をしながら辺りを見回す。

 ここは食堂だ。獣人の数が多い。脱出を試みれば彼らが一斉に敵に回るだろう。


 ――強引に押し通るか?


 昨晩と同じように、能力を上手く使えば俺自身の力はより強化される。

 但しあれは、ミュアが言っていた「潜在能力の前借り」だ。できれば何度も使用したくない。


「脱走なんて無理よ」


 ミレイヤは、こちらの考えを見透かした上で言う。


「角翼の会の拠点であるこの地下空間は複雑な造りをしているの。慣れないうちは、角を三つ曲がるだけで遭難することもある。貴方がたった一人でここを抜け出すことは不可能に近いわ」


 ミレイヤの説明は残念ながら正しいと思われる。

 食堂までの道中、さり気なく脱出経路を探していたが、この拠点は複雑な地形をしている上に似たような構造物が多い。目印となるものを正確に把握しないと、現在位置すら見失ってしまうだろう。


「この地下にいる獣人は、皆、ミレイヤの仲間なのか」


「ええ」


「随分と規模が大きいな。王は何も対策してこないのか」


「王は慢心しているのよ。定期的に領民の資金を絞り取ることで、反乱分子の動きを防いでいるつもりなの」


「……王は、革命軍の存在に全く気づいていないし、恐れてもいないということか?」


「そういうこと。だからいつも、あれほど傍若無人に振る舞えるのよ」


 それはまた、随分と鈍感な王様もいたものだ。

 食事が終わると同時に、部屋の入り口で待機していたこちらに近づいて獣人が皿を片付け始める。

 透明なグラスを傾けて喉を潤した後、ミレイヤの方を見た。


「お前たち角翼の会は、爪牙の会と何が違うんだ」


「……ついて来なさい」


 そう言ってミレイヤは立ち上がった。

 食堂を出るミレイヤの後を追う。

 長い廊下を突き進むと、次第に歓声のようなものが耳に届いた。徐々にその声は大きく聞こえ、やがて耳を劈くほどのものとなる。


「ここは……」


 幾つもの灯りがその空間を照らしていた。 

 中央には石材が円形に敷き詰められており、更にその周りを囲むように客席が設置されている。まるで円形劇場のような場所だが、中心で繰り広げられているのは劇ではなく熾烈な戦いだった。二人の獣人が拳で強さを競い合い、観客たちはそれを見て盛り上がっている。


「闘技場よ」


 汗を飛び散らせる男たちを見ながら、ミレイヤは言う。


「さっきの質問に答えるけれど。……昨晩も言ったように、獣人は他の種族と比べて欲が強いの。特に、身体を使った欲はね」


「身体を?」


 ミレイヤは頷く。


「大地を駆け回り、空高く舞い、そして己の肉体ひとつで獲物を狩る。……狩猟民族である獣人は、戦うという行為にある種の神性を見出すの。だからこうして戦いの場を設けることで、獣人たちは本能の赴くままに肉体と精神を高めることができる。闘技場は獣人にとって欠かせない娯楽であり、伝統だった」


 だった(・・・)と言うことは、今は事情が異なるのだろう。

 ミレイヤは続きを語る。


「けれど、獣人たちの本能を過剰に尊重してしまうと、あちこちで争いが起きてしまう。それを防ぐために、先代王は闘技場の廃止を決意した。だから、ここにある闘技場は非公認……つまり違法な存在なのよ」


 争いを求める本能は、気性の荒さに直結するのかもしれない。

 違法な闘技場には、異様な熱気があった。


「先代王はそれ以外にも、狩猟の仕組みや道場の在り方についても口出ししてきたわ。……実際、それ以降は治安が向上したように思える。でも、その強引な改革を不満に思う者だって当然現れた。それが、私たち角翼の会なの」


 ミレイヤは俺の方へ振り返って言う。


「爪牙の会は、先代王が築いた安全な獣人領を取り戻す気よ。対し、私たち角翼の会はそれ以前の、もっと自由だった頃の獣人領を取り戻したいの」


 それが――二つの派閥の違い。

 どちらも現状を変える必要はあると思っているが、その先は違う未来を見据えている。


 客席へ向かうミレイヤについて行くと、幾つもの視線を注がれた。

 彼らにとって俺は次代の王候補だ。注目されるのは仕方ない。

 それにしては、どうも敵視されているような気もするが……。


「なんか、やたらじろじろと見られるんだが」


「私が貴方にベタ惚れしているという設定だから、皆、貴方のことが気になって仕方ないみたいね」


 しれっと言うミレイヤに、俺は顔を顰めた。


「なんでそんな設定を……」


「貴方の求心力を上げるためよ。リーダーが認める相手なら、部下たちも認めるでしょう? ……でも、ちょっと盛りすぎちゃったかしら。出会い頭に一目惚れして、その日のうちに身も心も捧げて、今では奴隷のように尽くしているという設定なのだけれど」


「盛りすぎだろ!」


 どうりで恨みがましい顔で見られると思った。

 結果的に求心力が下がっている気がする。


「……居たたまれないから、他の場所に移動してもいいか?」


「駄目よ。貴方にはここでしてもらいたいことがあるから」


 ミレイヤの言葉に首を傾げる。

 その時、大柄な男が近づいてきた。


「お嬢。そいつが王の卵ですか?」


 黒い髪をした、筋骨隆々の男だった。

 男は俺の方を見てミレイヤに問う。


「ええ、そうよ」


「……信じられません。こんな脆弱な見た目で」


「貴方と比べれば皆、脆弱に見えるわよ。グラセル」


 溜息混じりにミレイヤが言う。

 良く見れば男の背後に、小柄な少女が隠れていた。男の背に隠れる少女は警戒心を露わにして俺を睨んでいる。


「紹介するわ、角翼の会の主戦力となる二人よ」


 ミレイヤがそう言うと、男が俺の前に出た。

 続いて、少女の方も不承不承といった様子で現れる。


「グラセルだ」


「……エミィです」


 見たところグラセルはゴリラの獣人、エミィは鳥の獣人だ。鳥の種類は分からないが、エミィは青い髪に白い翼を生やしている。


 あまりじろじろと見るのも失礼かもしれない。そう思って視線を逸らしたが、一方のエミィは眦鋭く俺を睨んでいた。


「貴方が、例の……ッ!」


「……?」


 強い嫌悪の感情を向けられるが、心当たりはない。

 困惑しているとミレイヤが助け船を出す。


「エミィ、そんなに睨んじゃ駄目よ」


「で、ですがっ」


「駄目ったら駄目よ」


 微かに迫力を増して告げるミレイヤに、エミィは「……はい」と小さく言った。


「本当はあと一人、オッドという獣人がいて、ここにいる二人と彼を合わせて三人衆と呼んでいるのだけれど……今はいないようね」


「オッドは今、訓練場で兵士を扱いている最中かと」


「相変わらず後進の育成に余念がないわね」


 グラセルの説明を聞いて、ミレイヤは嘆息する。


「さて……これからケイルには、この闘技場で三人衆と戦ってもらうわ」


 唐突なミレイヤの提案に、俺は目を丸くした。

 グラセルとエミィは既にこの話を承知しているのか、特に驚くことはない。


「なんで俺が、そんなことをしなくちゃいけないんだ」


「貴方の格好いいところを見たいからよ」


 ふざけた言葉が返ってくる。

 この要求に応える必要はない。そう判断して唇を引き結んだ俺に、ミレイヤはそっと耳打ちしてきた。


「夜這うわよ」


 背筋が凍る。

 ミレイヤは、硬直する俺の肩に手を置いた。


「昨日と同じように、今夜も媚薬を使ってあげる。次は獣人にも効く薬よ……私も一緒に付き合ってあげるわ」


「……俺が抵抗しないとでも思っているのか」


「貴方が眠ってから行動を起こすわ。眠らないと言うなら、また今度にしてあげるけれど……私は何日でも待つわよ?」


 地の利も時の利もミレイヤ側にある。

 非常に、この上なく、複雑な胸中だった。いっそ開き直って役得と受け入れてしまいたい。獣人になったことで欲が膨らんでおり、夜這いのことを考えると頭がクラクラとしてしまう。


 でも――駄目だ。

 昨日、理性が働くうちに結論を出した筈だ。この一線は超えてはならない。二度と戻ってこられなくなる。


「自信がないのであれば、辞退しても構わないぞ」


 その時、グラセルが嘲笑と共に言った。


「はっきり言おう。我々がお前に求めているのは、お飾りの王だ。偶々"格"が高いだけの獣人に、最初から大した期待などしていない。……爪牙の会では丁重にもてなされたらしいが、我々をあのような軟弱な組織と一緒にしてもらっては困る」


 そう言ってグラセルは軽く周りを見回す。

 俺たちの会話を盗み聞きしていたらしい数人の獣人たちが、不機嫌そうに俺を睨んでいた。


 薄々、予想はしていたが俺は歓迎されていないらしい。

 別に歓迎されたいわけでもない。彼らの敵意を受けたところで痛くも痒くもなかった。


「戦いを挑まれて臆するとは……武と共に生きる獣人として、恥ずかしくないのか?」


「……安い挑発だな」


「ふん、張るべき意地すら持ち合わせていないようだな。お嬢には悪いが失望した」


 張って欲しい意地、の間違いだろう。

 生憎、外では未だに「落ちこぼれ」と罵られている身だ。

 自慢ではないが、挑発には慣れている。

 しかし――。


「……やればいいんだろ、やれば」


 溜息混じりに告げる。

 挑発に乗ったつもりではないが、夜這いは本当に止めて欲しい。


「投げ遣りね。一応言っておくけれど、わざと負けるとかはなしよ?」


「分かってる。……どうせ戦うなら、勝つつもりでやらせてもらう」


 最悪の場合を想定する。

 いつまでもこの地下空間に閉じ込められているわけにはいかない。いざという時は、強行突破で外に出ることも検討しなくてはならないだろう。


 三人衆とやらは角翼の会の最高戦力らしい。

 なら、いざという時のためにもその三人の強さを見極めておく必要がある。


 どのみち、ここで三人に勝てないようであれば、俺は地力で外に出られない。


「それじゃ準備してくるから、少し待っていてちょうだい」


 ミレイヤが上機嫌に言ってどこかへ向かった。

 俺とグラセル、エミィの三人がこの場に残る。


「勝つつもりか。……自惚れも甚だしい。恥を曝すだけになるぞ」


 こちらを見下すような目でグラセルは言う。


「……無駄な挑発はもうしなくてもいい」


「なに?」


 昨晩、俺は人間用の媚薬を無効化するために、能力の効果を高めた。

 その結果、俺の獣人としての性質はより濃くなっている。

 勿論、獣人としての欲求も強くなっていた。


 ――暴れたい。

 

 地平線の果てまで駆け巡り、水平線の向こうまで飛び回りたい。

 獣人としての本能が戦いを肯定する。

 武を以て敵を征する素晴らしさを本能が訴える。


 戦いを挑まれて臆する?

 冗談だろ。

 こっちはさっきから、ずっと我慢していたんだ。


「――後悔するなよ?」


 無意識に口角が吊り上がる。

 暴力的な衝動が、自分の中で少しずつ膨らんでいた。



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