25「角翼の会」
兎の獣人ミレイヤは、俺を担いだまま軽やかに駆ける。
柵のない吊り橋を走り抜け、建物の屋根を転々と飛び移る彼女に、領民たちは全く気づかない。
「お前……俺を、何処へ連れて行く気だ……」
「口を閉じないと、舌、噛んじゃうわよ」
大声で叫んでやろうと思ったが、頭が怠くてうまく口を動かせなかった。
長い間、景色が目まぐるしく変わっていたが、暫くするとミレイヤは足を止める。
「こ、こは……」
獣人領は沢山の大樹を柱として活用することで、立体的に広がった街並みとなっている。
しかし目の前には、他の大樹よりも更に一回り大きな樹木が聳えていた。仰ぎ見ても頂上が見えない。背の高さも幹の太さも随一だ。
その樹木の側面に、大きな横穴が空いている。
「面白いでしょう。この先に私たちの隠れ家があるのよ」
そう言ってミレイヤは横穴に入る。
すると、外から見ている分には気がつかなかったが、地下へと続く空洞を発見した。慣れた動作でミレイヤはその空洞へ入り、内側に取り付けられた足場に何度か着地しつつ地下へと下りる。
やがて辿り着いたのは、大きな地下空間だった。
天井や壁面には、大樹の根が張っている。その凹凸を利用して灯りが設置されており、地下全体が明るく照らされていた。
「お嬢が帰ってきたぞ!」
入り口付近で待機していた獣人の男が、ミレイヤを見るなり叫ぶ。
すると、どこからか大勢の獣人が現れた。
「お嬢! そいつが例の!?」
「ええ。王の卵よ」
ざわざわと観衆がどよめく。
好奇、期待、疑念、嫌悪、様々な視線が突き刺さっていた。しかし今はそういう視線を気にする余裕がないくらい、頭が重たい。
「部屋の用意はできてる?」
「は、はい。あちらに……」
「ありがとう。じゃあ明日の朝まで、私と彼の二人きりにさせてちょうだい」
ミレイヤが言うと、指示を受けた獣人が一瞬、驚いてからすぐに頷いた。
地下空間は奥に進むほど道が舗装されており、やがて移住区のような場所へ運び込まれる。
「うふふ、驚かせちゃったわね」
俺を担ぎながら、ミレイヤは笑みを浮かべた。
「私はミレイヤ。見ての通り兎の獣人よ」
そう言えば本人から名を聞くのはまだだったか。
そんな風に思う俺に、ミレイヤは続けて言った。
「そしてここは――角翼の会。革命軍、過激派とも言われているわ」
◆
注目を浴びながら移住区を進んだ後、ミレイヤは突き当たりにある部屋の扉を開いた。
部屋はとても広い。床には赤絨毯が敷かれており、向かって左には革製のソファと暖炉、右側には大きなベッドが一つ置いてあった。
「随分と、豪華な部屋だな」
「私たちの愛の巣よ」
ふざけた返答だった。
真面目に受け取る必要はない。
「お前……何者だ」
「さっきも言ったでしょう。私はミレイヤ。角翼の会のリーダーよ」
リーダーであることは今、初めて聞いた気がする。
顔立ちからしてミレイヤはまだ若い。外には年老いた獣人も大勢いたが、若い女性であるミレイヤがまとめ役を担っているらしい。
「角翼の会……? 爪牙の会とは違うのか?」
「革命軍にも派閥があるのよ。私たち角翼の会は、リディアが率いる爪牙の会とは別の未来を見据えている。……要するに、革命後の実権を二つの派閥で取り合っているわけ。そしてそのキーとなるのが貴方よ、ケイル=クレイニア」
どうやらミレイヤは俺のことをある程度、知っているらしい。
ミレイヤは俺をベッドに下ろす。
「……俺をどうするつもりだ」
「勿論、王になってもらうわ。正確には私たち角翼の会にとって都合の良い王に」
角翼の会がどういった思想で動いているのかは知らないが、俺は彼女たちの傀儡となる気は全くない。
立ち上がって、部屋を出ようとすると――激しい目眩がした。
「ぐ……っ!?」
「無茶しないことね。まだ頭もうまく回らないでしょう?」
ミレイヤに両肩を軽く押され、再びベッドに腰を下ろす。
「……さっき、俺に何を嗅がせた」
「び・や・く」
艶めかしい呼気と共に、ミレイヤは言う。
「お、お前……なんてものを……!」
「身体能力の高さで知られる獣人だけど、実は弱点も結構あるのよ。その最たる例が薬品ね。……獣人の嗅覚は人間と比べて遥かに鋭いの。それを利用した薬は有効な手だわ」
「薬が獣人に有効なら、なんでお前は平気なんだ……お前も嗅いでいただろ」
「獣人には効かない、人間用の媚薬を混ぜたのよ。貴方、まだ準眷属なんでしょう? だったらこっちも効くかと思ったけれど、想像以上に効果覿面みたいね」
「……くそっ」
丁寧に説明してくれるミレイヤだが、俺はそれどころではなかった。
慌ただしくて今まで気づかなかったが、ミレイヤの服装は露出度が高い。胸元は開いており、下半身もスカートのスリットによって足の付け根が見えている。
「貴方がこの領地に来てから、ずっと陰で様子を窺っていたわ。どうやら王になる気はないらしいけれど、それなら貴方が納得するだけの見返りを提示すればいいだけよ」
「見返り……?」
「私を好きにしていいわ」
シュルリと衣擦れの音がした。
思わず目を逸らす。
「や、やめろ……」
「私だけじゃない。好きなだけ愛人に囲まれる生活を保証してあげる」
「そんなもの、いらない……」
「そう言っていられるのも今のうちよ」
妙に自信に満ちた様子でミレイヤは言う。
「今はまだ辛うじて自制できているようだけれど、獣人の欲はとても大きいのよ? 食欲も睡眠欲も性欲も……ふとした時に爆発する。だからこそ、それが満たされた時の快楽は格別なの」
ミレイヤが、細長い指で俺の顎を持ち上げた。
「貴方はまだ、その快楽を知らないだけ。一度知れば……必ず病みつきになるわ」
気に入らないが、ミレイヤの言葉が事実であることは俺の本能が理解していた。
このまま彼女に身を委ねれば、どれだけ心地よいだろうか。想像するだけでも理性が蕩ける。
しかしその先は地獄だ。
一度足を踏み入れば、二度と帰ってこられない地獄である。
「貴方の服も脱がせてあげる」
ミレイヤが耳元で囁く。
理性を掻き乱す淫靡な声音だった。
――人間用の媚薬が使われているということは。
ミレイヤの言葉を思い出し、俺は掠れた思考を呼び起こす。
この状況を脱する手立てを思いついた。
――俺がより、獣人に近づけば無効化できる。
身体の中で巡る、アイナから与えられた獣人の力を意識する。
これまでの経験から、俺は自身の能力である【素質系・王】の性質を理解していた。
俺の能力は可能性が分岐している。
例えばミュアの【素質系・剣】という能力は、将来、凄腕の剣士になるという未来が約束されているものであり、こちらは可能性が収束していると言ってもいいだろう。
しかし俺の能力である【素質系・王】は、将来どの王になるのか定まっていない。
素質系の能力であるにも拘らず、未来があやふやなのだ。
ミュアは素質系の能力を、定められた運命に引っ張られる力だと言っていた。
だが俺の能力は少し違う。
俺の能力はある程度、可能性を選択できる。
――獣人王の素質ッ!
可能性をひとつ選択する。
イメージするのは遥か未来。獣人王となった自分だ。
その自分から力を貸してもらう。
潜在能力の前借りを、意図的に引き起こす。
すると――身体の奥底から、膨大な力が溢れ出た。
「っ!? 流石は、王の卵ね……ッ!」
自身の"格"が膨れ上がったことを自覚する。
身体が軋んだ。肉体がより強靱なものへと変化し、心身ともに獣人へと近づいている。
同時に意識も少しずつ鮮明になっていく。俺が獣人に近づいたことで、人間用の媚薬が効果を失ったのだ。
「仕方ないわね……」
ミレイヤがサイドテーブルからガラス瓶を取り出し、蓋を開ける。
そして、中の液体を強引に俺の口へ注いだ。
途端、意識が急速に薄れていく。
「安心しなさい。こっちはただの睡眠薬よ」
その言葉を聞くと同時に、俺は意識を失った。




