24「夜の急襲」
獣人たちの革命に参加する気は、今のところない。
リディアさんたちもなんとなくそれを予想しているのか、あまり返答を急かすことはなかった。それでも俺とクレナの滞在を許してくれるのは、純粋な善意によるものだろう。爪牙の会の人々も、本当は争いを求めているわけではないのだ。
夕食を済ませた後、アイナがテラスの方へ向かったことに気づいた。
王と争ってから元気がない。少し心配になった俺は、彼女を追ってテラスへと向かう。
「アイナ」
「……ケイル」
夜空を仰ぎ見ていたアイナが振り返る。
「身体はもう大丈夫なのか」
「平気。獣人は傷の治りも早いから」
そう言ってアイナは自らの腕を軽く撫でた。
確かに傷はもう殆どない。獣人の中でも比較的"格"が高いアイナは、それだけ自然治癒力も高いのだろう。
「ごめんなさい」
不意に、アイナは謝罪する。
「本当は、もう少し後で事情を説明するつもりだった。……こんなすぐに巻き込むつもりはなかった」
その説明に俺は納得した。
爪牙の会は、王の素質を持つ俺に、この獣人領を気に入らせるよう様々な工夫を凝らしていた。初日の華々しい歓待や、複数の女性による夜這いもその一環だろう。本来ならもっと慎重に事を運びたかった筈だ。しかしトラブルが生じて、俺が獣人領を気に入る前に事情を話さざるを得なくなってしまった。
「アイナは、俺を獣人の王にするために、今まで俺と一緒に行動してきたのか」
「ええ」
「吸血鬼領に向かった時も、サバイバル演習で一緒に戦った時も……全部、この日のためだったのか?」
「そうよ」
短い肯定ばかりが返ってくる。
思わず、溜息を吐いた。
「怒ってる?」
「いや……怒ってはいない。ただ、残念だ」
俺は視線を逸らしながら続けて言った。
「俺はアイナのことを、普通に仲の良い友人だと思っていた。多分、クレナも同じだ。なのに……アイナは打算で俺たちと関わっていただなんて、正直あまり知りたくはなかった」
アイナにも複雑な事情がある。そう思うと憤慨することはない。
ただ、打算で近づかれていたと考えると、やはり複雑な気持ちになる。
「十歳の頃、友人が王の部下に攫われた。その子は今も館に捕らわれている」
呟くように、アイナは語った。
「十二歳の頃、学園の初等部を卒業して久々にこの領地へ帰ってくる途中、夜逃げする家族とすれ違った。彼らはすぐ兵士たちに捕らわれて、それから一度も姿を見せていない」
視線を落としながらアイナは続ける。
「獣人領では、こういうことが日常茶飯事になっている。……ケイルには悪いけれど、とても友人を作れる状況ではない」
感情が表に出ないだけで、アイナは色んなものを抱えているようだった。
不幸な目に遭っている仲間たちを見捨てて、自分だけが幸せになることを許せなかったんだろう。
「アイナは昔、王のもとで働いていたんだよな?」
「……リディアから聞いたのね」
首を縦に振り、俺は続ける。
「アイナから見て、あの王はどんな感じだ。悪逆非道という噂だが……」
「その話は、あまりしたくない」
やや強い口調でアイナは切り捨てる。
詮索はやめた。しかし正直なところ、俺はこれが一番知りたいことだった。
――悪逆非道な王が、道に迷った人間を助けるだろうか?
違和感は依然として拭えない。
あの王が、噂通りの男だとどうしても思えない。
眉間を指で揉む。今日一日、色んなことを考えすぎたせいで頭が重たかった。
この違和感は保留にして、アイナの方を見る。
「もし俺が協力を拒んだら、アイナはこれからどうするんだ?」
「……分からない。ただ、とても困る」
微かに落ち込んだ素振りを見せて、アイナは言う。
「ここ数年、活動して理解した。王の代わりなんてそう見つからない」
アイナは言った。
「貴方と出会えたのは奇跡に等しい。……その奇跡が、もう一度起こるとは思えない」
素直に喜べない奇跡だった。
クレナの母が言っていた通りだ。俺の能力――【素質系・王】はかなり希少性が高い。それ故に多くの種族から注目される。
最初にその実感を持たせてくれたのがアイナで良かったかもしれない。同じ学び舎で過ごしている彼女なら、まだ気心も知れる。
「返答を急かす気はないけれど、保留のまま帰すつもりはないから。できれば、真剣に考えてちょうだい」
そう言ってアイナは踵を返す。
彼女の言葉をしかと胸に受け止めながら、俺も部屋へ戻った。
「……どうするかな」
俺にしかできないことは確かにある。
だからと言って、安易に革命に協力する気はない。
いつまで獣人領に滞在できるのかは知らないが、もう少しここで獣人たちの暮らしを観察したい。悠長にしているとまた王の部下が迷惑をかけてくるかもしれないが、余所者の俺はできるだけ慎重になった方がいい。でないと、何が正しいのか判断がつかなくなる。
ベッドに横たわり、瞼を閉じるとすぐに眠気がやってきた。
少しずつ意識が薄れていく、その時――。
「…………?」
もそもそと蠢く何かに気づき、目を開ける。
そこには二本の、縦長に伸びた白い何かが見えた。
微かな温かさを持つそれを、不思議に思いながら軽く摘まむ。
「やんっ」
妙に艶めかしい声がした。
「あら、目が覚めたようね」
胸元から声が聞こえ、視線を下げる。
そこには、桃色の髪をした獣人の女性がいた。
女性の頭部からは二本の白い耳が生えている。兎の獣人だ。先程、俺が触ったのはこの耳だったらしい。
驚愕と同時に、俺は勢い良く布団を捲って後退した。
「だ、誰だ、お前!?」
「誰だっていいでしょう。それよりも――」
女性が胸の谷間から小さなガラス瓶を取り出す。
その蓋を開けると、桃色の煙が出た。
「ほら――もっと嗅いで?」
抵抗するよりも早く、桃色の気体が鼻孔を突き抜けた。
瞬間、頭が重たくなる。
「こ、れは……」
呻きながら辺りを見回した。
今まで気づかなかったが、既に俺の部屋はこの気体で充満していたらしい。いつからだろうか。そう言えばベッドに寝そべる前から頭が重たくなっていたような気がする。もしかすると俺が寝る前から仕掛けられていたのかもしれない。
今回の夜這いは中々手強い。
いや……ただの夜這いがこんな怪しげな薬品を使うだろうか。
もしかすると自分は今、危機的状況に陥っているのかもしれない。
これが罠だとしたら、目の前の女性は誰の差し金だ。まさか獣人の王か? 先刻の報復に来たのだろうか。
鈍化した思考をぐるぐると回し、様々な仮説を立てる。
その時、勢い良く部屋の扉が開かれた。
「妙な臭いがすると思ったら……」
部屋に入ってきたアイナは、ベッドの上で密着する俺と女性を目の当たりにして顔を顰めた。
「久しぶりね、アイナ」
「ミレイヤ……どういうつもり?」
冷たい声音でアイナが訊く。
ミレイヤと呼ばれた兎の獣人は、挑発的な笑みを浮かべて俺にしなだれかかってきた。
「王の卵をここまで連れてきたことに関しては礼を言うわ。でもね、アイナ。色気のない貴女に男を誑かすことなんて無理よ」
そう言ってミレイヤは俺に口づけする。
唇の柔らかい感触が伝わり、一瞬、俺の頭は真っ白に染まった。
「――っ!?」
「初心ねぇ。アイナじゃなくて私と出会っていれば、毎日のようにシテあげたのに」
舌なめずりしたミレイヤは、俺の身体を軽々と持ち上げる。
同時に窓を開いたミレイヤは、軽くアイナを睨んだ。
「アイナ、じれったい貴女が悪いのよ。――王の卵は貰っていくわ」
そう言ってミレイヤは、俺を担ぎながら窓から外へ飛び降りた。




