23「完全獣化」
獣人の種族特性は、身体能力の大幅な向上と、自然治癒力の向上である。
これらの特性は、獣の強靱な肉体の性質を引き継いだものとされているが、一部の獣人はその強靱な肉体そのものを再現することができる。
それが、獣化。
自身の肉体を獣の姿に変えること。
獣人たちの間で、この力は――本来の姿に戻る能力と言われていた。
「完全、獣化……っ!?」
王を守っていた兵士たちが狼狽する。
彼らは『部分獣化』こそできても『完全獣化』はできないらしい。
『去れ』
巨大な虎が告げる。直後、その重圧に兵士たちが鼻白んだ。
明らかに今のアイナは、人間の姿の時と比べて"格"が増している。
これが獣化の力……。
獣人は、獣化によって自身のあらゆる能力を底上げできるらしい。元々、同世代の亜人と比べて抜きん出た強さを持っていたアイナが、今では更に一線を画した強さを醸し出している。
「へ、陛下、お下がりください!」
「ここは我々が――ッ!!」
手足を獣の姿に変えた兵士たちが、アイナを包囲する。
獅子の足を持った兵士が強く地面を蹴り抜き、虎と化したアイナの懐に潜り込んだ。同時に翼を生やした兵士がアイナの頭上へ回り、側頭部へ槍を放つ。
しかし、放たれた槍はアイナの身体を貫かなかった。
黄金の獣毛が槍を弾き、兵士たちが目を見開く。
刹那、虎と化したアイナは腕を軽く横に薙いだ。
「ぐあっ!?」
暴風が吹き荒れる。
激しい衝撃に、兵士たちは耐えきれずに悲鳴を上げて吹き飛んだ。
『去れ!』
先程よりも強い語気でアイナが告げる。
傷ついた兵士たちはすっかり恐怖に顔を引き攣らせ、戦意を失っていた。しかし、それでも王の前で逃げ去ることはできないのか、青褪めた顔で棒立ちしている。
だが、圧倒的な暴力を目の当たりにしても全く動じていない者もいた。
獣人王。灰色の外套を纏ったその男は、巨大な虎と化したアイナを冷めた眼で見据える。
「小娘が――」
王が一歩前に出ると、アイナは咆哮と共に威嚇した。
それでも歩を止めない王へ、アイナは前足を振り下ろす。
吹き荒れる風によって、王の纏う外套が捲れた。
現れた王の素顔が――一瞬、人から獣のものへと変化する。
「――身の程を知れ」
王が冷酷に告げると同時に、アイナが地面に叩き付けられた。
雷が落ちたかのように大きな音が響く。足場となる木々が激しく揺れ、俺は膝をついた。
『ガ、ァ……ッ!?』
「アイナ!?」
信じがたい光景だった。
王は、『完全獣化』によって巨大な虎と化したアイナを、片腕で軽々しく叩きのめした。
力量の差があまりにも大きい。
学園では敵なしだったアイナが、いとも容易く無力化されてしまった。
――これが亜人の王。
今まで、クレナやアイナたちから亜人の王について話は聞いていた。
彼女たちの言葉を、漸く実感と共に理解する。……確かにこれは太刀打ちできない。抗う意思を持つことすら難しい。これほど圧倒的な力を見せつけられれば、敵対なんて考えは頭から抜け落ちる。
「行くぞ」
王が踵を返す。その顔は人間のものに戻っていた。
今のも獣化の一種だろうか。狼狽する兵士たちは、すぐに王の後を追った。攫おうとしていた女性のことはもういいのか、その場で放される。
王たちが去った後、巨大な虎の肉体が縮小して元のアイナの姿に戻った。
服が消え、裸になったアイナへ、リディアさんが素早く外套を投げ渡す。
傷だらけになった身体を隠したアイナへ、リディアさんは心配そうに歩み寄った。
「アイナ、無事ですか」
「……ええ」
リディアさんは小さく溜息を吐く。
「少し頭を冷やしなさい。貴女は革命の中心となる、大事な戦力です。下手に動けば、敵は今まで以上に警戒してしまいます」
リディアさんの言葉にアイナは首を縦に振り、その場を後にした。
「アイナ――」
「そっとしてあげてください」
どこかへ向かうアイナを追おうとすると、リディアさんに呼び止められる。
「アイナは……かつて、あの忌々しい王のもとで働いていたのです」
「そう、なんですか?」
リディアさんが頷く。
「孤児だったところを王に拾われ、それから長い間、王の護衛として過ごしていました。しかし王の悪政についていけず、抜け出したところを私が保護したのです」
話を聞いて、俺は少しだけアイナの強さに納得した。アイナは強さは獣人としての能力だけではない。実戦の時の器用な立ち回りもそのひとつだ。かつて王の護衛として働いていたアイナは、ただの学生と比べて遥かに実戦慣れしているのだろう。
「王は、アイナのことをどう思っているんですか。取り返そうとしているわけじゃあ……」
「いえ……この件については、既に終わった話です。法外な額を払うことになりましたが、この獣人領でアイナに同情しない者はいません。多くの方が協力してくれました」
アイナのことを語るリディアさんの目は、我が子を慈しむ母のようだった。
「恐らくアイナは、王に散々虐げられてきたのでしょう。……あの子の王に対する憎しみは、きっと私たちの想像を絶します」
今はそっとしておくしかない。
暗にそう告げて、リディアさんは去っていった。




