15「お嬢様ゆえに」
白いベッドの上で、ファナはくぅくぅと小さな寝息を立てて眠っていた。
漸く落ち着いた彼女の様子に、俺とクレナはほぼ同時に吐息を零す。
「ごめんね、その……色々と」
クレナが苦笑して言う。
ファナとの勝負が終わった後。一頻り泣き続けたファナは、急に張り詰めていた糸が切れたように、パタリと倒れて動かなくなった。医者に診せるべきかと俺は焦ったが、クレナ曰く、単に疲れて眠っているだけらしい。
気を失ったファナをクレナの部屋に運び、ベッドに寝かせた後。
俺は、静かに眠るファナを見ながら、クレナに質問した。
「こういうこと、偶にあるのか?」
「うん。まあ、その……ファナちゃん、根は凄く良い子なんだけど。なんていうか……ちょっと、使命感が強すぎるところがあって……」
そう言って、クレナは自分のベッドに腰を下ろした。
俺の借りた部屋と違い、クレナの部屋には二人分のベッドがあった。部屋を借りる際、ファナが「護衛である自分はクレナ様と同じ部屋に泊まるべきだ」と主張したからだ。結局、その護衛は今、主よりも先に眠ってしまったため、同じ部屋にする意味はなかったような気もする。
「隣、座ったら?」
「……ああ」
クレナに促され、俺は彼女の隣に腰を下ろした。
「前に私が、周りに内緒で吸血鬼領を出てきたって言ったこと、覚えてる?」
「ああ。そうでもしなければ、抜け出せなかったと言ってたな」
「うん。……あんまり、こういうことを言うのもなんだけど。その最大の理由が、ファナちゃんなの」
クレナは落ち着いた声音で語った。
「ファナちゃんは、私が王都の学園に通うことに反対だった。それどころか、吸血鬼領から出ること自体に反対だった。――当たり前なんだけどね。ファナちゃんは私の護衛なんだから、私が危険な目に遭うかもしれない行動に、賛同する筈がない。
それでも私は外に出たかったの。守られる生活だけじゃ、手に入らないものがあるって、なんとなく知ってたから。だから、なんとかファナちゃんを説得したかったんだけれど……やっぱり、納得してくれなくて。それで、私一人で、こっそり吸血鬼領を出てきたの」
そう言って、クレナは立ち上がり、ファナの方へ近づいた。
「……不安にさせちゃったよね。ごめんね、こんな面倒なご主人様で」
優しげな瞳でファナを見つめながら、クレナはその頭を軽く撫でる。
ファナの表情が安らいだような気がした。
「クレナは……束縛が嫌で、吸血鬼領を出たんだよな」
「うん」
「でも、分家なんだろ? ファナのこともそうだが……分家でもそんなに束縛が強いものなのか?」
あまり貴族社会というものに詳しくないため、俺にはイマイチ想像がつかなかった。クレナは吸血鬼社会において、どのような立ち位置にあるのだろうか。
クレナは再びベッドに腰掛けて答える。
「分家と言っても、私、先代王の孫だよ?」
「え」
とんでもない回答が述べられ、俺は暫く思考を停止した。
先代王の孫? 目の前のクレナが?
分家という言葉に惑わされていた。クレナは正真正銘のお嬢様だ。
「うーんとね、どこから話せばいいのかな。……吸血鬼の世界にも、王位継承争いというものがあるの」
「……亜人の王には、最も"格"の高い人物が選ばれるんじゃなかったのか? それなら、王位継承権というもの自体が存在しない筈じゃ……」
「うん。だから厳密には、王家継承争いかな」
クレナが説明する。
「最も"格"の高い人物が王になる。これは間違いないよ。でも、その王の肉親が王家になるわけじゃない。王家は別に用意されていて、王はそこの養子になるの。……だって、そうでもしないと政治が上手く回らないからね。王に必要なのは"格"だけど、その臣下には強さとか賢さとか、色んなものが求められる。そういうのを王の肉親が必ず持っているとは限らないから、別々で用意する必要があるの」
「……成る程」
つまり。王家継承争いとは、どの家が一番、王を迎えるに相応しいのかを競い合っていることになる。
「王家の当主は、王父と呼ばれていて……まあ文字通り、王の父親役という意味だね。この王父は今、先代王が務めているの。でね、この先代王には、二人の妻がいた。だからここで、王母……王の母親役は、どちらの妻が担うかという争いが起きちゃったの。
私の祖母は、先代王の第二夫人だった。でも争いの結果、祖母は敗北した。先代王の第一夫人が王母となり、そして今、王父と王母の養子として、現吸血鬼王が存在している。
もっとも、敗北したからと言って、死ぬわけじゃない。祖母の家系……ヴァリエンス家は分家となったけれど、それでも祖母は普通に、先代王との間に娘を生んだ。それが私のママなの」
クレナの母は、先代王の娘だ。
つまりクレナは――人間社会における、公爵家の長女に該当する。
「そりゃあ、束縛も強くなるか……」
公爵家と言えば、王家の次に偉い貴族だ。
平民である俺にとっては、雲の上の存在である。実際の公爵家がどんな暮らしをしているかは不明だが……少なくとも、普通の暮らしはできないだろう。
「でも、今は少し後悔してる。……吸血鬼領を出た私は、早速、帝国の軍人に襲われた。帝国軍は私が思っている以上に、私の血に執着していた。……誰も守ってくれない、一人だけになって、漸く初めて気づいたの。私、自分一人じゃ何もできないんだなって。……やっぱり私には、ファナちゃんが必要だった。もっと、ちゃんと、話し合えば良かった……」
クレナの言葉を、俺はただ黙って聞き届けた。
王都に辿り着くまでにも、何度か襲撃されたのだろう。その過程で心境の変化があったのかもしれない。
「ケイル君。本当に、ありがとね」
不意に。クレナが感謝を述べた。
「……なんだよ、急に」
「急じゃないよ。私、ケイル君には本当に感謝しているの」
クレナが視線を落として言う。
「初めて会った時は、ただ私が、一方的に巻き込んだだけなのに。その後も、護衛を引き受けてくれたし……今日も私に合わせて、吸血鬼領までついて行くって言ってくれたし……本当に、感謝してるの」
クレナは続ける。
「ファナちゃんを悲しませたのは後悔してる。でも、やっぱり吸血鬼領を出て、学園に通ったのは正解だったと思う。体育祭、文化祭、修学旅行、武闘祭……全部、とっても楽しそうだもん。早く明日が来ないかなって思ったのは、本当に久しぶり。……私が今、こんな気持ちでいられるのも、全部ケイル君のおかげだよ。ケイル君がいなかったら、今頃、私は帝国に捕まっていたと思う。そしたら……学園に通うこともできなかった」
そう言って、クレナは俺の方を見た。
「だから、ね。……私、ケイル君に何かお礼をしたい」
「お礼って……報酬のことは、もう決めてあるだろ」
「一日につき金貨五枚なんて、全然足りないよ。報酬とは別の……私の気持ちを、受け取って欲しいの」
クレナの純粋な気持ちを聞いて、少し心が揺れた。
きっとクレナは本気で俺に、感謝の念を抱いている。
しかしそれは――彼女だけではない。
「違う。……感謝しているのは、俺の方だ」
そう言うと、クレナが目を丸くした。
「あの日。クレナと出会うまで、俺はずっと惨めな人生を送ってきた。落ちこぼれと蔑まれて、色んな人に嫌がらせを受けて……。力のない俺には、やり返すことも、何処かへ逃げることもできなかった。……でも、クレナと出会ってから、少しずつ俺の人生は変わり始めた。ずっと俺を馬鹿にしてきた奴に決闘で勝つことができたし、生まれて初めてギルドにも登録することもできた。……全部、クレナのおかげだ」
ほんの数日前のことだというのに、とても懐かしい気分だった。
あの夜。クレナと出会わなければ――きっと俺は、今も灰色の日々を過ごしていたに違いない。
「だから、感謝しなくちゃいけないのは俺の方なんだ。……報酬なんて関係ない。俺はただ、クレナに恩返しがしたい」
真っ直ぐクレナの方を見て言う。
「クレナ、本当にありがとう。俺は、お前と出会えて良かった」
「ケイル君……」
クレナの瞳が、潤んだような気がした。
甘い香りがする。そう言えば、ファナはクレナが風呂に入っていると言っていた。ということはクレナは今、風呂上がりだ。上気したその顔はどこか色っぽく、艶のある朱唇に思わず目が釘付けになる。
長い睫毛に、あどけなさを残す純粋無垢な容貌。この少女はこんなにも魅力的だったのかと、今更気づく。転校二日目でファンクラブができるのも納得だ。
互いに、どちらからともなく顔を寄せ合う。
目が離せない。クレナの魅力に、吸い込まれる――。
「――クレナ様はぁ、私が守るんですぅ!」
ファナが唐突に叫んだ。
俺とクレナは、ほぼ同時に肩を跳ね上げ、硬直する。
ゆっくりとベッドの方へ視線を向けると……ファナは再び、寝息を立てていた。
「ね、寝言か……?」
「そ、そうみたいだね……」
鼓動が激しい。顔が一気に熱くなった。
俺は――何をしようとしたんだ。途端に恥ずかしくなってくる。
「じゃ、じゃあ俺は、そろそろ部屋に戻るから」
「そ、そうだね……明日も早いし」
動揺を押し殺して立ち上がり、ドアの方へ向かう。
「お、お休み」
「う、うん。お休み」
クレナと目を合わせられない。
ドアが閉まる時、
「……意気地なし」
クレナが小さな声で、そう呟いたような気がした。
ファナ、護衛成功……!
こういう焦れったいラブコメ……需要あるかなー? と思いつつ投稿しました。
サクっとイチャイチャさせた方がいいんでしょうか。
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