表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/106

32「エレミニアード=ヴィネ」


 頂点を決めるための序列戦が終わった。

 結果は、序列一位であるライガット=バアルの勝利。順位の入れ替わりは起こらなかった。


「……凄まじいな」


 リリとの対戦直後にもライガットの実力は垣間見たが、今回はよりはっきりとその力を目にすることができた。決着の付き方が特殊だったとはいえ、俺に勝ったウォレンを相手に完勝してみせるとは……。


「何が起きているのかすら、分からなかった。……あれが、序列一位か」


 リリの説明を思い出す。

 バアル一族のレベル2……《不可視の雷霆》。

 恐ろしい力だ。緊張のあまり、ゴクリと唾を飲む。

 その時、隣に座るエレミーが、青褪めた顔をしていることに気づいた。


「エレミー?」


「な、なんでしょうか、ケイル様?」


「いや……様子がおかしいと思って、声を掛けたんだが」


「そ、そんなことありませんよ~? 私は至って普通です!」


 取り繕ったような笑みを浮かべてエレミーは言った。

 詮索するにしても場所が悪い。序列戦が終わったことで、客席にいた生徒たちが一斉に帰路へついた。

 観客たちが演習場を去った後、残ったのは……床に倒れたウォレンの姿だった。


「……ウォレン」


 声を掛けると、ウォレンは小さく笑みを浮かべた。


「へっ……派手にやられたぜ」


 そう言って、ウォレンはゆっくりと立ち上がる。


「動いても平気なのか?」


「平気なわけねぇだろ。……あのクソ野郎、微塵も手加減しねぇから、呼吸するだけでも激痛が走りやがる」


 そう言いながらも、ウォレンはポケットに手を伸ばした。


「ほれ」


 ポケットに入れていたらしい一枚の用紙を、ウォレンは俺に手渡した。

 折り畳まれた用紙を開き、書面を読む。――序列委譲承諾書、と書かれていた。


「そいつにサインすりゃあ、今からてめぇが序列二位だ」


 どうやら双方の合意によって、序列を交換するための書類らしい。

 既にウォレンのサインは記されている。


 これにサインをすれば、いよいよ俺がライガットと戦うための準備が整う。

 俺はウォレンの手からペンを受け取り、その場でサインを記入しようとしたが――。


「ケ、ケイル様!」


 エレミーが、焦燥した様子で声を発した。


「その……今でなくても、いいのではないですか?」


「……それは、まあ、そうかもしれないが」


「ウォレン様も疲れていると思いますし~……ここは一度、持ち帰って検討いたしましょう!」


 冷や汗を垂らしながらエレミーは言う。

 俺は無言でウォレンと顔を合わせた。ウォレンが頷く。今この場で結論を導く必要はなさそうだ。


 書類を再び折り畳み、ポケットに入れた。

 冷静に考えればエレミーの言う通り、こんな大事なことを序列戦が終わった直後にするべきではないかもしれない。


「おい、メイド」


 帰路に着こうと踵を返した直後、ウォレンがエレミーに声を掛ける。


「うちの弟からある程度、事情は聞いている。……よく話し合って決めろよ」


 一瞬だけ俺の方に視線を向けながら、ウォレンは言った。

 立ち去るウォレンの背中は、戦いに敗れた男のものとは思えないほど大きく見えた。敗北してなお惨めに見えないとは……あれが本物の貫禄というやつなのだろう。


「……帰るか」


 その場でリリと解散し、俺とエレミーは家に帰った。

 帰り道、エレミーは一言も声を発さなかった。やはり様子がおかしい。


「ケイル様……その、ご提案があります」


 家に着いたところで、エレミーが言う。


「次の序列戦は……もう少し、後にしましょうっ!」


 無理に明るくしたような声音で、エレミーは告げた。


「ライガット=バアルが卒業するまで、まだ時間は十分ありますからね~! ケイル様はそれまでの間に、入念に準備を整えればいいんですよ~!」


 エレミーは明るく振る舞っている。

 だが、先程から血の気が引いた顔をしていた。


「……急に、弱気になったな」


「そ、そんなことありませんよ~! これはあくまで、戦略です!」


「そうか? いつもなら、すぐに序列戦を申し込ませようとするのに」


「それは、その……」


 エレミーが言い淀む。

 そして、訥々と本音を語り出した。


「ケ、ケイル様なら、楽勝だと、思ってたんです。ですが……ライガット=バアルは、私の想像を超える……化物でした」


 だから、ここは退くべきだとエレミーは言っているのか。


「俺の記憶はどうなる?」


「……ぁ」


「ライガットに勝たなければ、俺はずっと記憶喪失のままなんじゃないか?」


 その問いに、エレミーは気まずそうに視線を逸らす。

 その様子を見て、小さく溜息を吐いた。


「流石に俺も気づいている。……俺の記憶を奪ったのは、エレミーなんだろ?」


「な、なんのことでしょうか~?」


「ライガットを倒せば、俺の記憶は元に戻ると言っていたが……ただの記憶喪失で、そんな不自然なことは起きない。俺の記憶は意図的に失われたんだろう? 記憶を失った俺は今、ヴィネ一族のために悪魔学校へ通い、序列戦に勝ち上がっている。……今の俺は、ヴィネ一族にとって都合が良すぎるんだ。エレミーの裏に、誰かがいるかもしれないと思っていたが……その様子もないし、消去法でエレミーしかいない」


 こうして俺が序列二位となった今も、エレミー以外、分かりやすく俺に接触してくる相手はいない。

 強いて挙げるならリリだが、今の彼女が俺にとって無害であることは十分に伝わっている。


「……流石、鋭いですね~」


「よく言う。あんな分かりやすいことを言って……隠すつもりなんてなかっただろ」


「いえ、決してそんなことはありませんよ~。ただ……あの時は、ケイル様が序列戦に臨むモチベーションを確保するために、そういうことを言うしかないと判断しましたから~」


 諸刃の剣というやつだ。

 ライガットを倒せば俺の記憶は戻る。そう伝えられたのは、序列四位であるアルケル=ザガンを倒した後だった。


 アルケル=ザガンは、何の準備も整えていない俺に対し、奇襲を仕掛けた。今だからこそ言えるが、あれはかなり危なかった。ヴィネ一族の復興という実感のない使命のためだけに、あのような盤外戦術が常となる日常を歩むのは、流石にくたびれる。序列戦とは暫く距離を置いた方がいいかもしれない……そんな考えが脳裏を過ぎったのは間違いない。


 エレミーはそんな俺の心境を見透かして、記憶の件について話したのだろう。

 自分が疑われる代わりに、俺の序列戦に対するモチベーションを引き上げたのだ。


「エレミー。俺は、できるだけ早く記憶を取り戻したい」


 そんな俺の気持ちはとっくに分かっているだろうが、改めて言う。


「ぼんやりと思い出しつつあるんだ。……一緒に生きていた家族。苦楽を共にした仲間。そういう、大切な人たちを、いつまでも忘れたままではいられない」


 そう告げると、エレミーは視線を下げた。


「なら……どうして、私を倒さないんですか……?」


 囁くような小さな声音でエレミーは訊く。

 今にも泣いてしまいそうな様子だ。


「……この場で、俺がエレミーを倒したら、記憶は元に戻るのか?」


「さぁ~、どうでしょうね~……?」


 エレミーは頼りない笑みを浮かべた。

 その答えを誤魔化した態度に、俺は確信する。


 ――戻るのか。


 どうやらここでエレミーを倒せば、俺の記憶は元に戻るらしい。

 実を言えば、エレミーが記憶を奪った張本人であることは予想していたが、どうやって記憶を奪ったのかは皆目見当がついていなかった。倒せば回復するということは、俺の記憶喪失はエレミーの能力に関係しているのかもしれない。


 しかし、どのみち……その選択肢は持っていない。

 やるにしても、()ではない。


「記憶は元に戻したいが、ここでエレミーと戦うつもりはない」


 目を丸くするエレミーに、俺は続けて質問した。


「親天派と反天派の争いについては、事実なんだろう?」


「……はい」


「ライガットが、実は親天派で……このまま放置していると、いずれ悪魔は天使の支配下に置かれてしまう。……これも、事実なんだろう?」


「……はい」


 どちらの質問も肯定される。それなら――。


「つまり――俺がライガットを倒さないと、色んな悪魔が困るんだろう?」


 その問いに、エレミーは暫し逡巡した後、


「……………………はい」


 首を縦に振るエレミーに、俺は決意を固める。


「だったら、俺はエレミーに協力する」


「……え」


「ここまで巻き込まれたんだ。今更、見過ごせない。……ライガットを倒した後、記憶を返してくれるなら、それでいい」


 自分の考えを伝えると、エレミーは目を見開いて驚愕した。


「み、見過ごせないって……どうして、そんなこと言えるんですか……?」


 震えた声でエレミーが訊く。


「記憶を奪われて、ヴィネ一族にとって都合のいい駒にされて……なのに、貴方は私に協力してくれるんですか?」


「……エレミーが、悪い奴だとは思えないからな」


 今までのエレミーの振る舞いを見ているだけでも、それは十分伝わってくる。


「それに……鏡で自分の顔を見てみろ」


 俺は箪笥の上に置かれていた手鏡を、エレミーに渡した。

 不思議そうな顔で手鏡を受け取るエレミーに言う。


「そんな顔している人を、見過ごせるわけないだろ」


 手鏡に映る自分の顔を見て、エレミーはぎょっとした。

 その顔は酷く青褪めており、今にも倒れそうなくらい絶望に浸っていた。本人は自覚していなかったのだろうが、下校中からずっとその調子だ。


 エレミーの願いは決して自己中心的なものではない。

 そして俺は、彼女がずっと必死だった(・・・・・)ことに気づいている。


「……うひっ」


 エレミーの口から変な声が漏れた。


「うひっ、ひひひっ……! あぁ……よく分かりました。分かりましたとも」


 エレミーは笑う。

 しかしそれは罪悪感に塗れた、歪んだ笑いだった。


「ケイル様は……きっと、今までもそうやって、誰かを助けてきたんでしょうね。……その強さが、私はずっと欲しかったんです」


 羨望の眼差しをエレミーは注いでくる。


「記憶を盾にしなくても、俺はエレミーの力になる。だから……隠していることを、全部話してくれないか?」


 真っ直ぐエレミーを見つめて言う。

 エレミーは、ゆっくりと首を縦に振った。


「……最初に、私の正体をお伝えします」


 そう言ってエレミーは、何故か洗面所の方へ向かった。

 扉の隙間からエレミーの姿が見える。彼女は自身の角を水で洗っていた。

 エレミーの黒い角から染料が洗い流され……俺と同じ、青色の角となる。


「私の名前は、エレミニアード=ヴィネ。……ヴィネ一族の、本当の跡取りです」




 ◇




 一年前……まだヴィネ一族が、魔界で暮らしていた頃。

 ヴィネ一族の長女であるエレミニアード=ヴィネは、豪奢な屋敷の扉を開き、外へ出ようとしていた。


「エレミー。何処へ行くのかしら?」


「学校の下見です!」


 偶々傍を通りがかった母親に、エレミーは元気よく答えた。

 その様子に、母は苦笑する。


「貴女……昨日も行ってなかった?」


「何度行っても飽きないですよ~? 広いですし、あと綺麗ですし~」


「まったく……あと三日もすれば入学するんだから、それまで待てばいいのに」


「待ち切れないんですよ~!」


 エレミーは満面の笑みを浮かべて言った。

 エレミー(・・・・)という愛称は、元々友人同士の間でつけられたものだが、これがいつの間にか家族にも浸透していた。今では母もそう呼んでいる。


 エレミー自身、この愛称で呼ばれるのは好きだった。ヴィネ一族は悪魔社会において貴族に該当するため、どうしても一般人からは敬遠されることがある。しかし、エレミーという愛称は、そういう心理的な壁を感じさせない温かさがあると感じていた。


「子供の頃からずっとお転婆だった貴女も、いよいよ学校へ通うのね。……なんだか感慨深いわ」


「ご安心を! ヴィネ一族の悪魔として、誇り高い学生生活を送ってきますので~!」


「そんなに気張らなくてもいいわよ。うちは長男が後を継ぐ仕来りだし……貴女は自由気ままに過ごしなさい」


 母は優しく微笑みながら言った。

 そんなエレミーたちの会話が聞こえたのか、リビングの方から二人の少年がやって来る。


「お、エレ姉ちゃん何処か行くのか? 土産よろしく~」


「俺も~!」


 長男、次男がエレミーに向かって言った。


「はいはい、適当に買ってきますよ~」


 そう言ってエレミーは外に出る。 

 エレミーは子供たちの中でも最年長だった。そのため、いずれ一族を率いる長男も、エレミーにとってはただの可愛い弟である。


 慣れ親しんだ赤い空を仰ぎ見た。

 昼も夜も変わらない空模様は、外界の種族にとっては不気味に感じるものらしい。しかし、幼い頃からそんな空の下で生きてきたエレミーにとっては穏やかな景色である。


「お母様は、ああ言っていましたが……ヴィネ一族の悪魔である以上、序列二桁台には入っておきたいですね~」


 悪魔学校は、序列一位の状態で卒業することで魔王に選ばれる資格を持つ。

 流石に一位を目指すほど自分の力に自信はないが、それでも高い序列を持つことは悪魔にとって名誉なことである。ヴィネ一族に生まれた以上、それなりの成果を出さねばならない。


「……少し、修行しておきますか~」


 学校へ向かう予定だったが、近所の公園へ行くことにする。


「うーん……飛んだ方が、早く行けそうですね~」


 そんな独り言を呟くと共に、エレミーの両足を旋風が包んだ。

 ヴィネ一族の《狂飆》。その効果は、嵐を自在に操ることだ。


「――《風靴(エアリアル)》」


 シュルリと音を立てて、エレミーの両足から風が生まれた。

 宙に浮いたエレミーはそのまま公園へと向かう。

 空を飛ぶことができる悪魔なんて、そういない。しかしエレミーは、これでもヴィネ一族の長女だった。既に並外れた実力を所有しているという自負はあるが……それでも、序列戦で勝ち抜くにはまだまだ不安がある。


「ほ……っと」


 直接、公園に下りると注目を集めて面倒なことになりそうなので、エレミーは近くの路地裏に着地した。

 そのまま歩き出そうとした直後、前方から誰かの話し声が聞こえる。


「おや……? こんなところに人がいるとは、珍しいですね~……」


 あまり人気のない薄暗い路地だ。

 態々こんなところで談笑するなんて、妙な話だなと思っていると――。


「ガシャス、首尾はどうだ?」


「上々です。親天派の結束は予想以上に高まっています」


 一瞬で、その話は聞くべきものではないと察した。

 ヴィネ一族は貴族であり、悪魔社会の政治にも関与している。そのためエレミーは、二人の会話が政治の裏側に関するものだと瞬時に理解できた。


 壁に半身を隠しながら、こっそりと会話の主を見る。


(あれは……天使? どうしてここに?)


 悪魔と天使は、政治的にも犬猿の仲だ。

 そんな二人が政治の話をしているなんて――まるで、水面下で結託しているかのように見える。


(それに、あの悪魔の男は……ガシャス=バラム? ……どうしてバラム一族の跡取りが、天使なんかと密会しているんですかね~?)


 疑心が膨らむ。

 逃げるべきだという恐怖より、ヴィネ一族の長女として真相を探るべきだという使命感の方が勝った。


「政府中枢でも、親天派に鞍替えした悪魔が続出しています。……土台はほぼ完成したと言ってもいいでしょう。この分ならクーデターすら必要ありません。当代の魔王が退けば、いつでも親天派を中心とした政府が完成しますよ」


「ふふっ、これで魔界は我々天使の手に落ちる。……約束通り、バラム一族は『レメゲトン』の効果から外してやろう」


「ありがたき幸せ。いい取引ができましたよ」


「こちらの台詞だ。……まさか、代々魔王の宰相を務めるバラム一族が、悪魔を裏切るとはな。我々にとっては心強いことだが、悪魔にとってはさぞ絶望的なことだろう」


 エレミーは落ちついて話の理解に努めた。

 ガシャス=バラムが、悪魔を裏切り、天使たちと手を組んでいる……? どうやら自分はその取引現場に遭遇してしまったらしい。


「ガシャス。分かっているとは思うが、次の魔王は貴様の息が掛かった者にしろ」


「そうしたいのは山々ですが……少々行き詰まっておりまして。なにせ魔王の資格を持つ者は、全て反天派です。実力は勿論、意志の強さもありますので、交渉に難航しています」


「ならいっそ、これから資格を手に入れそうな悪魔を懐柔してしまえ。……丁度、おあつらえの悪魔がいるだろう。確かバアル一族の御曹司だったか。奴にグノーシスをやってみればどうだ」


「……成る程、それはいい手ですね。実力は申し分ないですし、意志の強さは学生である以上、甘い部分が残っているでしょう。……上手くそこを突いてみせます」


 バアル一族の御曹司とは、ライガット=バアルのことだろうか。この男は幼い頃から次期魔王と呼ばれており、実際に今は悪魔学校で、二年生にも拘わらず序列一位の座に君臨している。……その男を、ガシャスは手駒にするつもりらしい。


 事の重大性を理解すると同時に、ぶわりと冷や汗が吹き出した。

 尋常ではない緊張を感じる。

 無意識に後退った、その時――パキリ、と木の枝が折れる音がした。


「誰だッ!?」


 天使の男が叫ぶ。

 エレミーは恐怖を押し殺して、全力で逃走した。両足に風を纏い、とにかく少しでも遠くに逃げる。


「ちっ……とんだ失態だ。まさか盗み聞きされるとは」


 天使の男が舌打ちする。

 その隣で、ガシャスは顎に指を添えて考えた。


「あの青い角……ヴィネ一族だな」


 一瞬だけ見えた、青色の角。

 その特徴を持つ悪魔は、ある一族しかない。


「ガシャス、どうするつもりだ?」


 天使の問いに、ガシャスは笑みを浮かべた。


「死人に口なしと言うだろう?」




 ◇




 気づけば夜になっていた。

 物陰に隠れ、何時間も息を潜めていたエレミーは、漸く落ち着きを取り戻す。


(魔界の、端っこまで来ちゃいましたね……)


 街の中心から随分と離れてしまった。

 これだけ待っても追手がやって来ないのだから、恐らく追跡は諦めたのだろう。

 幸い顔は見られていない筈。一度逃げ切ったなら、多少は安心してもいいだろう。


(家に帰って……お父様とお母様に、報告しなければ)


 今日、聞いたことを自分一人で抱え込むのは難しい。

 エレミーは警戒心を解くことなく帰路についた。

 そして、家に着くと……違和感を覚える。


(……いつもより、静かですね?)


 エレミーの家族は、どちらかと言えば庶民的な雰囲気を醸し出すことが多かった。言い換えれば……あまり貴族らしくない、良くも悪くも賑やかな家族だということだ。


 しかし今、自分たちが住む屋敷は異様な静けさに包まれていた。

 誰かの気配を感じない。まるで、もぬけの殻になったかのようだ。


 本能が警鐘を鳴らす。

 嫌な予感を抱きながら、エレミーは扉を開いた。

 そのまま、足音を潜めてリビングに向かうと――。


 ――血まみれで倒れた、弟の姿があった。


 慌てて近づこうとしたが、足が動かない。

 動揺のあまり呼吸すらできなかった。


 ゆっくり、倒れた弟の身体に触れる。

 まだ温かい。しかし、息はしていなかった。


「あ、ああぁあぁぁ…………ッ!?」


 その場にへたり込み、エレミーは悲鳴を零した。

 誰かいないか? 何かないか? 止めどなく溢れた恐怖を鎮めるために、エレミーは周囲を見回す。


 だが、視界に入ったのは最悪なものだった。

 死んでいるのは弟だけではない。

 廊下の突き当たりには胸から血を垂れ流す母が、テーブルの下には胴体を切断されたもう一人の弟が、寝室の扉からは血の涙を流した父親の姿が覗いていた。


「なんだ、まだ生き残りがいたのか」


 刹那、背後から声が聞こえる。

 振り向いた直後、鋭いナイフがエレミーの胸に突き刺さった。


「が……ッ!?」


「子供? これで三人目だな」


 激痛を感じていると、エレミーの目の前の空間が歪み、羊の角を生やした老人が現れた。

 ガシャスだ。能力(・・)によって、姿を隠していたのだろう。


「退け、ガシャス」


 横合いから声が掛かる。

 次の瞬間、光の槍がエレミーの身体を串刺しにした。

 そのまま吹き飛ばされたエレミーは、強く壁に打ち付けられる。

 壁が崩壊し、大量の瓦礫がエレミーの身体にのし掛かった。


「ちまちまとナイフを突き刺すより、こうした方が早い」


「……流石でございます」


 廊下の奥から現れた天使の男に、ガシャスが深々と頭を下げた。


「ヴィネ一族はこれで全員か」


「ええ」


 二人は悠長に会話を始めた。

 今の一撃で殺したと思っているのだろう。

 しかしエレミーは――生きていた。


(どちらの攻撃も、急所を逸れている……。このまま耐えれば、生きられる……ッ!)


 ボロボロと涙を流し、エレミーは恐怖と戦いながら耐える選択をした。

 今、この場で生きていることを悟られれば、今度こそトドメを刺されてしまう。


 ここで殺されるわけにはいかない。

 いつか復讐する時のために――彼らの悪行を、見届けねばならない。


(ガシャス=バラムゥ……ッ!!!)


 瓦礫の間から、家族を殺した悪魔と天使の姿を見据える。

 見れば二人の周囲には、白い翼を生やした天使たちが他にも十人近くいた。ヴィネ一族の能力は戦闘向きで、決して弱いわけではないが……これだけ多くの天使に襲撃されれば、流石に分が悪い。父も、母も、二人の弟も、呆気なく殺されてしまった。


「言われた通り皆殺しにしたが、後始末は任せていいんだな?」


「ええ。長年、魔王の宰相を務めてきただけあって、我が一族は信用されていますから。……ヴィネ一族は以前から財政難でしたし、適当に夜逃げしたとでも吹聴しておきましょう」


 ガシャスの言葉に、天使の男は薄らと笑みを浮かべた。


「しかし貴様、戦闘では殆ど役に立たなかったな」


「お許しください。我が一族の能力は《透化(とうか)》……自分の姿を透明化するだけという、奇襲専用の力ですから。……だからこそ貴方と取引しているのですよ」


「ふん、能力はともかく、頭は使い物になるみたいだな」


 天使の男は不敵に笑う。


「しかし、今のヴィネ一族に、レベル2に目覚めている者がいなくて助かりました。もしいたら、少々手こずっていたかもしれません」


「レベル2……悪魔が持つ、二段階目の能力だったか。それほど手強いのか?」


「ええ。特に、我が一族やバアル一族にとっては相性が最悪です。……バアル一族を手駒にするなら、ヴィネ一族は遅かれ早かれ脅威となっていたでしょう。そういう意味では、今のうちに滅ぼしておいてよかったかもしれません」


 二人の男は悠長に会話を続ける。

 この場に一人――エレミー()が生き残っていることも知らずに。




 ◆




 エレミーの過去を聞いた後。

 俺は、いつの間にか自分が冷や汗をかいていることに気づいた。


「ガシャスさんが……裏切り者?」


「はい。以前、私はライガット=バアルが裏切り者だと説明しましたが、その黒幕こそがガシャス=バラムです」


 いつものふざけた調子ではなく、極めて真剣な様子で、エレミーは告げる。


「一族を滅ぼされた私は、逃げるしかありませんでした。自身の無力に打ちひしがれながら、魔界の外を彷徨っていたところ……偶然、貴方と出会ったんです。そして、貴方の力があれば、ガシャスの思惑を阻止できるかもしれないと考えました」


 そう言って、エレミーは真っ直ぐ俺の顔を見た。


「ケイル様。貴方の正体は――人間です。今は私の眷属として、悪魔の肉体になっています」


 衝撃的な事実が告白される。

 しかし、それは……ぼんやりと思い出しつつある俺の記憶と、ぴったり符合する情報だった。

 俺が、魔界のものではない青い空に見覚えがあることも、悪魔学校とは異なる学校に通っていたことも、今なら納得できる。

 俺は――最初から魔界の住人ではなかったのだ。


「悪魔が眷属を作るための条件は、財産を捧げられることです。ケイル様は私に、記憶という財産を支払いました」


「そうか……それで俺は、記憶を……」


 今度こそ、完全に辻褄が合う。

 エレミーは本当に……全てを隠すことなく話してくれたのだろう。


 まだ、目的を果たしていないのに。

 本当なら、今後も俺を駒扱いした方が都合もいい筈なのに……ここで全てを打ち明けることにしたのだ。


「本当は……親天派とか、反天派とか、どうでもいいんですよ」


 エレミーは、顔を伏せて言う。


「ただ、私は……どうしても、ガシャスを許すことができない。……それだけなんです」


 その気持ちは、当然だろう。

 未だ実感が湧かないが……エレミーは、家族を殺されているのだ。


 エレミーは、どんな気持ちで魔界を去ったのだろう。

 どんな気持ちで……俺と出会ったのだろう。


「顔を上げてくれ」


 ゆっくりと顔を上げるエレミーに、俺は考えを述べる。


「エレミーの事情はよく分かった。勝手に俺を眷属化したことについては、やっぱり複雑だが…………俺も、ガシャスは許すべきではないと思う」


 そう言って俺は、立ち上がった。

 テーブルの上にあるペン立てからボールペンを取り出す。


「だから……最後の決戦くらい、付き合おう」


 ウォレンから受け取った、序列委譲承諾書を取り出す。

 そこに俺は――サインを記した。


「エレミー。一緒に戦うぞ」


「…………はいっ!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[一言] これエレミーも学園くるのかな? というか連れ回されすぎて学園行ってる時間のが短い説!?
[一言] こうしたほうがスッキリするよな、やっぱ。 これで大手を振ってあの二人組が参加できるぞぉw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ