30「一肌脱ぐ」
目を開けると、見慣れない光景が広がっていた。
「ここは……」
「ケイル様!」
上半身を起こすと、エレミーがすぐに俺の名を呼んだ。
視線を下げるとベッドが映る。どうやら俺は今まで眠っていたらしい。
「エレミー……ここは?」
「ここは学校の保健室です。ケイル様は、その……序列戦で気を失って、こちらへ運び込まれました」
言いにくそうに告げるエレミーに、俺はすぐに状況を察した。
今回は記憶を失わなかったらしい。序列戦の結末は鮮明に覚えている。
「そうか……俺は、負けたんだな」
思えば、初めての敗北だった。
そもそも俺が今まで戦ってきた相手は、序列五位から二位……いずれも強敵である。一戦目から既に分不相応な挑戦をしてしまったと後悔したし、いつ負けてもおかしくないとは思っていたが……いざ敗北を味わうと、形容し難い感情が湧いてくる。
これまでが上手くいきすぎていたのだ。
それは理解しているが、この複雑な感情は暫く胸中に蟠るだろう。
「……あの、ケイル様」
エレミーが心配そうな表情を浮かべて声を掛けてきた。
「さっきの序列戦……最後、どんなふうに負けたんですか? 私は観客席の方から見ていたんですが~……どうも、その、決着の付き方がよく見えなかったので」
エレミーが困ったように言う。
「途中でウォレンに話しかけられてな。一肌脱ぐから、ここは負けてろって言われたんだが……意味が分からなくて、困惑しているうちに一本取られた感じだ」
あの時はウォレンの炎が視界を遮っていたため、観客席からは俺たちの様子が見えなかったのだろう。
しかし、あの時のウォレンの言葉は今でもよく分からない。
ウォレンは一体何をする気なのだろう、と疑問に思っていると――。
「つ、つまり、実力が劣ったから負けたというわけじゃないんですね?」
エレミーはどこか焦った様子で確認する。
問いの意味が分からず、俺は沈黙したが、エレミーはそれを肯定と受け取った。
「い、いやぁ~、ならよかったんです! ケイル様は調子が悪かっただけで……本当は、勝てたんですよね!」
エレミーは引き攣った笑みを浮かべて言った。
安堵に胸を撫で下ろしたようにも見えるが、その頬からは冷や汗が垂れている。
そのどこか不安定な素振りに、俺は当たり前のことを告げようとした。
「エレミー。俺は――」
「――おうコラ、やっと起きたか」
急に保健室の扉が開く。
現れたのは、先程まで俺が戦っていた悪魔――ウォレン=ベリアルだった。
「ウォレン……?」
「一発ぶん殴った程度で気絶してんじゃねぇよ。……取り敢えず、コイツを返しとくぜ」
そう言ってウォレンは、背後にある大きな物体を俺の傍に投げた。
ドサリ、と音を立てて床に転がったのは――。
「リリ!?」
ボロボロの姿になった、リリだった。
服は一部が焼け焦げており、髪もボサボサだ。
明らかに戦った痕跡である。恐らくその相手は――ウォレンだ。
「誤解すんなよ。仇討ちだのなんだの言って、コイツの方から俺に突っかかってきたんだよ」
俺の思考を見透かしたかのように、ウォレンが言う。
「う、うぅ……ケイル様の、仇ぃ……っ」
床に倒れたリリは、小さな声で呻いた。
どうやらウォレンが言った通り、リリが一人で暴走したようだ。
「ったく、てめぇの女くらいちゃんと管理しとけや」
「いや……別に、リリとはそういう関係ではないんだが」
「……じゃあコイツ、ただのヤベェ奴じゃねぇか」
そうなんだよ……。
エレミーが、何とも言えない複雑な表情でリリを見ていた。
「それより本題だ。……明日の放課後、俺とライガットが序列戦をすることになったから、観に来い」
「……は?」
唐突なその発言に、目を丸くすると、ウォレンは面倒臭そうに補足した。
「一肌脱ぐって言っただろ。俺とライガットの戦いを見て、あいつの攻略法を探れ。……序列戦が終わり次第、てめぇに二位の座を譲ってやる」
それはつまり、俺に協力してくれるということか。
わざわざ身体を張ってまで……。
「……なんで、そこまでしてくれるんだ?」
そう訊くと、ウォレンはばつが悪そうに後ろ髪を掻きながら答えた。
「落ちぶれた好敵手なんざ、見ていてつまらねぇだろうが」
そう言って、ウォレンは踵を返す。
しかし、保健室を出る直前、ウォレンは再び振り返ってエレミーの方を見た。
「おい、そこのメイド」
「はい~?」
首を傾げるエレミーに、ウォレンは神妙な面持ちで告げる。
「やれることはやってやる。……その先の判断は、てめぇの自由だ」
「……どういう意味ですか~?」
エレミーの問いに、ウォレンは小さな声で答えた。
「ライガットに挑むか否か……考え直す、最後の機会だぜ」
そう告げて、ウォレンは保健室を後にする。
暫くの沈黙が続いた後、エレミーは俺の方を見た。
「そう言えば、ケイル様~。さっき何か、言おうとしていませんでした~?」
「ん? ……ああ」
ウォレンが保健室に入る直前、俺はエレミーにある言葉を伝えようとした。
しかし今更かと思って首を横に振る。
「……いや、なんでもない」
「そうでしたか~」
エレミーはすっかりいつも通りの様子だった。
そんな彼女の横顔を眺めながら、俺は吐き出したかった言葉をしっかり飲み込む。
――別に俺は、無敵じゃないんだけどな。
ほんの少しだけ、不安に感じただけだ。
エレミーは、そんな当たり前のことすら忘れているのではないかと思った。




