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サイドストーリー 井上理緒の独白 3

サイドストーリーの最後です。こうして今の浩也と理緒の関係が始まります。


次は本編に戻りますが、明日、明後日は更新が出来ない予定で、次は7日の予定です。

大体、付き合いが長いからといって、それまで苗字で呼び合っていた男女が、なかなか名前で呼び合うようにはならない。理緒と浩也も当然、彼氏彼女の間柄でもないので、それまでの呼び名は互いの苗字で、浩也は井上と呼び捨て、理緒は高城君と君付けで呼んでいた。


クラス内では、ある程度浩也と理緒が席が近くなって話すようになったと認知されているが、話されている会話は理緒がふざけて浩也が突っ込みをいれるといった内容が多く、とても色っぽい雰囲気を感じさせる内容のものではない。どちらかと言うと、共に体育会系の男女で、男っぽい付き合い方だと思われている。


だから2人が名前で呼び合うとは誰一人思っていなかった。ただ理緒だけ、自分の事を名前で呼んでもらいたいと考えていた。そうすれば、もう一段階近付けると思えたからだ。とは言え、狙っていても不自然に呼び合うわけにはいかない。あくまで自然に、あくまで成り行きでが理想であった。


そんなある日、そうその日は世間で言うバレンタインという名の平日だった。クラス内は心なしかそわそわしている。女子も特に男子もだ。理緒の隣の席を見るとそこには平常運転の浩也がいる。浩也はバレンタインで浮かれたり緊張したりの雰囲気がまるでなかった。


「ねえ高城君はバレンタインとか興味ないの?」


浩也は声のした理緒のほうに首だけ向け頬杖をつく。


「それって興味がないというより、縁がないって言ったほうが良くないか」


「フフフッ、縁がないの?」


「ああ、縁ないね。身内しか貰った事がございません。まあ大抵の男子がそうだろうがな。それよりそっちが誰かに渡すのか聞かれまくるんだけど。何とかしてくれ」


どうやら浩也はバレンタインが貰えないらしい。そのことに内心ほっとするが、身内枠でくれる人はいるらしい。恐らく榎本先輩だろう。だから浮かれてばかりもいられないのだが。そして自分の事で浩也に迷惑がかかっていることに、少しだけ申し訳ない気になる。


「あらあら、それはごめん。変なところで迷惑かけちゃったね。大体、私が誰かにチョコあげるとかどうしてそんな事になってるの?」


「知らん。まあ大方井上の事が好きな男子が、願望込みで期待してるんだろう。今のところ知らんで通しているけど、渡さないなら渡さないでハッキリそう言っていいか?知らんって言っても荷物を確認したかとかうるさいからな。実際に確認したら、それはそれで有罪だろうに」


「あーうん、それで良いよ。もしあげるとしても学校なんかに持ってこないし」


とつい含みを持たすような言葉を言った事で、周囲で理緒の会話に聞き耳を立てていた男子がざわめき始める。


「今、学校では渡さないって言ってなかったか?」


「家か、家に来るのか?」


「帰りがけ待ち伏せもあるだろうっ」


「ふぇ、あんた等なんで聞き耳たててんのっ?ない、誰にも渡さないからっ」


理緒は慌てて声を張り上げ、否定する。しかしその素振りすら疑惑を掻き立てる。


「あの慌てっぷり怪しくないか?」


「完全に動揺している」


「家に来るのか、そうなのか?」


その後も、理緒は懸命に否定の言葉を繰り返したが、誰も真に受けず、気がつくとその噂は学年中へと広がっていった。ただむしろその後が大変だった。理緒が本命チョコを渡す前に、告白しようとする男子が殺到した。昼休みに2名、放課後に2名、部活終わりに1名と計5名に告白され、チョコの件も否定し、お付き合いも全てその気がないと断った。


ただ最後6人目の告白者が現れた時、時間も少し遅い時間で、冬場となるとかなり周囲は薄暗くなる。理緒は仕方なしに、学校近所の公園でその告白を受けていたが、相手は諦めが悪く、中々理緒を離してくれなかった。だから浩也が公園脇を通り抜けようとしたときに、思わず、声をかけてしまった。


「あっ、浩也っ」


浩也は突然呼び止められた事にもびっくりしたが、名前で呼ばれた事にもびっくりし、思わず声のした方を睨みつける。するとそこには、ここ最近で仲良くなった女子とそれに告白しているだろう男子がいた。


『うーん、これはどう対応すべきなのか?』


浩也は対応に困り、黙り込む。厄介ごとなのは間違いないが、流石に困ってる様にも見えるのだ。一方の理緒はというと、思わず見かけて呼び止めたことまでは良かったが、名前で呼んでしまった事に動揺する。


『あれっ、なんで私、今浩也って⁉︎』


とは言え、こうなれば勢いで進めるしかない。理緒は告白してきた男子にはっきりと言う。


「ごめん、ちょっとこの後、()()と話があるから、もういいかな。私の返事は言った通りだから」


「彼が例のチョコをあげる彼なのか?」


「それは誤解。そう思うのは勝手だけど、浩也はまだ、ただの友達だから。それじゃね」


理緒はそう言ってその場を離れる。相手がどう思おうが構わないが、一応否定もしたし、上手く勘違いさせられたのではないか。そして理緒は浩也の元に行くとおもむろにその腕を掴んで、その場を離れて行く。


「ごめん、ちょっとこのまま付き合って!」


「あっ、おい井上っ」


浩也は引き摺られるように、理緒に引っ張られる。この後に及んでは、もう付き合うしかなかった。そうして暫く歩いたところで、理緒は浩也に謝罪する。


「いやー、ホントごめんなさい。でも助かった。あの人全然離してくれなかったから」


「うーん、なんとなく苦労しているのはわかったから、何も言わんが、あの浩也ってなんだ?」


理緒はいやー参った、という表情を変えずに言う。


「なんか普通に仲の良さをアピールしたかったんだよね。あそこで高城君なんて言ったら、正直距離感ありまくりでしょ?だから思わず浩也って言っちゃった」


「一つ素朴な疑問を言っても良いか?これって彼氏とか、思われてるとか勘違いされね?」


「ふふふ、良いところに気付いたね。きっちり勘違いされていると思う。おめでとう!」


理緒は悪びれもせずにそう断言する。


「めでたくないわっ、井上も困るだろ?俺が彼氏呼ばわりされても」


「残念、それが困らないのです。なぜなら…」


「なぜなら?」


「私、今彼氏とかつくる気無いんで!」


浩也はそれを聞いてがっくりする。理緒はニヤリと笑みを作り、浩也をからかう。


「あれー、もしかして私に告白されちゃうとか思った?」


「思ってねーよっ」


浩也は苦虫を噛み潰した表情でそう答える。すると今度は理緒が真面目な表情になって、浩也にお願いする。


「ここからは真面目なお願い。暫くは高城君のこと名前呼びにしちゃ駄目かな?出来れば高城君にも私の事を理緒って呼んで欲しい」


「どうしてだ?」


「私今日だけで、6人にも告白されたんだよ、信じられる?よくわかんないような相手から6人も。だから協力して欲しい。だって高城君、私に恋愛感情ないでしょ?それはそれでムカつくけど」


理緒は最後の恋愛感情が無いという件で、胸が少しチリつくが、それが今の浩也との距離なのだから仕方ないと我慢する。


「お前、ムカつくって、うーん、まあ理由はわかったけど、俺が誤解されっぱなしってのもなぁ」


「まあそこは普段の態度を変えなければ、自然とたち消えになると思うんだよね。私も一応否定はするし」


理緒は、そう言って懇願する。


「はぁ、まあいっか。もう1人は確実に勘違いしてるわけだしな。じゃあ明日から井上を理緒って呼べば良いんだな」


「せっかくだから、もう一回理緒って呼んで」


「理緒、これでいいか?」


「おおっ、男子に名前で呼ばれるのってなんかグッとくるね」


理緒はそう言って茶化しながらも、ポリポリと頬をかく。正直、胸がドキドキして、頬が赤くなっている気がする。だけどここまできたら必要以上のテレは駄目だ。すると浩也は呆れた声を出す。


「そんな事言って、明日はもっと大変な事になるぞ」


「でもありがと、浩也。ついでに今日はこれのまま家の近くまで送ってよ。もう暗くなっちゃったし」


気が付けばあたりはすっかり暗くなり、1人で帰るのは正直心細い。なので、我儘ついでにもう一つ我儘を言ってみる。


「理緒、お前の家ってどの辺?」


「北口抜けたニュータウンの方」


「あーあの辺か。はあ、良いよ、送るよ。あの辺、夜人気がなさ過ぎて、危ないって言うし」


浩也は仕方がないと言わんばかりに渋い表情で了承してくれる。


「やった、じゃあ途中でコンビニ寄ってこうよ。お礼にバレンタインチョコ買ってあげる。身内外の初チョコよ」


「ああそれって完全に義理チョコってわかる奴な」


「何よ、いらないの?」


「いえ、有り難く頂戴いたします」


「なら良し!じゃあ、コンビニ経由でうちへ向かってレッツゴー!」


理緒はそう言って、満面の笑みを浮かべて颯爽と歩き出した。


そして次の日、名前で呼び合い始めた理緒と浩也に周囲は騒然とする。まず2人が付き合い始めたのかと言う疑惑に関しては、双方が否定する。理緒の方は僅かに含みを持たせた回答にしていたが、浩也は完全否定だった。理緒にしてみれば、含みがある方が、告白もされにくくなるし、何より浩也に対して接しやすくもあった。逆に浩也は完全否定しても、問い合わせが入る様になり、理緒に文句を言うが、今更、名前呼びを変えるのも変なので、そこは継続してくれた。


そこから理緒は定期的に浩也に甘えられるようになる。浩也は文句も言うが、結局は甘やかしてくれる。理緒が辿り着いた壁の向こうの優しい世界なのだ。ただ、理緒の物語はまだスタートラインだ。今ようやく榎本先輩が見えるところに来たに過ぎない。まだ彼女は前にいる。浩也の優しさが理緒への恋愛感情となって、初めて追い抜く事が出来る。


だから井上理緒はまだ初恋を頑張れるのだ。




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