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93紅社

 クレナの鳴紡殿での騒動から一週間が経った。二国間の緊張感がますます高まったことも知らず、スバルはようやくソラの紅社へ辿り着く。久々の長旅で、やや疲労感が溜まっているものの、しっかりとした足取りで鳥居をくぐった。


 前にここへ来たのはいつだったか。もう思い出せないぐらい昔のこと。そう、まだコトリとも出会っていなかった若き日だった。


 紅社は、クレナにある社総本山と比肩する規模の信仰の聖地である。丁寧に整備された白い砂利道の中央を石畳の参道が貫いている。突き当りにそびえるのは、塔と見紛う程背の高い社。一番下の階層は、クレナでもよく見られる造りの拝殿だが、その上に物見櫓を立派にしたような物が伸びているのだ。最上部の先端では、小ぶりの釣鐘のような形をした金色の飾りがいくつか揺れていた。


 スバルは立ち止まり、その珍しくも美しい風貌を見上げる。


「まるでシェンシャンのようだ」


 拝殿が胴、塔部分を棹と考えると、まさにそのような形状をしている。以前訪れた時には持たなかった感想だ。


 そこへ、女の声がかかった。


「ご明察ですね。この社は、ソラ様がシェンシャンに見立てて書き起こした図案を元に築かれているのです」


 振り向くと、スバルよりもずっと若いが、妙に迫力のある巫女が箒を携えて立っていた。社を囲む林から飛んできた枯れ葉を集めていたらしい。紅社の者であろうが、いかにも高位の神官然としたスバルへ物怖じせずに話しかけてくるとは、誰なのであろうか。


 その考えを見抜いたのか、巫女はやや苦々しげに微笑む。


「その様子ですと、覚えてくださっていないようですね、スバル様」

「あの……」

「お久しぶりにございます。紅社の大巫女、シグレでございます」


 シグレ。それは旅の直前にスバルが文をしたためた相手だった。書いた内容が内容なので、脚が速く、かつ信頼のおける商人に渡して運んでもらったのだが、この様子だと無事に届いていていた様子である。


「遠路遥々ようこそおいでくださいました。立ち話も落ち着きません。社務所にご案内します」


 シグレは半歩先を歩き始めた。スバルはつい、その笑顔に無遠慮な視線を投げてしまう。

 確かに面識はあるはずなのだ。しかし……。


「あれから二十年近く経ちました。私もすっかり老け込みましたが、スバル様も綺麗にお年を重ねていらっしゃる。でも、その涼し気で、時折鋭くなる眼光は変わらないのですね。さすがは私の憧れのお方です」

「憧れ?」


 スバルが立ち止まると、足元の小石が鈍い音を立てた。シグレは鷹揚に頷く。


「齢二十五で大神官に上り詰めた奇才の美男で努力の御仁。私もそれに続きたくて、血の滲むような巫女修行を乗り越え、今の地位を得ました。ようやく同じ視界が眺められるようになったかと思えば、もう貴方様は次を見据えていらっしゃる」


 こんなにも多弁な人物だっただろうか。記憶の糸を手繰り寄せる。確か当時は、真新しい浅葱色の袴を身に着けた髪の短い巫女見習い。どこか影があって、年の割に物憂げな表情がよく似合う不思議な少女であった。それが今では溌剌とした気を放っている。けれど、若干の垂れ目だけは、かつての少女の名残を匂わせていた。


「シグレ様はますますお綺麗に……いや、この言い方は失礼か。だが、とてもご立派になられましたね」

「少なくとも、あの頃のように身内から捨てられた悲しみに打ちひしがれていることはありません。私なりに強くなりました。これもスバル様のお陰。どうか私をお役立てくださいませ」


 スバルと紅社との繋がりは、先代大巫女の時代からのものだ。先代からは、シグレが元下級貴族の娘で、親が失踪して翌日の飯にも困り果て、ほうほうの体で社へやって来たところを拾って育てたと伝え聞いていた。


 生きていけなくなると、大抵の女は体を売るか、物を盗むかして生活の糧を得るが、シグレの場合はひたすらに神へ祈りを捧げていたという。そんなことをしても腹は膨れないのだが、堕ちてしまうよりかはマシだと思っていたらしい。


 それは貴族の端くれであったことからくる矜持かもしれないが、社の者としては大変好ましく映ったらしく、巫女見習いとして採ることになったそうだ。


「いやいや、シグレ様こそ。社会の上も、下も知っておられ、人の痛みがよく分かっていらっしゃる。大巫女として相応しい行いもされていると聞いております」


 スバルが褒めちぎると、シグレは少し照れたようにはにかんだ。


「一応私も、後の世のためと思い、成したことではあります」


 それは、親を失くした子達を社に集めて面倒を見る制度を作ったこと。シグレの功績の一つだ。


 社に寄進された供物で子供たちを養い、最低限の教育を施す。職人に弟子入りさせたり、女であれば嫁入り先を探すなどして、再び世に送りだしていく仕組みだ。


 元々、親無しという身寄りのない子供の身分は相当に低く、一度そこへ落ちてしまうと余程の奇跡でも起こらぬ限り這い上がることは叶わない。しかしシグレの制度が導入されて、たくさんの子供が命を繋ぎ、また多くの才能がそこから発掘されて、世間へとはばたいていった。


 こうすることで、社自体の印象を良くすることもできた上、社への信仰心も高い人間も増やすことができたのである。


「しかし、私の手が何とか届くのも、この国の中だけのこと。クレナでの事は、恥ずかしながら文でお伺いするまでは、全く存じ上げておりませんでした」


 シグレが俯いて、宙の一点を見つめる。スバルから知らされたクレナの困窮した状況や、各地での蜂起については、かなりの驚きをもって受け止められたらしい。そして、クレナにおけるソラの扱いの酷さも。


「社という存在や、信仰は、国や身分を超えるものです。クレナとソラが仲違いしていようとも、我らは手を携えて有事に備えることができるはず」

「ご理解いただけて、本当に良かった。正直クレナからこちらへ差し出せるものは、ほとんど無い。心苦しいことに、かなり頼ってしまう事となるだろう」

「ご心配には及びません。これも助け合いですから。文にあったコトリ様をお守りする件、そして帝国の猛威に備えることも、社育ちの子達が中心となって大いに力となってくれるはずです。それから……」


 いつの間にか、数人の見習い巫女が傍へやって来ていた。


「これをソラ内で量産する予定です」


 スバルは、見習い巫女達が運んできた木箱の中を覗き込む。


「これは?」

「最終兵器、とでも言いましょうか」


 その使い道を聞いたスバルは、ソラの底力を思い知り、おののき震えた。シグレは、それをおかしそうに小さく笑って目を細めると、淡々と言い放つ。


「とある筋の話では、我が国の王子は本気でコトリ様を欲しているご様子。そしてコトリ様は、今世の琴姫にございます。初代琴姫たるクレナ様を祀る紅社としましては、力を惜しまない理由はございません」


 その後、ソラでは、紅社から国内の社に向けて、とある一斉通達があった。それは、新たな琴姫がクレナに誕生したこと。その名はコトリ。紅社は全力をあげてコトリ姫の支援を行うことが知らしめられたのであった。



紅社は、スバルがわざわざ出向かなくとも、元々コトリの味方なのでした。しかも、けっこう力も人脈ももっています。



ちなみに、紅社は、クレナという女性を祀っていることから、そのお世話をするのに男はよろしくないだろうということで、巫女さんばかりの神社です。一応男の神官はいますが、存在はほぼ空気。社内の最高位が大巫女となっています。これは、初代クレナ王が大好きな初代ソラ王の意向でもあります。







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