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外伝19 ダヤン、外へ

 ダヤンは荒野にいた。森を背に、遠く地平線の彼方にある街と林を眺め、感慨深げに溜息をつく。まるで酸いも甘いも経験したことのある大人のように。


 ダヤンは利発な子供だ。未だ五歳だが、自身が置かれている状況をよく理解してていた。彼自体が、母親アイラの悩みの種であり、ある時はこの世で唯一の希望であり続けなければならないという重責も。


 さらには、外の世界というものも知ってしまった。


 四歳まで住んでいた後宮には、たくさんの着飾った女と、もくもくと働く下賤の民がいた。贅を尽くした内装、調度品に囲まれた部屋でぬくぬくと育ち、限られた人数の侍女に世話されて過ごしていた。


 後宮は広い。何せ、皇帝はたくさんの妻を娶り、たくさんの子を成していた。時折、部屋を抜け出して、その日の気の向くままに散策する。十分に楽しかった。


 状況が変わったのは、ある日の朝食時だった。母親が血相を変えて部屋へ駆け込んで来たかと思うと、一言「逃げるわよ」と言ったのだ。


 ダヤンは、あっという間に後宮の外へと連れ出された。そこから見たものは全て初めてのものばかり。辛み、恨み、嫉妬、嫌悪、無表情。様々な人間達を横目に馬車を飛ばし、やってきたのは母親の実家だった。


 後宮程ではないが、人工的な大きな建物。俗に城と呼ばれるものなのだが、ダヤンにとってはその程度の認識だ。母親と共に、アダマンタイト王に謁見する。一度嫁いだ女が戻ってくるのは、本来あってはならぬことらしく、王は怒り心頭であった。そして、ダヤンの目の前にも関わらず、アイラは父王から顔を打たれてしまったのだ。


 アイラが、ダヤンから次期皇帝の座をめぐる権力闘争から守ろうとしていたのは、薄々感づいていた。しかし、子供にできることなど何もない。


 自分がいなければ、今頃アイラが顔を打たれずに済んだのではないか、と考えると、涙が溢れた。その悲しみは少しずつ膨らんで、いつしか、『自分なんて、いなければよかったのに』という結論に達するのだ。


 アイラと顔を合わせることを避け始めた。紫国についてからは、アイラはますます険しい顔をするようになり、ダヤンもさらに自分を責めた。


 アイラは夜になると、ダヤンをそっと抱きしめる。それまでの不機嫌な態度を穴埋めするかのように、か細くも優しげな声音で囁くのだ。


「ダヤン。あなただけは、裏切らないでちょうだい。私はあなただけを愛しているの」


 ダヤンはまだ、愛が何なのか、分からない。侍女に尋ねると、少し困った様子で、人を大切に思う心だと教えられたが、いまいちしっくりこなかった。


 おそらく、今大切にされなければならないのは、自分ではなく、母アイラだと思ってしまったからだ。


 母は自分をどうしたいのだろう。時折、狂気的な横顔を見せるアイラが薄ら恐ろしくて、ますます寄り付かなくなる。紫の王宮でも、単身で徘徊するようになるのは、すぐだった。


 紫の王宮はまだ新しいらしく、衛士の人数が足りていない。元々帝都と比べて人は少ないし、前王への反発や、静粛で命を落とした者も多い。故に、王宮から出る隙は、いくらでもあったのだ。


 都は、王と王妃がクレナ出身であるものの、ソラ王家の兄弟達も街の基礎と、神具という技術的なところを全て握っていることもあり、ソラを思わせる風情が強い。故に、ソラの都と同じく、たくさんの茶屋や土産屋、料理店が立ち並び、隣国から出入りする商人も多く見られた。


 国境を接するアダマンタイトとは正式な国交が無かったものの、民間では以前から活発な取引があったのだ。それは紫国が建った後も続き、明らかに異国風の外見の者が歩いていても、そう怪しまれることもない。アダマンタイトからやってくる者は総じて豊かな商人であり、傍目には分からなくとも、密かに強い護衛がついていることが多く、わざわざ手を出して痛い目に遭おうという馬鹿もいないのだ。


 そもそも、紫国の民は事なかれ主義、よく言えば平和主義が多い。帝国の血気盛んな者にはなかなか理解できないだろうが、自ら争い事に首を突っ込んでいく者は少ないので、マツリに鍛えられた衛士が守る都は治安も悪くない。ダヤンはなんなく都内を歩き回り、ふらっと外へ出てしまった。


 誰も止めない。どこか目的地があるかのような、しっかりとした足取り。昔からこの辺りでは、ダヤンぐらいの歳になると働く者も多いため、誰も気にも留めず、いつの間にか都から遠く離れてしまった。


 後宮も、母親の実家であるアダマンタイトの城も、紫の王宮も。どれも巨大であるが、やはりダヤンを閉じ込める籠に他ならなかった。


 ダヤンは、自由の空気を知る。大きく、吸い込む。清涼な風が頬を撫でて吹き抜けていった。


 その時だ。低い唸り声が耳を掠める。振り向いた。


「けものだ」


 驚きのあまり、ダヤンは片言になった。



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