意思の強さというか
「……、……?」
本当に長い間、やたらと凝視されている。
フローリアは緊張してしたことも忘れ、思わず首を傾げてしまった。
「……フローリア様の新鮮な服装に反応するあたり、自我は残っているのでしょうね」
「軽い洗脳や魅了ごときでは、あの執着心はびくともしないのだね。全く恐れ入るよ」
何やら背後で囁きが交わされているが、熱心に見つめられているフローリアはそれどころではない。
強い意思を宿す真紅の眼差し。
思わず後ずさりたくなるような、それでいて触れたくなるような、あの狼の目だ。
きゅうと胸が痛くなった。
数日前まではあれほど近くにあったのに、今はヴィユセの隣にある。それが、ひどく悲しい。
困惑していたヴィユセが口を開いた。
「姉様、今日はどうしてこちらに? 忘れものでもなさったの?」
無邪気すぎる義妹の問いかけ。
素早く背後を窺えばコルラッドが首肯したので、フローリアもぎこちなく頷き返す。
「そ、そうなの。祝賀会に招待されたから、ついでに忘れものを回収してしまおうと思って」
まさかこの冗談のような言いわけが通用するとは思わなかった。ヴィユセは非常に純粋らしい。
罪悪感に胸を痛めつつも、フローリアはキッと顔を上げた。
今回の件は、義姉として注意するべきだ。
「たまたま屋敷に帰っただけなのに、まさかこんなところで辺境伯閣下にお会いするとは思わなかったわ。ヴィユセ、これは一体どういうことかしら?」
物置に潜んでいるなんて、いかにも訳ありだ。
彼女も自覚はあるのだろう。萎れた花のように元気をなくし、謝罪した。
「ごめんなさい……私、怖くて……ゼイン様に不安を打ち明けたら、片時も離れず私を守ると言ってくださったから、つい頼ってしまって……」
怖いとは何のことだろう?
さらに問いを重ねようとしたところで、大きな背中が割り込んで阻む。
「ゼイン、さん……」
ゼインが、見たこともない厳しい眼差しで、フローリアを見下ろしている。
――違う。私が向けられてこなかっただけ。これは、魔獣を睨んでいる時のような……。
唐突に気付く。
今の彼にとって、フローリアは敵なのだ。
「――フローリア殿、ヴィユセを責めないでくれないか。俺が自発的にそうしたのだ」
言葉を失うフローリアの背後で、コルラッドとシェルリヒトがまた囁き交わす。
「『ヴィユセ』」
「間違いなく精神に影響が出ておりますね。あの積極性、元のゼイン様ならあり得ない」
「というと、恋心を強引に植え付けられているような状態だと? 融通の利かない生真面目さは残っているなんて、余計に厄介じゃないか」
コルラッドの推測を耳にし、打ちのめされる。
つまりゼインは、自分の意思でフローリアを拒絶しているということではないか。
ゼインの背中から顔を出したヴィユセが、おずおずと口を挟んだ。
「ゼイン様、私も悪いんです。お願いですから姉様を脅かさないでください」
さりげなく彼の背中に触れる手に、いちいち傷付きそうになる。
聖属性の力が、他者の精神に影響を与えるなんて知らなかった。ヴィユセも知らないはずだ。
その上、彼女は魔力が多すぎた。幼い内からただ遊び回っていても許されてきたので、ろくに制御も学んでこなかった。
こうしてゼインを操っているのも、無意識下でのことかもしれない。
――でも、諦めちゃ駄目。
メルエにもやり遂げると宣言した。
できる限りをしなければ、あの約束が反故になってしまう。フローリアは、震える指先で青いチーフを差し出した。
「ゼインさ……いえ、辺境伯閣下。せめて、このチーフを受け取ってくださいますか?」
チーフに加工した、魔力を溜め込む魔道具だ。
受け取ってくれさえすれば、洗脳のような状態から脱するかもしれない。
けれどゼインは、あえなく首を振った。
「すまない。俺は、ヴィユセに誤解されるようなことをしたくない」
背後でコルラッドが舌打ちをする。
「また面倒な誠実さを発揮して……」
そろそろ傍観していられなくなったのか、今度はシェルリヒトが進み出た。
「ゼイン。それは、王太子の頼みであっても?」
「あぁ。……お前にこんなことは言いたくないが、帰ってくれないか。険のある目で見るから、ヴィユセが怯えているだろう」
お手上げだと言わんばかりに、コルラッドが肩をすくめた。
ゼインの口振りから、シェルリヒトとの友人関係は忘れていないようだと分かる。ただ、友人より愛する人を優先させているというだけ。
魔道具が有効かどうかも未知数なのに、そもそもゼインが受け取ろうとしてくれない。状況は膠着状態といえる。
居合わせた全員が次の一手に迷っていた時、突然新たな人物が現れ均衡を破った。
「――フローリア、緊急事態」
「ひぃっ」
何もないところから突如出現したメルエが、フローリアの耳元で囁く。
気配がなかったため大げさに反応してしまった。
「メ、メルエさん……」
「緊急事態。すぐ離れに来てほしい」
「え……」
彼女にしてはやや強引に手を引かれ、フローリアはつられて歩き出す。
すると、反対側の腕を誰かが引き留めた。
振り返ると、ゼインがひどく険しい顔付きでメルエを睨み付けている。
先ほど自身に向けられた眼差しより底冷えしており、フローリアは反射的に体をすくめた。
なぜゼインに引き留められているのか。
どういう状況だ、これは。
助けを求めてシェルリヒト達に視線を送ったけれど、彼らは投げやりに首を振るばかり。
「何というか……ある意味鋼の精神力ですね」
「意思が強いというべきか、執着心が強いというべきか……魅了ってどうなっているのかな?」
よく分からないが、救いはどこにもないようだ。
メルエが気にせず進もうとするから腕が痛いし、フローリアはほとんど板挟みだった。
「無理やり引っ張るな、メルエ」
「自分の面倒も見きれないような人、黙ってて」
「何だと……?」
「お、お二人共、落ち着いてくださいね……!」
精神的にも板挟みの様相を呈してきた。
オロオロとするフローリアと目を合わせると、ゼインは気持ちを鎮めるよう長々と息を吐いた。
「お前までここで何をしている? ヴィユセの屋敷に無断で踏み入るなど、許されないことだぞ」
「――許されないことをしてるのは、スレイン公爵の方。ゼイン様、何も分かってない」
メルエは、噛み付くように言い切った。
声を荒らげていない分、迫力がある。彼女は苛立ちを懸命に抑えつけているようだった。
メルエの鋭い眼差しが、フローリアを向いた。
「フローリアの、魔道具師としての、見解が聞きたい。スレイン公爵家の別館は、おかしい。気になるなら、ゼイン様も来ればいい」
彼女の言葉を理解するにつれ、フローリアは瞳を徐々に見開いていく。
メルエは、もう何かを見つけたのだ。
それはフローリア達が求めていた、ユルゲン帝国との癒着の証拠。そして……彼女が許されないことだと断ずるほどの禁忌。
背筋をゾクリと悪寒が駆け抜ける。
「……それって、もしかしてあの人達のこと?」
張り詰めた空気を破ったのは、ヴィユセだった。
陽光で紡いだような金髪、空の色の瞳。まるで光そのもののような彼女の表情を不安が彩っている。
それなのに、けぶるように睫毛を震わせて顔を上げるから、守りたくなるような健気さがあった。大きな瞳がキラキラとして綺麗だ。
「私も、一緒に行っていいですか?」
ヴィユセはきっと、天真爛漫で無邪気なだけの少女ではないのだろう。
強さも持ち合わせているから、人を惹きつけて止まない。洗脳や魅了だけでない彼女の美点は、確かにあるのだ。フローリアにもひどく眩しく映る。
ヴィユセの言葉に驚き、即座に首を振ったのはゼインだった。
「ヴィユセ、無理をすることは……」
「ううん。きっと、あの人が言っているのは、私が見た人達のことだと思う。ゼイン様が行くなら、私も行く。怖いけど……ちゃんと確かめたいの」
そういえば、彼女は何かを恐れてゼインに相談したのだと言っていた。不安を打ち明けたら、片時も離れず守ると請け負ったのだと。
メルエも、怖いほど真剣な顔をしていた。
――一体、お父様は離れで何を……。
フローリアの胸に、言い知れぬ不安がよぎった。




