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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第7局 捨神くん物語(2015年5月6日水曜)
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73手目 捨神くん、コンクールに挑戦する

捨神(すてがみ)くん、そうじゃないわ」

 音楽の先生に止められて、僕は手を休めた。

「昨日注意したところが、直ってない」

 先生は口元にこぶしをあてて、しばらく押し黙った。怒ったり苛立ったりしているというよりは、途方に暮れているようにみえた。同じように、僕も途方に暮れていた。吹奏楽部に入ってから1ヶ月、同じ注意の繰り返しだった。

 先生は1分ほど考え込んでから、ひとつずつ具体的なアドバイスを始めた。

「まず、弾くときは、指と鍵盤が垂直にならないとダメ。また斜めになってる」

「……垂直だと弾きにくいんです」

 僕は、ささいな抵抗を試みた。

「それは、あなたがこれまでずっと、我流で弾いてきたからよ。筋肉と関節に、変な癖がついてるの。でも、クラシックピアノで我流は絶対にダメ。分かる?」

「……はい」

「もうひとつ、捨神くんは、肘に力が入り過ぎてる。もっとリラックスして」

「脱力すると鍵盤を押し切れないんです」

 これについては、何度も先生とすれ違ってきた。肘に力を入れてはいけない。頭では分かる。でも、意識的にリラックスしたときは、鍵盤を押す力が足りなくなった。中途半端な音が出る。どうやら僕は、指の筋力が足りないらしいんだ。

 こっちを立てればあっちが立たずで、僕はジレンマに陥っていた。

「もちろん、すぐにできることじゃないわ。ちょっとずつ直していきましょう」

 先生はさらに、3本目の指を立てた。

「最後に、姿勢が悪い」

「そ、そうですか?」

「そんなに猫背だと、自信がないようにみえるわ」

 正直なところ、僕はだんだん嫌気がさしてきた。ピアノの練習をしてるんじゃなくて、整体でもやってるみたいだ。まあ、本物の整体はしたことないけどね。アハハ。

 自分で決めたことだし、引っ込みがつかなくなってるから、僕は続けたよ。

 けど、たまに本音が漏れるようになってきた。

「やっぱり、将棋部に入ればよかったよ」

 昼休み、校庭でパンを食べていた僕は、箕辺(みのべ)くんに愚痴った。

「どうしたんだ? 将棋なら、俺たちと指してるじゃないか?」

「ピアノがつまんないんだよね……」

 僕がそう言うと、箕辺くんはびっくりした。

「ピアノが……つまらない? おまえ、熱があるんじゃないだろうな?」

「ないよ」

 一時的なことじゃないからね……いや、一時的かな。病気とはスパンが違うだけ。

 ともかく、僕は箕辺くんに事情を話した。箕辺くんは僕の話を聞き終えてから、うーんとうなった。食べかけのパンをひざのうえに置いて、マジメな顔つきで答えた。

「勧めた責任は、俺にもあるんだが……プロになるなら、仕方ないんじゃないか?」

「そうなの? 仕方がないの?」

「将棋でも、プロになるのはすごい大変らしいぞ。趣味と仕事は違うからな」

 それなら、僕は趣味でも良かったかな。吹奏楽部に入るまえの僕なら、間違いなくそう答えていたと思うよ。ただ、そのときは、安易に反論することができなかった。自分でもどこに向かっているのか、イマイチ見えてこなかった。

 それに、僕の心を一番占めていたのは、もうひとつべつの心配だった。

「この調子じゃ、絶対プロになれないと思うんだよね」

「ま、まだ始めて1ヶ月だろ?」

「でもさ、3年生にピアノ担当の先輩がいて、そのひとは小学生の頃に、賞ももらってるんだよ。僕は、姿勢や弾き方からやり直さないといけないなんて……ハンデがあり過ぎな気がするんだよね」

 箕辺くんは、ピアノの話題に困ってしまったのか、なんとも言えない表情をした。

「すまん……そういうことは、俺じゃアドバイスできない」

 そして、こう付け加えた。

「なんかよく分かってないのにプッシュして、悪いことしたな」

「いや、べつにいいんだよ。多分、箕辺くんたちに推されなくても、結局は吹奏楽部にしてたと思うから。嘘じゃないよ。いまになって、なんとなく分かるんだ。僕は将棋も大好きだけど、校長先生が言ったみたいに、将棋でプロはムリだからね。将棋は趣味。そう割り切れるんだ。でも、ピアノは……まだ割り切れない」

「そっか……」

 チャイムが鳴った。僕たちはベンチから立ち上がって、教室にもどった。

 

 次の日も、そのまた次の日も、同じようなことの繰り返し。そして、8月に、とうとう僕は、地元の小さなコンクールに出場した。全部は改善できなかったけど、なんとかかんとか頑張って優勝。箕辺くんと葛城(かつらぎ)くんは、わざわざ観に来てくれた。うれしかったね。

 ただ、内容は満足のいくものじゃなかったし、優勝でいいのかな、とすら思った。

「すごくよかったぞ、捨神」

「かっこよかったよぉ」

「ありがとう。ふたりが来てくれたから、緊張しなくて済んだよ」

 実際、あんまり緊張しなかったんだよね。どうしてかな、と考えてみたら、多分、将棋の大会でギャラリー慣れしてるから、という結論に落ち着いた。決勝にもなると、大勢に取り囲まれてるわけだからね。もちろん、コンクールのほうが観客は多いけど、距離が違うし、実演の時間も違う。将棋のほうが長いよ。

「ちょっと変じゃなかった? 僕としては、勢いがなかったかな、と思うんだけど」

「ん……そうだな。いつもよりは、派手じゃなかったかもな」

「始まる前に先生から、『アレンジしないこと』って、キツく言われたんだ」

 僕は、こっそりと舞台裏を教えた。

「そうか……こういうのって、テストみたいなもんだし、それでいいんじゃないか?」

「……そうだよね」

 飛瀬(とびせ)さんは、ピアノのコンクールとか、観たことある?

 え? 宇宙音楽祭? 僕はそれがどういうのか分からないけど、コンクールはね、課題曲が原則的に出されて、その楽譜通りに弾くんだ。少なくとも、中学ではね。いくつか候補が提示されて、そのなかから選択することもあるよ。

 でね、楽譜には、Ad libitumな部分と、そうでない部分があるんだ。Ad libitumっていうのは、要するにアドリブだね。この部分は、演奏者がアレンジしてもOK。逆に、アドリブじゃない部分をアレンジすると、大幅なマイナスになってしまう。よく、表現力だとか、構成力だとか、音色だとか、リズム感だとか、いろいろ言われるけど、楽譜通りに弾くのは、初歩の初歩。音楽が原典主義になってからは、かなり重視される要素だよ。こういう知識は独学じゃ身に付かないから、吹奏楽部に入ってほんとに良かったと思った。

「とりあえず、これでおまえのピアノは、最低でも将棋と同レベルってことが、証明されたな。将棋は県代表になれなかったが、ピアノはマジでいけるかもしれないぞ」

「たっちゃん、いちいち将棋と比較しなくてもいいんじゃないかなぁ」

 葛城くんは、僕が1年生で県代表になれなかったのを、気にしているっぽかった。

 始まるまえは、確定だと思ってたみたいだから、ムリもないかな。

「いや、比較してもらって、構わないよ」

「うぅん、ピアノと将棋って、全然違うと思うけどねぇ」

 葛城くんって、意外と頑固なところがあるよね。そう思わない?

「ま、これで自信がついただろ。俺もホッとしてるぞ」

「アハハ、ありがと、やっぱりあのときのアドバイスは正しかったよ」

 こうして、僕はキャリアの道に入った。キャリアって言っても、日本の有名な中学生から見れば、富士山の3合目ですらない。小学生の頃の実績がないし、なによりも演奏技術でかなり遅れを取っていた。僕は秋の将棋大会をパスして、冬のコンクールに備えた。

 今度はもうすこし大きな大会で、H市のコンサートホールが会場。

 僕は学校の先生に用意してもらった服を着て、本番に臨んだ? え、家族? うーん、母さんは来てたよ。養護学校を出てからは、母さんと二人暮らしだったからね。いきなり家族ができて、ちょっと戸惑ってたところもある。半年くらいで慣れたけど、あんまり母さんと暮らしてるって感じはしなかった。

 これと対照的なのが、箕辺くんだった。箕辺くんはお父さんが警官で、お母さんは専業主婦、3歳差の妹がひとり。うらやましいと思うこともあったし、なんか住んでる世界が違い過ぎて、あんまり関係ないかなと思ったこともある。(かおる)ちゃん、あ、箕辺くんの妹さんのことね、会ったことある? ない? 薫ちゃんは、お兄ちゃんが大好きなタイプだから、僕のことをちょっと嫌ってた気がする。最近は、どうかな。箕辺くんに彼女ができたら、絶対一悶着あるよ、アハハ。

 っと、話を戻すね。

「おーい、捨神、来たぞー」

 控え室に、箕辺くんたちが来てくれた。

「似合ってるじゃないか」

 箕辺くんは、僕の子供用タキシードを褒めてくれた。

 とはいえ、佐伯(さえき)くんみたいには似合わないんだよね、僕の場合。

「すこし窮屈だよ。演奏に支障が出ないといいんだけど……」

「サイズが合ってないのか?」

「サイズは合ってるけど……制服っぽい服って、あんまり好きじゃないんだよね」

「ああ……そうか。捨神は、いっつもワンサイズぶかぶかの服着てるからなあ」

 箕辺くんは、勘違いしていた。僕は、ぶかぶかの服が好きだから、タキシードに違和感を覚えたわけじゃないんだ。もちろん、ゆとりのある服は好きなんだけど、僕がぶかぶかの服を着ていたのは、お金がないからだよ、単純にね。すぐ身長が伸びちゃうから、サイズを最初から大きめに取っておかないといけないんだ。それは、母さんと一緒になってからも、あんまり変わっていなかった。アパート暮らしだったし。

「あんまり気にしない方がいいぞ。羽生さんも、ろうれいとか言ってるだろ」

玲瓏(れいろう)だよぉ」

「アハッ、ありがとね。すこしは気分が晴れたよ」

 こうして、僕はリラックスしながら、大会に臨んだ。結果は、準優勝。ちょっと自分でも出来過ぎかな、と思った。え? 優勝じゃないのに? アハハ、しょうがないよ。むしろ、我流っぽいのに準優勝なわけだから、感謝しないとね。審査員の寸評でも、「基礎的なところで粗い」って書かれちゃった。

 僕は表彰式のとき、観客席を見回した。そして、おかしなことに気づいた……箕辺くんたちがいないんだよね。母さんの隣にいないとおかしいんだけど、どこにもいないんだ。

 キョロキョロしてると、司会のひとに突っ込まれてしまった。

「どうかしたのかい?」

「あ、いえ、なんでもないです」

 入賞者が全員表彰されて、幕が下りた。

 トイレに行ったのかな、と思って、僕は箕辺くんたちを控え室で待った。

 ところが、母さんだけが来て、すぐ帰ろうみたいな話になった。

 さすがに鈍感な僕でも、なんか変だな、と気づいたよ。

「ねえ、箕辺くんは?」

「……ちょっとツンツン頭の子?」

「そうだよ。それに、葛城くんは? 途中までいたよね?」

「……先に帰ったわよ」

 僕はショックだった。そんなバカなと思った。

 舞台にいたんだから、険悪になる要素がない。

 これはもう、母さんが嘘を吐いてるとしか考えられなかった。

「ウソだ、いるんでしょ? トイレじゃないの?」

「ほんとよ、先に帰ったわ」

 僕が不機嫌になり始めて、母さんも困惑していた。

 そして、とうとう口をひらいた。

「箕辺くんは、お父さんが怪我をしたらしいから、お見舞いに行ったのよ」

「え、そうなの? ……たいへんだね。葛城くんも一緒に?」

「そうよ」

「じゃあ、僕もお見舞いに行こうかな。会ったことあるもん」

「……また、明日ね。一回、家に帰りましょう」

 僕は、準優勝のトロフィーを持って、ホールをあとにした。

 そして、次の日、クラスメイトからとんでもないことを聞かされた。

「えッ……箕辺くんのお父さんが……死んだ……?」

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