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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第49局 オープンキャンパス(2015年8月7日金曜)
613/686

601手目 特別便

 さてさて、都ノみやこの大学に到着したわけですが──

 神崎かんざきさんの第一声は、

「東京にしては、ずいぶんと自然が多いな」

 だった。

 そうなのよね。山がふつうに見えるし、公園も多い。

 どうやら、東京は西へ行けば行くほど、都会っぽくなくなるようだった。

 地理がまだ頭に入っていないけど、内陸へ向かうのだから、当然か。

 神崎さんは、

「あのあたりの木々を飛び回ったら、さぞかし爽快であろう」

 と口走った。

 東京では忍んでください。

 都ノ大学は、ちょっとした街に囲まれつつ、ぐいーっと横長に広がっている感じのキャンパスだった。これ、駅から奥へ行くときに、大変なのでは。もっとも、そういう点に配慮したのか、オープンキャンパスは正門から近い建物でやっていた。青いTシャツを着た学生スタッフが、たくさんいた。講堂という場所があって、そこに集合するみたい。入場方式は、八ツ橋やつはしとほぼ同じだった。入り口で受付をして、資料をもらって、まずは大ホールへ。

 赤い椅子がずらーっと並んでいて、なんだか劇場みたいだった。

 これ、1000人くらい入るのでは。

 とりま、真ん中の右寄りに座る。

 どんどん生徒や保護者が集まってきて、うしろのほうがだいぶ埋まった。

 みんな前に行きたがらないのは、まあそういうものよね、という印象。

 ここからの流れも、だいたいいっしょ。まずは先生のあいさつ。在校生の大雑把な大学紹介。ひとつ違った点があるとすれば、大学の歴史みたいなのは、言及されなかったことだ。代わりに、就職状況が出てきた。これはこれで、ピンとこない。

 そのあとは、模擬授業。私は1号館の教室へ移動。

 【経済学部】という貼り紙のある部屋へ。

 こちらのほうも、そこそこ若い先生だった。でも、内容は八ツ橋とはガラっと変わっていた。日本では電気料金に一定の上限が設けられていますが、それが消費者にとって本当によいことなんでしょうか、というお話。そして、その解決方法が、八ツ橋のときと違っていた。ばりばりに数式を使って計算。高校生が20分ほどで理解するのは、ムリじゃない?、という勢い。

 終わったあと、先生は、なにか質問はありますか、とたずねた。

 教室内は、シーンとしている。

 すると、先生は先をつづけた。

「今回、私は大学から模擬授業を頼まれたとき、高校生にも分かりやすい内容でお願いします、と言われました。しかし、この授業は、みなさんの多くには分かりづらかったのではないかと思います。このようにした理由は、ふたつあります」

 先生は、すこし間を置いた。

 教室内の雰囲気を確認しているようだった。

 なにが言われるのだろうと、みんな真剣に耳をかたむけていた。

「まず、大学の授業は、一回聞いて分かる、という性質のものではありません。説明の仕方が云々、とはまたべつの問題です。どれだけ平易に説明しても、理解するのに時間がかかることがらは、たくさんあります。私も論文などを読んでいるとき、何ヶ月もかかることがありますし、未だに理解できていないものもあります。高校生が20分で理解できる授業というものは、大学の本来の授業ではないのです。これは模擬授業ですから、毎年の私の授業を模したものをおこないました」

 先生は、ひと呼吸おいた。

「もうひとつの理由は、都ノ大学経済学部の、特徴に関係します。すべての教員がそうだとは言いませんが、都ノ大学経済学部では、数学をもちいる分野を専門とするひとが、多くいます。私もそのひとりです。数学が苦手なひとは入らないほうがいい、と言っているのではありません。私も数学は得意ではないです。しかしながら、数学を使いたくない、というひとは、じぶんのやりたいことを、もういちど考えてみるようにオススメします。現代経済学において、数学を使わない、という選択肢は、ほぼありません」

 教室内が、シーンとなった。

 一方で、だよねえ、みたいな生徒も、何人かいた。

 たぶん、数学が得意なグループかな。

 そのあとは、模擬授業の内容についてではなく、数学の勉強ってどうやってすればいいんですか、みたいな質問がちらほら出た。先生の回答は、数学はおぼえようとするものではない、とか、試験結果を気にせず、ツールとしてまずは馴染むこと、とか、そういうアドバイスだった。前者はよく聞くけど、後者は社会人らしいコメントだな、と思った。大学受験において、数学はそれ単体で試験科目だから、他の科目のツール、という観点は希薄だからだ。

 質問タイムも終了して、みんな廊下に出た。

 うわー、むずかしいなあ、と嘆息している生徒も、何人かいた。

 私は神崎さんに、

「さっきの模擬授業、どうだった?」

 とたずねた。

 神崎さんは、

「最初の五分はわかった。あとはよくわからなかった」

 と答えた。

 私もそんな感じだった。

 神崎さんは、

「拙者には、内容よりも、あの教授……准教授だったか、准教授の考えかたのほうが、興味深かったな」

「どういうこと?」

「拙者の職業柄、組織の指示に逆らう、という判断はありえぬ。あの准教授は、あえてそういう選択をしたということだ。おそらく、ほかの教員であれば、指示通りに簡単な講義をしたのではないかと思う。性格なのか、なにか思うところがあったのか、それはわからぬが」

「なるほどね」

 私たちはお手洗いに行ったあと、1号館を出た。

 あいかわらず暑い。

 お次は、キャンパスツアー。

 ここのツアーも、時間制のローテーションだった。

 高校生10人につき、2人の在校生がアテンドして、順番に出発していく。

 私と神崎さんは、最後尾のほうに立っていた。

「はーい、それでは出発しまーす」

 前のグループがスタート。

 はいはい、ついに順番が。

 と思いきや、案内役のスタッフが、在庫切れになってしまった。

 私と神崎さん、それにうしろに並んでいる3人だけが、取り残されてしまった。

 うしろの3人は、

「あれ~、みんないなくなっちゃったね」

「先にランチする?」

「駅前にカフェがあったから、戻らない?」

 と言って、その場をはなれた。

 神崎さんは、

「事務方の手抜かりだな。全員、出払ってしまうとは」

 と言って、やれやれと首を振った。

 そうよね。現場担当がいなくなるのは、シフトミスだと思った。

 私は、

「お昼にする?」

 とたずねた。

「それでもよいが……」

 そのときだった。

 うしろから、女性の声がした。

「あらら、なんでだれもいないの?」

 ふりむくと、スタッフのTシャツを着た女性が立っていた。

 ちょっと細目で、への字型眉毛。

 ウェーブのかかった髪が、肩甲骨のあたりまで伸びている。

 オレンジに近い染め方をしていて、なんだかすごく気さくそうなひとだった。

「ごめんねえ、私が案内しようか?」

「え……あ、いえ、お忙しいと思いますし……」

「へーきへーき、講堂のかたづけは、人手が余ってるくらいだから」

 いや、それはあなたがさぼりたいだけなのでは。

 とはいえ、大学生と揉めてもしょうがないし、お願いすることに。

「はーい、それではキャンパスツアー特別便、しゅっぱ~つ」

 私たちは3人で歩き始めた。

 女性スタッフは、

「あ、私は森本もりもと。ふたりは? 言いたくなかったら、下の名前だけでいいよ?」

 とたずねてきた。

香子きょうこです」

しのぶだ」

「キョウコちゃんとシノブちゃんね。朝一で来てた?」

 朝一っていうほど早くなかった気がするけど、はい、と答えた。

「山奥で大変だったでしょ」

「いえ、地方出身なので、それほどでも……」

「どこ?」

「H島です」

「そうなんだ~私、まだ行ったことないんだよね。ちなみに、何学部?」

「経済です」

「あ、私、経済だよ」

 おっと、ラッキー。いろいろ訊けそう。

 一方、神崎さんは、

「拙者はつきそいだ。受ける予定はない」

 と率直に答えた。

「そっか、多摩くんだりまで、おつかれさま。あッ」

 森本さんは、向かって左の建物をゆびさして、

「えー、こちらが生協でございます。コンビニもありま~す」

 と紹介した。バスガイドさんみたいなノリになってきた。

 そのあとは、図書館、情報処理専門の校舎、国際交流会館を回って、理系のエリアへ。そういえば、松平まつだいらはここの工学部を受けるって言ってたなあ。ほんとかしら。

 森本さんは、

「理系の施設は、よくわかりませ~ん。理系の学生に聞いてくださ~い」

 と言って、丸投げ状態に。

 ほぼほぼスルーで、理系校舎の端っこまで来た。

「なんか気になったこと、ある? なんでも質問してくれていいよ」

 んー……あ、そうだ。

 このひとなら、あとくされなさそうだし、ちょっとつっこんだ質問をしておこう。

 私は、さっきの模擬授業の話をした。

 森本さんは、ふんふんと耳を傾けたあと、

「ああ、五十嵐いがらし先生ね。あの先生、そういうこと言いそう」

 と笑った。

「厳しい先生なんですか?」

「厳しいっていうか、マジメ。ゼミの入室試験のときも、同じこと言ってた。数学やりたくないひとは、他のゼミをオススメします、って」

 私は、ゼミってなんですか、とたずねた。

「3年生になったら、専門的なことを少人数で勉強するんだよ。他の大学でもあると思うけど、必修のところと、そうじゃないところがあるらしいね」

 ふむふむ……ん?

 入室試験のときに言われた?

「もしかして、森本さんは、五十嵐先生のゼミなんですか?」

 そうだよ、と森本さんは答えた。

 意外──いや、これは失礼か。

「ほかの先生も、あんな感じなんですか?」

「ううん、バラバラ。ちょ~優しい先生もいるし、ちょ~厳しい先生もいる」

 どうやら、大学の先生は、みんなワンマン経営みたい。

 学生との接し方も、授業の難易度も、成績評価も、バラバラらしかった。

「は~い、ここからスポーツ施設になりま~す……あれ? シノブちゃんは?」

 え? ……あ、いない。

 興味がなくて、どっか行っちゃったかしら。

 きょろきょろしていると、頭上で、遠くから呼びかけるような声が聞こえた。

「ふーむ、ここからの見晴らしはよいぞ」

 見上げると、神崎さんが体育館の天井に、腕組みをして立っていた。

 だから忍びなさいってばッ!

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