588手目 すべての結末
※ここからは、吉良くん視点です。
……入れないよな。
俺は認めざるをえなかった。
それでいて、どこかホッとしたじぶんがいた。
心が入玉したがっていなかった。
そのことがミスにつながった。
方針転換を迫られる。
真後ろには下がれない──捨神の王様にトライするしかないか。
同香、同と、8三銀、6三玉、7二銀、5二玉。
後手玉に即寄りは……ない。
先手優勢だが、思ったより届かない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
捨神は5三金と打った。
自玉は寄らないという顔をしている。おそらく正しい。
俺は同馬。
同金、同玉、9三飛。
捨神、俺はうれしいぜ。ここまで熱戦でな。
ふつうなら、とっくに入れてた。
それとも、入ろうとした時点で、俺の気合い負けだったか?
あのときは悩んだんだよ。わかってくれ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4四玉」
撤退戦だ。
7一角、5三香、同角、4五玉、4一玉。
詰めろをすり抜けられた。
「そうでなくっちゃなッ! 4三金ッ!」
4四歩、3六玉。
王様のムーンウォーク。
仕切り直しだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5二香。
詰みはない。
どう寄せる? 多少駒を渡しても、問題はないが──
先手に頓死の可能性は、あるか?
ないと思う。ないように見えるのが罠か?
捨神のリズムに、俺は迷ってきた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3二金打、5一玉、4二金寄、6二玉、5二金寄。
先手は勝ってるはずだ。
あとは入玉さえ阻止すれば。
7三玉、5三金寄、7六銀成。
入りに来た。
わかってる。おまえは入玉をためらってない。
ためらってるのは、俺だけだ。
ちぐはぐな自覚はある。
俺は捨神と闘ってるのか? それとも俺と闘ってるのか?
囃子原のやつは、おもしろがってるだろうな。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4六角ッ!」
ひとまず、大駒の数をそろえる。
8四玉、7九角、6七成銀、9六香、9五歩。
止めてみせる。
同香、同玉、9六飛。
捨神は、くちびるをむすんだ。
入玉はさせない。
俺と勝負しろ。寄せるか、寄せられるかだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
捨神は8四玉と引いた。
9五金、8三玉、9四金、同飛、同飛、同玉。
「7六角ッ!」
どうする、捨神? これでも入玉するか?
それとも寄せに切り替えるか?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8五歩。
軽く受けた。
俺は6七角で、成銀を払う。
捨神は、俺の王様に視線をとめた。
寄せにくるか? ……いや、まだわからない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
寄せ……じゃない。これは一目寄らない。
同玉に2九飛で、大駒を回収するつもりだ。
とはいえ、取らない手はない。
同玉、2九飛、3六玉、2六金、4六玉。
捨神は7九飛成。
バランスがもどっていく。
後手はまだ入玉模様。
じぶんの実力不足を痛感する。決めきれない。
なあ、石鉄、俺はどっかでミスったか?
先手勝勢じゃなかったのか?
評価値に差があるだけで、指し続けたら持将棋のパターンか?
ダンスのときと、同じ不安が起こる。
うまく踊れてるのか? じつはかっこ悪いんじゃないか?
気分がノッてるだけで、外野は違う評価をしているかもしれない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5四金。
捨神はこの手をみて、なにかを確信したようだった。
7五龍で、本格的に入玉を再開した。
俺は腹をくくった。
飛車を手にする。中指と薬指で、それを支える。
顔のまえに持っていき、捨神に見せた。
「俺はもう入玉しない。この局で決める。俺が寄せたら勝ち、寄せなかったら負けだ。それでいい」
パシーン
時が止まる──ちがう、ずっと止まっていた。
あの全国大会で、俺とおまえの決着がつかなかったときから。
だから、ここでつける。
9三香、9五銀、8三玉、8四銀打、同龍、同銀、同玉。
後手は大駒が足りなくなった。
だけど関係ない。ほんとうに入玉するつもりはない。
4四には上がらない。それで寄せが発生するなら、受け入れる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「9六桂」
王様が逃げるのは、詰み。
捨神は同香と取った。
同飛成、5七角、5五玉、6六銀、同龍、同角成、同玉。
王様たちが、また邂逅する。8六飛が打たれる。
5五玉、6六銀、4四玉なら、俺の入玉が確定する。
「……」
俺は静かに、7六歩と置いた。
わかってる。
捨神、おまえはまだ入玉しようとしている。
それでいい。
おまえは駒が足りない。角は落ちている。7五桂と打ってこい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7五桂が打たれた。
石鉄、囃子原、観てるか?
大盤はどうなってる?
5五玉の筋なんか、解説しないでくれよ。
おまえたちのことは、信じてるけどな。
捨神、おまえのことも信じてる。
気づいてるんだろう? 俺は入玉しなかった。その結末が訪れた。
……………………
……………………
…………………
………………詰みだ。
「長かったな。これが俺の、最後のステップだ。9五銀」
時が動き始める。
3年のあいだ、俺と捨神のあいだで止まっていた時が。
27手詰め。9五同玉、9六香、同飛、同歩、8四玉、6四飛、7四銀、同飛、同玉、7五歩、8四玉、7四飛、9三玉、8四角、9四玉、7三角成、9三玉、9四銀、9二玉、8四桂、9一玉、8一歩成、同玉、7二馬、9一玉、8二銀まで。
踊り切った。会場のライトに、ひたいの汗が輝く。
俺はチェスクロを押し、大きく息をついた。
捨神は盤をみつめる──そして、顔をあげた。
その表情は、澄み切っていた。
「ようやく終わりだね」
「ああ」
「僕たちの関係も、かな。3年間こじらせてて、ごめん」
「……それはちがうぜ」
捨神は、うっすらと笑みを浮かべた。
俺の意図を理解したというよりも、質問含みの笑みだった。
どういうこと、と、そう訊いていた。
「終わったら、また始めればいいだけだろ」
捨神は破顔した。
心から笑っているようにみえた。
「アハッ、なるほどね。ところで、もうちょっと指したほうがいいかな? この投了図、けっこうキレイだと思うんだけど?」
「囃子原と石鉄なら、うまく解説してくれるさ」
「そうだね……ごめん、やっぱり投了したくなかったのかな。余計な会話だったかもしれない。僕の負けだよ。ありがとう、そして、優勝おめでとう」
場所:第10回日日杯 4日目 決勝トーナメント 男子決勝
先手:吉良 義伸
後手:捨神 九十九
戦型:後手角交換型四間飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4二飛 ▲6八玉 △4四歩
▲4八銀 △9四歩 ▲9六歩 △3二銀 ▲7八玉 △7二銀
▲5八金右 △6二玉 ▲5六歩 △5二金左 ▲2五歩 △3三角
▲3六歩 △7一玉 ▲5七銀 △4三銀 ▲6八金寄 △8二玉
▲7七角 △5四銀 ▲8六歩 △6四歩 ▲8七玉 △7四歩
▲7八銀 △7三桂 ▲3五歩 △同 歩 ▲4六銀 △3六歩
▲2四歩 △同 角 ▲2六飛 △4三金 ▲3六飛 △3四歩
▲3七桂 △3二飛 ▲5五銀 △6三銀引 ▲9五歩 △同 歩
▲9三歩 △4二飛 ▲9五香 △8四歩 ▲9二歩成 △同 香
▲同香成 △同 玉 ▲9四歩 △5四歩 ▲4四銀 △同 金
▲9九香 △9五歩 ▲2六飛 △6五桂 ▲4四角 △同 飛
▲9五香 △8三玉 ▲2四飛 △同 歩 ▲9一角 △7三銀
▲9三歩成 △7二玉 ▲8三金 △6二玉 ▲7三金 △5二玉
▲4五銀 △9九角 ▲7九金 △4一飛 ▲8三と △3三角成
▲6六歩 △同 馬 ▲6七金 △同 馬 ▲同 銀 △6二金打
▲6三金 △同 金 ▲7三と △5三金 ▲6六角 △8五香
▲8四角 △9四歩 ▲同 香 △9五歩 ▲同 角 △3九飛
▲9六玉 △8六香 ▲6二銀 △同 金 ▲同 と △4三玉
▲3五歩 △7九飛成 ▲3四銀 △3二玉 ▲2三金 △3一玉
▲2二歩 △8一飛 ▲2一歩成 △同 玉 ▲2二歩 △3一玉
▲4三桂 △同 金 ▲6四角成 △4二桂 ▲8二歩 △8七銀
▲8五玉 △8三金 ▲9七歩 △9一飛 ▲8六馬 △8四歩
▲同 角 △9四金 ▲7四玉 △8四金 ▲同 玉 △8三歩
▲同 玉 △9四角 ▲7四玉 △7一香 ▲7二香 △同 香
▲同 と △8三銀 ▲6三玉 △7二銀 ▲5二玉 △5三金打
▲同 馬 △同 金 ▲同 玉 △9三飛 ▲4四玉 △7一角
▲5三香 △同 角 ▲4五玉 △4一玉 ▲4三金 △4四歩
▲3六玉 △5二香 ▲3二金打 △5一玉 ▲4二金寄 △6二玉
▲5二金寄 △7三玉 ▲5三金寄 △7六銀成 ▲4六角 △8四玉
▲7九角 △6七成銀 ▲9六香 △9五歩 ▲同 香 △同 玉
▲9六飛 △8四玉 ▲9五金 △8三玉 ▲9四金 △同 飛
▲同 飛 △同 玉 ▲7六角 △8五歩 ▲6七角 △2七銀
▲同 玉 △2九飛 ▲3六玉 △2六金 ▲4六玉 △7九飛成
▲5四金 △7五龍 ▲9一飛 △9三香 ▲9五銀 △8三玉
▲8四銀打 △同 龍 ▲同 銀 △同 玉 ▲9六桂 △同 香
▲同飛成 △5七角 ▲5五玉 △6六銀 ▲同 龍 △同角成
▲同 玉 △8六飛 ▲7六歩 △7五桂 ▲9五銀
まで221手で吉良の勝ち




