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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第47局 決勝トーナメント・決勝(2015年8月4日火曜)
599/686

587手目 エール

※ここからは、飛瀬とびせさん視点です。

 会場のかたすみに立って、私は大盤のモニタを見つめていた。

 となりには、しずかちゃんと美沙みさちゃん。

 静ちゃんは獄門のセーラー服を着ていた。

 美沙ちゃんは黒いワンピースにスカート。

 遠くの大盤では、囃子原はやしばらくんたちが談笑していた。

 けれどもそこには、終盤に向かう緊張感が、はっきりと現れている。

 美沙ちゃんは、

駒桜こまざくらのひとたちと応援しなくて、よかったのですか?」

 と訊いてきた。

「うん……なんだか、熱気にあてられちゃいそう……」

「そういう応援は好きではない、と?」

 ううん、そうじゃない。説明がむずかしい。

 箕辺みのべくんたちは、ほんとうに心から応援していると思う。

 でも、その応援の先にあるものが、なんだか怖い。

 悪いとか、よこしまとか、そういう意味で怖いんじゃない。

 ただ漠然と……私が捨神すてがみくんに対して抱いている想いと、違う気がする。

 私は大盤を見た。

 吉良きらくんは苦しんでいる。

 局面に、というよりも、なにかべつのことに対して。

 静ちゃんは、

〈入玉を避ける意味、ないでしょ。意地張らないで、入ったほうがいいよ〉

 と、テレパシーで話しかけてきた。

 静ちゃんは、そういうタイプだよね。さばさば系。

 苦悩しているのは、吉良くんのプライドだ。

 プライド──違うかもしれない。

 私はこの対局の意味が、まだよくわかっていない。

 日日にちにち杯の決勝。形式的には、それだけ。

 でも、捨神くんと吉良くんにとっては、なにか特別な対局。

 それがなんなのか、私にはわからない。わからないから、不安になる。

 その不安のなかで、モニタに動きがあった。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 会場がざわめいた。

 伊吹いぶきさんは、

《入玉模様でしょうか》

 とコメントした。

 囃子原くんは、

《まだなんとも言えないが……問題は、入玉ルートが細い、ということだ》

 と返した。

 石鉄いしづちくんは、

《一見入りやすそうですが、飛車の横利きを通す手もあるので、簡単には入れません。後手は7九の金を拾えますから、止める手段は豊富です》

 と解説した。

 捨神くんは、8六香。

 この手は早かった。

 吉良くんの入玉へのためらいに、捨神くんは気づいていない。

 そして、吉良くんはそのことに気づいていない。

 ふたりのあいだに、ちぐはぐなコミュニケーションが成立している。

 6二銀、同金、同と、4三玉、3五歩。


挿絵(By みてみん)


 これは──

「吉良くん、まだ寄せをあきらめてないね……」

 私は、そうつぶやいた。

 解説陣も、この手には同じ反応だった。

 石鉄くんは、

《7三角成のほうが、一貫性はありそうでしたが……》

 と口ごもった。

 伊吹さんは、

《寄せは十分見えるので、両立させる感じでしょうか?》

 と解釈した。

 石鉄くんは、バランスを取るほうがいいですね、と付け加えた。

 囃子原くんは、この会話に加わらなかった。

 残り時間は、先手が3分、後手が4分。

 捨神くんの手は、ここで止まってしまった。

 しばらく沈黙が流れる。

 囃子原くんは、

《3二玉と引く手もあるが、放置しても即死はしない。7九飛成で金を回収し、入玉に備える手もあるだろう》

 と、駒の回収を急ぐ手を提案した。

 これは、美沙ちゃんには評判が悪かった。

「囃子原さんレベルに物申すのもアレですが、3四銀と入り込まれたら、かなり厳しいと思います。一回受けるほうが、よくないですか」

 静ちゃんはこれに反論。

〈と言っても、受ける手がほぼないんだよねえ。3三銀なんか打っても、3四歩が厳しくなるだけだし。2三銀は王様が狭くなるよね〉

 静ちゃんの言うとおり。

 受けはないように見えた。

 捨神くんは1分使って、7九飛成とした。

 3四銀、3二玉、2三金、3一玉。


挿絵(By みてみん)


 受か…りそう?

 見た目に反して、先手は歩しかない。

 解説陣は、先手有利という点で、意見が一致した。

 でも、細かい評価では合意がなかった。

 伊吹さんはそこまではっきり言わなかったけど、先手優勢までいってるんじゃないか、というニュアンスが、言葉のはしばしに感じられた。石鉄くんは控えめで、まだまだ後手がんばれる、とのこと。囃子原くんは、どれくらい後手が悪いか、という点には言及しなかった。2二歩以下で、後手が苦しい順を端的に示した。

 そして、その2二歩が指された。

 私は胸がしめつけられる。

 捨神くん、負けちゃうのかな──ほんとうは、そんなことを思ってはいけないと、わかっている。だけど、私はやっぱり、地球人とはちがうんだよ。可能性の低いことを心から信じられないみたい。それは、遺伝子レベルで決まっていることなのかもしれない。

 先手がいい。後手が悪い。だから、後手が勝つ確率は低い。

 それが眼前のリアルだった。


 パシリ


 2二歩が打たれた。

 捨神くんは深くうなずいて、8一飛と寄った。


挿絵(By みてみん)


 囃子原くんは、この手にほほえんだ──ように見えた。

「大局を決める飛車だ。この飛車が働かないようなら、後手の負け。さしあたり、8七銀以下の詰めろになっている。先手も忙しくなった」

 吉良くんは、すぐに2一歩成。

 残り時間は、先手も後手も1分を切った。

 同玉、2二歩、3一玉、4三桂。

 先手はまだ詰めろ。

 後手玉が詰まないなら、先手はどこかで手をもどす必要がある。


 ピッ


 捨神くんが1分将棋に。

 私は胸のまえで手を組んだ。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ


 同金。

 吉良くんは6四角成と引いた。


挿絵(By みてみん)


 囃子原くんは、

《4一玉だと詰んでしまうが、受ければ問題ない。ただし、合駒が問題だ。4二歩合か4二桂合かは、悩ましい。すぐに影響が出るわけではないが、しばらくたつと差が出るかもしれない》

 と解説した。

 伊吹さんは、

《すぐに影響は出ない、とは?》

 と尋ねた。

《4二歩でも4二桂でも、8二歩、8七銀、8二飛で、しばらく同じになる》

《なるほど、数手先で桂馬が必要になるかどうかは、1分将棋では読みにくいということですね。必要ないなら、4二桂と受けたいところですが》


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 パシリ


 4二桂。

 手堅く受けた。

 モニタに映っている吉良くんは、小刻みに揺れている。

 攻めを読んでいるように感じた。

 大盤は、8二歩の叩きを中心に解説している。


 ピッ


 吉良くんも1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 8二歩。

 ここからは、おたがいに59秒を使い切る、ねじり合いが始まった。

 8七銀、8五玉、8三金、9七歩、9一飛。


挿絵(By みてみん)

 

 石鉄くんは、

《この手順はすごいです。8二歩、9一飛では意味がありませんでしたが、ここまで決めて9一飛なら、同香成に9四金以下の詰みが発生します》

 と賛嘆した。

 そうか、同香成とできないんだ。

 飛車がいきなり働き始めた。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 吉良くんは8六馬と引いた。

 伊吹さんは、

《どうでしょうか、先手、若干変調に思いますが……》

 と尋ねた。

 囃子原くんは、

《逆転したように思う。後手持ちだ》

 と答えた。

 後手有利? それとも後手優勢?

 それとも僅差なのかな?

 私の棋力じゃわからなくて、もどかしい。

 8四歩、同角、9四金、7四玉、8四金、同玉。


挿絵(By みてみん)


 あれ? 入れそうじゃない?

 伊吹さんも、

《こんどは後手がミスでしょうか? 一転、入玉できそうですが?》

 と、確認を入れた。

《いや、まだ入れない……が、ミスはあったように思う。9四金ではなく、7五歩だったのではないだろうか。9一香成、9四金以下の筋が美しすぎて、そちらに意識が行ってしまったようだ。あるいは1分将棋で、7五歩との比較が困難だったのかもしれない。僕も読み切れてはいない。いずれにせよ、まだ入れない。8三歩、同玉、9四角でバックから利かせば、入玉ルートはなくなる》

 そうなの? むずかしすぎる。

 モニタを見やる。

 吉良くんの表情は、優勢という感じじゃなかった。

 このことは、囃子原くんの読みを裏づけていた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 8三歩、同玉、9四角、7四玉、7一香、7二香。


挿絵(By みてみん)


 大盤は、入玉する順を検討した。7一香に同と、同飛、7三香も考えられたけど、それは8五銀と後ろから迫るのが好手で、入れないということになった。

 時間が溶けていく。

 モニタの数字は、淡々と減っていく。

 捨神くん、がんばって。

 それが、私の心からのエール。

 勝ち負けはどうでもいい、なんて言わない。

 捨神くんは、勝ちたいと思っている。

 だから、がんばって。

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