586手目 問いかけ
※ここからは、囃子原くん視点です。
ようこそ、会場の諸君。
これだけ集まってもらえるとは、スポンサーとして光栄だ。
あらためて礼を言おう。
さて、今の局面だが──
「石鉄くん、どちらを持ってみたい?」
石鉄くんは、大盤のはしっこに、慎ましく立っていた。
もっと前に出たまえ。
「え、あ、そうですね……僕は居飛車党なので、先手です」
「なるほど、伊吹くんは?」
伊吹くんはマイクを片手に、決めのポーズを取った。
両腕を、胸のあたりで軽くクロスさせる。
見せ方がうまいな。しかし、ややわざとらしい。
「そうですねえ、私も居飛車党なので、先手を持ちたくはありますが……囃子原さんが訊いているのは、そういうことじゃなくて、形勢判断ですよね?」
「どちらでもかまわん」
「仮に形勢判断なら、先手有利だと思います。4六銀と引いて、8二玉、2七香と、挟み撃ちにする順があるので」
模範的な回答だ──が、僕の意見は異なる。
本譜は完全に互角だ。
たしかに、伊吹くんの順は有力だ。僕が組み立てるなら、そうするだろう。
しかし、2七香のあと、角を放置して、9一香と打つのが存外に速い。
【参考図】
先手は2四香、同歩、5五歩とするくらいだが、後手は9四香で端を取り返せる。
この指し回しは、捨神くん好みだ。
いつの間にか立場が入れ替わっている、という指し方は。
そしてそれゆえに、吉良くんの好みではない。
パシリ
やはり踏み込んだか。
伊吹くんは、
「ひえ~という感じの手ですが、同金のあと、どうするんでしょうか?」
と目を丸くした。
「これは、8二玉と逃げるヒマを与えない手だ」
僕の解説に、石鉄くんも反応した。
「9九香が2手スキですね。次に4四角が詰めろです」
そのとおり。8二玉と逃げる必要があるのは、このため。
5四歩と突いた時点で、この順を選択されるリスクがあった。
そのリスクは今、顕在化している。
伊吹くんは、
「8三に銀がいないので、止めるのも難しいです」
とコメントした。
「9五歩と打診したい。先手は同香と取るか、別の手で攻勢に出るかだ」
本譜も、この読み通りに進んだ。
4四同金、9九香、9五歩、2六飛、6五桂、4四角。
さすがに切ったな。
6六角もあった。それで悪かったわけではない。
気質の問題だ。
同飛、9五香、8三玉、2四飛、同歩。
「先手の端攻めは通った。これが捨神くんの誤算かどうか、だ」
伊吹くんは、僕にマイクを向けてきた。
「ちなみに、誤算だと思いますか?」
「ふむ……そうだな……」
僕は腕を組んで、大盤を見た。
「対局者のみぞ知る、と言いたいところだが……個人的には誤算ではない」
「なにか理由がありますか?」
「4四銀と出られたときの表情だ。かるくうなずいていた。ここまでの進行には、ある程度必然性がある。よって、先に予定してあったと考えられる」
「なるほど~、表情から読んだわけですね」
表情から、か。もっと広い情報を使ったつもりだ。
仕草、間合い、手つき──あいまいに言えば、雰囲気。
いずれにせよ、9一角が下ろされた。
さあ、これが厳しいぞ。いきなりの詰めろだ。
石鉄くんは、
「7三銀くらいでしか、解除できないですが……」
とつぶやいた。
僕は、
「そのあとは、9三歩成、7二玉、8三金で、しばらく先手の攻めが続く」
と読んだ。
僕と石鉄くんで検討したのは、8三金以下、6二玉、7三金、5二玉まで決めたあと、どうするのか、という点だった。
【参考図】
僕は6三金のスライドを見せながら、
「これはあまりよくないように思う」
と指摘した。
理由は単純だ。同玉、7三銀が一見好調でも、5三銀と受けられたあとが続かない。8二角成とするか、それとも8四銀不成と引くくらいだ。
この説明を聞いた石鉄くんは、
「ひとによっては、8四銀不成で上部開拓しそうです。ただ、吉良先輩は、この順を選ばないと思います」
と評価した。
というわけで、本命は4五銀。
【参考図】
これも武骨な手ではあるが……受けにくい。
伊吹くんは、
「逃げるのは、ほぼダメっぽいですね~」
と言った。
「うむ、4三飛は6三金、同玉、5五歩で、同歩なら5四銀打の王手飛車だ。だからと言って、4一飛と深く引いても、危険度はそれほど変わらない。6三金、同玉に、けっきょく5五歩と突かれて、同歩なら5四銀打、6二玉、6四角成で包囲される」
伊吹くんは、
「あれ、じゃあ4五銀で先手優勢ですか?」
と尋ねた。
「伊吹くんの意見は、どうかね?」
「うーん、飛車が移動するとダメなら、放置するしかなさそうです。もちろん、単なる放置だと、4四銀で終わっちゃいます。一回受ける必要があるかな、と」
「どう受ける?」
聞き手だからと言って、わからないふりをしなくても、いい。
すでに気づいているのだろう。
伊吹くんは10秒ほど黙ったあと、9九に角を置いた。
「これが詰めろだと思います」
ハハハ、隠れ県代表ならば、こうでなくては。
8八飛以下の詰めろで、おそらくは、これが最善。
5五歩もなくなる。飛車を救出できる。
パシリ
盤面が進んだ。7三銀が指されている。
9三歩成、7二玉、8三金、6二玉、7三金、5二玉、4五銀。
解説の順に入った。
9九角、7九金、4一飛、8三と、3三角成。
僕の見解は互角だが──そろそろ意見が分かれてきそうだ。
石鉄くんにたずねると、先手を持ちたい、とのことだった。
伊吹くんの意見も同様。
会場に聞いてみても、先手持ちの挙手が多かった。
心理的には、そうだと思う。
これだけ押し込んでいれば、攻め倒せると考えるのが普通だ。
けれども、それは印象論にすぎない。
モニタに映っている捨神くんの横顔にも、変化はなかった。
いつも通り、悩まし気に指している。だが、悲観の色はみられない。
僕は遠回しに、
「先手玉は、意外と危ないとは思わないかね? 例えば、6三金、同玉、7三角成、5三玉、6三銀、4二玉、6四馬、3二玉、6五馬で追いやれるが、先手玉は安全と言えるだろうか?」
と尋ねた。
【参考図】
伊吹くんは、
「ここまでやれば、先手悪いようには思えませんが……」
と、僕の解説に懐疑的だった。
もちろん、それでいい。僕が常に正しいわけではない。
だが──
「3九飛から3七飛成とされると、先手は悩ましい」
これが僕の結論だった。
伊吹くんは半信半疑で、
「え、ほんとですか?」
と訊き返した。
「僕の評価では、な……おっと、もう指すようだ」
吉良くんの選択は、6六歩だった。
吉良くんなら、後手陣の意外な寄せにくさ、先手陣の意外な寄せやすさについては、気づくと思っていた。捨神くんもそうだろう。
決勝は最高であることを望んでいる。
スポンサーとしても、おたがいに戦った者としても、そう望んでいる。
6六同馬、6七金、同馬、同銀、6二金打。
伊吹くんは、目を白黒させた。
「予想外と言いますか……この展開は、入玉でしょうか?」
「入玉はしないと思う」
「困難ですか?」
僕はほほえんだ。
次の言葉が伝わるかどうか、自信がない。
「それはふたりにとって、決着ではないからだ」
伊吹くんは、きょとんとした。
石鉄くんも、理解しかねるような顔をしていた。
「ただの勘だ。それより、この局面、どうする?」
石鉄くんは、
「6六角と打ちたいです」
と答えた。
【参考図】
一方、伊吹くんは、
「囃子原さんにはもうしわけないですが、9六玉だと思います」
と、入玉を勧めた。
「どちらもあると思う。4四角は同飛と切られてしまうから、そこだけは注意が必要な局面だ。個人的には6三金と、単に取りたい」
残り時間は、先手も後手も10分。
考えどころだが、果たして正解まで読み切れるかどうか。
どこかで見切りをつけなければならない。
その見切りには、思惑が出るだろう。あるいは、個性が。
パシリ
吉良くんが指した手は、6三金だった。
同金、7三と、5三金。
伊吹くんは、
「やや単調な攻めを選択したようですが……」
と口ごもった。
石鉄くんは、
「先手も、だんだん危なくなってきました。駒を渡しているので、いきなり詰めろになる可能性もあります。例えば7四とには、9九飛が詰めろです」
と指摘した。
【参考図】
……たしかに、8九飛成、同金、7七金、9八玉、9七歩、同玉、9六歩、同玉、8七銀、9七玉、9六香までか。さすがだ、石鉄くん。
吉良くんもこの順を回避した。
6六角、8五香、8四角、9四歩、同香、9五歩、同角、3九飛。
さあ、どうする、吉良くん?
きみは入玉したがっていない。僕にはその確信がある。
信頼と言ってもよいだろう。
だが、入らねば先手不利だ。
きみはだれと戦っている?
捨神くんではないのか?
捨神くんは、入玉をタブー視していない。
きみが入玉で勝とうが負けようが、彼はそれを受け入れるだろう。
王様を入らないのは、独り相撲ではないのかね?
それとも、ひとは結局のところ、じぶんの信念と戦っているのだろうか?
目の前のあいてと、ではなく?
吉良くん、きみの答えは、なんだ?




