578手目 奇跡の三連
※ここからは、囃子原くん視点です。
さあ、捨神くん、どうだ?
そんなに悩む必要などない。
楽しく指せばいいのだ。違うか?
これは遊戯だ。それ以上でも、それ以下でもない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
攻め急いだか? 明らかに甘い。
「3二金だ」
単に上がる。これで受かっている。
僕が8二角を指さなかったせいで、惑ったか?
読み落としがあったのは、表情でわかる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7四飛成。
僕は4三金引で、穴熊を再構築する。
残念だが、攻め手がなくなったな。
先ほどまでは、先手が有利だった。これで互角。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
4六銀。
ミスを認めた手だ。暴発はしないか。
それでこそ捨神くんだ。先はまだ長い。
ピッ
僕も1分将棋。
さあ、終盤戦を楽しもう。有限の時間の中で。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3六香」
反撃させてもらう。
3四歩、3七香成、同銀上、2五桂、3三香。
無視して攻める。3七桂成。
同銀、2五桂、2六銀打、3七桂成、同銀。
「5五角」
角を切らせにかかるなら、6五龍か?
そう簡単にはいかないぞ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
6五龍だったな──悪いが、切らない。
「2九飛」
入玉は許さん。
同玉、3七角成、6八龍。
「3六歩。これで脱出は不可能だ。攻めるか? 受けるか?」
「……」
そう、何度目かのオプションだ。
君は選択をするとき、迷う。ひとよりも、あるいはピアノのときと同じように。
僕は一度、君の演奏を聴きに行ったことがある。
気づいていたかね? おそらくはノーだろう。
あのとき初めて、君に興味を持った。
一音一音、探るような弾き方。
聴き手には心地よかった。しかし、君が楽しそうには見えなかった。
なぜ迷う? なにが怖い?
人生など遊びだ。
僕は囃子原グループの御曹司。
理由は? 理由などない。単なる偶然だ。
君が捨神九十九であることも、単なる偶然。
答えがあるかのように迷うのは、神の不在に対する忘却だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
おそらく最善。
4七馬、3九桂、2八銀、同玉、4六馬、2九玉。
反撃しないと、ジリ貧になるぞ。
3七歩成、同飛、同馬。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
捨神くんの腕が、宙を舞う。
決断したか。
ここからは寄せ合いだ。
同角、3一銀、同銀、同金。
「6七飛」
大技の掛け合い。
捨神くんは、くちびるを結んだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2八銀。
僕は6八飛成と入る。
3七銀で馬は取られてしまうが、1七に放り込めば隙ができる。
読み切ってはいない。
この複雑な局面、人間では読み切れないだろう。
3七銀、1七香、7七角、同龍、3二金。
捨神くんは、角のタダ捨てから攻めに転じた。
詰めろだが──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「1九香成」
同玉、1七香、1八香、同香成、同玉。
先手玉を引きずり出す。
1七香、同玉。
詰みの匂いがする。
3五角……いや、2八銀か?
2八銀、同銀……そこで2六銀がある。2六銀、同玉、3七銀、同銀、4四角以下は、詰みがたちだ。3五に合い駒を打っても、同角、同玉、3七龍と回り込める。3五同角に2五玉なら、2四香、3六玉、5六飛で、サイドからの詰み。
2八銀に同玉は? ……3七龍で詰むか?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2八に銀を打ち込む。
捨神くんも、詰みの可能性に気づいたようだ。
ノータイムで取る局面のはずだが、時間を使った。
「同……玉」
今の時間、使わせてもらった。
3七龍、同玉、7七飛に合駒をしないのは、すべて詰む。
2六、3六、4六のどこに上がっても同じだ。
7七飛に合駒をしなければならないが、歩合いは詰む。
1九角が必殺。
(※図は囃子原くんの脳内イメージです。)
2八桂合も2八香合も詰む。
桂馬と香車で詰むなら、他を考える必要はない。
7七飛に香合いは──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3七龍、同玉、7七飛。
捨神くんは、ノータイムに切り替えなかった。
20秒ほど考えて、持ち駒の中から、飛車と金銀をよりのけた。
無意識の動作。詰む合い駒をはじいているな。
敵失だが、そこまでは僕も読んでいる。情報にならない。
「……」
「……」
歩と香車もはじいた。
残りは角と桂。
本命は桂合いになった。桂合いなら、後手が苦しいかもしれない。
4七桂、1九角、2八香、4六銀、同玉、2八角成以下、追い回してどうか。
この順で詰めば、完璧なのだが──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
角合い?
それで詰まないというのか?
桂合いのほうが安全だったぞ。
ミスか? ……それとも僕のミスか?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「1九角」
金銀飛合いは詰む。歩合いはできない。
香合いは? 4六銀、同玉、2八角成、3七桂、4五歩……詰む。
桂合いは? 4六銀、同玉、2八角成、3七──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2八桂合が指された。
……………………
……………………
…………………
………………詰むか?
4六銀、同玉、2八角成、3七香に、7六飛成がある。
5六合駒でも、5四桂から……5六歩、5四桂、3六玉、3五銀、同玉……1七馬、2六合駒に6五龍と挟み撃ちにして、詰むな。5五香、同龍、同歩、4四銀、2五玉、2四香、3六玉、2六馬、同歩、4六飛以下だ。
(※図は囃子原くんの脳内イメージです。)
5六桂合なら詰まないかもしれないが、桂馬はもうない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4六銀」
同玉、2八角成。
捨神くんは、大きく息をついた。
顔を上げる。
その表情からは、迷いが消えていた。
持ち駒の中から1枚、駒を拾う。
「いつも答えがあるわけじゃないんだけど……答えがあったときは、迷ってよかったと思う。これが僕の答えだよ」
……銀合い? 金駒で受けるのか?
……………………
……………………
…………………
………………そうか……金駒のほうがいい。7六飛成、5六歩、5四桂、3六玉、3五銀、同玉、1七馬、2六飛、6五龍、5五香、同龍、同歩、4四銀、2五玉、2四香、3六玉、2六馬、同歩のとき、4六飛と打てない。
(※図は囃子原くんの脳内イメージです。)
この順で詰まない。
いや、しかし、銀合いなら別の詰み筋が──
……………………
……………………
…………………
………………ないのか。
金合いなら詰みがあった。銀合いだけない。
「角→桂→銀の限定打で負けか……まさにエンターテイメントだな」
「それは投了の意思表示?」
僕は飛車を持ち上げた。
「大盤は盛り上がっているだろう。主催者として、楽しませる義務がある。つきあってもらえるかね?」
「もちろん」
飛車をひっくり返す。7六飛成。
5六歩、5四桂、3六玉。
「いつこの順に気づいた?」
「ほんとに最後の最後だよ。詰み順から逆算した」
3五銀、同玉、1七馬、2六飛、6五龍。
「君は、迷ってよかったと言ったな。迷うのは楽しかったか?」
「うーん、どうだろう……やっぱり苦しいよね。囃子原くんは?」
「僕は迷ったことがない。常に面白いほうを選んできた」
「アハッ、そういうのもいいよね」
5五香、同龍、同歩、4四銀、2五玉、2四香、3六玉。
馬を引きかけて、手をとめる。
「ひとつ教えて欲しい。こういう気分でないと、訊きづらいのでね……将棋を苦しんで指すことに、どういう意味がある? 将棋は遊びだ。違うか?」
捨神くんは、くちびるに親指を当てた。
その仕草が、すでに迷っている。
答えるか、答えないか。あるいは、なにを答えるか。
そうだ、これが僕からの、最後の選択肢だ。
「……決勝が終わったあとでも、いいかな?」
「承知した」
2六馬、同歩、3五飛。
捨神くんは、2七玉と引いた。
僕は水を飲む。
盤を見つめる。美しいと思う。
207手。
会場にはスタッフと我々以外、だれもいなくなっていた。
「このあたりにしよう。いい将棋だった……ありがとう、投了だ」
場所:第10回日日杯 4日目 決勝トーナメント 男子準決勝
先手:捨神 九十九
後手:囃子原 礼音
戦型:先手角交換型四間飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲7七角 △同角成 ▲同 桂 △4二玉
▲6八飛 △6二銀 ▲4八玉 △8四歩 ▲5六歩 △8五歩
▲8八飛 △8四角 ▲5八玉 △3二玉 ▲8五桂 △5四歩
▲8六歩 △5三銀 ▲6八銀 △5二金右 ▲4八金 △7四歩
▲4九玉 △4四銀 ▲3八玉 △2二玉 ▲5七銀 △6四歩
▲5八金上 △1二香 ▲4六銀 △1一玉 ▲2八玉 △2二銀
▲3八銀 △6二飛 ▲4九金 △6五歩 ▲6八飛 △3一金
▲9六歩 △3三銀引 ▲1六歩 △1四歩 ▲9五歩 △4四歩
▲5七銀 △4五歩 ▲7八飛 △3五歩 ▲7一角 △3六歩
▲同 歩 △4二金寄 ▲3七桂 △5二飛 ▲3五角成 △6二角
▲同 馬 △同 飛 ▲7五歩 △4四角 ▲7一角 △5二飛
▲4四角成 △同 銀 ▲6三角 △5一飛 ▲7四歩 △5五歩
▲同 歩 △6六歩 ▲同 歩 △5五銀 ▲7三歩成 △5六歩
▲4八銀 △6六銀 ▲5二歩 △同 金 ▲4五角成 △5七歩成
▲同 金 △同銀成 ▲同 銀 △8九角 ▲7五飛 △4五角成
▲同 飛 △3五歩 ▲同 飛 △4四角 ▲4五飛 △9九角成
▲5三歩 △3五歩 ▲同 飛 △3三香 ▲同飛成 △同 馬
▲3五香 △5三金 ▲3三香成 △同 桂 ▲6二と △4一飛
▲2六角 △3五歩 ▲同 角 △4四金打 ▲同 角 △同 飛
▲2六角 △3四香 ▲4四角 △同 金 ▲7一飛 △2一角
▲4一金 △3二金 ▲7四飛成 △4三金引 ▲4六銀 △3六香
▲3四歩 △3七香成 ▲同銀上 △2五桂 ▲3三香 △3七桂成
▲同 銀 △2五桂 ▲2六銀打 △3七桂成 ▲同 銀 △5五角
▲6五龍 △2九飛 ▲同 玉 △3七角成 ▲6八龍 △3六歩
▲3八飛 △4七馬 ▲3九桂 △2八銀 ▲同 玉 △4六馬
▲2九玉 △3七歩成 ▲同 飛 △同 馬 ▲3二香成 △同 角
▲3一銀 △同 銀 ▲同 金 △6七飛 ▲2八銀 △6八飛成
▲3七銀 △1七香 ▲7七角 △同 龍 ▲3二金 △1九香成
▲同 玉 △1七香 ▲1八香 △同香成 ▲同 玉 △1七香
▲同 玉 △2八銀 ▲同 玉 △3七龍 ▲同 玉 △7七飛
▲4七角 △1九角 ▲2八桂 △4六銀 ▲同 玉 △2八角成
▲3七銀 △7六飛成 ▲5六歩 △5四桂 ▲3六玉 △3五銀
▲同 玉 △1七馬 ▲2六飛 △6五龍 ▲5五香 △同 龍
▲同 歩 △4四銀 ▲2五玉 △2四香 ▲3六玉 △2六馬
▲同 歩 △3五飛 ▲2七玉
まで207手で捨神の勝ち




