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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第46局 決勝トーナメント・準決勝(2015年8月4日火曜)
588/686

576手目 応援

※ここからは、箕辺みのべくん視点です。

 将棋の応援は、どこかもどかしい。

 今さらながら、そのことに気づかされる。

 声も出せないし、ポンポンとゲームが進むわけでもない。

 俺たち駒桜こまざくらのメンバーは、一ヶ所に固まって、大盤解説を聴いていた。

 葦原あしはら先輩の解説は丁寧で、今は先手の囲いを説明しているところだった。

《先手には、2通りの方針があります。ひとつは、穴熊が完成する前に、速攻をかけることです。しかし、この局面で速攻が成立するとは、思えません。したがって、2番目の方針、すなわち、美濃に組みなおすことが考えられます》

 葦原先輩によると、美濃への組み換えは、可能らしい。3八銀と上がって、4九金と引きなおせばいい、というわけだ。もちろん、手数がかかる。穴熊はそのあいだに完成してしまうだろう、とも言っていた。

 もうひとりの解説者の少名すくなは、

《先手が囲いなおしてるあいだに、4枚穴熊までいきそうだな》

 と、懸念を示した。

《はい、できれば先手から動ける状態に、しておきたいですね》

《二兎にならなきゃいいけどなあ》

 捨神すてがみは、そういうタイプではない──と思う。たぶん。

 だからこそ、悩んでいる感じがする。

 俺は、となりに座っているふたばにも訊いてみた。

「これ、囲ってさらに先手から攻める、って、できるのか?」

「んー……できて欲しいよねぇ」

 この言い方は、できないと踏んでるな。

《っと、捨神が動くぜ》

 モニタに捨神の腕が伸びた。


挿絵(By みてみん)


 葦原先輩は、

《さっそく牽制しました。しかし、5五歩は成立しないと思います》

 とコメントした。

 だよな。4四銀がガードしている。

 囃子原はやしばらは悠々と、1一玉。

 以下、2八玉、2二銀、3八銀、6二飛で、後手のほうから動きを見せた。

 少名は、

《いやらしい手だ。単に穴熊を目指すんじゃなくて、固めてポンも見せてる》

 と指摘した。

 捨神は、とにかく囲うしかない。

 4九金、6五歩、6八飛、3一金。


挿絵(By みてみん)


 囃子原は、手堅く3一金型へ移行した。

 遊子ゆうこはこれを見て、

「後手は、手のうちを見せない作戦みたい」

 とつぶやいた。

 このへんの押し引きについては、遊子も判断がうまい。信用できる。

 俺はしばらく黙って──ふと、訊いてみたいことができた。

「カンで答えてくれて、いいんだが……囃子原って、弱点はあるのか?」

 遊子の目つきが、鋭くなった。

 真剣にゲームをしているときの目つきだ。

「……あるかも」

「ほんとか? なんだ?」

 指しかたのクセか、それとも、序中盤で苦手なところがあるのか。

 遊子の回答は、まったく予想外のものだった。

「本気で指してないこと、かな」

「本気で指してない……? 遊んでるってことか?」

「ううん、ちょっと違ってて……スポーツでもそうだけど、負けられないときの本気モードって、あるよね。神経が緊張してるっていうか……今回の大会だと、六連むつむらくんが、そんな感じだった」

 六連の名前が出て、俺はやや困惑した。

 ああいう結末になって、その余韻がまだ残っていたからだ。

「囃子原は、緊張してないってことか? それはいいことなんじゃないか?」

「緊張は、必ずしも悪いことじゃないよ。集中力が高まるし。囃子原くんは、どこか本気で指してない……あるいは、本気で指せないんじゃないかな。それが心理的なものなら、弱点だよね」

 遊子の説明を、俺は十分に咀嚼できなかった。

 本気ってなんだ?

 将棋って、いつも本気で指すもんじゃないのか?

 俺が混乱するあいだにも、局面は進んでいく。

 9六歩、3三銀引、1六歩、1四歩。

 後手は4枚穴熊か?

 捨神はここで、すこし迷った。

 でも、時間差がつくのがイヤだったのか、9五歩と手渡しした。

 4四歩、5七銀、4五歩、7八飛。


挿絵(By みてみん)


 捨神も、動く態勢がととのった。

 ひとまずホッとする。

 解説の葦原先輩は、扇子で後手陣をさした。

《4枚穴熊が本線かと思います》

《だけど、4二金寄には、8三角があるぜ》

 現時点では、8三角に6三金がある。

 さすがに俺でもわかる。

 4二金寄は、やりにくいか?

 サイドカメラのモニタには、囃子原の姿が映っていた。

 ひじかけに両腕を乗せて、椅子に堂々と座っている。

 ちょっと高校生っぽくない貫禄だ。

 ふたばは、

「先手が攻めるのを、待つだけだと思うよぉ」

 と言った。

 ところが、これは外れた。

 囃子原はひとくち水を飲んで、そのまま3五歩と伸ばした。


挿絵(By みてみん)


 今度は、捨神が考え込むターンになった。

 少名は、

《一目、7一角》

 と読んだ。

 葦原先輩も、うなずいた。

《そうですね……しかし、罠のようにも……》

《7一角と打たないなら、2六歩くらいしかなくね?》

《2六歩は有力だと思います》

 意見が分かれた。

 葦原先輩は、2六歩で十分だから、罠っぽい手は指さなくていい、という立場。

 少名は、そんなことは考えずに、打ったほうがいい、という立場。

 このあたりは、性格の問題にも見える。

 俺とふたばと遊子も、あれこれ議論した。

 ふたばは、

「2六歩だと、構想勝負だねぇ。つっくんなら、心配ないよぉ。7一角は、囃子原くんがいかにも読んでそぉ」

 と、2六歩を推した。

 遊子は、

「持ち時間に、4分差あるんだよね。ここは踏み込んだほうが、いいと思う」

 と、7一角を推した。

 残り時間は、先手が19分、後手が23分。

 囃子原は、穴熊の選択と、今の3五歩のところでしか、長考していない。

 捨神のほうが、駒組みに苦心している感じがした。

 解説者たちも、細かく読み始めた。

《2六歩に3四銀と支えたとき、穴熊が弱体化します》

《3四銀じゃなくて、5五歩じゃないか?》

《同歩に?》

《7三桂とぶつける》


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 これは……交換になるのか?

 後手が暴れられるなら、2六歩の意味は、あまりない気がした。

 だけど、葦原先輩も、反論を用意していた。

《7三桂には同桂成とせず、5四歩と伸ばすのが急所です。後手から8五桂ならば、無視して5五角と打ちます》


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 なるほど、そういう手があるのか。

 少名も腕組みをして、うなった。

《うーん……6三飛、8五歩、7三角で、ぶつけるのは?》

《8五歩とせず、9一角成でよいのでは?》

《5七角成、同金、7七桂成、同飛、6八銀があるぞ》


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 葦原先輩が考える番になった。

《なるほど……しかし、2五桂くらいで、よいと思います》

 ふたりがあれこれやっていると、司会の内木うちきが戻ってきた。

 大盤を一瞥して、

《こちら、どのような感じでしょうか?》

 とたずねた。

《いいところに来たな。どっちがいいか、教えてくれ》

 少名は、2六歩と7一角の選択を説明した。

 内木は営業スマイルをやめて、将棋指しの顔になった。

《……どちらもいい勝負だと思います。最後、2五桂と打った局面では、先手を持ちたいですが……というより、私は現時点で、若干先手持ちです》

《え、それって地元推しだから、じゃなくて?》

《有力な選択肢が先手にふたつ生じている時点で、純粋に先手を持ちたいです》

 葦原先輩は、

《悩ましいのではなく、選択ができる、と考えるわけですね》

 と解釈した。

《おっしゃる通りです》

《しかしながら、それは個人の受け止めかたに、依存するやもしれません》

 葦原先輩はそう言って、モニタへ視線を走らせた。

 捨神は、猫背で盤面を見つめている。

 その表情は──明らかに、迷っていた。

 ふたばもこれに気づいていた。

「つっくん、悲観しちゃダメだよぉ」

 悲観……悲観なんだろうか?

 そうじゃなくて……言葉にしにくいな。

 マジメ過ぎる? うしろ向き? 優柔不断?

 どれも違う。

 なんだろう……ひとを疑い過ぎている?

 言いかたは悪くても、これが一番近いと思う。

 他人から与えられた選択肢に、すなおに反応できないんだ。

 それは、捨神の性格かもしれない。あるいは、これまでの人生経験のせいか。

 囃子原はそれを知って、わざと選択させているような気がした。

 内木は、マイクを持ったまま、アッとなった。

《捨神選手、動きます》

 捨神は一度手を伸ばして、それからすこしだけ戻した。

 だけど、最後は手を決めた。


挿絵(By みてみん)


 そっちか。

 葦原先輩は即座に、

《こちらを選択しましたか……打たされた感もあります》

 と、やや意外に思っているらしかった。

 少名は、

《思いっ切りがよくて、いいだろ~》

 と、勢い重視。

 内木は司会だからか、でしゃばった発言をしなかった。

 囃子原は、ノータイムで3六歩と突いた。


挿絵(By みてみん)


 そう来るのか。

 これは解説陣にも、予想外だったようだ。

 葦原先輩は、

《はて……4二金寄、6二角成、同角で、後手陣は万全かと思いましたが》

 と、疑問のようすだった。

 少名は、

《一本入れてるだけだろ》

 と返した。

 これは当たったみたいだ。

 同歩に4二金寄。

 葦原先輩は、

《どうやら光彦みつひこのほうが、対局の流れとシンクロしているようですね》

 と認めた。

《へっへーん、俺の人読みは当たるんだって》

 他人が簡単にわかるなんて、俺は信じていない。

 捨神のことを理解するまで、俺は何年もかかった……いや、そうじゃない。

 俺は未だに、捨神のことが理解できていない。

 この将棋の内容だって、よくわからない。棋力的にも。

 だけど、ここにいる。

 それが応援するってことじゃないのか?

 捨神、がんばってくれ。

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