569手目 もうひとつの世界線
※ここからは、鳴門くん視点です。準決勝開始前に戻ります。
僕と耕平は、控え室に入った。
大盤解説場のホールに併設されている、スタッフルームだ。
ふだんは給仕のひとが出入りしているらしく、それっぽい道具が置かれていた。
入室したのは、15分前。
司会の内木さん、夜ノさんと、簡単な打ち合わせがあった。
開始10分前に、会場へ移動。
僕たちは、一番最後に退出しようとした。
すると、耕平は、
「なにしゃべるか、決めとかない?」
とたずねてきた。
「ぶっつけでも、だいじょうぶでしょ。時間ないし」
「駿、あいかわらずのクソ度胸」
どうかなあ。
本音を言っちゃうと、打ち合わせしたほうが、緊張すると思うんだよね。
ストーリーを作ったら、それを意識してしまう。
入学式や卒業式でも、進行が決まっている分だけ、緊張しない?
次はこうしないといけないな、とか、順番をまちがえるとイヤだな、とか。
僕だけかな。とりあえず、僕らは事前準備なしで挑むことに。
僕らが担当の大盤は、スタッフルームから一番遠かった。入り口の近く。
壇に上がると、拍手が起こった。
えーと、司会のひとは……いないね。
内木さんも夜ノさんも、別のところにいた。
じゃ、僕らで始めちゃって、いいわけだ。
僕はピンマイクの音量を確認してから、
「解説の鳴門駿です。よろしくお願いします」
とあいさつした。
「米子耕平です。よろしくお願いします」
耕平、ちょっと緊張している。
アイスブレイク。
「選手紹介から始める?」
「あ、いいっすよ」
「この大盤は、吉良vs石鉄戦です。吉良義伸くんは、王手町高校2年生。予選を2位で通過。K知県の県代表常連です。相手は、石鉄烈くん。愛甲学園高等部1年生。予選はプレーオフから4位で通過。中学大会では、かなりの好成績を収めています」
ここだけ丁寧語でやっておく。
そのあとは、いつもの語り口へもどした。
「耕平、戦型予想は、どうかな?」
「わかんないっす」
僕もわかんない。
もうなんでもありな気がする。
対局者同士の距離感みたいに、雰囲気で決まることもある。
ここで、夜ノさんが登場。捨神vs囃子原から移動してきた。
拍手。
「おふたりとも、おつかれさまです」
「おつかれさまです」
「おつかれっす」
「今、戦型予想をなさっていましたね? もしよろしければ、詳しく……」
僕はここで、モニタの動きに気づいた。
「あ、夜ノさん、ちょっと待ってください。振り駒です」
僕らは振り駒を見届ける──吉良が振って、表が2枚。吉良の後手。
夜ノさんは、気をとりなおして、ふたたびマイクを向けてきた。
「石鉄さんの先手になりました。戦型予想に、変化はありますか?」
僕は、特にない、と答えた。
耕平はちょっと意見を変えて、力戦かも、とつけくわえた。
「承知しました。ところで、鳴門さん、今回の大会について、ご自身の感想なども、お聞かせいただけますか?」
つっこんだ質問だね。
訊かれるかな、とは思っていた。
「プレーオフは、とちゅう良かった局面もあったので、残念です。予選では上の選手にほとんど入っていなかったので、まあ仕方がないですね。全体としては、納得のいく結果でした」
「ありがとうございます。米子さんは、いかがでしょうか?」
「俺っちは、パーフェクトに実力不足だったっす」
というわけで、前座は終了。
1分前になって、僕たちは会話をやめた。
《……対局開始です》
7六歩、8四歩、2六歩、8五歩、7七角。
【先手:石鉄烈(E媛県) 後手:吉良義伸(K知県)】
意地のぶつかり合いが始まった。
耕平は、
「角換わりなんだ。後手で受けるとは、思わなかった」
と、ちょっとおどろいているようだった。
3四歩、6八銀、7七角成、同銀、4二銀。
僕は駒を動かしながら、
「後手がどういう構想を持っているのか、見ものだね」
とコメントした。
耕平は、
「後手から速攻がありそう」
と推測した。
かもしれない。力将棋で潰すのは、吉良の棋風からしてもアリだ。
7八金、6二銀、4八銀、1四歩、9六歩、9四歩、3六歩。
ちょっと変則的だな。
王様の移動先を模索している。
夜ノさんは、
「右玉含みになっているようですが~」
と言った。
僕も同調して、
「そうですね。後手は右玉もありえそうです」
と返した。
3三銀、1六歩、3二金、4六歩、7四歩、3七桂。
耕平は、
「腰掛け銀、消えた?」
とたずねてきた。
「いや、まだあると思う。ただ、どっちかが避けるかも」
6四歩、4七銀、6三銀。
腰掛け銀っぽい?
6六歩、7三桂、6八玉、6二金、2九飛、8一飛。
4八金のあと、吉良は5四銀と出た。
烈も10秒ほど考える。そして、5六銀。
僕は、
「部分的に、角換わり腰掛け銀だね。あとは、後手の王様の次第か」
と解説した。
吉良も、迷っているようにみえる。
天井カメラから見る指し手に、思い切りが感じられなかった。
ここで夜ノさんは、戦線離脱。
「別の大盤へ、しばらく移動させていただきます」
はーい、どうぞ。
4四歩、3八金で、吉良の手が止まった。
「これ、先手から仕掛けられそうっすよね」
たしかに、耕平の言う通りだ。
後手がどう動いても、先手に仕掛けるタイミングがありそう。
僕らは本格的に解説を始めた。
パターンがいろいろある。順番に整理していこう。
「後手としては、王様を寄るか、他の駒を動かすか、この選択を迫られてる。王様を寄る場合は、4筋のほうへ移動するか、それとも5二玉と立つか」
「5二玉は、右玉模様っすね。4一や4二なら、普通の角換わり腰掛け銀っす」
「4一でも4二でも、すぐに4五歩と仕掛ける手がある」
【参考図】
「3一玉、2五桂、4五歩なら、3三桂成、同桂の進行」
「2五桂に2四銀は?」
「それは4四歩の取り込みが、厳しすぎる。この瞬間、後手は歩切れ。だから6五歩と攻め合うくらいしかないけど、4九飛、6六歩、6三歩で、先手良しじゃないかな」
耕平はこの順を再現した。
腕組みをして、うーんと首をかしげる。
「変化はいろいろあるくない?」
「厳密に全部読んでるわけじゃ、ないよ」
例えば、6五歩の前に8六歩を入れるとか、4九飛が入るとか。
でも、全部先手良しだと思う。
このあたりの解説はさらっと流して、4五同歩とする順へ移った。
【参考図】
じつは、こっちのほうが難しい。
耕平は、
「パッと見、同銀、同銀、同桂で、潰れそうっすけどね」
とコメントした。
「4四銀で、意外と潰れないと思う」
「そうっすか?」
耕平は10秒ほど大盤を見つめて、6三銀と打ち込んだ。
「露骨だね」
「でも同銀なら潰れるし、6一金じゃダメっぽくない?」
「6一金は、わりと粘れるよ」
そうかなあ、というのが、耕平の反応だった。
僕個人の読みは、7四銀成に7二金で、なんともない、というもの。
耕平は、なかなか同意しなかった。
「7五歩を絡めていけば、なんとかなりそうな……」
パシリ
あ、解説中に指されちゃった。
僕らは4二玉型を打ち切って、5二玉型へ移った。
耕平は、
「これも4五歩?」
と質問した。
「4五歩は成立しないんだよね。さっきの6三銀がないから」
「あ、そっか」
6三銀、同玉で、タダ捨てになってしまう。
「というわけで、すぐに攻めるなら4九飛。溜めるなら2五歩」
「4九飛……4一飛? なんか千日手になりそうじゃない?」
その可能性、けっこうありそう。
吉良としても、千日手を避ける必要はない。後手番だ。
打開のプレッシャーをかけられるのは、烈のほう。
僕は4九飛、4一飛まで進めて、ふとあることに気づいた。
これ、飛車を回られた瞬間、4五歩があるんじゃないかな。
恥をかかないように、ちゃんと読みを入れる。
……………………
……………………
…………………
………………あるな。
僕は4五歩と突いた。
【参考図】
耕平は、しばらく沈黙した。
もちろん、僕がこの手を有望視していることは、ちゃんと伝わった。
「……同歩、同銀、同銀なら、同飛で突っ込める?」
「かもね」
耕平はひとさしゆびで、大盤をあれこれゆびさした。
頭のなかで、駒を動かしているのだろう。
「……これも難しくない?」
今度は、僕も認めた。
「同飛、同桂、4九飛があるからね。先手は6八玉が不安定」
「そうっすよね。4九飛、3三桂成、同桂、8一飛と打っても、5一桂で受けられちゃうから、厳しくない? 先手のほうは、8九飛成が残っちゃってるよね」
かなり面白いかたちになった。
それが僕の感想だった。
先手から開戦しても、バランスが取れている。
角換わりは一方的になりやすいけど、本局はそういう気配がなかった。
パシリ
烈も指した。4九飛。
解説通りの飛車回り。
ところが、この次が予想外だった。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………7五歩の防止?
耕平もそう読んだらしく、
「7筋を守ったんだろうけど、消極的じゃない?」
とコメントした。
吉良が指したから、信用したい気持ちもある。
けれど、個人的には微妙。耕平と同意見。
理由はちゃんとある。僕は7一の地点を、遠くからゆびさした。
「一段目に飛車がいなくなったから、ここに角を打てるね」
8四飛のデメリットは、これだ。一段目に飛車がいないと、右玉は弱体化する。
烈も攻めどきと見たのか、長考した。
残り時間は、先手が20分、後手も20分。
とりあえず、4五歩と進めてみよう。
「交換後、4四銀に7一角かな」
【参考図】
耕平に、評価を訊いてみた。
「そうっすね……金を逃げたら、5三桂成、同銀、同角成、同玉、4一飛成で終了。だから、4三金といったん上がって、8二銀……あれ? これ角死んでない?」
耕平が示したのは、8二銀、7二金だった。
僕は7三銀不成と切って、同金に5六桂と打つ順を提案した。
【参考図】
これで先手の攻めが、続くんじゃないかな。
あ、でも、6一玉と露骨に殺しにきて、厳しいか。
これが成り立っていないなら、8四飛は、いい手だったのかも。
っと、夜ノさんが戻ってきた。
忙しいね。
「こちら、いかがでしょうか?」
僕らは現局面を、簡単にまとめた。
夜ノさんは8四飛を見て、しばらく固まった。
「……7一角が利かない恐れあり、と。しかし、代替案も難しいです」
そういうこと。
僕はモニタを見た。
烈は背筋をまっすぐ伸ばして、真剣に読んでいる。
僕があそこに座っている世界線も、あったかもしれない。
なにが足りなかったんだろう?
真摯さ? それとも棋力?
客観的にみれば、後者だよね。
局面は、まだ動かない。
それはまるで、すでに終わってしまった、僕の大会のようだった。




