563手目 敗者の弁
※ここからは、磯前さん視点です。
あー、負けた負けた。
会場を出たあたしは、壁面ガラスの前で、大きく背伸びをした。
いつも通りの日常が、足もとに広がる。
天気は快晴。遥か向こうの街並みまで、はっきり一望できた。
さすがに四国は見えないけど。
あたしは階段を使って降りる。クールダウン。
カフェのある階まで来た。
ホテルによくある、ちょっと高級そうなお店。
壁が白い漆喰で、天井からランプがぶら下がっている。
入り口で、選手用のチケットを見せる。
空いている席へ通された──っと、駿じゃん。
耕平と一緒に、将棋盤を挟んでいた。
駿が壁側、耕平が通路側。
邪魔しちゃ悪いかな、と思った瞬間、駿はこっちに気づいた。
ちょうど駒を打ちかけたかっこうで、
「あ、磯前先輩、終わったんですか?」
と訊いてきた。
あたしは帽子を脱いで、
「さっき終わったとこ」
と答えた。
「どうでした?」
あたしは帽子を振った。
「負け負け」
駿は、そうですか、とだけ言った。
「駿は?」
「負けました」
あ、そうなんだ。
雰囲気的に、どっちかわかんなかった。
あたしは、隣のテーブルに座っていいかどうか、たずねた。
駿はオッケーした。
手前の、ふたりがけテーブルに腰を下ろす。
テーブルとテーブルのあいだには、数センチ隙間があった。
べつに埋めなくてもいいよね。
店員さんがすぐに来て、お冷とメニューを持って来た。
「パフェあります?」
「こちらにございます」
店員さんは、メニューをひらいてくれた。
チョコ系とストロベリー系か。オーソドックス。
「こっちのイチゴで」
「かしこまりました……ご注文は、以上でよろしいでしょうか?」
オッケーです、と。
店員さんが去ったところで、駿は、
「ずいぶん奮発しましたね」
と言ってきた。
「おやつの時間」
「アハハ、磯前好江四段の、本日のおやつの写真です、と」
タイトル戦のあれは、目に毒だよ。
全部美味しそう。
「で、駿はなにしてたの?」
「プレーオフの反省会です」
真面目過ぎるでしょ。
あたしが驚いていると、駿は、
「気持ちを整理するには、納得するしかないと、そう思うんですよね」
と言った。
あー……なるほどね。
そういうのって、ある。
理由はよくわからないけど、敗因が整理できたら落ち着くというか。
釣りでもそう。釣れなかった理由がわかったら、気持ちも収まる。
「磯前先輩は、あとで検討するタイプですか?」
「日によるけど、基本は後日」
冷静になったほうが、反省も正確になりそうだから。
もっとも、駿は冷静になるのが、早いのかもしれない。
わりと冷めてるイメージがあるし。
「駿と烈だったよね。どういう対局だった?」
「僕が後手で、相雁木でした」
「ずばり、ポイントは?」
駿は、持っていた駒をようやく打った。
盤を見つめて、しばらく沈黙する。
ひとつ首をかしげて、肩のヘッドセットが揺れた。
「ポイントは、いろいろあったと思います。中盤は、もう悪くしてました。作戦の失敗が、第一で……先手が間違えてくれたあと、決めきれなかったのが敗因です」
「終盤は良かったってこと?」
「ええ、たぶん」
「なんだ、あたしと一緒じゃん」
「そうなんですか?」
ここでパフェが届いた。
あたしはスプーンを持って、生クリームを頬張る。
うーん、将棋のあとの甘いもの、最高。
あたしは食べながら、対局の内容をかいつまんで説明した。
「というわけで、銀打ってれば勝ってたんじゃないかな」
「ソフトにはかけました?」
「まだ」
パフェ攻略は、中盤戦に突入。
真ん中のアイスクリーム地帯を攻める。
やっぱ夏場はアイスだなあ。
「駿はソフトで検討済み?」
「いえ、AI検討は、最後の最後でやります。今は耕平と人力です」
「ふたりでやれば、捗るね」
「耕平は、僕の対局を観てたんですよ。大盤のほうで」
へえ、そういうことか。
あらかじめ詳細は知ってるわけだ。
ますます捗る。
「そういえば、大盤は解説がついてたんでしょ? ひとりだった?」
あたしの質問に、耕平は、
「ふたりだったっす。阿南っちと長尾っちでしたね」
と答えた。
「あなーん? 阿南には解説されたくないなあ」
あたしがそう言うと、耕平は、
「でも阿南っち、上手かったですよ」
とフォローした。
「会場受けはしそうか……あ、店員さん、コーヒーブラックで」
口の中が甘々になっちゃった。
紙ナプキンで、くちびるを拭く。
「大盤解説は4階だっけ?」
駿は、そうです、と答えた。
「席取れるかな。無理?」
駿は、耕平と目を合わせてから、
「なんで席を取るんですか?」
と訊いてきた。
おいおい。
「決勝トーナメント観ないの? 遊びに行くつもり?」
「いえ、僕は解説なんですが……」
「え、そうなの?」
「磯前先輩も、ですよ」
……………………
……………………
…………………
………………なんだって?
「聞いてないんだけど」
「予選の上位が解説ですから、僕らも当然に入ってますよ」
「プレーオフ敗退でも?」
「プレーオフ敗退は、予選敗退のトップですよね」
一理ある……けど、納得できない。
「罰ゲームじゃん」
「ば、罰ゲームじゃないと思いますが……」
「だって、こんなのいろいろ訊かれるよ。プレーオフ敗退の感想とか」
「相方次第だと思います」
「相方も決まってる? 真沙子ちゃんじゃないよね?」
あの子、絶対イジってきそう。
駿はスマホで調べた。
「……みかんちゃんですね」
セーフ。
「担当も決まってる?」
駿は、スマホをこちらに向けた。
【女子決勝トーナメント 準決勝】
大谷雛(T島)vs鬼首あざみ(O山)
解説:磯前好江、温田みかん
早乙女素子(H島)vs萩尾萌(Y口)
解説:桐野花、梨元真沙子
【男子決勝トーナメント 準決勝】
石鉄烈(E媛)vs吉良義伸(K知)
解説:鳴門駿、米子耕平
捨神九十九(H島)vs囃子原礼音(O山)
解説:葦原貴、少名光彦
※50音順。先後未定。
ひよこの対局かあ。
ほんとに罰ゲーム感あるな。
駿は、
「辞退はできるみたいです。剣さんは、囃子原くんの警護があるとかで、抜けてるみたいですし、六連くんも出てません」
と教えてくれた。
「……いや、せっかくだし、やるよ」
ただなあ、解説って、どうやってやるんだろ。
よくわかんない。
香子ちゃんあたりに訊いてみるか。
あたしはスマホで、香子ちゃんに連絡を取った。
……………………
……………………
…………………
………………MINEに既読がつかない。
地元のメンバーといっしょ、ってあたりかね。
「駿、解説の仕方って、知ってる?」
「わかんないです」
「耕平は?」
「わかんないっす」
鳴門は肩のヘッドセットをなおしながら、
「ま、プロがやってるみたいな感じで、いいんじゃないですか」
と言った。
いやいや、プロはあれが仕事のひとつでしょ。
それに初登板のときは、プロもお通夜みたいなのが多いじゃん。
あたしが指摘すると、駿は、
「僕と耕平は、音楽談義でもしようか」
と笑った。
「音楽の未来について、なんとなく語るっす」
「磯前先輩も、釣りの話をすればいいんじゃないですか?」
「みかんが乗ってこれないでしょ」
そうなの~、すごいの~、くらいしか返ってこなさそう。
やっぱり将棋をマジメに解説するしかない。
戦型予想くらい、しておくか。
横歩? いい加減に研究ストックがなさそう。
矢倉? ありえるけど、雁木に変化しそうかなあ。
角換わり? けっこう有力。でも、研究ストックがなさそう。
ようするに、もう最終盤。おたがいにボロボロだ。
ゲームと違って、ボスの手前で回復は、できないからね。
となると、あとは気力・体力の勝負。スタミナが大事だなあ。
運ばれてきたコーヒーに、あたしは口をつけた──あっつッ!




