559手目 バチバチ
※ここからは、二階堂早紀さん視点です。
やったー、解説だあ。
亜紀より成績が良かったもんね。
姉より優れた妹などいないのだ。わっはっは。
なんて、笑ってる場合じゃない。
相方は、出雲先輩だった。
波打った前髪の奥から、じっとりとしたまなざしを向けてきた。
「よろしく頼むぞえ」
「は、はい」
出雲先輩、性格が悪いわけじゃないんだけど、見た目が怖いんだよね。
なんか妖怪みたいというか……あと、上級生だから、距離感が。
学年差は大きいよ、うん。
これなら亜紀と解説するほうが、気楽だった。
「二階堂氏は、第1局の結果について、どうお感じか?」
「そうですね……早乙女さんが得意戦法で快勝、というイメージです」
解説の控え室で観てたけど、めちゃくちゃ強かったなあ。
あそこまでキレイに勝てるのは、すごいよ。コンピューターみたい。
「大谷氏がこの敗戦をどう感じるか、そこも影響しそうじゃの」
大谷先輩は、あんまり気にしないんじゃないかな。
むしろ大谷先輩が「負けちゃったわ」とか言って泣いてたら、中のひとが入れ替わったのかと思っちゃう。
「して、戦型予想は?」
「無難に相居飛車かな、と」
矢倉、角換わり、横歩、雁木。
わりとなんでもアリそう。
ちなみに、振り駒はもう終わっている。
先手が磯前先輩、後手が大谷先輩。
7六歩、8四歩か、それとも7六歩、3四歩か。
初手2六歩もありえる。
わたしは振り飛車党だから、どれも出雲先輩任せになりそう。
がんばって読むけどね。
《第2局、準備が整いました》
ワイヤレスイヤホンから、声が聞こえた。
わたしたちは神妙に待つ。
《……女子プレーオフ第2局、開始です》
一礼する姿がモニタに映って、対局が始まった。
7六歩、8四歩。
先手の磯前先輩は10秒ほど考えて、6八銀と上がった。
【先手:磯前好江(K知県) 後手:大谷雛(T島県)】
出雲先輩は、扇子を口もとにあてて、
「矢倉か雁木か」
とつぶやいた。
そのどっちかの可能性は、高そう。
大谷先輩も、ここはちょっと考えた。
3四歩。
この手を考えていたんじゃなくて、方針決めだね。
7七銀、4二銀、2六歩、6二銀、2五歩。
わたしは大盤を動かしながら、
「7七銀で、雁木は消えました。けど、2五歩が早いです」
と解説した。
振り飛車党でも、さすがにこれくらいはわかる。
今のうちに発言稼ぎしておこう。
「矢倉と見せかけて、力戦形かもしれん」
定跡勝負にはしないってことか。
このへんは心理戦だよね。
3三銀、3六歩、3二金、7八金、4一玉、6九玉、8五歩。
ん? これは4八銀、7四歩だと、同型?
と思った瞬間、その通りになった。
4八銀、7四歩、5八金、5四歩、5六歩、7三桂、3七桂。
「5二金が入ると、完全に同型ですね」
「うーむ、同型にするメリットは、後手になかろう」
「一手速いですもんね」
パシリ
6四歩。
予想通り、後手からはずした。
なかなか好調なんじゃないの、この解説。
6六歩、8一飛、4六歩、6三銀、7九角。
出雲先輩は、扇子をパチリと鳴らした。
「後手も攻めどきじゃ」
「どこから攻めますか?」
「6五歩」
わたしは駒を動かした。
【参考図】
ふむ……よくわからない。
「取ると? 同桂?」
「同桂は続かぬ。せめて7五歩は入れねばの」
わたしはこの手も動かした。
「同歩で、どうするんですか?」
「4二銀じゃ」
【参考図】
……なるほど、さすがにこれはわかる。
角筋が通ったから、6五桂跳ねが厳しい。
「たしかに、これは後手、攻めたくなります」
「6七金右、8六歩、同歩、6五桂と跳ねれば、後手悪くなかろう」
「あれ? じゃあもう後手有利ですか?」
「7五歩に同歩と取らねばよい」
そっかそっか、7五同歩としちゃうから、この筋が発生するんだ。
「7五歩を放置した場合は、どうなるんですか?」
「6七金右が自然か……4五歩と突き越してもよい」
ここで、次の手が指された。
6五歩。
「開戦しましたね」
同歩……あ、7五歩じゃなかった。4二銀だ。
「これはアレですか、どうせ7五同歩にならないからですか?」
「しかし、突いてもよかったように思うが……」
むずかしいね。当事者の考えが、すぐにわかるわけじゃないから。
大谷先輩としては、なにかイヤだったのかも。
磯前先輩も、単に4二銀は予定じゃなかったっぽい。
シンキングタイムに入った。
出雲先輩は、口もとで扇子をパチパチ。
それから、黙って6四歩と突いた。
【参考図】
「同銀で?」
「2四歩と攻める」
「同歩、同飛、2三歩、2八飛ですか?」
「ふむ……あまり迫力がないか」
ここで、Wゲストが登場。
レモンちゃんと伊吹ちゃん。
パチパチパチ。
男子のほうは終わってるから、ふたりとも参加してきた。
レモンちゃんは、マイクを両手持ちで、
「おつかれさまでーす」
とあいさつした。
わたしたちもあいさつする。
レモンちゃんは盤面を見て、
「さっそく仕掛けが始まっていますね。現状は、いかがでしょうか?」
と話を振ってきた。
出雲先輩は、
「善悪は、まだわからぬ。後手が積極的なのは、よいことだと思うぞ」
と答えた。
「さきほどの敗局を引きずっていない、という意味でしょうか?」
「うむ、漫然と組んでも、先手に先攻されるだけじゃからな」
レモンちゃんは、わたしのほうにもマイクを向けてきた。
「二階堂さんは、いかがですか?」
「そうですね……わたしは振り飛車党なので、なんともいえないんですが……出雲先輩の解説を聞いていると、後手もおもしろい局面が多そうかな、と思います」
「なるほど……ちなみに、伊吹さんは、どうですか?」
伊吹ちゃんは片手でマイクを持ったまま、大盤をながめた。
「そうですねえ、後手としては、7五歩を絡めたかったように思いますが……まあ、いまさらですか。個人的には、さきほど出雲さんの解説していた、6四歩、同銀、2四歩が、有力だと思います。以下、同歩に4五歩で、角筋を通しておきたいです」
【参考図】
ははあ、その組み合わせがあったか。
伊吹ちゃん、強いなあ。
こんな強い子が芸能界にいるとか、どうなってるの。
パシリ
あ、指した。
6四歩が突かれてる。
同銀、2四歩、同歩、4五歩、7二金。
磯前先輩は、2三歩と打ち込んだ。
レモンちゃんは、
「同金とはしにくいかたちです」
とコメントした。
そうだね。金は斜めに誘え。
だけど、3三角は利かされになる。
伊吹ちゃんは、
「角交換になりそうですねえ」
と言って、3三角に2四角、同角、同飛を示した。
わたしはそれに便乗して、
「もしかして、先手有利です?」
とたずねた。
伊吹ちゃんはちょっと考えて、
「伊吹的には互角です」
と答えた。そして、レモンちゃんに振った。
レモンちゃんも、
「3三銀、2八飛の局面は、まだ互角だと思います」
と答えた。
そうなのか。先手も傷が多いってことなのかな。
以下、だいたい解説通りで、3三角、2四角、同角、同飛、3三銀、2九飛。ひとつ深く引いた。
大谷先輩が2四歩と守って、磯前先輩は4七銀。
5二玉、9六歩、6三金、9五歩で、陣形整備にもどった。
わたしは、
「なんだか、ゆっくりした展開になりましたね」
と言った。
出雲先輩は、
「ふぅむ、攻めるなら4六角じゃが……」
ここで1四歩が指される。
1六歩で応じるかな、と思ったけど、これもはずれた。
6六歩。6筋のキズを消した。
後手は2三金。
歩を払えるのか。
わたしは、
「後手、ちょっと盛り上がりすぎじゃないですか?」
とたずねた。
出雲先輩は、
「後手が手待ちするなら、2二金~3二金と、戻すのもありじゃ」
と返した。
ええ……その手待ち、有効なんだ。
出雲先輩独特の感覚なのかな、と思いきや、伊吹ちゃんも、
「先手からの攻めを許容するなら、それもありですね」
と、同調していた。
右玉っぽく指すってこと?
わたしは、
「先手から攻めるとしたら、どこを攻めますか?」
とたずねた。
出雲先輩は、扇子をパタパタ。
「4六角が第一候補じゃが……どうもパッとせんな」
これには伊吹ちゃんもうなずいて、
「先手からサクッと攻める順は、ないっぽいです。後手のバランス感覚が光ってます」
とつけくわえた。
モニタに、大谷先輩の顔が映った。
真剣に考えているのが、こちらにも伝わってくる。
磯前先輩は1分ほど考えて、1六歩と突いた。
さっき突いてもよさそうだったけど……手がないっぽい?
わたしは、
「千日手の順は、ありますか?」
とたずねた。
出雲先輩は、否定的。
レモンちゃんの意見は、ありえる、とのこと。ただし、先手が打開できないなら、という条件付き。
伊吹ちゃんは、若干ムリ気味でも、打開するんじゃないか、と予想した。
4二銀、4六角、3三角。
伊吹ちゃんは、
「あ、ここで3五歩と突けませんかね」
と言って、そこの歩を前に進めた。
けど、これはハズレで、磯前先輩は7九玉と入った。
伊吹ちゃん、残念。
レモンちゃんは、
「後手は5三銀引~6四銀を繰り返すつもりでしょうか」
と、千日手っぽい順を推した。
伊吹ちゃんは、
「5三銀引は、危なすぎますねえ」
と、タメ息混じりで反論した。
レモンちゃんは、ムッとくちびるをむすんだ。
「どう危ないんですか?」
「8八玉と一回入ってぇ、6四銀の瞬間に3五歩です」
「同歩に?」
「同角、5三銀引、2五歩」
「同角に5三銀引とは、しませんよね? 8六歩です」
「それは同歩のあと、後手が続かないので~」
ふたりは大盤で対局し始めた。
あわわわわ、収録中にバチバチやるの、やめて。
これがアイドルの戦い? 歌かなんかでやって。
パシリ
あッ、後手から攻めたッ!




