556手目 受けて立つ
※ここからは、西野辺さん視点です。
女子プレーオフ、開幕。
パチパチパチ。
それにしても、本格的な大盤解説だね。
観客めっちゃいるし、設備もきちんとしていた。
プロの解説会で見るような大盤の横に、観客用の薄型モニタがふたつ。
ひとつが盤上カメラ、もうひとつが対局者を映すサイドカメラだった。
壇の正面には、観客に背を向けたテレビ型モニタがふたつ。床に直置き。
これは解説者用。
私の相方は──げげッ、軍服女じゃん。
「長門です。よろしくお願いします」
「よ、よろしく……その服、なに?」
長門ちゃんは、黒いつばのついた、円筒形の帽子を持ち上げた。
「Mle1939型軍装です」
そんなの言われても、わから……ん? どっかで見たことあるな、これ。
世界史の教科書が、脳裏をよぎった。
「……もしかして、ド・ゴールが着てたやつ?」
長門ちゃんは、パチリとゆびをはじいた、
「さすがは西野辺先輩、よくお分かりですね」
そんなの着て来るなっつーの。
会場のメンツも、めっちゃジロジロ見てる。
西野辺茉白、いきなりピンチ。
ひとまず、大盤の横に立ってみた。
観客から見て、私が左、長門ちゃんが右。
「えっと、それじゃあ、戦型予想からいこうか」
「第1局は、早乙女さんと大谷先輩です。大谷先輩が避けないかぎり、横歩になると思います」
「受けるかな?」
長門ちゃんは、うーんと考え込んだ。
「……五分五分かと。ただ、受けないほうがいいと思います」
「なんで?」
「早乙女さんの横歩は、今回のメンバーでもトップクラスだからです」
「なるほどね、相手の得意戦法は受けないほうがいい、と」
だとすれば、大谷おねぇの性格次第。
そこまでは、さすがに知らない。
「勝敗予想は無粋だから、ここまでの振り返りをしよう」
というわけで、薄型モニタのひとつに、成績表を出してもらう。
【女子の予選結果】
※青:決勝トーナメント進出確定 黄:プレーオフ
長門ちゃんは表を見ながら、
「なんだかんだで混戦になりましたね」
とコメントした。
「最後、6人プレーオフの可能性があったもんね」
「桐野先輩、温田先輩、梨元先輩、剣さんの4人は、プレーオフに参加でも、おかしくないメンバーでした」
「だねえ。素子ちゃんだけ勝って、磯前おねぇと大谷おねぇが負けてたら、6人」
ただ、私が負けちゃったからなあ。
素子ちゃんのところは、棋力差が大きかったし、可能性があっただけとも言える。
「印象に残ってる対局は、ある?」
「そうですね……全部の棋譜は、まだ見ていませんが……温田先輩のラスト2局は、謎な戦法が出ていたので、そこは気になっています」
「あれ、じぶんの対局を挙げないんだ?」
「私の対局なら、磯前先輩と鬼首さんに勝った局でしょうか。どちらも私が押され気味でしたが、うまく逆転できました」
やっぱり勝ち局を挙げるよね。
「西野辺先輩は、いかがですか?」
「私は、大谷おねぇに勝った局かなあ。あれは内容も良かったし」
ここで、イヤホンからスタッフの声が入った。
そろそろ開始みたい。振り駒は、素子ちゃんの先手。
私たちは大盤の前で待機した。
観客が多いから、さすがに緊張するね。
《……女子プレーオフ第1局、開始です》
大盤横の盤上カメラに、素子ちゃんの腕が映った。
7六歩。
以下、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金。
【先手:早乙女素子(H島県) 後手:大谷雛(T島県)】
さあさあ始まったよ。
はりきって解説していこう。
「横歩を受けましたね」
「まあ、受けて悪いってことはないでしょ」
正面からぶつかったほうが、気合い負けしなくていい。
2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、4二玉。
あ、このかたちか。
5八玉、7二銀、9六歩。
長門ちゃんは大盤を動かしながら、
「4二玉型ですか。大谷先輩は、事前に練ってきたみたいです」
とコメントした。
私も同意する。
「3三角が普通だけど、それは素子ちゃんの研究がイヤだったっぽい」
「もっとも、外し切れているかどうかは、微妙です。早乙女さんも、ほぼノータイム指しなので。分岐に悩んでいません。例えば4二玉の瞬間、2四飛ともどる手もありました。以下、7六飛、8四飛で、いきなりスライドする順も有力です」
【参考図】
本譜は、5八玉を即指し。
つまり、この局面は検討済み、と。
「むしろ大谷おねぇのほうが、考えてるね。9六歩が予想外だったのかな」
「どうでしょうか……9六歩自体は、横歩でもある筋です。研究のとき、この手をまったく考えなかった、というのは、もっともらしくありません。2四飛ともどるか、3六飛と引く順を中心に、準備していたのではないでしょうか」
なるほど、考慮はしてたけど、深く準備してなかったパターンか。
ありそう。
さすがは研究マニアの長門ちゃん。
話題が尽きなくて助かる。
私は9三の歩にさわって、
「9四歩と突き合うのが、一番無難かなあ。安全策なら8二飛」
とコメントした。
長門ちゃんは反対側の1四歩を指さして、
「ここを突く手もあります。他には6四歩ですね」
と、わざと取らせる順を示した。
「同飛なら、角交換から5五角だね」
【参考図】
以下、8七歩、7六飛、7七歩、6四角、7六歩が一例。
ここまで読んだところで、長門ちゃんは、
「9六歩で後手うっかり、ということは、なさそうですね。後手も戦えます」
と、互角宣言。
サイドカメラのようすだと、大谷おねぇも困ってる感じがしないんだよね。
ただ、ここで時間を使っていいかどうかは、別問題かなあ。
もう3分以上考えてる──あ、動きそう。
パシリ
私と長門ちゃんは、局面全体を確認。
まあこうかな、という感じで、長門ちゃんは2四飛と寄った。
「後手は5二玉と、位置を変えるのがよいです」
本譜もその通りに進んだ。
2四飛、5二玉、2六飛。
この手には、反応せざるをえない。
「これは角交換から4四角があるよ」
【参考図】
長門ちゃんは腕組みをしつつ、
「8四飛などもありますが、過激に行くなら、角交換です」
と返した。
ここも考えるかな、と思いきや、大谷おねぇはすぐに指した。
8八角成。大立ち回りに。
同銀、4四角、7七角、8八飛成、同角、2六角。
まずは飛車角交換からの、再度飛車取り。
素子ちゃんは2四飛と打って、角を狙った。
4四角、同角。
速い速い。
長門ちゃんは駒を動かしながら、
「大谷先輩の長考は、この順を読んでいたようです」
と解釈した。
だね。あと、読んでいたというか、思い出しタイムだったくさい。
この変化をイチから読むのは、3分じゃ足りなかったでしょ。
残り時間は、先手が25分、後手が24分。
「うーん、後手の研究範囲だけど、先手も初見ってわけじゃないのか」
「時間の使い方を見ると、そう解釈せざるをえません」
とりあえず角を取るかどうか──と、だれか来た。
眼帯をつけたアイドル、夜ノ伊吹ちゃん!
ひらひらの黒いスカートに、白の制服、そして赤いネクタイ。
頭にはハロウィンのかぼちゃのヘアピン。
パチパチパチ。
「解説のみなさん、おつかれさまで~す」
「おつかれさま~」
伊吹ちゃんは盤を見て、
「かなり過激な進行になってますねえ」
とコメントした。
それはそうなんだけど……この子、なんでパッと見で分かるんだろ。
なんか棋力が高そうなんだよね。
それとも裏で予習してきた?
ちょっとカマかけてみよう。
「ちなみに、伊吹ちゃんなら、どう指す?」
「一見、4四同歩と取りたいですが、2三歩も面白と思います」
【参考図】
むッ、私の第一候補なんだけど。
「角を取らない理由は?」
伊吹ちゃんは2三に歩を置いて、
「これで、角と飛車の両取りになります。飛車を逃げると損なので、1一角成、2四歩、2一馬と、2枚換えに持ち込むしかありません。ここで後手に手があるかどうか、です。ないなら、単に4四歩よりもいいです」
と並べた。
こいつ……やるな。
伊吹ちゃんは、マイクを私に向けてきた。
「西野辺さんは、どう思いますか?」
「私も2三歩が第一感。伊吹ちゃんの解説した進行になったあと、後手が8七銀と突っ込んだらどうなるか、が気になる」
【参考図】
伊吹ちゃんは、うなずいた。
「なるほど~、同金に7九飛の打ち込みですね」
「そうそう、これが効かないなら、後手ちょっと不利だと思う」
伊吹ちゃんは、長門ちゃんへもマイクを向けた。
「長門さんは、どうですか?」
「おふたりの解説と、ほぼ一致しています。西野辺先輩は、8七銀が効けば、という条件付きでしたが、私は現時点で先手持ちです」
「8七銀が効く効かない以前の問題だ、と?」
「はい、この局面の駒割りは、銀と桂香の交換です。もちろんこれだけでは決まりませんが、先手は1三角など、攻め手が多いです。後手は8七銀以外、パッとしません」
「どうやら、やや先手持ちのひとが多いみたいですね」
パシリ
あ、指した指した。
というわけで、飛車角両取り。
素子ちゃんは1一角成で、さっきのルートに入った。
2四歩、2一馬。
大谷おねぇ、ここまで読んでいたのは明らか。
次の手も早かった。
8七銀。
素子ちゃんは、サイドカメラの向こうで、前髪をすこしなおした。
同金、7九飛。
長門ちゃんは、
「次に6九飛打が詰めろです。先手は、この瞬間に攻める必要があります」
と解説した。
私は、
「攻めるなら3三香。3四や3六に控えて打つのもあるけど、どうせ手抜かれるから、特に意味はないよ。もちろん、控えて打ったら悪い、ってわけでもないけど。このへんは好みかな」
と付け加えた。
3六香、3三歩は、同香成で無意味。
でも私だったら、3三歩のミスを1パーセントでも見て、3六香って打つね。
パシリ
画面には、3三香が映し出された。
素子ちゃんらしい、ストレートな打ち場所。
無駄な駆け引きなし。
大谷おねぇは、綺麗な駒音で6九飛打。
5九銀、7八飛成、6八桂、8九飛成。
大盤の駒が、どんどん入れ替わる。
私は、後手の持ち駒に桂馬を加えながら、
「受けるか攻めるか、悩ましいねえ」
とコメントした。
伊吹ちゃんは、
「攻めるなら3二香成かと思いますが、守る場合は、どうしますか?」
と話を振ってきた。
「4八玉の早逃げじゃないかな」
長門ちゃんは、4八へ王様を動かしてくれた。
伊吹ちゃんは、
「攻めるより守るほうが、いいのでしょうか?」
と訊いてきた。
床の解説者用モニタへ、私は視線を落とした。
「3二香成は、同銀、同馬、8七龍右の瞬間、手が難しいような……そこで4八玉とするなら、先に逃げるほうが……」
伊吹ちゃんは、
「3二香成でも4八玉でも、あとで合流しませんか?」
と質問した。
「んー……たしかになあ、ここから4八玉、8七龍右、3二香成、同銀、同馬と、3二香成、同銀、同馬、8七龍右、4八玉は、合流するね」
しかも、わりと一直線に、こうなる。
だとすると、素子ちゃんの長考は、なにを読んでるんだろう?
意外な手が飛び出しちゃったりする?




