553手目 プレーオフ
鏡のなかの僕……よし。
ネクタイもまっすぐ、制服にしわもなし。
いよいよプレーオフです。自室でヨーグルトとスムージーだけ食べました。
眠気対策です。
何回かリハーサルしているので、体調に問題はないはず。
部屋を出て、廊下へ。
みなさん、外出したんでしょうか。しんと静まり返っています。
みかんちゃんの見送りも、今回はなし。
さみしいですが、事前に断ってあります。
エレベーターで20階へ上がって、また無人の廊下。
とちゅうでほかの選手に会うかな、と思いましたが──あ、やっぱり会いましたね。
磯前先輩の姿がありました。壁面ガラスから、H島市内を眺めています。
「おつかれさまです」
僕があいさつすると、磯前先輩はふりむいて、帽子を外しました。
「おっと、控え室で待ってようと思ってたんだけどね。ちょっと外が見たくなった」
「早乙女さんと大谷先輩の対局が、先ですか?」
「そう、その敗者とあたし……無視してうしろを通り過ぎてくれて、よかったんだよ」
「そっちのほうが緊張しちゃうかな、と思いまして……」
磯前先輩は、かるくほほえみました。
「鳴門も知り合いだから、どっちを応援とはいかないけど、いい将棋を」
「磯前先輩も、いい将棋を指してください」
豪華な両びらきのとびらを開けて、入室──大谷先輩が席について、瞑想中でした。
僕はホワイトボードで番号を確認して、対局テーブルへ。
スタッフのひともまばらで、がらんとしています。
心持ち、室温も下がった感触。
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………………鳴門先輩が来ました。
先輩は午前と同じラフなかっこうで、首にヘッドセットをつけていました。
ちょっとステップを踏むような感じで、僕の前に着席。
1分ほどして、早乙女さんも入室。
女子のプレーオフも、準備完了。開始時刻まで、のこり3分。
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…………………
………………
13:28 13:29 13:30
《これより、第10回日日杯、プレーオフをおこないます。振り駒をお願いします》
ゆずり合いのあと、鳴門先輩が振ることに。
「……歩が2枚、僕の後手」
先手を引きました。
あとは待つだけです。
十数秒の待ち時間が、とても長く感じられました。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
鳴門先輩は、一礼しながらチェスクロを押しました。
僕は目を閉じて、数秒間深呼吸──7六歩。
8四歩、2六歩、3二金、7八金、8五歩、7七角。
【先手:石鉄烈(E愛県) 後手:鳴門駿(T島県)】
角換わりになりました。
小細工なしですよ。
3四歩、6八銀、4四歩。
あれ……腰掛け銀を拒否?
がっぷり四つかと思いきや、外されました。
研究手順ですか?
僕は鳴門先輩の表情を確認──なんとも言えないです。
先輩、ポーカーフェイスがうまいんですよね。
僕のほうが顔に出ていると思います。
「……4八銀です」
4二銀、1六歩、1四歩、4六歩、5四歩、9六歩、9四歩。
端も見合いに。
後手は雁木ですよね。
だとすれば、先攻を狙っていると思います。
後手雁木なら先攻、というわけではないですが、そういう雰囲気を感じます。
4七銀、6二銀、2五歩、3三角、3六歩、7四歩、3七桂。
そろそろ方針を決定しないといけません。
5二金、6六歩、6四歩、2九飛、7三桂。
僕は6七銀と立ちました。
鳴門先輩は、
「なるほどね」
と言って、ペットボトルを開封。
ひとくち飲んで、ヘッドセットの位置を調整。
4三銀。
相雁木に。
ここからは、間合いを計るターン。
4八金、6三銀、6八角、6二金。
鳴門先輩は、雁木の一部を崩しました。
おたがいに居玉。
先手はそろそろ飽和しているのですが、攻めるチャンスがありません。3五歩、同歩、4五歩、同歩、同桂、2二角、2四歩、同歩、同飛、2三歩、2六飛と攻めても、3四銀の露骨な桂取りで困ります。
(※図は石鉄くんの脳内イメージです。)
居玉の解消くらいしか、やることがありません。
まだ悪くなってないですよね?
思ったより緊張してるかも。がんばれ、僕。
6九玉と寄ったところで、鳴門先輩が長考。
攻めてきそうですか?
6五歩と7五歩、どちらもありそうです。
僕の直感では、やや6五歩寄り。
6五歩、同歩、4五歩と角道を開ければ、しばらく攻めは続きます。
ただ、完全に攻め切れますか? ちょっと疑問ですよね。
例えば6五歩、同歩、4五歩、7七角、同角成、同桂、4六歩、同銀、6六歩、同銀と銀を吊り上げてから、2二角。
(※図は石鉄くんの脳内イメージです。)
これが一見きついんですが、7一角があるので、互角だと思います。
以下、8一飛、6二角成、同玉、5六金と支えれば、後手は2二角が不発。
6筋の傷が大きいので、角金交換でも十分に戦えます。
後手としては、8六歩くらいで……ん、待ってください。6六歩の前に8六歩だと、どうなりますか? 6五歩、同歩、4五歩、7七角、同角成、同桂、4六歩、同銀で、この瞬間に6六歩ではなく8六歩だと? 同歩、同飛、8七歩、8一飛で、7一角の余地がなくなります。
でも、手番はこちらに渡りましたから、いいんでしょうか?
そうですよね、こっちが手番だから、先に6六角と先着しちゃえばいいんです。
杞憂でしたね。
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……………………
…………………
………………ほんとにそうですか?
イヤな筋が浮かびました。
8六歩、同歩に同飛とせず、そこで6六歩だと?
(※図は石鉄くんの脳内イメージです。)
同銀、2二角の瞬間、7一角はできます……が、8六飛と飛び出して、8七歩、7六飛とスライドされると、2枚換えコースに。これは先手不利です。
僕は読みなおしました。けっこう一直線に読んだので、回避策はあるはず。
僕は4五歩に対して、7七角と上がらない順を考えました。
9七香と上がって、9九角成と空振りさせるのは、どうですか?
振り飛車っぽい対策ですが、このかたちなら成立すると思います。
あ、鳴門先輩が動きました。
パシリ
……思いっ切り外れました。
チェスクロを押す音を聴きながら、僕は若干困惑。
7五歩ですか……同歩、6五歩、同歩なら、より迫力がある、ってことですよね。
でも、これは取らなくても、よくないですか?
手抜けるような……いえ、ちゃんと読んだほうが、いいです。
7五歩を手抜くなら、5八玉です。
王様を右側に移動しつつ、飛車の横利きを左へ伸ばします。
これで7筋は潰れませんから、7六歩に同銀。
ここで4五歩なら、同歩と強く取って、6六角、7七桂、8六歩、同歩、同飛に、8七金と出ます。
(※図は石鉄くんの脳内イメージです。)
以下、8一飛、8六歩で、後手は角が宙ぶらりんです。
先手がいいとは言いませんが、この展開は歓迎します。
4筋に傷があって、後手はまとめづらいので。
ただ、これはちょっと勝手読みかな、という気がします。
5八玉に6五歩と重ねて、同歩、4五歩のほうが、ありえるような。
そこで7七角だと、ひとつまえの読み筋に近くなります。
違うのは、7五歩と5八玉の交換が入っている点。
これがどう影響するのか──残り時間は、先手が24分、後手が20分。
さっきの長考で、後手はけっこう減ってるんですよね。
ここは合わせたほうがいいですか?
4分差は大きいので、いったん5八玉と上がっておくのも、アリです。
「……5八玉」
鳴門先輩はノータイムで6五歩。
これは予想通り、かつ、5八玉の様子見で、正解だったパターン。
7六歩の取り込みは、考えなくてよくなりました。
それじゃあ、ここから長考しましょう。
プレーオフを制するのは、この僕です!




