548手目 お膳立て
※ここからは、阿南くん視点です。男子第15局開始時点にもどります。
はいはーい、待ってました、最終戦。
めちゃくちゃおいしい役回りになったね。
はりきっていこう。
僕が席につくと、六連はすこし遅れてやってきた。
水のしずくが、前髪からしたたり落ちている──顔を洗ってきたのかな。
調子がいいのか悪いのか、それはわからない。
六連は席につくと、振り駒をたずねた。
こういうときはゆずり返すんだろうけど、そのままもらっちゃうよ。
「ほい」
裏が5枚。後手を引いちゃったな。
僕は歩をもどしながら、思案した。
阿南スペシャルは、先手用なんだよなあ。
後手なら、手なりでいくしかないか。
「……」
「……」
「六連くんさ、僕のインタビュー*、読んだ?」
六連は顔を上げた。
「最終戦がどうこう、の話ですか?」
「あ、読んでくれたんだ」
六連は帽子のつばをつまんで、そっぽを向いた。
「注目局で、よかったですね……先輩が見られるのに慣れていれば、ですが」
「アッハッハ、言ってくれるね。僕は見られたがりだよ」
カメラの向こうで、キャー、阿南くんステキ、とか言われてるかもしれないじゃん。
《対局準備はよろしいでしょうか?》
オッケー。
《……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす」
チェスクロをポチっと。
7六歩、3四歩、6六歩。
ほーん、いきなり角筋を止めますか。
これはアレだ。とっておきの隠し玉を警戒してるな。
3手目6六歩は、さすがに予想してなかった。
残念ながら、隠し玉はないんだよ。
ふつうに横歩とかをされたほうが困った。
六連、初動ミス。
6四歩、2六歩、3二銀、2五歩、6二銀、7八金、6三銀。
六連は2筋に手を伸ばした。
「先輩、そのようすだと手なりですね」
「なんでそう思うの?」
「気配で分かります。2四歩」
……いきなりのクイズか。
もちろん、同歩の一択。問題はそのあと。
同飛に3択ある。2三歩か、3三角か、4四角か。
と、ここまで5秒。
僕はなにも考えずに同歩とした。
同飛と走られる。
「こういうときは気分ね。3三角」
悪いけど、迷わせる手は通用しないよ。
僕はそういうのに付き合わないから。
アマなんだからどうやっても一局。
六連はこれがすこし意外だったのか、逆に時間を使った。
「……2八飛」
「2四歩」
さあ、どうかな。この狙いがわかる?
六連はまた30秒ほど考えて、4八銀。
1四歩、3六歩、2三銀。
答えは銀冠? そうかな?
6八銀、1五歩、5六歩、3二金、6九玉。
六連の動きも妙。
雁木っぽくはある。
こっちの攻めが遅いから、囲いを決めなくていい、というのもありそうだ。
おたがいにあやしい。つまり変態だね。
変態将棋なら負けないよ。
「4二玉」
3七銀、8四歩、7七角、5二金、4六銀。
反対側の端歩も突いておく。
9四歩、9六歩、3一玉、5八金、5四銀。
六連クラスなら、わかるでしょ。
9三桂跳ねからの攻めと、6二飛からの攻め。両方を見せる。
先行されたくないなら、六連が先に攻めるしかない。
僕はそれが狙い。
マゾっ気があるからじゃない。2四歩以下の構想は、まだ途上なのだ。
案の定、六連はここで長考している。
攻めて来るなら、3五歩だよね。あるいは一回3七桂と溜めるか。
3五歩、同歩、同銀、3四歩、4六銀でも、けっきょく9三桂、3七桂?
それとも、この流れで9三桂は危ない?
僕はじっくりと考える。
さっきから、スタッフがこちらへやたら来る。
気になるのかな……っと、指しそう。
パシリ
やっぱり攻めてきた。
僕は同歩、同銀、3四歩、4六銀まで、さくさく進める。
問題は、次なんだよ。
六連のクイズには付き合わないけど、これはクイズじゃない。
僕の選択肢だ。
「……9三桂で」
六連はノータイムで3七桂。
時間差がすこしあるから、詰めてきたな。
残り時間は、僕が22分、六連が20分。
んー、ここで6二飛と回るか、それとも8五桂と跳ねるか。
先に回るか先に跳ねるかのちがい……でもない。
8五桂、8八角なら、飛車を回らなくても6五歩と仕掛けられる。
「……」
「……」
どっちもそんなに続かない。微妙。
となれば、初志貫徹。
「4四角」
この手は神妙だよ。
2四歩から狙っていたと言ってもいい。冗談抜きで。
六連は10秒ほど考えて、嘆息した。
「そういうことですか……」
僕は視線を上げた。
「なにか気づいた?」
「最初から入玉含み、ってわけですね」
正解。
銀冠で盛り上がってるのは、そのため。
放置なら3五歩~3六歩と、プレッシャーをかける。
六連の体調が悪いなら、これは有効な作戦だ。
「2九飛です」
……げッ、いい手だ。
3五歩に2六飛の浮きを用意しつつ、手渡し。
「やるね」
とりあえずお茶を飲む。
このまま3五歩でも、いいっちゃいい。
2六飛で……6二飛か8五桂。
けっきょくこの二択か。9三桂を跳ねない方が、よかったかな。
変に選択肢を増やしてしまった。
……………………
……………………
…………………
………………先に6二飛と回るか。
そこで六連の手が、むずかしいと思う。
6七銀も6七金右もできないはず。
2八飛ともどしてくるかな? 千日手模様になるから、やりにくい?
「……6二飛」
「6五歩」
1秒も読んでない手がきた。
なにこれ? 角交換狙いなのは、わかる。
っていうか、交換したあとの3八角で、どうするの?
「クイズには応じないよ。7七角成」
同桂、3八角、2八飛、4九角成。
問答無用で馬を作る。
六連は、すばやく角を下ろしてきた。
「6六角」
? 歩と香車の両取り?
僕はノータイムで、3三桂と跳ねかけた。
手が止まる。
……………………
……………………
…………………
………………なにかあるな。
センサーが働く。
これはクイズじゃない。トラップだ。
選択肢を提示してるんじゃなくて、まちがわせようとしている。
3三桂、8四角、6三金に、6四歩は無効。7四金がある。
この見落としか?
あるいは、角を8四に待機させたまま、2五歩?
だけど同歩、3五歩、同歩、同銀には、3六歩がある。
僕はふたたび、3三桂と跳ねかけた。
駒が空中で静止する。
「……」
もしかして、馬を消される?
3三桂、8四角、6三金に5九金、7六馬、6七銀。
(※図は阿南くんの脳内イメージです。)
そうか、角は両取りで打ったんじゃない。
馬を消すため──ん? これって、同馬、同金、8二飛で、先手困ってない?
消されても、ノープロブレム? 杞憂?
僕は親指とひとさし指と中指で、桂馬をクルクルさせた。
もういちど考えなおす。
「……」
ははあん、わかったぞ。5七角だな。
(※図は阿南くんの脳内イメージです。)
これだ。
これで僕の次の手がむずかしい。
8二飛なら、6四歩、同金、6七歩と封鎖して、馬を安全に殺せる。
金が6三でそっぽだから、王様を固くして手待ち、も使えない。
オッケー、カラクリは把握。
僕はチェスクロを確認した。
残り時間は先手が18分、僕が15分。
逆転しちゃったな。
しかも解決策が見つかってない。まあ気楽にやろう。
3三桂~6三金の順がダメなら、ほかの手が必要だ。
例えば……馬を作らせる、とか。
3三桂、8四角、6五歩、7三角成、6一飛、7二馬、6四飛。
ここで7三馬、6一飛、7二馬の屈伸運動は、千日手だよね。
千日手なら、むりやり打開してくるんじゃない? そうでもない?
体調が悪いなら、短期決戦にしたいでしょ、さすがに。
先手番を取って阿南スペシャルをぶつけて……待てよ、千日手にならないな。
6四飛に5五歩がある。
(※図は阿南くんの脳内イメージです。)
6三銀、7三馬、4四飛……9一馬……ダメくさい。
えー、ここまで考えて指したの?
ほとんど考えてなかったと思うんだけど。
勝負手がクリティカルだったパターン?
だったら、この順にならない……なるな。
僕が長考しちゃったから、六連も読みが深くなっただろう。
あー、これならノータイムで、3三桂としとけばよかった? ダメ?
時間は巻き戻らない。時を駆けろ、是靖。
「……」
そろそろ指さないとマズい。
残り時間は、僕が12分。
とりあえず桂馬を、2一へもどした。
からくりは、わかってるんだよなあ、からくりは。
だったらロジカルシンキングでしょ、あとは。
僕は両手を後頭部にあてて、椅子をうしろにかたむけた。
ホテルの天井を見上げる。
シャンデリアの明かりがまぶしい。
……………………
……………………
…………………
………………よし、これでいくか。
全方位になってるはず。
僕は姿勢をもどした。
「4四歩ね」
*370手目 今治健児・阿南是靖〔編〕
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