546手目 雑念
※ここからは、吉良くん視点です。男子第15局開始時点にもどります。
さてと、ついに来ちまったな。
俺は対局テーブルへ向かった。
学生服姿の烈は先に座って、姿勢よく待っていた。
お行儀よく、じゃない。近付くと、ピリピリした空気が張り詰めていた。
俺は黙って着席する。
「……」
「……」
できれば、最終局はおまえと指したくなかった。
人間は機械じゃない。どうしても情が入る。
でもしょうがないよな。クジは平等だ。
それに、俺はボーダー。
俺が負けたら、捨神が負けない限り、六連とプレーオフ。
捨神が負けるか? あいては香宗我部先輩だ。
先輩には悪いが、さすがに入らないだろう。
六連の負けも期待しない。
烈、おまえを倒して決める。
「……どっちが振る?」
「先輩でどうぞ」
ゆずり返す必要も……ないか。
「じゃ、振らせてもらうぜ」
シャッフルして──歩が3枚、俺の先手だ。
あとは開始を待つ。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「「よろしくお願いします」」
烈はひと呼吸おいて、チェスクロを押した。
俺は角道を開ける。
7六歩、8四歩、7八金、3二金、2六歩、8五歩、7七角、3四歩。
【先手:吉良義伸(K知県) 後手:石鉄烈(E媛県)】
角換わりか。
「受けて立つぜ。6八銀」
4二銀、2二角成、同金、7七銀。
先手から角交換させる順か。
まあ、このへんはそのうち合流する。
問題は、烈の作戦がなにか、だ。
3三銀、3六歩、6二銀、4八銀、4二玉、4六歩、7四歩。
速攻か?
烈の準備が速攻の可能性は、十分にある。
手持ちのストックは少ないはずだ。
だとすると、危険な攻めを残してる可能性は高い。
俺は即開戦も視野に入れた。
4七銀、3二金、9六歩、1四歩、6六歩、6四歩。
おたがいに端を受けなかった。
9筋を受けないのは、事前準備としては妙だ。
受けたほうが、その後の進行を固定できる。
俺は顔を上げた。
面接で緊張する生徒みたいに、肩をこわばらせた烈の姿が、そこにあった。
……………………
……………………
…………………
………………なるほどね。
研究勝負じゃなくて、真正面からか。
「よーくわかった。俺も小細工なしだ。9五歩」
7三桂、5六銀、6三銀、6八玉、5四銀。
角換わり腰掛け銀へ。
5八金、3一玉、3七桂、6二金、7九玉、8一飛。
おたがい、堂々と組む。
4七金、4四歩、1六歩、4二銀。
烈は銀を引いた。
挑発か? ……それとも、囲いが難しくなったか。
俺は20秒ほど考えて、2五歩と突いた。
ここで烈の手は止まった。
後手は選択が難しいぜ。
攻めるなら6五歩、受けるなら3三銀。
8六歩を一本入れる余地もある。
6五歩は同歩、同桂、6六銀、6四歩で、よくあるかたち。
3三銀は4五歩で、こっちから攻める。同歩、3五歩と畳みかけて、どうか。後手は実質一手損だから、やりにくいんじゃないだろうか。烈の本線とは思えない。
8六歩は同歩じゃなくて同銀だろう。
俺はこれまでの流れから、6五歩を中心に読んだ。
烈は前に出て来るはず。
「……6五歩です」
よし、予想通り。
さっき読んだ同歩、同桂、6六銀、6四歩でもいいが、俺も前に出る。
「4五歩」
烈は30秒ほど読みなおして、同歩。
同銀、同銀、同歩、同桂、6四角、4六歩、6六歩。
おたがいに意地を張る。
後手の攻めは、かなり迫力があった。
形勢は互角。
2四歩から攻め合ってもいいが、6七歩成はかなり気になる。2四歩、同歩、6六銀と一回取り返して、8六歩、同歩、6七歩、2三歩くらいか。
これなら先に6六同銀のほうが、いいか?
過激に攻めるなら、4四角という手もある。ただ、これも6六同銀や2四歩と絡む。ようするに、ここまで考えた手の組み合わせになりそう、ってことだ。手順前後が問題になるかどうかだけチェックすれば、枝葉を刈れる。
「……同銀」
烈の気配が変わった。
うっすらとだが、イケるというオーラが出ている。
ミスったか? いや、そんなはずはない。
4四角に対して、過度に悲観的だったんじゃないだろうか。長い付き合いだから、なんとなくわかる。今のは、攻められると思ってたら受けられた、というときの転調だ。
烈は8六歩と攻めてきた。
同歩、6七歩、6九歩、5四銀。
ん? なんだこの消極的な手は?
8六角だと思ったが──いや、アリか。
8六角なら8二歩、同飛、7一銀の割打ちがあった。
5四銀は8筋に歩を残して、その順を封じている。しかもムリのない手だ。
が、とびっきりいい構想とも思えない。
「反撃だッ! 4四角ッ!」
6筋を収めたのは、この角を打つため。
3三銀とはできないから、桂馬を跳ねるしかない。
「さすがに潰れませんよ。3三桂」
「5六金」
「!」
このタイミングでは取らない。
中央を押し上げていく。
斬り合いからねじり合いへ移行するのは、烈にとって予想外だったようだ。
手が止まった。
残り時間は俺が14分、烈が12分。
いつもの対局より、少し使っている。
後手の選択肢は、そんなに多くない。4三歩が第一感で、それ以外は冴えない。
問題は、そこで俺がなにを指すか、だ。
3三桂成と3三角成が二大候補。
どっちから取っても同じ、ってわけじゃない。
3三桂成なら同銀、2六角と撤退できるが、3三角成なら同銀、同桂成、同金で清算になる。後者のほうが、俺は次の手が難しい。8七銀と一回受けるくらいか。
烈はけっきょく2分使って、4三歩と打った。
「3三桂成」
桂馬から入る。
烈はノータイムで4四歩と取った。
2枚換え……?
俺は椅子に座りなおした。
2枚換えは、むしろ歓迎なんだが──罠か?
俺は少し体をかたむけて、天井を見上げた。
脳内将棋盤で確認する。
3二成桂、同玉、2四歩、同歩、同飛──後手が反撃するなら、ここだ。
2三歩は、3四飛のスライドに歩を打てない。後手も攻め合うだろう。
候補は8五歩の継ぎ歩、4七角からの角成り、あたり。
歩がもう1枚あれば、8八歩~8五歩もあるんだろうが、さいわいこれはない。
俺はこのふたつを比較した。
……………………
……………………
…………………
………………待てよ。
俺はもういちど考えなおす──4七角だと、千日手か?
4七角、2七飛、5八角成、2八飛、5九馬、2九飛以下、くりかえしになる。
(※図は吉良くんの脳内イメージです。)
絶対に千日手……じゃないんだよな。
打開しようと思えば、打開できる。するかどうかの問題だ。
そもそも烈がこの順を選ぶかどうか。それもわからない。
俺はのこり10分になるまで考えて、3二成桂と取った。
同玉、2四歩、同歩、同飛。
烈はここで小考。
緊張が走る。
烈の右手は持ち駒に行き──角を持った。
4七角。
懸念の千日手ルートに入った。
2七飛、5八角成、2八飛、5九馬、2九飛。
烈は5八馬ともどった。
2八飛、5九馬、2九飛、5八馬、2八飛、5九馬。
「2九飛」
「5八馬です」
俺が2八飛としたら千日手、という状況になった。
俺はミネラルウォーターのキャップを開け、軽く口にふくんだ。
勝負熱がやや引き、意識がクリアになる。
打開するか?
するなら2二金だ。自然な王手。
先手が良かったら、当然に打開するんだが……この局面は互角。俺の判断では。
ここにきて迷いが生じている。
香宗我部先輩なら、「先手だから打開する」って言うだろうな。
磯前先輩なら、「そのときの気分」。
正直、気分では指したくない。というより、どっちの気分でもない。
理詰めでいくか?
だけど、アマチュアの後手番って、そこまで損か?
石鉄相手に後手を引いて、俺が不利だとは思わない。
うぬぼれ? いや、ちがう。
後手を引いたくらいで負けるようじゃ、俺は今ここにいない。
それとも、それがうぬぼれか?
「……」
思考が深まる。読み筋が目のまえを流れる。
べつに自己分析してたわけじゃない。
棋理を追求するあいだの、つかのまの雑念だ。
「……」
俺は金を手にした。
「千日手にはしない。2二金だ」




