528手目 私語
※ここからは、松陰くん視点です。男子第14局開始時点にもどります。
はて……六連のやつ、来ないな。
もう8時50分だぞ。
10分前行動という縛りは、もちろんないんだが……まあ、そのうち来るだろう。
俺は会場を見渡した。
気合いが入ってる席と、そうでない席とで温度差が出ていた。
嘉中と今朝丸のところは、なにやら談笑している。
俺はもうとっくにダメだが、あいては六連だ。
気張っていくか。
「おはようございます」
おっと、来た。
六連はすぐに着席して、振り駒をたずねた。
「俺はもう今年で卒業だ。記念に振らせてもらうか」
「どうぞ」
丁寧にシャッフル──歩が1枚。六連の先手。
あとは待つだけだ。とくに会話もしなかった。
《対局準備はよろしいでしょうか?》
オーケー。
《では、始めてください》
「よろしくお願いします」
俺はチェスクロを押した。
六連は10秒ほど気息をととのえて、7六歩。
俺は3四歩。
2六歩、8四歩、6六歩、3二銀、7八金、8五歩、7七角。
【先手:六連昴(H島県) 後手:松陰忠信(Y口県)】
ムリヤリ矢倉……いや、雁木だな。
これはさすがに想定してある。
3三銀、4八銀、3一角、6八銀、3二金、6七銀、5二金。
俺は相雁木ではなく、ふつうの矢倉を目指した。
ムリ気味な速攻も考えない。あくまでもオーソドックスにいく。
3六歩、5四歩、4六歩、6二銀、2五歩、7四歩。
六連も、仕掛けのタイミングを計っていそうだ。
ちょっとずつ時間を使っていた。
5八金、4一玉、3七桂、1四歩、1六歩、4四歩、9六歩、9四歩。
そろそろ飽和しそうだ。
俺が矢倉を完成させるあたりで開戦か。
6九玉、7三桂、4七銀。
ここで4二角……ん、待てよ。矢倉にできるか? この段階で、4二角~4三金右が間に合うかどうか……間に合うといえば、間に合う。
ただ、先手から5六銀右~6八角~4五歩として、上から潰してくる順が気になる。3一玉~2二玉とするのは、4筋がもたないかもしれない。5二玉ならだいじょうぶだろうが、右玉っぽくなる。右玉はあんまり好きじゃない。
……………………
……………………
…………………
………………土居矢倉にするか。
オーソドックスに行こうと思ったが、読みに反することはできない。
「4三金左だ」
六連はその手をみて、しばらく考えた。
妙に無表情だな、今日は。
楽勝カードだと思って、気合いが入ってないのか?
それともなにかあったか? ……考えるだけムダだな。
パシリ
六連は5六歩。
銀出からの路線変更にみえた。
3二玉、2九飛、4二角、6八角、6四歩。
六連は4筋に指をかけた。
「4五歩」
開戦。
「同歩だ」
3五歩──ここでカウンター、6五歩。
土居矢倉にしたのは、正解だったと思う。
2二玉と入らない代わりに、6四歩~6五歩が成立した。
六連の応手は……1番が6五同歩、2番が3四歩、って感じか。
それ以外は手が広いから、指されたあとで考えよう。俺はそこまで手広く読めない。
6五同歩は、一回後手の要望を受けます、という手。
3四歩は、6五歩なんて効かないから無視します、という手。
かたち的に、6五歩は効く。3四歩、同金でも、6五歩と手をもどすだろう。
6五同歩を本線に読む。
「……」
「……」
六連はスポーツキャップを持ち上げて、かぶりなおした。
その仕草がなにを意味するのか、俺にはわからなかった。
「同歩」
俺は3五歩として、3筋の攻めを緩和した。
4五桂、3四銀、4六銀、4四歩、3三歩。
先攻はされるな、どうしても。
王様を引くのは、2四歩と突かれて、どうしようもなくなる。
「同桂」
同桂成、同金、2六桂、2五銀。
まだまだ互角のはず。
六連は3四歩と追撃してきた。
4三金寄、3五銀──よし、ここだ。
「3七歩」
これは手抜けない……とも限らないんだよなあ。
1四桂と突っ込まれるかもしれない。
そのときは2四歩、同銀、2六歩の打ち換えでガードする。
ガードできてるよな? 不安になってきた。
「……2八飛」
っと、受けたか。
だったら攻めさせてもらおう。
「3六桂」
「1八飛」
「8六歩だ」
反撃開始。
同歩、8八歩、同金、6六歩、同銀、8六角。
先手陣をバラバラにしながら、角交換を挑む。
六連は長考した。
同角の一手じゃないのか? ……7七銀がある?
7七銀なら5三角と引いて、いったん先手の手番。
とはいえ、8筋を守らないといけないから、手は限られるはずだ。
8七歩とすなおに打つか、あって8三歩だろう。
六連は2分ほど考えて、同角とした。
長考したわりには、第一感のほうか。
同飛、8七歩、8二飛、4五歩。
六連も再反撃。
俺は2七角で、飛車を回収しにかかった。
2四歩、同歩、4四銀。
「ぐッ……」
飛車を回収するヒマがない。
同金はないから……2六銀だ。
桂馬を取っておく。
6一角、5一銀。
「5二角成」
切られた。
同銀、3三金、4一玉、4三銀成、同銀、同金、4二歩、8三銀。
手が速いうえにキツい。
絶好調か? 昨日の不調はどこへ行ったんだ。
残り時間は、俺が8分、六連が12分。
なんとか手をひねり出さないといけない。
俺は長考し、6八歩を思いついた。同玉なら3五角、同金なら4七角。
「6八歩」
六連は30秒ほど考えて、7八玉。
ダメか。6九銀と打てるんだが、5八銀成と取ってるヒマがない。
俺のほうは3二金打、5一玉、8二銀成、4三歩、5八飛で終了だ。
でも打つしかないか。
6九銀、7七玉、8三飛、3三歩成、8二飛、4二金。
ん? 拠点を消してくれる?
同飛、同と、同玉、7二飛、5二金、7三飛成。
ハァ~、そういうことか。
入玉+寄せのダブルパンチ。どうしようもなくなった。
県の個人戦なら、もう投げてるな、これ。
六連はボーダーライン。あとでなんか言われるといけないから、最後まで指そう。
5三角、6四金、6二角、2三龍、1八角成。
ようやく飛車を回収。
2二龍、4三玉、4六桂、7九飛、8六玉。
ここで俺は1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8五歩ッ!」
入玉はさせん。
六連はまだ3分残していた。
そのなかから1分使って、9七玉。
俺は詰めろがかかってる。5四金の一手詰めだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
俺は3二銀と受けた。
六連は1八香としかけて、手をひっこめた。
「失礼」
スポーツキャップのつばを触る。
それから30秒ほど考えて、3三歩と打った。
……どうにもならんな。
同銀は詰みだし、4二金は3二歩成、同金、3四銀で寄る。
まさか3六桂が邪魔な展開になるとは。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました」
六連は時間残し。完敗だ。
続きを指しても、ノータイム指しだったろうし、しょうがない。
「手合い違いだったな。8六角と飛び出したあたりは、手ごたえがあったんだが」
「そうですね、あそこは互角だと思います」
「3六桂~2七角が、思ったよりぼやけた。打たないほうがよかったか?」
「どうでしょうか。あの局面では最善な気もしますが……」
六連の口調は、あまりはっきりしなかった。
感想戦をしたくないのだろうか。
ありうるし、最終局直前なら、仕方がないとも思った。
こっちが忖度したほうがいいのか?
先輩だもんな。六連からは、言い出しにくいかもしれない。
「機会があれば、またこんど検討しよう。おつかれさん」
「ありがとうございます」
一礼して、終了。
それじゃインタビューへ……と思ったところで、急に声をかけられた。
E媛の阿南だった。
「どうでした?」
「俺の負けだよ」
阿南はニヤリと笑って、あごをなでた。
「ってことは、六連にもまだ芽があるわけですね」
「芽? ……ああ、決勝トーナメントのことか。それがどうかしたのか?」
そこまで言って、俺は最終戦の組み合わせに気づいた──阿南と六連だ。
阿南はしたり顔で、軽く口笛を吹いた。
俺が言葉に迷っていると、スタッフが近づいてきた。
「阿南選手、対局中の私語は禁止されていませんが、離席時は控えてください」
「あ、はーい」
終わらせてから来いよッ!
場所:第10回日日杯 4日目 男子の部 14回戦
先手:六連 昴
後手:松陰 忠信
戦型:先手雁木vs後手土居矢倉
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲6六歩 △3二銀
▲7八金 △8五歩 ▲7七角 △3三銀 ▲4八銀 △3一角
▲6八銀 △3二金 ▲6七銀 △5二金 ▲3六歩 △5四歩
▲4六歩 △6二銀 ▲2五歩 △7四歩 ▲5八金 △4一玉
▲3七桂 △1四歩 ▲1六歩 △4四歩 ▲9六歩 △9四歩
▲6九玉 △7三桂 ▲4七銀 △4三金左 ▲5六歩 △3二玉
▲2九飛 △4二角 ▲6八角 △6四歩 ▲4五歩 △同 歩
▲3五歩 △6五歩 ▲同 歩 △3五歩 ▲4五桂 △3四銀
▲4六銀 △4四歩 ▲3三歩 △同 桂 ▲同桂成 △同 金
▲2六桂 △2五銀 ▲3四歩 △4三金寄 ▲3五銀 △3七歩
▲2八飛 △3六桂 ▲1八飛 △8六歩 ▲同 歩 △8八歩
▲同 金 △6六歩 ▲同 銀 △8六角 ▲同 角 △同 飛
▲8七歩 △8二飛 ▲4五歩 △2七角 ▲2四歩 △同 歩
▲4四銀 △2六銀 ▲6一角 △5一銀 ▲5二角成 △同 銀
▲3三金 △4一玉 ▲4三銀成 △同 銀 ▲同 金 △4二歩
▲8三銀 △6八歩 ▲7八玉 △6九銀 ▲7七玉 △8三飛
▲3三歩成 △8二飛 ▲4二金 △同 飛 ▲同 と △同 玉
▲7二飛 △5二金 ▲7三飛成 △5三角 ▲6四金 △6二角
▲2三龍 △1八角成 ▲2二龍 △4三玉 ▲4六桂 △7九飛
▲8六玉 △8五歩 ▲9七玉 △3二銀 ▲3三歩
まで119手で六連の勝ち




