502手目 両者うっかり
※ここからは、萩尾さん視点です。
いやあ、まいったな。予想以上にパンチ力がある。
まだ60手くらいなのに、のこり10分を切っていた。
べつに遊んでるつもりはないんだけどね。序盤の角交換もマジメにやっている。
腕力自慢には腕力で対抗しよう、という話。殴り合ったほうがすっきりする。
ともかく局面を収めないといけなくなった。
いろいろ考えていると、残り7分くらいになった。切り上げ時かな。
ボクは6五銀と取って、6四金、6二玉、6五金、6三歩とした。
これで小康状態。
イヤなのは3六銀だ。2七飛成と止められたら、こちらはやることがなくなる。
そうなるとさすがに後手良しの可能性があるな。
どうにかして暴れたい。5五歩、同歩、4六歩あたりか。
鬼首はかなり考え込んでいる。
3六銀、そんなに見つけにくい? 鬼首レベルなら気づきそうだけど。
……………………
……………………
…………………
………………指さないな。
あっという間にボクの持ち時間にならんで、そこからさらに差がついた。
その時間を利用して読んでいると、鬼首はようやく銀を手にした。
「しゃーねー、ゴリ押す。4一銀」
パシリと銀が打たれた。チェスクロが押される。
ボクはこの手をみて、すこしばかり水を飲んだ──これはそんなによくないでしょ。
ただなあ、悪いとも言えない。長考した以上、なにかあるのかな。
いずれにせよ、2七飛成はできるわけだ。
ボクも1分ほど腰を落ち着かせてから、5一金と引いた。
3二銀成、2七飛成、3四歩、2九龍。
この手を見て、鬼首は頭をかいた。
「その龍うぜぇな。交換しろ。3九金」
もちろん交換する。3八龍。
以下、同金、7三桂で、金をいじめる。
鬼首は1分考えて、7四金と上がった。
さて……どうかな。まだ互角? それともどっちかに傾いた?
先手もそんなに硬くないと思う。
ひとまず手筋で7七歩と叩いておく。
8七玉、2四角──これが厳しいんじゃないかな。
鬼首は悠々と4二成銀。
……………………
……………………
…………………
………………今の取り方、ちょっと気になる。
わりと自信があるような手つきだった。
鬼首の持ち駒は、飛車と銀2枚。
これでボクのほうが寄る?
例えば4二同金のあと、8二飛と打たれたら寄る?
8二飛、7二桂……詰みはない。
あるいは、先手が思ったよりも寄らない可能性がある?
例えば8一飛成と手渡ししてきたとき、6八角成。
(※図は萩尾さんの脳内イメージです。)
これは詰めろ。
7八馬、9八玉、8七金、同銀、8九銀、9七玉、8八角まで。
ボクのほうは詰まない……けど、ちょっと危ないな。5一銀、5三玉、4二銀不成に、同玉でも4四玉でもしばらくは追い回される。体感的にも後手がよさそうだ。
だとすると、8一飛成に先逃げで5三玉……耐えられるか?
ボクは5三玉の順を読んだ。難しい。気になったのは、4六銀の犠打。もちろん同歩でタダなんだけど、後手は6八角成とできなくなる。次に7二龍とされたら、後手が一方的に寄るかもしれない。先に8四桂と跳ねるのかな。駒割りも含めると互角にみえた。
……ピッ
1分将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ボクは4二同金とした。
ここで鬼首、再度の大長考。
どうしたんだろう。初手合いだから呼吸がよくわからない。
序盤はけっこう早指しタイプかな、という印象だった。
のこり1分まで使い切って、鬼首は8二飛と下ろした。
「7二桂」
受けた瞬間、鬼首はへへへと笑った。
「読み切りだぜ。7三金」
……………………
……………………
…………………
………………金捨て?
いや、正確には金桂交換だ。
でもただでさえ駒が足りない状況だ。
ここで駒損する意味がわからない。
5三へ逃げると思っているのか? 逃げないよ。
だけど鬼首の性格からして、はったりを利かせるタイプとも思えなかった。
……………………
……………………
…………………
………………待てよ、ここで手渡しされると、どうなる?
(※図は萩尾さんの脳内イメージです。)
6八角成……6五桂、6二玉、5一銀、5二玉、4二銀成、同玉、5三銀、3二玉、4一龍……詰むッ! 桂馬があると詰むのか。うっかりした。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同玉ッ!」
8一飛成に6四歩で、王様のふところを広げた。
これで詰まないはず。
そこから先手と後手のカーチェイス。
7四銀、6二玉、5一銀、5二玉、4二銀成、同玉。
入れるか? 入れないと厳しい。
7二龍、4三玉、3三歩成、同角。
2四角のおかげで九死に一生。
鬼首は7三龍と引いた。
後手敗勢だけど、必敗というほどじゃないはず。
鬼首のほうもすでに1分将棋。
ボクは5三銀と打った。
「逃がさないぜ。6三銀成」
4二銀と小技を効かせる。
6四成銀、6三歩、3四歩、同玉、2六桂、4三玉。
上を押さえられそう。
3四金、3二玉、3三金、同玉、6三龍、4三銀打。
鬼首は舌打ちをした。
「持ち駒が多いんだよな……無難にいくか。5四成銀」
ボクは5三歩。
同成銀とでもしてくれればいいんだけど……くれるわけないか。
4三成銀と入ってきた。これは同玉。
「3四銀」
いたたた、4四玉と出られない。6六角以下で詰む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ボクは3二玉とした。
3三歩、2二玉。
ダメだ。追い詰められた。
鬼首は角を手にした。
「オレ様あいてに、舐めた序盤するからだぞ。4一角」
んー……ムリ。思い出王手するのも棋譜が穢れるだけだし、やめておこう。
「負けました」
「あざーす」
なんだか、ふつうに負けてしまった。
「あざみちゃん、強いね」
ボクが褒めると、鬼首はちょっときょどった。
「な、なんだよ、そのセリフは?」
「いや、冗談抜きで……先手の攻めがこんなに遅いなら、早めに2四角だった」
【検討図】
「これだとイケる気がする」
「3三歩成で?」
「そこで2九龍と入って、3九金、3八龍、同金、7三桂、7四金、5九角」
【検討図】
本譜に3三歩成と5九角が加わったかたちだ。
3三歩成よりも、5九角のほうが圧倒的に痛いはず。
鬼首もそれは認めた。
「けど7三金、同玉、6五桂でよくね?」
「6二玉のあとが続かないと思う」
「7三銀、6一玉……ダメか」
鬼首はあれこれと攻める手をさがし始めた。
めちゃくちゃ攻めたがりだね。
「5八飛と一回打っとけばいいんじゃない?」
「自陣飛車? ここで自陣飛車なんか打てるかよ」
一番無難だと思うんだけど──おっと、お客さんがいるな。
ひとりはメガネをかけた社会人っぽいひと、もうひとりは記者の葉山さんだった。
ボクが話しかけると、葉山さんは、
「あ、ごめん、感想戦のメモ取ってるだけだから、気にしないで」
と言った。
鬼首は椅子にふんぞりかえって、
「鬼首あざみ、チャラい陶芸家のねーちゃんを粉砕、って書いとけよぉ」
と笑った。
ボクはチャラくないでしょ。基準はなんなの。
もうひとりのメガネのお姉さんも記者らしく、メモを取りながら、
「あのー、ひとつよろしいですか?」
とたずねてきた。
「どうぞ」
「途中、詰んでませんでした?」
「詰み? ……いえ、ボクの敗勢でしたが、詰んではいないと思います」
「すみません、質問の仕方が悪かったです。先手が詰んでませんでしたか?」
……………………
……………………
…………………
………………先手が詰んでた? そんなバカな。
鬼首も、そんなわけない、という態度だったが、ふと顔色が変わった。
ボクもほぼ同時に、心当たりのある局面が脳裏をよぎった。
そういえば、この局面──
【検討図】
王手できるな。しかも直前に金桂交換をしているから、金がある。
とはいえ、詰むか、と訊かれたら、むずかしいと思うんだけど。
「7五桂、9七玉、8七金、同銀……そこで6九角?」
「8八桂で詰まなくね?」
たしかに、8八桂くらいで詰まないか……いや、待てよ、ほんとにそうか?
「8七桂成、同玉、8八角成、7九銀は?」
「銀捨ててどうすんだ?」
「同玉、7八飛に同金と取れないよ」
鬼首は、角が利いてんのか、と言って、意見を変えた。
「8九玉、9七桂、同香、9八銀で詰むな。7九銀に8七玉は?」
「それは7五桂のおかわりが効くけど……」
【検討図】
詰むかな? 7七玉、6八銀不成、6六玉、5七角成、6五玉……そうか、ここで5六馬と捨てられるのか。同玉は5五金、5四玉は4三金打で詰む。
鬼首は、
「その桂馬でダメになるなら、8八桂じゃなくて銀だ」
と、合い駒を変えた。
んー、これなら詰まない?
ボクが読んでいると、メガネの記者のお姉さんは、
「口出しになってしまいますが、8八銀合は同角成、同玉に、8七桂成ではなく7九銀と打って、同玉、7八銀、同銀、同歩成、同玉、8七銀、7七玉、6八角成と切って詰みます。以下、同玉、7八飛、5七玉、5八金、6六玉のとき、7六飛成と引けます」
と、詰み筋を披露した。
8八金合にしてみたが、これも詰んだ。8七桂成、同玉、8八角成、同玉、7九銀、9七玉のとき、8七金と捨てる手が成立していた。
【検討図】
ボクは唖然とした──詰み逃しで負けたのか。
記者のお姉さんは、
「1分将棋だったので、しかたがないと思います。23手詰みです」
と、フォローした。
いやあ、でもショックでしょ。
7五桂さえ打てていれば、1分将棋の蓄積で気づいたかもしれない。
とはいえ、一番動揺していたのは鬼首のほうだった。
「つ、詰んでたのか? ……じゃあオレの負け?」
そこは関係ない。投了優先。動揺しすぎで混乱しちゃダメだよ。
ボクはバンダナ代わりにしている手ぬぐいを脱いだ。
前髪が眉毛にかかる。
「『読み切りだぜ』と真顔で言われても、信用しちゃダメだね。反省」
鬼首は赤くなった。
「なんだよその言い草はッ! おい、そこの記者、この話は記事にするなよ」
葉山さんは無視して鉛筆を走らせた。
「えー、読み切りだぜと言ったけど読み切っていなかった本局は……」
「ひとの話を聞けッ! 絶対に書くなよッ!」
「ああ、ダメダメ、ジャーナリストはそういう脅しには屈しないから」
とんだポカだな。
ここで勝てば、決勝進出が決まった可能性もあったのに。
ま、ボクがまだまだそんなもんってことか。
できれば今日中に決めたいんだけど、ムリっぽい?
場所:第10回日日杯 3日目 女子の部 14回戦
先手:鬼首 あざみ
後手:萩尾 萌
戦型:力戦形
▲7六歩 △3四歩 ▲5六歩 △8八角成 ▲同 銀 △5七角
▲4八銀 △2四角成 ▲9六歩 △3三馬 ▲5七銀 △9四歩
▲3六歩 △4四歩 ▲6八玉 △3二飛 ▲6六銀 △5二金左
▲8六歩 △4三馬 ▲6五角 △同 馬 ▲同 銀 △3五歩
▲同 歩 △同 飛 ▲7七桂 △6二玉 ▲7八玉 △7二銀
▲6八金 △3三桂 ▲7五歩 △4二銀 ▲4六角 △3四飛
▲3五歩 △2四飛 ▲7四歩 △4五歩 ▲5五角 △6四歩
▲7三歩成 △同 銀 ▲7四歩 △6五歩 ▲7三歩成 △同 桂
▲3八飛 △5四歩 ▲7三角成 △同 玉 ▲3四歩 △3二歩
▲6五桂 △6三玉 ▲4四桂 △6四銀 ▲5二桂成 △同 金
▲3三歩成 △同 歩 ▲7六桂 △6五銀 ▲6四金 △6二玉
▲6五金 △6三歩 ▲4一銀 △5一金 ▲3二銀成 △2七飛成
▲3四歩 △2九龍 ▲3九金 △3八龍 ▲同 金 △7三桂
▲7四金 △7七歩 ▲8七玉 △2四角 ▲4二成銀 △同 金
▲8二飛 △7二桂 ▲7三金 △同 玉 ▲8一飛成 △6四歩
▲7四銀 △6二玉 ▲5一銀 △5二玉 ▲4二銀成 △同 玉
▲7二龍 △4三玉 ▲3三歩成 △同 角 ▲7三龍 △5三銀
▲6三銀成 △4二銀 ▲6四成銀 △6三歩 ▲3四歩 △同 玉
▲2六桂 △4三玉 ▲3四金 △3二玉 ▲3三金 △同 玉
▲6三龍 △4三銀打 ▲5四成銀 △5三歩 ▲4三成銀 △同 玉
▲3四銀 △3二玉 ▲3三歩 △2二玉 ▲4一角
まで125手で鬼首の勝ち




