493手目 記者さんたち
※ここからは、葉山さん視点です。
ふいぃいい……だいぶ疲れてきちゃった。
さすがに3日連続であちこち取材してるとキツイ。
ここは記者魂の見せどころだね。
というわけで、午後も犬井くんといっしょ──のはずだったんだけど、犬井くんは用事で抜けちゃった。あたしひとりで取材。まあいつもどおりやろう。
記者室を出てエレベータのまえで待っていると、ひとりの女性を見かけた。
メガネにショートカットボブで、スーツを着ていた。首からはカメラ。
もしかしてファンのひとかな。会場エリアは立ち入り禁止なんだけど。
よく見ると腕章をしていた。しかも記者用。
被写体をさがしてるのかな……そのわりにはなんか行動が不審。
私は思い切って声をかけてみた。
「こんにちは、どうかなさいましたか?」
メガネの女性はこちらへふりむいた。
「あ、こんにちは、日日杯の会場をご存じありませんか?」
女子高生に敬語を使うとは、腰の低いお姉さんだね。
「日日杯なら20階ですけど……」
「そうですか。階を間違えました。エレベータはどこに……?」
お姉さんはまたキョロキョロし始めた。
ホテル内で迷ってるのか。すごい方向音痴っぽい。
あたしがそんなことを思っていると、お姉さんは私の腕章に気づいた。
「もしかして学生記者のかたですか?」
「あ、はい」
「あいさつが遅れました。私はこういう者です」
株式会社デイナビ
第3編集部
索間 蘭
本職じゃーん。あたしは慌てて名刺を出した。
「名刺をお持ちなんですね。ありがとうございます。葉山光さんですか」
「はい、よろしくお願いします」
あたしたちはいっしょに移動することになった。
エレベーターで20階へ。そのまま会場入り。
うーん、すごく白熱してるね。将棋って、体を動かさないし声も出さないのに、こういう雰囲気は伝わってくる。私は入り口のほうから順番に局面を見ていった。写真も撮る。索間さんも写真を撮ってメモをして回っていた。
ここは先手が良さそうかな、とか思いながら歩いていると、索間さんはひとつのテーブルをじっと観戦していた。あたしも覗き見る。
【先手:萩尾萌(Y口県) 後手:大谷雛(T島県)】
ふむ……よくわからん。
大谷さんは6三銀と指した。
あたしは【5五銀ダメ?】とメモした。
すると索間さんは、
「5五銀でもいいと思いますよ。以下、5六歩、4四銀と引かせたあとで、2四歩と仕掛ける手もありますし、4六歩とプレッシャーをかける手もあります」
と小声でコメントした。
あたしは脳内で手順を追った。
「……2四歩は分かりますが、4六歩というのはなんですか?」
「次に4五歩と突いて、5三銀引と撤退させる手です」
「先に6五歩と仕掛けられません?」
「それは無視してだいじょうぶです。強く4五歩と突いて、5三銀引、2四歩と、このタイミングで2筋を突けば問題ありません」
【参考図】
なるほど、このお姉さん、やるな。
ここで萩尾さんは9六歩と突いた。
「これはなんですか?」
「2四歩と突くまえになにか指して欲しい、という手ですね。私なら直接2四歩と突きますが、萩尾さんはずいぶん慎重なようです。同歩、同飛、2三歩、2八飛があまりおもしろくないと見たのか、あるいは大会で手が伸びないのか」
こういう細かい組み合わせ、まだよくわかんない。
あたしがメモしていると、手がどんどん進み始めた。
5五銀、5六歩、4四銀、2四歩、同歩、同飛、2三歩、2八飛。
ん? けっきょく似たような流れ?
大谷さんはここで飛車をスライドさせた。
索間さんは、
「6二飛ですか……6三銀の段階から狙っていたのかもしれません」
とコメントした。
「好手ですか?」
「悪手ではないです。私なら8一飛と縦に引くか、あるいは8五歩と伸ばします」
地味だね。
萩尾さんは4六角と出た。
これはさすがに分かる。6五歩と突けないようにしたのだ。
大谷さんも3五歩、同歩、3六歩でべつの筋から攻める。
萩尾さんは2五桂と跳ねた。
私は、
「この桂馬は殺せますよね?」
とたずねた。
「はい、読みが入っていないと指せない手です」
大谷さんはすぐに2四歩と殺しにきた。
3四歩、2三金、3三桂成、同桂、2四角、3四金。
ごちゃごちゃしてきた。
「後手は桂馬を取り切らなかったですね」
「2三金に代えて2五歩は、同飛、3一桂と打つ必要が生じるので損です」
「3一桂……あ、2四歩と垂らされたら困るんですね」
なるほどなるほど、メモメモ。
2四歩は桂馬を取るんじゃなくて、攻めを急がせる目的だったのか。
先手は3五歩で、角取りを催促した。
2四金、同飛、5一金、2三飛成、3一桂。
あー、どのみち打つことになったね。
これはどうなんだろう。後手は想定の範囲内なのかどうか。
2七龍、4五桂、3六龍、8五桂。
後手も反撃に出た。
「3一桂と打たされたので、後手不利ですか?」
私の質問に、索間さんは、
「まだ互角だと思います。ただ持つなら先手を持ちたいです」
という回答。
たしかに私でも先手を持ちたいかな。攻めるのが気持ちよさそう。
先手は銀当たりを無視して、4六歩で桂馬を狙った。
5七歩、4七銀、3二飛。
飛車と龍が向かい合う。
萩尾さんは果敢に3四歩。
私はメモを取りながら、
「今のところ、3四金で封殺できませんでした?」
とたずねた。
「3四金は同飛と切りたくなります」
「飛車金交換ですか?」
「はい、以下、同歩、3七金と、龍のお尻から打ちます」
「いったん龍を逃げて、8二飛と打てばよくないですか?」
「後手が1三角から攻撃態勢を築くほうが早いと思いますね」
ふーむ、どうやら後手から攻める手も残されてるっぽい。
ここで大谷さんは7七桂成と成り込んだ。
同金寄、5八歩成、同玉、1三角、2四歩、1五角。
うわ、ほんとだ。この攻めが速いのか。
後手も迫力が出てきた。
おたがいに王様の位置が悪いから、決まるときはすぐに決まりそう。
私が感心していると、索間さんは、
「葉山さんなら、どう指しますか?」
と訊いてきた。
むむむ、ここは将棋観戦記者(アマ3級)として腕の見せどころ。
「……4五歩と取ります」
無難な回答をしてみる。
「あ、いいですね。そこで3五銀と出られても対処できますし」
え? 3五銀? タダじゃない?
……あ、3五銀、同龍だと2四角引が痛いのか。
ここは便乗。
「そうですね、3五銀に3八龍と引きます」
この予想は当たった。
4五歩、3五銀、3八龍。
大谷さんは3七銀打で追撃。
萩尾さんは1八龍と逃げた。
んー、先手ちょっと窮屈になった?
後手で指したくなってきた。
この時点で残り時間は両者10分。
大谷さんはそのうち1分を使って4八銀成とした。
6九玉、2四銀(手をもどしたね)、7九玉、4七成銀。
うーん、どっちがいいんだろ。
8八玉、3七角成、4四歩、同歩、5五桂。
こんどは先手を持ちたくなってきた。
あたしの形勢判断はコロコロ変わる。
索間さんの形勢判断も訊いてみた。
「一貫して先手持ちです。が、ほぼ互角ですね」
え、そうなんだ。あたしが気分屋なのかな。
いずれにせよ、現局面が先手持ちという点では一致した。
「この5五桂、痛くないですか?」
「3四飛と飛び出すのが攻防になっています。それでほぼ互角とみます」
あたしはそのコメントの意味を考えた。
「攻撃なのはわかりますけど、防御というのは?」
「入玉を目指せるようになるからです」
あ、そういうことか。
索間さんはいかにも記者っぽい笑みをみせた。
「ここからは長くなりますよ。はりきって取材しちゃいましょう」




