468手目 電話
2日目も終わって、私たちは瀬戸の間に集合。
昨日の立食パーティーとはちがって、和風のお座席だった。
4人ひとかたまりで、だいたい県別に座る。
私は正面が姫野先輩、左どなりが三和先輩、左ななめまえは知らない女性だった。
内木さんの音頭で乾杯。
さっそく飲食が始まる。私はお吸い物の蓋を開けた。
だしと山椒の香ばしいかおり。
いただきまーす──ふぅ、おちつく。
私がホッとしていると、左ななめまえのツインテールの女性が、
「お酒頼んじゃダメなの、これ?」
と言った。三和先輩は、
「さすがにダメなんじゃない」
と答えた。
ツインテールの女性は「チェッ」と言って、それから私を見た。
「ポニテのお姉ちゃん、はじめましてだよね?」
「あ、はい、駒桜の裏見です。はじめまして」
「見かけない顔だけど、最近将棋始めたの?」
高校生になってから公式戦に出るようになったことを、私は伝えた。
「あ、そうなんだ。私は筒井順子、H島で将棋が一番強い女よ」
えぇ……なにこのひと。
三和先輩のまえでそれを言いますかね。
どう返したらいいのか迷っていると、三和先輩は、
「ところで裏見さん、今回の解説はどう?」
と話題を変えてくれた。
もうしわけないけどここは便乗させてもらう。
「たいへんですけど、観てておもしろい対局が多かったです」
「たしかにね。明日はいっしょになるかもしれないし、そのときはよろしく」
初対面のひとと組むのが一番むずかしい。
三和先輩は初対面ってわけじゃないから、なんとかなるかな。
私はそんなことを考えながら、えび天を頬張った。
さくさくしていておいしい。
三和先輩は、
「そういえば裏見さんの進学先は? 就職組?」
とたずねてきた。
「東京の大学にしようかな、と」
「慶長受ける?」
「受ける予定ですけど、一応国公立が第一志望です」
ここでツツイさんが割り込んできた。
「東京来るの? 晩稲田入ってよ」
このひと晩稲田っぽい? 他大へ入れとは言わないだろうし。
私は晩稲田も受ける予定だと伝えた。
「晩稲田の将棋部はいいよ。1年中メイド服着てるやつもいるけど」
そ、それはどうなんですかね。
まあついでにいろいろ情報を仕入れておく。
「先輩たち、東京でのひとり暮らしって平気ですか?」
三和さんは「うん」と即答した。
ところがツツイさんは、
「あ、こいつ都内にマンション買ってもらった口だから、参考になんないよ」
とつっこみを入れた。
お金持ちぃ。実家がお医者さんらしいのよね。
「ツツイさんは、どうですか?」
「気楽でいいよ。何時に帰っても怒られないし、徹夜で麻雀したりお酒飲んだりさ」
んー、べつに夜遊びに興味があるわけじゃないのよね。
ここまで黙って聞いていた姫野先輩は、
「オートロックのある賃貸マンションの高層階がよろしいかと」
とアドバイスしてくれた。
「オートロックだと家賃上がりませんか?」
「都内から離れれば地価は下がります。あとは交通費との兼ね合いです」
これにはツツイさんが反対した。
「端っこに住んでもつまんないよ。周りになにもないもん」
「東京なのに、ですか?」
「東京って言っても端っこはふつうに田畑あるよ」
そうなのか……うーん、住居もよく考えないといけないのよね。
引っ越しで失敗する例もたまに聞く。
ツツイ先輩は、
「だからさ、晩稲田に入って大学ライフを楽しもうよ。安いアパート紹介してあげる」
と、なぜかあっせん業みたいなことを始めた。
これには三和先輩があきれて、
「順子ちゃんのアパート、スキマ風がすごくて参るんだよね」
と言った。
「知らんがな。大家に言ってよ。築30年よ、30年」
震災が来たとき大変なことになりそう。
H島はほとんど地震がないから、そのへんも心配。
三和先輩は、
「それにゴキブリが出る家って生まれて初めてみたな」
と言った。
いや、それはうちも出るんですが。
「あのときの三和っちの反応おもしろかったね。飛び上がって雀卓ぶちまけてたし」
「そういえば4日目終わったらどうする? 打ちに行く?」
「先に飲み会っしょ。小早川も明日来るらしいから誘ってさ」
ふたりは打ち上げのプランを立て始めた。
気が早いことで。
私はそのあと、姫野先輩と思い出話にふけった。
1時間後──私はホテルの大浴場で、1日の疲れをいやしていた。
神崎さん、桐野さんといっしょに、湯煙を満喫。
ああ、極楽極楽。
私がお湯につかっていると、温田さんが話しかけてきた。
「あ、裏見お姉さんなの~こんばんは~」
「こんばんは。今日はおつかれさま」
「おつかれさまなの~裏見お姉さん、温泉好きなの~?」
大好きというわけじゃないけど、嫌いではない。
スタッフの神崎さんに誘われたのもある。
「んー、ふだんはあんまり入らないかな。温田さんは?」
「みかんは好きなの~でもここ人工温泉なの~」
「え? そうなの?」
温田さんの地元は有名な温泉街だからすぐにわかる、ということだった。
そんなものかしら。私はお湯を手ですくってみる。さっぱり。
神崎さんは、
「H島市はあまり温泉が出る地域ではない。そもそもH島城から南は埋め立て地だ」
と言った。
「へぇ、そうなんだ」
「お姉さん地元のことちゃんと知っといたほうがいいの~」
いやいや、ここは地元じゃないから。
駒桜出身だし。
一方、いっしょに入っている桐野さんは「ほえぇ」と言って会話に入ってこなかった。
「桐野さん、だいじょうぶ? のぼせてない?」
「お花、おっきぃお風呂大好きですぅ」
さいですか。
私は浴場を見回す──あんまりひとがいないのよね。
選手で来てるのは温田さんと桐野さんくらいか。
まあ3日目に備えて自室でさっさと寝ちゃうんじゃないかな、とは思う。
抜け番のある私ですら、かなり疲れていた。
私は首までつかりながら、温泉の効能を堪能した。
ふぅ、いいお湯だった。
浴衣に着替えた私は、自室へもどるために17階へ。
とちゅうのレクリエーションコーナーで、ふと立ち止まる。
不破さんたちがガラスの向こうでなにやらはしゃいでいた。
防音はしっかりしてて声は聞こえないけど、どうやらテレビを観ているらしい。
野球のナイター中継だった。
元気なことで──私はその場を通りすぎようとして、はたと足を止めた。
レクリエーションルームのドアを開ける。
アナウンサーの声と応援の歓声が漏れた。
不破さんはソファーに寝そべって、正力さんと話をしていた。
「やっぱデートをもうちょっと重ねるしかねぇかなあ」
「不破さーん」
「うわッ!?」
不破さんは飛び起きた。
すこし顔を赤くして、
「お、おまえなにいきなり現れてんだよ」
と言った。
「不破さん、駒桜行きの終バス、けっこう早いわよ?」
不破さんは、なんだそんなことか、という顔をして、
「今日は友だちんち泊まるからいいの」
と答えた。
「あ、そうなんだ、ごめんなさい」
デートがどうのこうのって聞こえたわね。
恋バナのお邪魔だったかしら。
テレビのまえでは早乙女さんと宇和島さんが、メガホンを持って一喜一憂していた。
鬼気迫った応援をしているから、声はかけないでおく。
「じゃ、おやすみなさい」
私はレクリエーションルームを離れて、自室へ──と、そのとちゅうにある小さな談話スペースで、内木さんを発見した。眼帯をした子と、ビニール盤で将棋を指している。棋譜用紙片手に話し合ってるから、今日のふりかえりなんじゃないかと思った。
そっと通り過ぎようとしたものの、内木さんに見つかった。
「あ、裏見先輩、おつかれさまです」
「おつかれさま。熱心ね」
「明日から重要な対局が増えるので、事前準備です」
キーになりそうなところの対戦成績と、過去の対局を調べているのだとか。
私は感心してしまった。
内木さんは盤面をゆびさして、
「裏見先輩なら、この局面でどう指します?」
とたずねてきた。
【先手:鬼首あざみ(O山県) 後手:桐野花(H島県)】
桐野さん、鬼首さんと全国大会で当たってるのか。
そういえばジャビスコのとき、知り合いみたいな感じだったわね*。
「ふつうに5四金じゃダメ?」
「裏見先輩もそう読みますか……」
「本譜はちがうの?」
「本譜は4九飛なんです」
4九飛──速度計算が追いつかない。
「でも6三桂成に手をもどさないとダメでしょ?」
「はい、本譜の進行は4九飛、6三桂成、同金、5五角、6七歩です」
「それは詰めろじゃなくない?」
「5五角が利いているので、詰めろではありません。おそらく2手スキでもないです」
私は6八歩成の局面が詰めろかどうか考えた。
5五角が守りに利いていて詰まない、という結論。
「そうね、2手スキでもなさそう」
「問題は後手です。後手に有効な2手スキ以上がかかるかどうか」
「6四角と切っちゃダメ? その瞬間、先手が2手スキ?」
「はい、5五角がいなくなると、6八歩成が詰めろになります」
ってことは6四角、同金の次に詰めろをかけないといけないのか。
私はじっと盤をにらんだ。
「……むずかしいわね」
「裏見先輩クラスでもむずかしいですか……」
ここで眼帯の少女が足をパタパタさせた。
「この調子だと徹夜になりますよ。パパっと並べちゃいましょ」
解説室で見た子だ。名前は……夜ノさんだったかしら。
なぞに棋力が高い子、というもっぱらのうわさだった。
私もそろそろ寝たいから、
「ごめんなさい、私も部屋にもどるわ」
と言った。
「あ、お引止めして失礼しました。またあした」
自室にもどった私は、髪の手入れをして、お風呂上がりの水分補給。
部屋にあったミネラルウォーターを開けた。
コップに注いでから飲む。体に沁みる。
さて就寝、というところで、部屋の電話が鳴った。
私は受話器をとった。
「もしもし?」
《もしもし、ごめん、磯前だけど、寝てた?》
スタッフからの電話かと思いきや、ちがった。
私はベッドに座って、
「ううん、まだだけど、どうしたの?」
とたずねた。
《どうってわけじゃないんだけど……どうも眠れなくてね》
なんとなく意気消沈している雰囲気。
私は解説者としての公平性を欠かさないように注意しつつ、
「フロントにハーブティーでも頼んでみたら?」
とアドバイスした。
スタッフからそういう注文はオッケーだと聞いていた。
《そうだね、試してみる。まあ原因は分かってるんだけどさ。明日の第1局がお花ちゃんとで、負けたほうがキツくなりそうだから……いや、こんなの解説者に言うことじゃないか。ごめん、切るよ。邪魔して悪かった。おやすみ》
私はなにか言いかけたけど、電話は切れてしまった。
ツーッという電子音。私は受話器を置く。
みんな緊張してるのね。
明日の第1局は磯前vs桐野戦を解説したいな、と思っていた。
だとすれば私ができることと言えば──
「いい解説をするしかない、か」
私はじぶんの役目をもういちど思い出して、そのままベッドに入った。
目を閉じる。
明日はいい解説ができますように──そう祈った。
*56手目 休憩時間
https://book1.adouzi.eu.org/n2363cp/68/




