456手目 隠されたマイク
※ここからは、葉山さん視点です。
いやぁ、このお弁当、美味しすぎでしょ。
あたしはスタッフに配られた幕の内弁当に舌鼓をうっていた。
お昼休みは取材で忙しかったから、すこし遅めの昼食。
先に食べ終わっていた犬井くんは、記者室のモニタをながめていた。
「……5九角かな」
「ん? なにが?」
「鳴門vs葦原」
あたしはモニタを見た。
……さっぱり分からない。
「5九角だとどうなるの?」
「放置なら4五桂。そのまま中央に殺到」
……なるほど、龍取りになってるから4五同桂とできないのか。
「犬井くん、あいかわらずやるねぇ」
「んー、岡目八目だよ」
またまた謙遜しちゃって。
あたし知ってるんだよ。じつは犬井くんが県代表クラスだってね。
あれだよ、囃子原くんが強すぎて県代表になれなかったの。
たぶん他の県なら代表になれてたんじゃないかな。
あ、でもH島とかK知みたいに強豪がいるところだと、さすがにムリか。
それともじつは捨神くんクラスだったりする?
「犬井くんと捨神くん、指したらどっちが強い?」
「すごいストレートに聞くね」
「あ、ごめん、気に障ったら無視していいよ」
「捨神くんか……うーん、入らなくはないと思うけど、捨神くんのほうが強いかな」
へぇ、そうなんだ。
あたしは調子にのって、
「このなかで何番目くらいに強い?」
とたずねた。
「それはさすがにノーコメントで」
あ、はい。
あたしはデザートの大学芋を口にはこぶ。
「……はぁ、ごちそうさま。おいしかった」
「コーヒー飲む?」
犬井くんは席を立ち、コーヒーサーバのほうへ向かった。
「あ、いいよいいよ、自分でやるから」
「僕も飲みたかったからね。ついでさ」
どうもありがとうございます。
あたしは紙コップに入ったコーヒーを受け取った。
「ふぅ……生き返る」
「午前中はお疲れさま。記事はけっこう溜まってきた?」
きたきた。
対局終了後、廊下でこっそりインタビューしてるんだよね。
毎回全員分は無理だけどさ。
あたしは紙コップをテーブルにおいて、メモ帳をめくった。
「今のところ、あんまり面白いコメントはないかなあ……」
阿南くんはわりと過激なコメントが多い。
梨元さんは「残り全勝する」って言ってるね。その次の対局で負けてるけど。
他の上位陣はなんだか無難。
あたしはメモ帳を閉じて、
「もうちょっとこう、台詞を引き出すテクが欲しいよね」
とタメ息をついた。
犬井くんはコーヒーを飲みながら、表情を変えずに、
「さあ、どうかな。あんまり過激なコメントも上滑りしそうだけど」
と答えた。
「そう? 紙面はにぎやかなほうがよくない?」
「ウケ狙いの発言って、しばらく経ったら滑ってることが多いと思う」
……たしかに、そういうのはあるかな。
何ヶ月か前にウケたギャグも、あとで思い返すと面白くなかったりするし。
「犬井くん、急に冷静になったね」
「い、いや、急になってるわけじゃないけど……これって囃子原グループの宣伝でもあるんだから、変な発言は困るんだよ。炎上したらダメだし」
あ、そういうことか。
最近はなんでも炎上するよね。
「むしろ葉山さんのほうが方針変わってない? 大谷さんの例の電話、記事にしなかったんでしょ?」
あたしは痛いところをつかれて、しどろもどろになった。
「だってさ……電話の内容も意味わかんなかったし……書いちゃいけないネタだった気がするんだよね。具体的にどういけないのかは、説明できないんだけど」
「ザクロの実がどうこうね……僕もよくわかんなかったかな」
でしょ。ああいうのは勝手に解釈するとマズいと判断した。
話がひと段落したところで、あたしは画面を見た。
進んでるじゃーん。
「これどう進んだの?」
「5九角、2四龍、2二歩、3四銀、2一歩成じゃない?」
じゃあ次は同龍……じゃないか。それは3四角で銀を抜かれちゃう。
あたしは先を読んでみた。よくわからない。
「次はどうするの?」
「6五香と切って、同歩に4四桂かな」
これは当たった。
6五香、同歩、4四桂、2六香。
あたしはちらちらメモを取りながら、
「どっちも逃げなかったね」
と言った。
「逃げられないからね。6七角は3六桂〜2八歩成で崩壊する」
なるほど。
犬井くん、的確に解説してくれるから、観戦記が書きやすくていい。
最後の1文字を書いた瞬間、スピーカーから葦原先輩の声が聞こえた。
《難解になりました……》
そう、これ音声付きなんだよ。
犬井くんの話だと、チェスクロにマイクが仕込まれているらしい。
しかも選手には事前に言ってないっていう。
あたしは「なんか盗聴してるみたいだよね」とコメントした。
「感想戦を聴きたいからね。対局中の私語はおまけだよ」
いやあ、でもなあ、わりと私語の部分がきわどいというか。
宇和島vs越知戦はカレピいるかいないかの話してたし、阿南くんは下ネタ連発してたし、二階堂姉妹は姉妹ゲンカしてたし、なんか余計な情報を得てる気がする。
感想戦を拾わないとあとで困るから、録音する必要があるのは分かるんだけど。
パシリ
「……これは?」
「同飛なら3六桂、同銀なら1四龍だと思う」
「単に1四龍じゃダメ?」
「それは1八飛とぶつけられたとき交換するしかなくなる」
なるほどなるほど。
「ってことは無視して2四香?」
あたしがそう言った途端、鳴門くんは2四香と指した。
いえーい、正解。
「葉山さん、手が読めるときは自信を持って書いていいと思うよ」
「でもさ、ちょくちょく間違ってるじゃん」
「そこは添削すればいいだけだからね」
一回自分で書いて原稿を出したら、犬井くんの添削で真っ赤にされたんだよね。
あれはトラウマ。
あたしはメモをとりとり、観戦を続ける。
3八と、3四角、4九と。
うわ、すごい取り合いになった。
えーと、駒割りは……角桂の交換かな。先手が得してる。
以下、7七角、4八と、8九玉、4九飛で、先手が王手された。
鳴門くんはがっちり7九銀打で受けた。
「……後手のほうがいい?」
「僕は先手持ち」
「2九飛成で駒損がすこし回復して、さらに2四の香当たりだよね?」
「それでも先手のほうが速いと思う。2二飛に5二金寄と逃げられないから」
……なるほど、4三角成で困るわけか。
2九飛成、2二飛、3二金打、1二飛成、2四龍、2三歩。
か、角を捨てるんだ。
「この手は? 駒得のアドバンテージ捨ててるよね?」
「3四龍に2二歩成で金取りが確定。まだ駒の差は縮まらない」
あ、そっか。一手だけ読んでコメントする癖、ちょっと治さないといけないね。
反省。
3四龍、2二歩成、2四龍。
よし、こんどこそちゃんと読む。
……………………
……………………
…………………
………………
「3二とに3四角?」
「僕もそう指すかな」
やったぜ。
「ってことは、3二と、3四角、2二龍、同龍、同とだね」
パシリ
ん? はずれた……ってわけでもないか。
3四角を消した手だ。
ちょっと消極的かな、という気も。
「こっちのほうがいいの?」
犬井くんは冷たくなったコーヒーを片手に、じっと画面を見ていた。
「……むずかしいね。同龍だとさっきの筋がなくなる。5二金寄と逃げるか……」
犬井くんは5二金と寄る順を検討し始めた。
3二とに2三角ってことだよね。さすがにあたしでも分かる。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………???
「これは?」
犬井くん、本気モードで読み始める。
「……相当凝った手だね。同龍のあと一手指して、3二と、同金の予定だ」
「3二龍の阻止?」
「そういうこと。1二龍とももどれない。2三角がある」
犬井くんは「おもしろくなってきた」と言った。
中継カメラでも、鳴門くんはかなり考え込んでいる。
これは予想してなかったっぽいね。
先手の鳴門選手は、この手を予想していなかったようだ、と。メモメモ。
けっきょく鳴門くんは1一同龍とした。
まあこれはしょうがないと思う。
葦原先輩は6九銀の引っ掛け。
以下、3二と、同金、9八玉、2九龍、6七金、7八角。
鳴門くんは、
《そう来ますか……》
と漏らした。
先手、危なくなったっぽい?
しかも時間がない。先手はここで秒読みに入った。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
鳴門くんは6八金打
ここからは受けのターン。
6七角成、同金、7八金、2二と、7九金、同銀。
意外と耐えてる。
葦原先輩も秒読みに。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
葦原先輩は5八銀不成と引いた。
これはちょっと遅い印象。
6八金、8六歩、同角。
葦原先輩は持ち駒の銀を手にした。
パシリ
「!」
「?」
この瞬間、鳴門くんの目が光った。
駒音高く、角が打ち下ろされる。
葦原先輩は、わずかに表情を変えた。
口もとに扇子を寄せ、それから目を閉じた。
《……8四香がありましたか。私の負けです》
葦原先輩は頭をさげた。
鳴門くんの勝ちぃ。
「最後、8四香っていうのは?」
「5一角、7一玉に8四香じゃないかな」
【参考図】
「これで寄りだね。8三歩、同香成、同銀に5三角成と突っ込んで、8二玉、7三角成と切れば終わり。たぶん5一角のところで8二金を読んでたんじゃないかな。それでも先手が勝勢だけど、本譜みたいに即終了ってわけじゃないから」
なるほどなるほど。
そのあとは感想戦タイム。
葦原先輩のコメントから始まった。
《1一香では、単に5二金寄でしたか?》
《どうでしょう。打たれた瞬間はイイ手だな、って思いましたけど》
《犠打のつもりでしたが、8四に使われては無駄打ちだったかもしれません》
そっか、8四に打たれた香車は、1一香と打ったやつだもんね。
鳴門くんはすこし間を置いたあと、
《5二金寄、3二と、2三角、同龍、同龍、4二金は千日手コースなんですよね》
と返した。
【参考図】
葦原先輩は、扇子をパチリとさせた。
《正直なところ、千日手は避けたいという気持ちがありました》
《あ、分かります。大会の進行上、持ち時間を増やさずに指し直しですもんね。休憩時間が潰れる可能性が高いので、僕のほうも打開しに行ったかもしれません》
《先手から打開していただけるなら、敢えてこの順に……という読み合いになりますか。むずかしいところです。このあたりでは互角という印象でした》
鳴門くんも、それには同意した。
《ですね……終盤、7九龍としなかったのは、なぜなんですか?》
【参考図】
《8九金と弾かれたあと、戻っているようでは勝てないとみました》
《同龍と切りません?》
《飛車を渡したあとの攻めが続くように見えず……》
犬井くんは、チョコレートのふくろを開けながら、
「鳴門はここで負けるとキツかった。首の皮一枚つながったかな」
とコメントした。
あたしも一個もらう。
「決勝トーナメントの話?」
「そう。鳴門は上位陣に負けてる。下位を全部拾わないと厳しい」
「ちなみにだれが残ると思う?」
犬井くんはコーヒーを淹れなおした。
「そこの予想は観客のみなさんに任せるとして、今日の男子は9回戦まで。そろそろ準備しようか。最初にコメントをとる選手……アイウエオ順でいいか。それぞれに質問の内容を考えておこう。ちょっと突っ込んだ質問をしたい選手もいるしね」
場所:第10回日日杯 2日目 男子の部 8回戦
先手:鳴門 駿
後手:葦原 貴
戦型:横歩取り
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲5八玉 △4一玉
▲3六飛 △2二銀 ▲8七歩 △8四飛 ▲2六飛 △7二銀
▲3八銀 △2四飛 ▲同 飛 △同 角 ▲3六歩 △3三角
▲3七桂 △8八角成 ▲同 銀 △2八飛 ▲7七桂 △3三桂
▲6五桂 △4二金 ▲2七歩 △2九角 ▲3九飛 △1八角成
▲8六角 △5二玉 ▲1八香 △同飛成 ▲6九玉 △6四香
▲6六歩 △2六歩 ▲同 歩 △2七歩 ▲2九銀 △1七龍
▲3八飛 △2六龍 ▲7九玉 △9四歩 ▲5六角 △3四歩
▲1二歩 △同 香 ▲3四角 △2三銀 ▲5六角 △6二玉
▲5九角 △2四龍 ▲2二歩 △3四銀 ▲2一歩成 △6五香
▲同 歩 △4四桂 ▲2六香 △2八歩成 ▲2四香 △3八と
▲3四角 △4九と ▲7七角 △4八と ▲8九玉 △4九飛
▲7九銀打 △2九飛成 ▲2二飛 △3二金打 ▲1二飛成 △2四龍
▲2三歩 △3四龍 ▲2二歩成 △2四龍 ▲3五歩 △1一香
▲同 龍 △6九銀 ▲3二と △同 金 ▲9八玉 △2九龍
▲6七金 △7八角 ▲6八金打 △6七角成 ▲同 金 △7八金
▲2二と △7九金 ▲同 銀 △5八銀不成▲6八金 △8六歩
▲同 角 △8五銀 ▲5一角
まで117手で先手の勝ち




