451手目 スタッフルーム
※ここからは、大伴くん視点です。
俺がスタッフルームに戻ったとき、室内には奥村と凡地先輩しかいなかった。
俺はハンカチで汗をぬぐいながら、
「あちぃ、外回りはキツいぜ」
と言い、スタッフ用の飲み物コーナーに向かった。
ここはホテルの小会議室を借り切った場所だ。
モニタやら段ボールやらがずらりと並んでいた。
モニタのひとつを観ていた奥村は、こちらへ顔を向けて、
「おつかれさんだべ。外はどうなってるべか?」
とたずねてきた。
「満員御礼だよ。県外からも来てるから交通案内が大変だ」
「そりゃご苦労なこった」
……ん? 凡地先輩ってスタッフだったか?
「先輩、スタッフでした?」
「ちがうのだ〜」
「人手が足りないから手伝ってもらってるだ。おらひとりで留守番だとキツいべよ」
そういうことか。
モニタの監視係は記録シートをつけないといけないから、意外とめんどいんだよな。
俺はコーラを飲みながら、モニタをのぞきこんだ。
「……出雲vs剣? わりとマニアックなところ観てるな」
「なんだか急に終わりそうだから観てるべ」
なるほどね。好カードでも、動いていないところをずっと観るのはキツいからな。
俺はコーラをもうひとくち飲んで、そばの椅子を引いた。
いくつかのモニタを確認する。
玄関、エレベータ周り、それから一般会場。
一般会場の監視カメラには、見知った顔も映っていた。
志摩も来てるんだな……ん? このキャラクターフードは……遊子か。
遊子、そこまで将棋が好きなのか。まあ賭場で採用してるくらいだしな。
俺はコーラを飲み干して、そのモニタをよく見た──グループで来てるのか? おなじ制服の学生で固まってるな。左の女はどっかで見たことある。たしか県大会のときだ。右の男は……こいつも県大会で見かけた気がするな。
そのときだった。遊子が動いて、その男に話しかけた。
なにやら談笑している。それからお菓子を渡すのがみえた。
その笑顔は、たまに俺たちに見せている笑顔とは違っていた。
……………………
……………………
…………………
………………俺の手から紙コップがすべりおちる。
凡地先輩があわてて、
「たいへんなのだ〜雑巾はどこなのだ〜?」
と立ち上がった。
俺は手で制した。
「わりぃ、中身は入ってない」
「ほんとなのだ〜よかったのだ〜」
俺は紙コップを拾って、そのままモニタに釘付けになった。
……………………
……………………
…………………
………………遊子の彼氏ってこいつか?
どうみてもカタギだろ。なに考えてんだあいつ。
おまえ来島組の令嬢なんだぞ? カタギと付き合っていいと思ってんのか?
それとも遊びか? ……それはそれで兄貴にぶっ殺されるだろ。
いや、遊子が男遊びをするとは思えない。……ってことはマジか?
「大伴っち、顔色が悪いべ。熱中症じゃないべか?」
「いや、疲れてるだけだ」
俺はごまかすために、出雲vs剣のほうへ椅子を動かした。
俺は画面を見ながら、
「……後手良しか」
とつぶやいた。
「そうなのだ〜先手は暴れるしかないのだ〜」
2二角成、同銀、2五桂くらいまでは確定か。
後手から先に3七桂成とされると死ぬ。
「ちゅーても、角取っただけじゃ使い道がないべな」
「7三桂成、同金、8二角から馬を作って粘るか?」
「そのまえに後手の手番なのだ〜8六龍でどうなのだ〜?」
……あるな。
っていうか本命だ。8六龍に7三桂成は無意味だ。
「先手の桂馬は死んでる。タダ取りされそうだ」
「んだべなあ」
その瞬間、2二角成が指された。
同銀、2五桂、8六龍、8七歩、8五龍。
パシリ
……なるほど、そう来たか。
「龍をどかせて4四桂からの金抜きだ」
凡地先輩は足をパタパタさせながら、
「同歩、3二角成だと形勢接近するのだ〜?」
とたずねた。
「いや、どうだろうな……それでも後手がいいと思うが……」
金銀を取ったとしても、後手は8筋方面へ逃げられる。
だとすると、8四桂まで絡めるのが既定路線か。
1分ほどして、剣は5五龍と逃げた。
4六銀、2五龍、4四桂、同歩、3二角成、7五桂。
そっちか……俺は立ち上がって、コーラを注ぎ直しながら、
「6五桂と打ちたかったけどな。6七桂成だと寄らないだろ」
とコメントした。
「どっちにしろ先手は5五桂が詰めろだべ」
おっと、そうか。
奥村、やるな。
「5五桂の詰めろは6二玉で解除できるが、打っておいて損はなさそうだ」
「龍の横利きも消せるべかんな」
俺は椅子に座りなおす。
一般会場のモニタが気になるが、視線は向けない。
「先手、ずいぶん考えてるな……残り時間は?」
俺はモニタを見てみたが、なにも表示はなかった。
「これは映してるだけだからなんにもわかんないのだ〜」
雰囲気的に先手のほうが時間を使っていそうではある。
手数から逆算すると……手数も分からないか。
まあいいや。時間を気にしない将棋ってのもアリだ。
「後手の剣ってのは、そうとう強そうだな。大都会高校だろ? 未来のエリートだ」
奥村は俺のほうをみて、
「大伴っち、そういうの気にすんべか?」
とたずねてきた。
「奥村は気にしないのか?」
「おらは気にしたことないだよ」
「地の利ってのがあるだろ。将棋のプロだって東京に将棋会館作ってるしな。情報格差とかいろいろあるぜ。どこで生まれ育つかは重要なんだよ」
「たしかにおらんちはど田舎だけんどもよ、中国地方の都市は東京からみたらどこも田舎だべ。その東京だってニューヨークから見たら田舎だべさ。ニューヨークに生まれてもエリートの家に生まれなきゃ意味ないべ。でもそれはもうおらじゃなくて別人だべ」
「なるほどな……奥村、よく考えてるな」
奥村は鼻の下をこすって笑った。
「へへ、おらは地元好きだしな」
パシリ
おっと、指した。
ん? 5五桂の下準備か? そのままでも打てたと思うが。
剣の同龍に、出雲は8四桂と置いた。
「詰めろをかけなかったのだ〜左が広いと読んだっぽいのだ〜」
「だけどこれは単に8二金だろ。8三歩と打てないからな」
出雲の考えは、そのあとの指し手ですぐに分かった。
8二金に7八金と受けた。
奥村はあごを撫でながら、
「これは下手したら決め手あるべ」
と言い、それから席を立った。
「凡地っち、なにか飲むべか?」
「お茶を頼むのだ〜」
俺は椅子に寄りかかりながら、コーラをちびちびやる。
酒があればよかったんだけどな。まあムリか。
奥村は紙コップを2つ取って、両方にお茶を入れた。
ひとつを凡地先輩に渡す。
「ありがとなのだ〜」
奥村は席につきながら、
「いっそのこと3一銀打で追い返すべ」
と言った。
【参考図】
「消極的だな」
「だべかなあ。剣っちの指し手を見てると、やらないかもしれないべ」
「剣さんは攻め将棋っぽいのだ〜だから攻めると思うのだ〜」
と言っても、攻めるのが難しい。
「そういや、六連が囃子原に勝ってたな」
「あれは大したもんだべ。男子は接戦になると思うべな」
「6勝1敗が5人か?」
「たしかそうだべ」
事前予想だと女子のほうが接戦って言われてたが、そうでもないんだな。
それとも女子もここから混沌としてくるのか。
だれが決勝枠に残るか、あとで志摩と賭けるか。
パシリ
っと、全然違った。
「馬消しか」
「急に消極的になったのだ〜」
出雲は4二金6二玉を決めてから、6五馬と取った。
同銀、4三角、7六桂──っと、そういうことか。
「そうか、ここに桂馬を打ちたかったわけだ」
「だけど続くべか? 寄ってなんともない気がするべが」
「6六桂と打ち込んで、同歩に6七銀とこじ開ける手がある」
奥村は感心した。
「決まったくさいべな」
ただ、詰めろか? ……詰めろではない気がする。
ここで出雲が長考に出た。
俺は後手の攻めを回避する方法、後手玉に詰めろをかける方法を考えた。
……なさそうだな。
出雲はとうとう5八玉と寄った。
6六桂、同歩、6七銀、同金、同桂成、同玉。
出雲は定期的に1分単位で指すようになった。
持ち時間を使い切ったみたいだ。
6八金、7七玉、8八角、8六玉、8五歩、同玉、7四銀、7六玉。
剣の手が、サッと横一文字に舞った。
……詰めろだ。
10秒ほどして、出雲は頭をさげた。終局。
奥村は肩を揉みながら、
「いやあ、勉強になったべ。間合いの詰め方がうまかったべな」
とご満悦だった。
「緩急があってスゴかったのだ〜」
解説を聞かずにわいわい検討するのも楽しいもんだ。
このあとのインタビューを聞けないのは、ちょっと残念だが。
俺がもう一杯なにか飲もうとすると、ドアをノックする音が聞こえた。
1年生の白鳥が入って来る。
「奥村先輩、凡地先輩、交代の時間です」
「了解なのだ〜」
「んじゃ、大伴っち、行ってくるべ」
ふたりが出て行くのをよそに、俺は一般会場のモニタを観ていた。
そこにはあいかわらず、笑顔で男と話す遊子の姿があった。
おまえ……いや、これは俺が口を出していい問題じゃない。
俺が言えることがあるとすれば、ただひとつ。
しあわせにな──それだけだった。
場所:第10回日日杯 2日目 女子の部 8回戦
先手:出雲 美伽
後手:剣 桃子
戦型:相掛かり
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲3八銀 △7二銀 ▲6八玉 △1四歩 ▲1六歩 △9四歩
▲9六歩 △5二玉 ▲3六歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲7六歩 △3四歩 ▲3七桂 △7六飛 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △3六飛 ▲7七角 △3三桂 ▲4八金 △9五歩
▲6六角 △9六歩 ▲8二歩 △8八歩 ▲同 銀 △9七歩成
▲同 銀 △8八歩 ▲7七桂 △8九歩成 ▲2七銀 △2三歩
▲3六銀 △2四歩 ▲9六歩 △8七歩 ▲8一歩成 △8八歩成
▲同 銀 △同 と ▲同 金 △2九飛 ▲8九飛 △同飛成
▲同 金 △2九飛 ▲7九飛 △2六飛成 ▲8二と △3六龍
▲7二と △同 金 ▲8五桂 △7四銀 ▲8六歩 △2五桂
▲2二角成 △同 銀 ▲2五桂 △8六龍 ▲8七歩 △8五龍
▲7六角 △5五龍 ▲4六銀 △2五龍 ▲4四桂 △同 歩
▲3二角成 △7五桂 ▲2六歩 △同 龍 ▲8四桂 △8二金
▲7八金 △6五角 ▲4二金 △6二玉 ▲6五馬 △同 銀
▲4三角 △7六桂 ▲5八玉 △6六桂 ▲同 歩 △6七銀
▲同 金 △同桂成 ▲同 玉 △6八金 ▲7七玉 △8八角
▲8六玉 △8五歩 ▲同 玉 △7四銀 ▲7六玉 △4六龍
まで108手で剣の勝ち




