437手目 法外なギャラ
桂馬が盤上を舞った。
これは厳しい。
吉良くんは頭をかきむしる。
「攻め合い……はさすがにムリか。5八金」
「ほな、このまま押さえ込まさせてもらいますわ。3三桂」
6三歩、4五歩、2六飛、2五桂、同桂、同歩、2九飛。
《飛車を押しもどされました。先手、突破口を発見できるでしょうか》
内木さん、やや煽り気味のコメント。
後手から動いてくる可能性もあるんじゃないかしら。
難波さんがなにを選ぶか。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3六歩」
そこか。取ったら3八角が見えている。
捨神くんの対応や、いかに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同銀」
将棋仮面はすかさず3八角と置いた。
5九飛、5六角成、6七金、3八馬。
ん? 意外と先手も耐えてる?
6七金で飛車筋が通った。5五の銀が助かったのは大きい。
後手から一気に決める手はなさそう。
吉良くんも反撃に出た。
「3五歩だッ!」
「……引いときます。3三金」
捨神くんは3四桂と打ち込んだ。
同銀、同歩、同金、6一角。
これは……8三角成の狙いっぽい。
将棋仮面は「うーむ」とうなった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7一飛」
難波さんが微妙に反応した。
その理由は私にもわかった。
吉良くんは即座に5二角成と切って、難波さんの同玉に捨神くんの6二金。
《おっと、これは将棋仮面のミスでしょうか。王手飛車取りです》
《どうだろうな。7一金はそっぽにみえるが》
うーん、どちらとも言えそう。
以下、4二玉、7一金、3七角、7二飛、5二桂と進んだ。
吉良くんの手番。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5八飛。交換しろ」
「しまへん。4九馬」
5六飛、5七桂打、7八金。
《先手、壁金を解消しました。これは余裕が出てきたかもしれません》
内木さんの評価が逆転した。
吉良・捨神ペア、怒涛の巻き返し。
難波さんも軽口がなくなった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5九角成」
7九玉、6九馬、8八玉──あれ?
会場の雰囲気が変わった。けっこうな人数が、あることに気づいた。
難波さんはパンと両手を鳴らした。
「6・七・馬」
詰めろ飛車取り……は問題じゃない。
もっと致命的なことになっている。
捨神くんも動揺した。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ど、同金」
「次の次を指したかったが、ここはヒロインにゆずろう。7八金」
吉良くんは9秒ぎりぎりまで考えて、9八玉と寄った。
難波さんはひとさしゆびを立てて、メガネをなおした。
「ほな、おおきに……7九馬」
必至だッ!
《さあ、先手は詰ませるしかなくなりました》
詰む? ゼットってわけじゃないわよ。
初手は4三銀からだと思う。けど10秒将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「よ、4三銀」
捨神くんは当然詰ませに行った。
将棋仮面はノータイムで同銀。
同歩成、同玉、3二銀、同玉、5二飛成。
なんとか龍ができた。
4二銀、4三角、2三玉、3四角成、同玉。
会場総出で読んでいる。
解説陣は黙って盤を見つめていた。
単純な並べ詰みはない。詰め将棋のような手順が要る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
捨神くんは2五銀と出た。
将棋仮面はノータイムで同玉。
吉良くん、脳内将棋盤フル回転。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ッ! 3七桂ッ!」
桂打ち──1四玉は1六飛で詰む。1五の合駒が無意味なのだ。
けど、3四玉で詰まないような……3六飛は3五歩が効くし、2五金も2三玉、2四歩に3二玉、3六飛、3三歩で耐えてる。
難波さんも3四玉と逃げた。
捨神くんはさっきから微動だにしない。
魂がどこか遠くへ行っているかのようだ。
ピッ、ピッ……
パチンと、指を鳴らす音が聞こえた。
捨神くんはうっすらと笑みをこぼす。
「3五歩」
「ん? それは飛車で王手できなくなるから詰まな……ッ!」
将棋仮面はハッとなり、背筋を伸ばした。
……………………
……………………
…………………
………………ああッ! 3三玉だと詰むッ!
4四銀が絶好だ。同玉は3四金の即詰み。3二玉は4二龍から並べ詰みになる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「に、2三玉ッ!」
吉良くんはポケットから手を出した。
将棋仮面をゆびさす。
「ヒーローも、たまには負けないとな。番組が盛りあがらないぜ……2四歩ッ!」
……詰んだ。3二玉、2三金、3一玉に2二金の押し売りだ。
5六の飛車を動かす必要がなかった。盲点だった。
「これ……投げんといかんのとちゃいます?」
「投了は私がしよう」
「ア〜、そういう気づかいは無用ですわ……投了」
会場がしんと静まりかえった。
それから大歓声。
解説の囃子原くんも拍手していた。
「すばらしい対局だった。まさかの29手詰めとは。今夜のめぐりあわせに感謝しよう」
囃子原くんは、スタッフに景品を持って来させた。
新品の自転車が2台出てきた。
「囃子原電機が開発した、最新の電動自転車だ。どうぞ受け取ってくれたまえ」
さすがは囃子原くん、太っ腹。
ママチャリタイプじゃないから、10万は超えてそう。
ところが吉良くんはストップをかけた。
「なんだね? ほかの景品をご所望かな?」
「俺の自転車はいい……その代わり、将棋仮面の正体をみせてくれ」
おっと、これは──
囃子原くんは表情を変えなかった。けど、しばし間を置いた。
「……なるほど、将棋仮面の正体か……将棋仮面くん、きみの意見は?」
将棋仮面はじぶんのマスクに手をあてた。
「顔見せ料は、ギャラに入っていなかったな」
「たしかに。追加のギャラを考えると……残念ながら電気自転車と釣り合っていない」
え? どういうこと? ……将棋仮面、いくらもらってるの?
ここで捨神くんが動いた。
「将棋仮面さん、僕が自腹で出します。料金を教えていただけませんか?」
え? それはそれで意味がわからないんだけど。
会場もざわついた。
囃子原くんは「ほぉ」と興味深そうにつぶやいて、
「将棋仮面くん、いくらならマスクを脱ぐ?」
とたずねた。
「そういうことはきみのほうが詳しいだろう、御曹司くん」
「ハハハ、そうかもしれない……迷惑料込みで5000万と言ったところか」
はぁ? そんなわけないでしょ。
これは捨神くん、ごまかされましたね。
ところが捨神くんは、この回答に満足したらしく、
「わかりました。将棋仮面さんってかなり有名なひとなんですね」
と言い、ひっこんだ。
吉良くんはなにか言いたそうだったけど、内木さんがわりこんだ。
《それでは、本日のイベントをおひらきにしたいと思います。ご参加くださったかたがた、ありがとうございました。みなさん、もう一度盛大な拍手を》
パチパチパチ
私が拍手をしていると、ひとの気配を感じた。
うしろをみると、魚住くんがパックに料理を詰めていた。
「夜食?」
私がたずねると、魚住くんはふりかえって、
「あ、裏見先輩……昴くん用です」
と答えた。
「六連くん?」
……そういえば、六連くんの姿を見なかったわね。
私は事情をたずねた。
「石鉄くんに負けたあと、そのまま部屋に帰っちゃったんです」
あらら、そういうパターンか。
最後の最後で負けて、ショックを受けたのかしら。
魚住くんは餃子を詰めながら、
「だから差し入れしてあげようかな、と思って」
と言った。
うーん、優しい。
私もちょっと手伝ってあげた。
それから自主解散になり、会場に残るひと、残らないひとに分かれる。
私は後者。エレベーターで17階へあがった。
この階は、解説者のフロアみたいなのよね。
降りたメンバーから察しがついた。
おたがいに「おやすみなさい」を言って、自室へ。
カードキーを差しこむと、灯りがついた。
ホテル独特の香り。ベッドに腰をおろし、大きく背伸びをした。
今日は疲れちゃった。でも楽しかったな。
ホテルからみえるH島の夜景は、なんだかとても新鮮なものにみえた。
場所:第10回日日杯 初日懇親会
先手:吉良・捨神ペア
後手:難波・将棋仮面ペア
戦型:居飛車力戦形
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲2六歩 △7四歩 ▲2五歩 △3二金 ▲7八金 △7三銀
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8五歩 ▲3四飛 △3三角
▲3五飛 △2四歩 ▲3六飛 △2二銀 ▲2六飛 △2三銀
▲3六歩 △6四銀 ▲3五歩 △4二玉 ▲3八銀 △7五歩
▲3七桂 △4四角 ▲7五歩 △3五角 ▲3六飛 △4四角
▲4六歩 △3五歩 ▲2六飛 △7五銀 ▲4五歩 △3三角
▲4八金 △8四飛 ▲6六銀 △6四銀 ▲4七銀 △7三桂
▲5六歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △7六飛
▲7七歩 △7四飛 ▲7九角 △6五銀 ▲4四歩 △6六銀
▲4三歩成 △同 金 ▲6六歩 △8八歩 ▲同 金 △6六角
▲5五銀 △8四角 ▲4四歩 △3四金 ▲6四歩 △同 歩
▲4六飛 △3二銀打 ▲5七角 △同角成 ▲同 金 △5二金
▲6八玉 △6五桂 ▲5八金 △3三桂 ▲6三歩 △4五歩
▲2六飛 △2五桂 ▲同 桂 △同 歩 ▲2九飛 △3六歩
▲同 銀 △3八角 ▲5九飛 △5六角成 ▲6七金 △3八馬
▲3五歩 △3三金 ▲3四桂 △同 銀 ▲同 歩 △同 金
▲6一角 △7一飛 ▲5二角成 △同 玉 ▲6二金 △4二玉
▲7一金 △3七角 ▲7二飛 △5二桂 ▲5八飛 △4九馬
▲5六飛 △5七桂打 ▲7八金 △5九角成 ▲7九玉 △6九馬
▲8八玉 △6七馬 ▲同 金 △7八金 ▲9八玉 △7九馬
▲4三銀 △同 銀 ▲同歩成 △同 玉 ▲3二銀 △同 玉
▲5二飛成 △4二銀 ▲4三角 △2三玉 ▲3四角成 △同 玉
▲2五銀 △同 玉 ▲3七桂 △3四玉 ▲3五歩 △2三玉
▲2四歩
まで145手で吉良・捨神ペアの勝ち




