433手目 徳俵
私はタッチペンを手にした。
「先に2四歩を決めておけばよかったんだわ」
内木さんも納得して、
「これは手抜けません。7七飛成が詰めろではなく、2三歩成は詰めろです」
とコメントした。
「5三飛と取っても、2三歩成、同金、2四歩でキリがないか……」
5三角は6四角成の準備じゃなかった。捨て駒だった。
となると7三飛は……微妙?
だけど、それ以外に指す手もなかったわよね。
パシリ
毛利さんは2四同銀、同角、7七飛成と進めた。
この反応スピードだと、毛利さんも読んでいたようだ。
さすがに対局当事者のほうが深く読んでる。
4一銀、6八銀、5八玉、5七金、同角、同銀成、同玉。
さあ、これは6四角成のときとはちがう。
後手陣もかなり危ない。
毛利さんの手が止まった。
間が生じる。なにか解説をしたほうがいいかしら。
「えっと……ここから8七飛成は詰めろよね?」
「詰めろです。6七龍、4六玉、4七龍、3五玉、4五龍、2六玉、2五龍までです。問題は、8七飛成の瞬間に後手が詰むかどうかです」
「金銀5枚あるからさすがに……詰むわね」
3二銀成、同玉、4一銀、2三玉、3二銀打、2四玉、3五金、1五玉、1六金。
駒が余るくらいだ。
「3一銀が条件付きの詰めろ。毛利さんは受けないといけないわ」
「第一感は3一歩ですか」
パシリ
あ、そう指した。
今度は大谷さんが長考する。
内木さんは、
「毛利選手が手順を尽くして残したという印象です。大谷選手がここでうまく詰めろをかけないと、8七飛成で寄せの速度が逆転してしまいます」
と解説した。
詰めろ自体はいろいろあるんじゃないかな、と思う。
問題はうまくかけることだ。
……………………
……………………
…………………
………………ん? 意外とない?
内木さんは、
「直接かける手段がないようにみえますが……」
とコメントした。
「そうね……8二の飛車がどかないとダメか……」
「2手スキはいかがでしょうか?」
私は思案した。
「2手スキは……6八角〜2四角成で抜く順があるから、まず3四に金駒を置いて、それから2三歩が一番安全かしら」
【参考図】
これ以外にないような気もする。
内木さんも異論はないらしく、
「あとは後手がどこまで決めてくるか、になりそうです」
という返事だった。
「そうね……本命は5六歩かしら」
正しく指せば大谷さんのほうがいいかな、と思う。
後手は駒が足りない。
先手の金銀5枚持ちは圧巻だ。
パシリ
大谷さんは3四銀を選択した。
毛利さんは5六歩と取り込む。
4六玉、5七歩成、2三歩。
パシリ
んー、この手があるか。
「王手だけど、狙いは詰めろの解除ね」
王手自体は簡単に止まる。3五銀と打てばいいだけだ。
大谷さんもその通りに打った。
以下、6七龍、3二銀成、同飛、3六玉、4七とと進んだ。
「どうする? 那賀vs磯前も確認しとく?」
「目をはなしているあいだに決まってしまう可能性が……」
たしかに、決着がついてもおかしくない。
私が迷っていると、内木さんはスタッフ用のチャンネルに切り替えた。
「……あ、もしもし、7番モニタです。那賀vs磯前の解説に手がまわらないので、お手すきのテーブルがあれば、ご担当願います……はい、よろしくお願いいたします」
内木さんはチャンネルをもどした。
さすがの対応力。
「ありがと。どこか引き受けてくれるといいわね」
「男子で終わった対局があるので、そちらへ回していただけるそうです」
なるほど、もう100手近いから、終わってるところもあるのか。
それじゃあここを見届けましょ。
今は大谷さんの手番。だいぶ考えている。
内木さんは現局面を、
「一手のミスが勝敗に直結してしまう、怖い局面です」
と評した。
「4七とは詰めろじゃないから、ここで決めちゃいたいわよね」
おそらく大谷さんが考えているのは、受けじゃなくて寄せだ。
「裏見さんなら、どうなさいますか?」
「うーん……10秒将棋なら2二銀と打ち込むと思う。同角、同歩成、同飛……先手は歩切れか。ここで2三金と打つのが詰めろ……だけど、同飛、同銀成の瞬間に、2五銀、2七玉、3七金、同桂、同と、1八玉、2七銀、2九玉、2八とで詰みか……金銀を2枚渡すとアウト。ってことは、駒を渡さないで詰めろをかける必要あり、ね」
駒を渡さない詰めろ、あるかしら?
ないなら受ける必要があるんだけど──
パシリ
うわ、怖いかけかたをした。
これは当然に詰めろ。
「同飛だと詰む?」
「詰み……そうです。同飛、2二銀、同角、同歩成、同玉、3四桂以下です」
【参考図】
「この捨てから同飛、2三金、同玉、3四銀で王手をつなげられます」
理解した。
3三銀成は詰めろ。しかも1枚しか渡さない。
毛利さんは腕組みをして小考した。
パシリ
後手から王手か。
2七玉、2六歩、同銀、3六銀、1八玉。
ここが安全地帯。4九金のおかげで、5八龍とは入れない。
いわゆる徳俵というやつだ。
毛利さんは3三飛で駒を補充した。先手に詰めろがかかる。
2二銀、同角、同歩成、同玉、2三歩、同飛、3二金、1三玉。
寄る? 寄りそう?
パッ見、寄る可能性はある。
だけど具体的な順が思いつかない。
内木さんもマジメに読んでいた。
「……詰まない気がします」
「後手が?」
「はい。どの順もぎりぎり耐えています。どこかで先手の王手が途切れて、2七銀で詰まされてしまうようです……したがって、先手は詰めろを解除しないといけません」
うむむ、大谷さん、どこかで寄せまちがえたかも。
あるいは後手がそもそも寄っていなかったのか。
大谷さん、びみょうな長考が入る。変調なのでは?
パシリ
これは……詰めろの解除だ。
毛利さんはしぶしぶといった様子で、同銀と取った。
3五角打、2四歩、3一角成、2二銀、同金。
ここで王手が途切れた。
毛利さんのターン。もっとも、手はそんなにない。
まだ互角のはず。
ピポ
毛利さんが1分将棋に。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
捨てた。寄るの?
ハラハラしてきた。土俵際の攻防になっている。
大谷さんは冷静に10秒ほど考えて、同玉。
以下、2六銀、同角、1五桂、同角、3六銀、1八玉、1五歩。
寄らなかったけど……きわどい。後手は詰まないと思う。
対して先手は詰めろだ。
2七角と放り込んで、2八玉、3八と、同金、同角成、同玉、4七龍以下。
ピポ
大谷さんも1分将棋に。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
受けた。ここで内木さんが、
「これは2二飛が再度詰めろになるので、飛車を取れません」
と解説した。
そうなのよね。これは実質的に金捨てだ。
毛利さんも手応えを感じている雰囲気。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
毛利さんは2二飛。
以下、2八歩、4五角、3三銀、3七銀成、2七銀、2六龍と進んだ。
内木さんは、
「正確に指せば先手がいいとは思うのですが……」
と言いながら、タッチペンでタブレットを小突いた。
私も考える。
現局面は先手の詰めろだ。
後手に王手ラッシュしながら、どこかで詰めろを解除するしかない。
2二馬が本線。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
大谷さんは2二馬と取った。
1四玉、2三銀、同角、同馬、同玉。
迷わしい局面になった。
うっかり2六銀は頓死する。2七金、同歩、2八金がある。
個人的には3七桂。攻めるなら飛車打ち。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
大谷さんは後者を選択。2一飛だった。
3三玉、2二角、3四玉。
にゅ、入玉模様。
入玉されると先手負けだ。
大谷さん、がんばれ。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
ここで内木さんの解説が入った。
「2一飛〜3一飛成の狙いは、3筋に利きを作ることだったようです。後手は4五玉かと思われますが、そこで3七桂が王手。このとき2七龍、同歩、2八金、同玉、3七とがあり、同龍を用意しておく必要があったのでしょう」
ふむふむ、そういうことか。だけど後手の逃走ルートはふさがれていない。
毛利さんも入玉を優先していく。
4五玉、3七桂、同と、5五金、4六玉、3八桂、5七玉。
あうぅ、もう確定なのでは?
大谷さんは2六桂で龍を取った。
次に3七龍で止めるつもりだ。
毛利さんもこの意図を読んで、3三歩、同龍に2五桂と支えた。
大谷さんはそのまま3七龍と切った。
毛利さんは「え?」という仕草。
ピッ ピッ ピッ ピーッ! パシリ
同桂成、5六金。
……………………
……………………
…………………
………………あッ!
「止まったわね」
「止まりましたね」
毛利さんも表情が変わった。
5六金の一手で、後手は入玉の可能性が消滅した。
同玉なら6六飛で縛れるし、6八玉と入ろうものなら8八角成でおそらく必至。
私は、
「3七龍から横に利かせる狙いがフェイントだったみたい」
とコメントした。
狙いは最初から5六金だったのだ。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
毛利さんは同玉と取った。
6六飛、4五玉、4六銀、5四玉、5五角成、5三玉、6四馬、5二玉。
完全に押しもどした。
大谷さんは3七銀で成桂を払う。
なんというか……残酷な盤面になった。
先手は絶対に詰まない。
これに対して後手は詰めろ。7四馬、4二玉、6二飛成、3一玉、6四馬、2一玉と追い込んでから3三桂で詰みだ。3一玉のところで3三玉と上がるのは、4五桂、4四玉、5三龍、4五玉、5六馬、3五玉、3六銀右まで。
7四馬に6三歩と受けるのも、同龍、4二玉、6二龍で同じことになる。
毛利さんはじっと盤をみつめた。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
毛利さんが一礼した。
私は大きく息をつく。
「長手数だったけど、最後は大谷さんの寄り切りね」
「入玉はどこで可能性がなくなったのでしょうか?」
「そのあたりはインタビューで聞いてみましょ」
感想戦は、なかなか終わらなかった。
初日の最終局で、うしろが押していないというのもあるのだろう。
私はマイクを切って内木さんと雑談。
「内木さんが司会慣れしてるから助かったわ」
「裏見さんは今回が初めてですか?」
「そうよ」
「未経験とは思えない解説でした」
またまた、先輩をよいしょしちゃって。
《インタビューの準備ができました》
おっと、ヘッドセットをつけなおし。
まずは大谷さんからだ。
《もしもし、大谷です》
「もしもし、おつかれさま」
《やはり裏見さんでしたか。おつかれさまです》
「最後は入玉を押し返しての勝利、かっこよかったわよ」
《ありがとうございます。じつは最後、3三同龍に4七角で、むりやり入玉を目指す順があったようです》
【参考図】
《この順ですと、先手やや良しくらいでしょうか》
あ、やっぱり入玉の手段はあったのか。
ただ、1分将棋でこれは見えにくいかなあ、と思う。
金銀を温存して角を捨てればいい、というのが頭で分かっててもね。
私は内木さんにコメントをゆずった。
「おつかれさまです。初日を終えて5戦全勝ですが、明日への意気込みなどを」
《結果的に全勝できましたが、勝負は水もの。明日も心機一転して指す所存です》
「ありがとうございました。それでは、毛利選手に代わります」
毛利さんの映像が映った。
「もしもし、おつかれさま」
《もしもし、毛利だ。その声は……だれだ?》
おっとっと、まあ初対面だし。
あいさつが先だったか。
「解説の裏見です」
《三本矢高校3年3組、毛利輝子です》
そ、そこで名前を返す必要はないと思うんだけど。選手なんだし。
さて、なんと声をかけたものか。
こっちは5戦全敗なのよね。
「最後は熱戦だったわね。入玉の可能性もあったんじゃないかしら」
《んー、入れたと思ったのだが、ツメが甘かった。早めに6八玉だったな》
「そうね……内木さん、どう?」
「おつかれさまです。5六金以下は完全に寄っていたのでしょうか?」
《5六金以下は見込みなしのようだ。ずっと先手良しだったように思うが、分岐点は2六銀、同角のところで龍を切らなかったことだな》
【参考図】
《本譜は1五桂と打ったが、あれがあまりよくなかった。2六龍以下は同玉、2五銀、3五玉、4四角、4五玉に2二角で金を抜けた》
ふむ、そこは解説でも触れられてなかった。
「ご説明ありがとうございました。2日目のご活躍を期待しております」
ここで中継動画は途切れた。
内木さんのアナウンスで幕を閉じる。
「以上をもちまして、第10回日日杯1日目、第7モニタの解説を終わります。本日のご観戦、まことにありがとうございました。また明日もよろしくお願いいたします。では、ごきげんよう」
場所:第10回日日杯 1日目 女子の部 5回戦
先手:大谷 雛
後手:毛利 輝子
戦型:居飛車力戦形
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲2六歩 △7四歩 ▲2五歩 △3二金 ▲7八金 △7三銀
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8五歩 ▲3八銀 △4一玉
▲2八飛 △2三歩 ▲2七銀 △4四角 ▲6六銀 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8五飛 ▲2六銀 △2二銀
▲3六歩 △2四歩 ▲6九玉 △1四歩 ▲5六歩 △6四銀
▲3七銀 △2三銀 ▲4六銀 △5四歩 ▲7九角 △6二角
▲3五歩 △同 歩 ▲7七桂 △8二飛 ▲3五銀 △7五歩
▲3三歩 △同 桂 ▲3四歩 △3五角 ▲同 角 △3四銀
▲2四角 △2三歩 ▲4六角 △7六歩 ▲6五桂 △5五歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三銀 ▲6四飛 △同 歩
▲5三桂不成△3一玉 ▲6一桂成 △7七銀 ▲5三角 △2一玉
▲7七銀 △同歩成 ▲同 金 △7三飛 ▲2四歩 △同 銀
▲同 角 △7七飛成 ▲4一銀 △6八銀 ▲5八玉 △5七金
▲同 角 △同銀成 ▲同 玉 △3一歩 ▲3四銀 △5六歩
▲4六玉 △5七歩成 ▲2三歩 △1三角 ▲3五銀 △6七龍
▲3二銀成 △同 飛 ▲3六玉 △4七と ▲3三銀成 △5六龍
▲2七玉 △2六歩 ▲同 銀 △3六銀 ▲1八玉 △3三飛
▲2二銀 △同 角 ▲同歩成 △同 玉 ▲2三歩 △同 飛
▲3二金 △1三玉 ▲2五桂 △同 銀 ▲3五角打 △2四歩
▲3一角成 △2二銀 ▲同 金 △2七銀 ▲同 玉 △2六銀
▲同 角 △1五桂 ▲同 角 △3六銀 ▲1八玉 △1五歩
▲2六金 △2二飛 ▲2八歩 △4五角 ▲3三銀 △3七銀成
▲2七銀 △2六龍 ▲2二馬 △1四玉 ▲2三銀 △同 角
▲同 馬 △同 玉 ▲2一飛 △3三玉 ▲2二角 △3四玉
▲3一飛成 △4五玉 ▲3七桂 △同 と ▲5五金 △4六玉
▲3八桂 △5七玉 ▲2六桂 △3三歩 ▲同 龍 △2五桂
▲3七龍 △同桂成 ▲5六金 △同 玉 ▲6六飛 △4五玉
▲4六銀 △5四玉 ▲5五角成 △5三玉 ▲6四馬 △5二玉
▲3七銀
まで175手で大谷の勝ち
場所:第10回日日杯 1日目 女子の部 5回戦
先手:那賀 すみれ
後手:磯前 好江
戦型:矢倉早囲い
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲2六歩 △4二銀 ▲2五歩 △3三銀 ▲4八銀 △3二金
▲5六歩 △4一玉 ▲5八金右 △7四歩 ▲6六歩 △5四歩
▲6七金 △8五歩 ▲7九角 △3一角 ▲6八玉 △8六歩
▲同 歩 △同 角 ▲同 銀 △同 飛 ▲8八歩 △8七歩
▲同 歩 △同飛成 ▲8八歩 △8二龍 ▲7八金 △7三銀
▲6九玉 △8六銀 ▲5七銀 △8七歩 ▲6五歩 △8八歩成
▲同 金 △8七銀成 ▲同 金 △同 龍 ▲7八銀 △8二龍
▲8七歩 △6四歩 ▲6三角 △5二金 ▲5四角成 △6五歩
▲7七桂 △6四金 ▲3六馬 △7五歩 ▲同 歩 △3一玉
▲6六歩 △7五金 ▲2四歩 △同 歩 ▲7六歩 △8六歩
▲同 歩 △同 金 ▲4六馬 △6三金 ▲8五歩 △7五歩
▲6八角 △7六歩 ▲6五桂 △8五龍 ▲2三歩 △同 金
▲7三桂成 △同 金 ▲5四銀 △3二玉 ▲5五馬 △7七歩成
▲同 角 △同 金 ▲同 銀 △7五桂 ▲7六金 △8九龍
▲7九金 △9九龍 ▲7五金 △8七角 ▲7八歩 △6七香
▲6八銀右 △同香成 ▲同 飛 △9八角成 ▲4六香 △4四歩
▲同 香 △4二歩 ▲1五桂 △1四金 ▲7三馬 △1五金
▲6四馬 △4四銀 ▲1六歩 △5七香 ▲1五歩 △7九龍
▲同 玉 △8七桂
まで116手で磯前の勝ち




