432手目 全勝vs全敗
ふぅ……私は大きく背伸びをした。
「次で最後ね……難波さん、だいじょうぶ? つかれてない?」
「うち、これから抜け番ですねん」
あ、そうなんだ。相方交代か。
「おつかれさま。ゆっくり休んでね」
「おおきにぃ〜」
難波さんが退室した。入れ替わるように内木さんが入室。
内木さんは私のテーブルへ歩を進めた。
そっか、第3局は難波・内木ペアだったから、そういう入れ替えになるのか。
「裏見さんと組むのは初めてですね。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく」
内木さんは着席して、ヘッドセットをつけた。
「どの対局がよろしいですか?」
「磯前さんと大谷さんを観たいんだけど、いい?」
こうなったら初日は最後まで追っかけちゃいましょ。
内木さんも了承してくれた。
「大谷選手は4戦全勝です。注目度も高いと思います」
しばらくして、対局開始の合図があった。
初手から観ていきましょう。
まずは大谷vs毛利から。
「ここは全勝vs全敗対決なのよね」
「毛利さんも実力者とはいえ、初日の当たりがキツいところです」
毛利さんの対戦相手は……剣、萩尾、磯前、鬼首、大谷か。
剣っていう子は知らないけど、うしろ4人は優勝候補かな。
とりま拝見。
7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、7七銀、6二銀、2六歩。
【先手:大谷雛(T島県) 後手:毛利輝子(Y口県)】
矢倉っぽい出だし。
内木さんはタッチペンを動かしながら、
「両者、公式戦は初対戦です」
とコメントした。
そ、そこまで調べてあるのか。
ここは内木さんに任せたほうがよさそう。
7四歩、2五歩、3二金、7八金、7三銀、2四歩。
ふつうの矢倉にはならなかった。
もう仕掛けが始まっている。
同歩、同飛、8五歩、3八銀、4一玉、2八飛。
「力戦調ね」
大谷さんは手が早かった。試したい構想があるのかも。
毛利さんもそれに合わせている。
2三歩、2七銀、4四角、6六銀。
「居玉で左銀も出るのか……これってふつうにあるの?」
「いえ、あまり見ないかたちですね……後手は8六歩でしょうか」
「飛車先を交換したあと、攻めるなら8五飛かしら」
「先手の棒銀対策としても、飛車は横に利かせておきたいです」
本譜もそのとおりに進んだ。
8六歩、同歩、同飛、8七歩、8五飛、2六銀、2二銀、3六歩。
「3六歩は3七桂の準備?」
「あるいは銀の退路かと」
ふむ……さすがに棒銀じゃあ攻め切れないか。
毛利さんも先攻されるのがイヤらしい。2四歩で牽制してきた。
6九玉、1四歩、5六歩、6四銀、3七銀。
先手は組み換え始めた。
2三銀、4六銀、5四歩、7九角、6二角。
ここで大谷さんの長考。
「攻めを考えてるっぽいかな……3五歩? 飛車の横利きがあるけど」
「3五歩、同歩、7七桂と跳ねれば、飛車を退かせることができそうです」
ふむふむ……っと、こっちを長く観すぎたかも。
「磯前vs那賀に切り替えるわね」
【先手:那賀すみれ(T島県) 後手:磯前好江(K知県)】
ふわッ!?
「もう龍ができてるの? 先手のミス?」
私は棋譜を確認した。
「初手から……7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、7七銀、6二銀、2六歩、4二銀、2五歩、3三銀、4八銀、3二金、5六歩、4一玉、5八金右、7四歩、6六歩、5四歩、6七金……あ、早囲いにしたのか」
内木さんもタッチペンを動かす。
「以下、8五歩、7九角、3一角、6八玉、8六歩で即開戦ですか」
【途中図】
これはあれ、早囲いがなんで昔は成立しないと思われてたのか、の答え。
王様を移動しているとき、上部が弱いのだ。
6八玉の瞬間に8六歩、同歩、同角と突っ込める。
本譜もその順で角を切られていた。
私はタッチペンで盤面を進める。
「途中図から8六同歩、同角、同銀、同飛、8八歩、8七歩、同歩……同歩の代わりに7八金はなかったのかしら。7八金なら8八歩成、同金で、龍はできなかったはずよ」
「かたちが悪すぎると読んだのではないでしょうか」
うーん、どうだろう。
例えば7八金、8八歩成、同金、8二飛と収めて、8七歩〜7八金……あ、そっか、王様の処置が難しいのか。けっきょく手損になる。
でもなあ、手損より龍を作らせないことのほうが大事な気も。
私は評価に困ってしまった。
しかたがないので、これまでの勝敗を確認した。
那賀さんが……あ、彼女も全敗か。
磯前さんが2勝2敗。
内木さんはさっきとおなじように、
「こちらも公式戦での対局はありませんね」
とコメントした。
「意外とみんな当たってないのね」
「他県の生徒と公式に指すのは、全国大会くらいしかありません。どうしても機会が少なくなってしまいます。また、那賀選手が1年生、磯前選手が3年生なので、おなじ大会で戦える期間が中1・中3、高1・高3しかないのも大きいと思います」
なるほどなるほど、システム的にしょうがないのか。
どのみちプライベートでは指してると思う。
でもそのあたりの成績は入手しようがない。
パシリ
内木さんはこの手をみて、
「後手はこのまま潰す気でしょうか?」
とたずねてきた。
私はもういちど盤面をみる。
「……そうね、たぶんこのまま決着をつけにいくと思う」
もちろん龍を活かしての持久戦もありだ。
けど、磯前さんはそんなに消極的なタイプじゃない。
それどころか、本譜は解説陣の予想よりも過激な順で進んだ。
那賀さんの6九玉に、磯前さんは8六銀と打ったのだ。
「8四銀〜8五銀の手間すら省きましたか……裏見さん、この手はいかがでしょう?」
「さすがに急いでる感じがするわ。畳み掛けるならアリだけど……」
一番堅実なのは、8六歩でフタをすることだったはず。
本譜の8六銀はフタじゃなくて掘削機だ。8七歩をみせている。
内木さんはさらに、
「先手がこのまま崩壊する可能性はありますか?」
とたずねてきた。
「んー……私の読みだと、途中で止まっちゃうのよね」
「どのあたりで止まりますか?」
「那賀さんがどう組むのかにもよるけど、とりあえず5七銀と仮定するわね。以下、8七歩に手抜いて6五歩、8八歩成、同金、8七銀成、同金、同龍、7八銀で龍を撤退させてから8七歩。これで小康状態になるわ」
【参考図】
内木さんも納得してくれた。
「後手からの追撃は難しいようにみえます」
「で、先手は次に5三角を狙うから、後手は5二金。これで収まるんじゃないかしら」
「的確な解説、ありがとうございます。那賀選手の次の手に注目ですね」
那賀さん、けっこう考えてる。
心理的には先手がすこし不利かもしれない。
外野よりも悲観的になっている可能性があった。
「……大谷vs毛利にもどる?」
「承知しました」
こっちも激しい。
内木さんは、
「最後に観た局面から、3五歩、同歩、7七桂、8二飛、3五銀、7五歩、3三歩です。これはどちらで取っても3四歩があります」
と解説した。
「まだ仕掛けの入り口だけど、先手のほうが気持ちいい進行ね」
「3四歩以下、後手が支えるのは容易でないようにみえます」
そう、なにか工夫しないといけない。
7六歩からの攻め合いは一手遅い。
毛利さんは1分ほど考えて、同桂を選択した。
当然に3四歩が打たれる。
毛利さんはその先も含めて読んでいた。
すぐに次の手が指された。
パシリ
あ、切った。
「根元から治療か……同角、3四銀?」
「以下、2四角、2三歩、4六角に7六歩で速度が逆転していれば、ですか」
本譜もその進行に入った。
3五同角、3四銀、2四角、2三歩、4六角、7六歩。
けど、これは逆転していない気がする。
大谷さんは軽く6五桂と逃げた。
5五歩、2四歩、同歩、同飛、2三銀。
パシリ
うわぁ、斬り合いになった。
しかも見えにくい好手だ。
内木さんも気づいて、
「同歩に5三桂不成で駒損なしですか」
と指摘した。
そうそう、これは実質的に2枚換え。
私も解説を入れる。
「5一玉と逃げたら飛車桂と金銀の交換。だけどそっちに逃げるのはすごく危険」
「おっしゃるとおりです。3一玉、6一桂成が本戦にみえます」
「そこで後手は7七銀の打ち込みかしら。同銀、同歩成、同金は7六歩の叩きが痛いし、最初から放置しそうね。そのあいだに先手は動きたいかな」
パシリ
6四同歩、5三桂不成、3一玉、6一桂成、7七銀。
大谷さんは放置して5三角と打った。
毛利さんは2一玉と深く逃げた。
「7一角成でしょうか?」
「んー、その馬は使いにくいような……」
パシリ
え? 銀を取るの?
私と内木さんは固まった。
「……角の位置がマズくない?」
「7七歩成、同金、7三飛は両取りですが……なにかあるのでしょうか?」
大谷さんの見落とし?
毛利さんも不審に思ったのか、手がとまった。
長考に入る。
ここでチャンネルを切り替え……っていうわけにもいかない。
大谷さんがなにを考えているのか気になる。
私と内木さんは検討を始めた。
「7七歩成、同金は必然よね?」
「はい、そこは手の変えようがありません」
「だったら7三飛も必然なわけで……あッ」
私は手を思いついた。
タッチペンで角を引く。
【検討図】
「これじゃない?」
「4六に角がいるので、飛成が詰めろにならない、というわけですか。7七飛成、8二角成以下、6八銀に同角、7八金、5八玉、6八龍は詰んでしまうので、6八銀、5八玉、5七金、同角、同銀成の2枚換え路線になります」
私はこの順に自信があった。
ところが、もうすこし先を読んでみると、不安な要素が出てきた。
先手は詰まない。けど、王様が危ないのだ。
「2枚換えの時点で、先手玉が裸になっちゃうか……」
「とはいえ、後手には歩しかありません。寄せられることはないと思います」
んー、どうだろう。
後手陣がわりと安泰なのよね。
ポイントは、3一歩の底歩が利くことだ。
これがなければ5一飛で終わりなんだけど。
私はお茶を飲んで一服。湯のみを片手に考える。
「……2四歩と打ちたいわね」
「急所ですが、6八角、4八玉、2四角成で抜かれてしまいます」
ふーむ……初手がおかしかった?
私は7四角成の見直しを考えた。
パシリ
毛利さんが動いた。
7七歩成としている。同金、7三飛の両取りが入った。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………あ、そっか。




