422手目 日日杯、開幕
※ここからは、香子ちゃん視点です。
というわけで、日日杯初日の朝。
私はちょっぴりおめかしして、H島のホテルに到着した。
おろしたてのワンピースとスカート。ポニーテールには蝶々型の髪留め。
うーん、なんだか緊張する。
自動ドアをくぐると、駒桜では見たことのない規模のレセプション。
待合スペースには、人工の泉があった。せせらぎが、大理石の水路を流れている。
私はしばらくのあいだ、入り口のところで立ち止まってしまった。
「あれ? ポニテの姉ちゃんじゃん?」
むッ、この声は──
ふりむくと、不破さんが立っていた。捨神くんもそばにいる。
捨神くんは「アハッ、裏見先輩、おはようございます」とあいさつしてくれた。
私もあいさつをかえす。
「おはよ。今ついたの?」
不破さんは、ポケットに手をつっこんだまま、
「師匠は昨日から一泊してる。あたしは1時間まえに来た」
と答えた。
「え? 不破さん、1時間もまえに来て、なにしてたの?」
不破さんは、私の耳もとに口をよせて、声を落とした。
「ご・しょ・う・ば・ん」
「?」
「朝のバイキング」
……………………
……………………
…………………
………………あッ、そういうことか。
「そんなことしていいの? 関係者限定でしょ?」
「バレなきゃいいんだよ」
いかにも不破さんらしくて、あきれてしまう。
捨神くんも、やや困ったような顔をしつつ、
「いちおう、僕のつきそいを頼んであるので、だいじょうぶだと思います」
と笑った。
うーん、だったら、私もご相伴にあずかりたいんだけど。
最高級ホテルのバイキングとか、まだ食べたことないし。
ま、ランチとディナーに期待しましょ。最悪、まかないの弁当でもOK。
「ふたりは、これから会場入り?」
「いえ、僕たちはそのあたりをぐるりとしてきます。開会式まで、時間があるので」
お散歩か。いいわね。
私は捨神くんたちと別れて、フロントで受付を済ませた。
1712のカードキーを受け取る。17階ってこと。
エレベーターのまえで待っていると、また声をかけられた。
「あ〜桂太くんのお姉さんなの〜」
横合いから出てきたのは、ふわふわしたショートボブの少女。
E媛の温田さんだ。
となりには、すこしおどおどした可愛い系の少年、石鉄くんもいた。
ふたりとも、四国行きの高速フェリーで出会って以来だった。
「ちょ〜おひさしぶりなの〜」
「温田さん、おひさしぶり。今日はよろしくね」
「みかんの将棋もいっぱい解説して欲しいの〜」
石鉄くんのほうは、すこし緊張しているのか、
「よ、よろしくお願いします」
と、丁寧なあいさつ。
「石鉄くんも、よろしく。ふたりとも朝食?」
「そうなの〜朝からラブラブなの〜」
はぁ、ようござんしたね。
温田さん、悪いひとじゃないんだけど、恋愛マウンティングが強すぎるような。
「ダーリンと相部屋だから、とってもハッスルしてるの〜」
「相部屋? ウソでしょ?」
「ウソなの〜」
あのさぁ……っと、エレベーターが来た。
私たちは乗り込む。
「温田さん、何階?」
「19階でお願いしますなの〜」
私は19と17のボタンを押した。
スーッとする浮遊感。
H島城を見晴らす景色は、朝から絶景だった。
ポーン
会話をするひまもなく到着。
17階でドアがひらく。
私はさきに降りながら、
「じゃ、またあとでね」
と言った。
「またなの〜」
「し、失礼します」
ドアが閉まり、私は1712号室をさがす。
右へ曲がって……あッ、一番奥か。
ラッキーかも。角部屋なら、騒音とかなさそう。
私はカードキーでドアを開けた。ノブをおろす。
「……ん、すごい」
今まで泊まったことのないタイプの部屋だった。
ベッドが部屋の半分以上占めてます、っていう感じじゃなくて、ゆったりしている。
テレビも最新式で、入り口の通路にも比較的余裕があった。
バストイレは……うん、いいじゃない。清潔だし、広い。
いやはや、役得、役得……っと、こんなことしてる場合じゃない。
私は身支度をととのえて、部屋を出た。20階へむかう。
エレベーター……じゃなくてもいいか。階段を選択。
20階に出ると、私はアッとなった。ろうかが展望台になっていたからだ。
うーん、見慣れた街でも、うえから眺めると、ちょっとちがうわね。
私は窓ガラスを利用して、もういちど衣装のチェックをした。
知り合いに、ばっちりキメこんでるね、とか言われないかしら。
「うーん、香子ちゃん、ばっちりキメこんでるね」
うわッ!?
右手のほうをみる。釣り用のジャケットを着た、ショートヘアの少女が立っていた。
少女は帽子をはずして、
「おはよ」
とあいさつした。
「い、磯前さん、おどかさないでよ」
「いや、声をかけただけだから。それにしても、おしゃれしてるね」
そんなことないと思うけどなあ。
姫野先輩の普段着より質素ですよ。
私はちょっとやり返すつもりで、
「磯前さんこそ、ジャケットで対局するの?」
とたずねた。
「ほら、戦闘服だし。あっちには負けるよ」
磯前さんはそう言って、親指でろうかの奥をさした。
ひとりの少女が、壁面ガラスから外を拝んでいた。
お遍路さんのかっこうをしている。
T島の大谷さんだ。
大谷さんは、しばらくなにかぶつぶつ言ったあと、静かに目を開けた。
こちらをみる。
「裏見さんですか、おはようございます」
「お、おはよう……なにしてるの?」
「朝の読経をしておりました」
あ、あいかわらず、すごい。
到着早々に出会ったメンツが濃すぎる。
私が困惑していると、磯前さんは、
「じゃ、今日は解説よろしくね」
と言った。
「そういえば、ほかのひとたちは? ぜんぶで30人くらいいなかったかしら?」
「朝食とかシャワーとかまだ寝てるとか、そんな感じじゃない?」
まあ、それもそうか。会場に急いで入る必要ないし。
「磯前さんたちは、どこに泊まってるの?」
「選手は19階と18階を貸し切ってるよ。あたしは18階」
私は17階だから、選手とはべつってことか。
全員分の部屋を用意してくれるとか、囃子原グループ、太っ腹。
……っと、けっこう時間が押してる。もうすぐ8時だ。
「私はスタッフと打ち合わせがあるから、お先に失礼するわ」
「了解。よもやま話は、今夜のオフタイムにでもしようか」
うーん、この余裕。
優勝候補の一角だけなことはある。
私は大谷さんにも「またね」と言って、ホールに入った。
ふわふわの赤い絨毯が敷かれた部屋。おそらくは、披露宴とかに使う場所だと思う。
対局テーブルとおぼしきものが、いくつもならんでいる。
どれも白いクロスをかけられていて、将棋盤と駒箱、チェスクロがおかれていた。
「おはようございまーす」
スタッフのひとたちにあいさつしながら、私は控え室に入った。
楽屋裏みたいな部屋で、広さはそこそこあった。市立の教室くらいかな。
ほかの生徒たちは、もう先に集まっていた。
最初に目があったのは、ツインテールの少女、同郷の内木さんだった。
黒地のスカートに白いひらひらの服、赤いネクタイ。
グループ系アイドルみたいな服装、っていうか、いわゆる将棋アイドル(?)
「裏見先輩、おはようございます。今日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく」
内木さん、なんか手慣れてる感じがする。
私のこと、サポートしてくれないかしら。
とりあえず、パイプ椅子をひとつ引いて座る。
ほかのメンバーの顔にも、ちらほらと見覚えがあった。
部屋のすみっこ、メガネをかけている陽気な女子は、O阪の難波さん。
その難波さんと話をしている和服の少年は、K都の我孫子くんだ。
ソファーに座って優雅に紅茶を飲んでいるのは、H庫の一之宮さん。
その一之宮さんと談笑している車椅子の少女は、おなじくH庫の淡路さん。
ほかにも何人かいたけど、全員を知っているわけではなかった。
だいたい知り合い同士で固まってる感じ……なのかな。
あッ、ちゃっかりセバスチャンさんも来てるわね。紅茶をふるまっていた。
私も一杯もらう──うーん、おいしい。リラックスする。
私はしばらく内木さんと歓談。
それから女性スタッフのひとが入って来て、いろいろとレクチャーを受けた。
解説とか、やったことないしなあ。
内木さんとペアになって、ぜんぶやってもらえないかしら。いや、ダメか。
スタッフのお姉さんは、最後の説明を終えて、マニュアルを閉じた。
「説明は以上です。なにかご質問は? ……では、会場のほうへ、どうぞ」
私たちが控え室から出ると、ホールには選手がならんでいた。
男子16名が4人4列、女子18名が3人6列になっている。
カメラも回っていた。あんまりこっちを映さないでぇ。
内木さんのうしろに……あれ? 内木さんは?
「裏見はん、あんまりうろちょろせんほうがええでぇ」
難波さんに注意されてしまった。恥ずかしい。
とりあえず、難波さんのうしろに。
ホールがうっすらと暗くなり、内木さんの声がひびいた。
内木さんは、壇上の右すみ、司会者台のところにいた。
《ただいまより、 第10回、日日杯将棋大会の開会式をおこないます。司会は、わたくし内木レモンが務めさせていただきます。まずは、主催者の日日新聞社さまより、ごあいさつをたまわります》
メガネをかけた、50代くらいのおじさんのあいさつ。
ここは割愛。
《つづきまして、選手宣誓をおこないます。代表、三本矢高校3年、毛利輝子さん》
「ん? 私か?」
おばさんファッションの眼鏡少女が、あたりをキョロキョロした。
そこ、打ち合わせしっかり。
すると、ミリタリー服の三白眼少女が、毛利さんにうしろから耳打ちをした。
毛利さんはまえに出る。
「高校生将棋指しとして、正々堂々と戦うことを、ここに誓います」
毛利さん、列にもどる。
《ありがとうございました。以上で開会式を終わります……それでは、対戦表を発表いたします。前方のスクリーンをごらんください》
壇上のスクリーンに、対戦表が投影された。
【女子の部】
【男子の部】
……おっと、磯前さんと大谷さん、いきなりあたってるじゃない。
私は列のほうをみた。
磯前さんは苦笑してて、大谷さんはじっと対戦表を確認していた。
《選手のみなさんは、対局テーブルに移動し、準備をお願いいたします》
選手は、テーブルに分かれた。
私たちは、スタッフから指示を受ける。
「控え室の裏口から、となりの中継ルームへ移動してください」
私たちは控え室にもどった。
右手のほうに、べつのとびらが。
そこを抜けると、さっきよりも小さなホールに出た。
ふたりがけのテーブルがならんでいる。白いテーブルクロスをかけられていた。
そのうえには、解説用のタブレットとヘッドフォンセット。
スタッフの男性が、マニュアルを見ながら、
「……裏見香子さん、いらっしゃいますか?」
とたずねてきた。
いきなり呼ばれて、反応が遅れてしまう。
「あ、はい、私です」
「裏見さんとペアになるのは……一之宮華蓮さん」
「はい、ここに」
うわぁ、セレブリティ女子高生といっしょかぁ。
まあ、そういうの気にしてもしょうがないんだけど。
スタッフのひとは、てきぱきとペアを組んでいった。
どうやら、女子は女子、男子は男子で組むらしい。
ずっとそうなのかはわからないけど、とりあえず1局目の解説はそうなった。
「9時10分から解説をお願いいたします。それまでに、手洗いなど、最後の準備を済ませてください。では、本日から4日間、よろしくお願いいたします」
《第10回 日日杯参加者 名簿》
【K知県】
〔男子〕
◇香宗我部 忠親
元徳義塾高校3年生。
◇吉良 義伸
王手町高校2年生。
〔女子〕
◇磯前 好江
南国水産高校3年生。
◇越知 夢子
清海高校1年生。
【E媛県】
〔男子〕
◇今治 健児
新浜高校3年生。
◇阿南 是靖
愛甲学園2年生。
◇石鉄 烈
愛甲学園1年生。
〔女子〕
◇温田 みかん
聖カナリア学院2年生。
◇宇和島 伊代
県立M山高校1年生。
【K川県】
〔男子〕
◇長尾 彰
T松調理専修学校高等課程2年生。
〔女子〕
◇二階堂 早紀
一本松高校1年生。
◇二階堂 亜紀
一本松高校1年生。
【T島県】
〔男子〕
◇鳴門 駿
渦潮高校2年生。
〔女子〕
◇大谷 雛
観音高校3年生。
◇那賀 すみれ
渦潮高校1年生。
【H島県】
〔男子〕
◇捨神 九十九
天堂高校2年生。
◇六連 昴
皆星高校1年生。
〔女子〕
◇桐野 花
椿油高校3年生。
◇西野辺 茉白
ソールズベリー女学院2年生。
◇早乙女 素子
数学館積木寮1年生。
【O山県】
〔男子〕
◇囃子原 礼音
大都会高校2年生。
〔女子〕
◇剣 桃子
大都会高校1年生。
◇鬼首 あざみ
すこやか青年の家1年生。
【T取県】
〔男子〕
◇今朝丸 高志
砂岡高校3年生。
◇米子 耕平
天神高校2年生。
〔女子〕
◇梨元 真沙子
砂岡高校2年生。
【S根県】
〔男子〕
◇葦原 貴
御霊高校3年生。
◇少名 光彦
大国高校1年生。
〔女子〕
◇出雲 美伽
大国高校2年生。
【Y口県】
〔男子〕
◇松陰 忠信
尊王高校3年生。
◇嘉中 平三
ものつくり高校2年生。
〔女子〕
◇毛利 輝子
三本矢高校3年生。
◇萩尾 萌
ものつくり高校2年生。
◇長門 亜季
戦原高校1年生。
以上、男子16名、女子18名。




