416手目 萩尾萌の夏休み
※ここからは、萩尾さん視点です。
青空のしたで、セミが鳴く。
ボクは校庭の芝生に寝転がって、お昼寝をしていた。
日焼け対策に木陰をえらぶ。UVカットのクリームもばっちり。
え? わざわざ学校で休まなくても、いいだろうって?
ちがうんだな。窯が冷えるのを待ってるんだよ。今日はふつうにお仕事。
陶芸家と高校生の二足のわらじって、けっこうキツい。
息抜きに、ぼんやりと空を眺める。
雲のかたちが変わる。自然は偉大だ。こんなにも変化に富んでいる。
ボクもいつか、ああいう雲を散らしたような作品を──
ファーンッ!
おっと、この排気音は?
ボクは上体を起こした。
1台のバイクが、校庭に入ってくる。大きさ的に、小型二輪かな。
白い車体に、これまた白いジャケットとズボンを着た乗り手。
バイクは、そのままボクのそばに停まった。
フルフェイスをはずすと、三白眼の少女がすがたをあらわした。
ボクはその顔をみて、
「あれ、亜季じゃん、どうしたの?」
と声をかけた。
亜季はバイクにスタンドをかけ、シートから降りる。
夏の風に吹かれながら、ボクのほうに歩みよった。
「萩尾先輩、こんにちは。MINEに既読がつかないので、いらっしゃらないものかと」
ボクは腰をおろしたまま対応。友だちだからいいよね。
「ごめん、創作のときは、スマホを持たないんだよね。で、どうしたの?」
「T取の梨元先輩といっしょに、バイクの仕上げをしようかと思いまして」
ああ、そういうことか。
あれって改造バイクなんだね。
うちの高校のバイク部に、チェックしてもらうってことか。
車検大事。
「ん? 今、いっしょにって言った?」
そのときだった。フェンスのむこうに、もう1台のバイクがみえた。
真っ赤な車体で、右のハンドルにスマホホルダーがついていた。
なんだか全体的にキラキラしてるね。ラメ調っていうのかな。
バイクは、そのまま校庭に侵入してくる。
ちょっとアクロバットな動きをして、ボクのまえに停まった。
フルフェイスをはずすと、こんどは茶髪の女子高生。
「イエーイ! 萌ちゃん、ひさしぶりぃ!」
T取代表の将棋指しこと、梨元真沙子ちゃんだった。
やれやれだな。
ボクはあきれつつ、立ち上がった。
「夏休みに敵地へ乗り込んでくるとか、いい度胸してるね」
「え? べつに敵対してなくない?」
「ま、それもそうか……T取からバイクで来たの?」
「そそ、ズーッと国道を乗り継いできた」
よくやるね。山陰づたいでT取から萩までくるとか、けっこうたいへんだと思う。
真沙子ちゃんは大きく背伸びをして、それからあたりをみまわした。
農作業をしている男女とか、ドローンを飛ばしてる男子生徒とか、いろいろいる。
「あいかわず、ここの学校は変わってるねぇ。まるで研究所みたい」
「国の特区だからね」
ものつくり高校は、一般的な高校じゃないんだよね。
必修科目が英数国しかなくて、あとは選択制。文科省のカリキュラム外。
選択科目は物理が人気かな。あと、化学。
ボクは陶工だから、古典とかもわりとやるほう。
真沙子ちゃんは、シートから飛び降りた。
「で、萌はお昼寝でもしてたの?」
「窯が冷えるのを待ってるんだ」
「お仕事の最中だったか。あとで見せてくれる?」
「もちろん」
真沙子ちゃんは、ハンドルのホルダーから、スマホを引き抜いた。
「ところで、これ見た?」
真沙子ちゃんはそう言って、スマホをボクに放った。
キャッチしてみると、日日杯の紹介サイトが出ていた。
「あれ、いつ公開されたの?」
「さっき犬井から連絡があった」
だったら、ボクのスマホにも連絡が来ていそうだ。
あとで返信しとこ。
ボクは画面をスクロールさせる。
「……へぇ、紹介のスペースを、全員に均等割してるんだ」
ボクのコメントに対して、真沙子ちゃんは、
「あ、萌、もしかしてご不満?」
としたり顔。
いやいや、ボクはそんなに名誉欲は強くないから。
「不満はないよ。ただ犬井って、ああみえてリアリストだから、閲覧数とかを考えて調整するかな、と思ってた」
「んー、そこはジェーン梨元さまも同感。しかも、男女混合で五十音だし」
だね。トップバッターはS根の葦原先輩か。
でも、葦原先輩は高身長のイケメン弓道家だからなあ。
これはこれでコマーシャル入ってる気がする。
「……っと、亜季ちゃん発見」
長門亜季で【な】行だから、けっこう後ろのほうだった。
「なになに……ミリタリーをこよなく愛する戦略家、温故知新の精神で挑む、と。これって亜季ちゃんがじっさいに言ったの? それとも捏造?」
「温故知新を言ったかどうかは覚えていませんが、古棋譜の話はしました」
なるほどね。記事の内容は、犬井たちとのサバイバルゲームが中心だった。
読み応えはあったけど、将棋と関係ないような気もする。
「次は……真沙子ちゃんか。あくなきオリジナリティの追求、盤上で光る個性」
掲載写真には、バイクに寄りかかり、カウボーイハットを銃口で持ち上げる真沙子ちゃんが写っていた。アメリカの大衆雑誌っぽい構図だ。
「これだけ見たら、なんの特集かわかんなくない?」
ボクの感想に対して、真沙子ちゃんは、
「えぇ、それが感想なの?」
と不満げ。
「んー、真沙子ちゃんのカウボーイ姿、ボクは見慣れてるしなぁ」
真沙子ちゃんは「ぶぅ」と頬をふくらませて、腕組みをした。
ボクはさらにスクロールする。
「……あ、ボクだ」
って、当たり前か。出場選手だし。
木製のテーブルを背に座っている。テーブルのうえには、かわいい湯のみたち。
光の当てかたがいいな。左ななめうえから、ちょうどボクの半身を照らしている。
なんか恥ずかしいね。次、次。
ボクがスクロールしかけたところで、真沙子ちゃんがのぞきこんだ。
「高校生陶芸家は、81マスに美を見るのか……いいじゃーん。写真もキマってるし」
ボクは、
「写真の構図がいいよね。アマチュアっぽくない」
と、感想だけ述べておいた。
真沙子ちゃんはうんうんうなずきながら、
「そうそう、あの……えーと、だれだっけ、写真撮ってたの?」
と、名前が出てこないらしかった。
「葉山さん」
「そうそう、彼女の名前、聞いたことなかったけど、有名な高校生写真家?」
「ちがうんじゃないかな……いや、写真の世界はわかんないや。ただ、あの葉山さん、あんまり記者っぽくはなかったよね」
ボクのひとことに、真沙子ちゃんと亜季ちゃんは納得顔。
亜季ちゃんは、
「突っ込んだ質問が、ほとんどありませんでしたね」
と評した。
ボクもそう思った。
真沙子ちゃんも、
「キワドイ質問って、『ライバルはいますか?』くらいだったかな」
と言い、それからボクの目をみて、
「萌は、だれをライバルに挙げたの?」
と質問された。
「ライバルの質問とか、あったっけ?」
「気になる選手はだれですか、って訊かれなかった?」
「ああ、あの質問か。総当りだから気にしてない、って答えたよ」
よくみたら、ボクの記事に、そのときの答えが載っていた。
もしかして、真沙子ちゃんは具体的に挙げたのかな。
ボクはすこしもどしてみる。
「……最終日にのこりたい、か。けっこう大胆な発言してるね」
「チッチッチッ、ベスト4くらい狙わないでどうするの。萌も狙ってるんでしょ?」
「うん、優勝を狙ってる」
「Pfui!! そういうところがイヤらしいんだなあ、萌は」
ボクはスクロールを終えて、スマホを真沙子ちゃんに返した。
真沙子ちゃんはポケットにしまいながら、
「でもさ、これってみんな、じつはいるんでしょ?」
と言った。
「なにが?」
「ライバル」
「……そうかな」
「またまた、とぼけちゃって。パンフレットに載るんだから、みんな言わなかっただけだよ。萌はどうなの? だれかマークしてる?」
「世の中には、言い出しっぺの法則というのがあってだね……」
真沙子ちゃんは、わかったわかったと、両手を挙げた。
「とりあえず、H島のお花ちゃんは気になるわ。あの子の棋風、ちょっと合わない」
「ふーん」
……………………
……………………
…………………
………………
「いや、ふーんじゃなくて、あたしが答えたんだから答えなさいよ」
「特定のだれか、ねぇ……じゃあ、ラスとラス前に当たるふたり、かな」
真沙子ちゃんはキョトンとした。
いっぽう、亜季は納得顔で、
「大勢が決したときは、最後の2局が重要になる……ということですか」
と解説してくれた。
さすがだね。ミリオタの知恵? あんまり関係ないか。
真沙子ちゃんも理解してくれたらしく、
「ああ、ようするに、成績上位者同士の対局が残るのか、ってことね」
と言った。
ボクは、
「それもあるし、消化試合で全力投球してくるタイプかどうかも重要」
と付け加えた。いわゆる米長哲学ってやつ。
総当たりの対戦表は、当日にならないと発表されない。
初戦でだれと当たるのか、最後にだれと当たるのか、それもわからない。
けっこう気の利いた回答じゃないかな。戦略的でしょ。
ところが、真沙子ちゃんは、
「なーんかつまんないなあ」
と言って、バイクのほうへ向かった。
「あれ? 作品を見て行かないの?」
「邪魔しちゃ悪いからね。あたし、茶化す癖があるし……バイク部ってどこ?」
「一回校庭から出て、あっちの工場みたいな建物に入って。受付のおじさんがいるよ」
真沙子ちゃんはフルフェイスをかぶりなおし、座席についた。
大きな排気音を鳴らす。
ぐるりと一回転して校門へ、と思いきや、急旋回してもどってきた。
フルフェイスのシールドがあがる。
さっきまでのおふざけモードとちがって、真顔だった。
「言うかどうか迷ったけど……あたしが挙げたかったのは、萌、あんたなんだよね」
真夏特有の、シンとした騒がしさ。
セミの声が、意識から遠ざかっていく。
「……ご指名いただいてなにより。梨元戦は用心するよ」
「そういう打算的なところが腹たつわ。あたし、センスだけで生きてるから」
「打算じゃないさ……打算と偶然だよ。土、練り、整形、素焼き、釉薬……計算し尽くされた作業のあとに、窯焼きという偶然が待っている。火は人間の支配を受けつけない」
真沙子ちゃんは中指を立ててくる。
「御託はけっこう……絶対に勝つ」
「世の中に絶対はないよ」
真沙子ちゃんはニヤリと笑い、シールドをさげた。
排気音を残して、バイクが駆け去る。
ボクは空を見上げた。
入道雲が、天高くそびえたつ。どこまでも、天高く。
まるで真沙子ちゃんの情熱みたいだね。そう、情熱も人間の支配を受けつけない。
「真沙子ちゃんのファッションセンス、ボクはけっこう好きなんだけどねぇ……」




